東方見雲録

東方見雲録

2023.03.17
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カテゴリ: 政経
政治学者エリカ・チェノウェスの研究にならって、3.5パーセントの人々が世界を変える、と主張しています。歴史を振り返ると、少数派の人たちが命を懸けたから、社会はよい方向に変わってきました。ただしその際には、多数派の人々が少数派の人々に対して、オープンなマインドを持つ必要があります。ヨーロッパでは、マイノリティの意見からも学ぼうという姿勢があるように感じます。一方で、日本では、なかなか当事者が声を上げても、マジョリティが耳を貸さないことが多い。

ブレグマン あくまで部外者としての私の意見ですが、日本の同調圧力が強いことも関係しているのではないでしょうか。たとえば法律で義務付けられていないにもかかわらず、人混みのない屋外でもマスクを着用し続ける。また、長時間労働も当たり前となっているようですね。しかし、「屋外でマスクをつける根拠はなかった」「週に70時間も働きたくないのは自分だけじゃなかった」とみなが気づけば、事態は急速に変化する気もしています。

ブレグマン 脱成長についてはじつは私自身、矛盾した思いを抱いています。たとえば資本主義の象徴のひとつである広告について言うと、昔の公共空間には存在しなかった種類の広告は、なくてもよいかも知れません。公共空間(コモン)を取り戻そうという斎藤さんの考えには同感です。

 ただし政治的なスローガンとして「脱成長」を掲げるのは、得策ではないかもしれません。「脱成長させますから、私に投票してください」と言うよりも、「成長させます」「豊かにさせます」と言った方が、人々からの支持が集まりますから。

 また、ここは斎藤さんと意見が違うかも知れないの ですが、私自身はテクノロジーには可能性があると思います。太陽光や風力発電なども技術の進歩があり、安価に利用できるようなりました。家畜の牛を食べることは環境に悪いかも知れません。1キロの牛肉を得るために、25キロの飼料が必要です。そのため、健康によくて美味しくて安価な代用肉のイノベーションが必要とされているのです。

ブレグマン 政治家を選ぶために数年ごとに選挙する間接民主主義は、じつは浅い考えです。そもそも選挙は、簡単に操られてしまいますから。じつは古代ギリシャの民主主義は真逆でした。選挙は非民主主義的だと思われていたんです。そのため代表は、抽選によって選ばれていました。

 間接民主主義を超えようとする試みは、現代でもあります。ラテンアメリカの一部の国では、市民が予算の使い方を決めるなど新しい試みを行い、うまくいっているそうです。市民を大人として扱えば大人として振る舞う、市民を無能として扱えば無能になるんです。だからこそ私は、ほとんどの人間は基本的に善であり、内なる力を秘めているという「新しい人間観」に基づいて社会設計をすべきと考えているんです。ちなみ にAIやアルゴリズムを使った資本主義や民主主義については、誰が設計するのか、という問題があります。


ルトガー・ブレグマン ©StephanVanfleteren
© 文春オンライン

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Last updated  2023.03.17 09:00:09
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