東方見雲録

東方見雲録

2023.05.08
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カテゴリ: 文化
2006.05.08の日記 こちら



選手村になったワシントンハイツ──1964東京五輪前夜

代々木公園のはずれに、ぽつんと一軒の家がある。原宿門から入って右側、明治神宮の杜を背にした木造平屋建てだ。
中を覗けば、壁や天井は剥がれ落ちているが、外側の壁は白く窓枠はエメラルドグリーンに上塗りされ、新しい柵がその家を囲んで、横にはこう書かれている。

「オリンピック記念宿舎と見本園」。

そう、代々木公園は、東京オリンピックの選手村だった。昭和39(1964)年、オランダ選手が使用した建物が、ここに残る古びたプレハブである。いまでこそピカピカの柵に覆われているこの家は、石原(慎太郎)元都知事がオリンピック東京誘致を言い出すまで、実にみすぼらしい、ボロ家として放置されていた。それもそのはず、この家が建てられたのは、昭和21(1946)年だった。

では、東京オリンピックまでの18年間、誰が何の目的で、この家を使っていたのか。東京都が設置した札には、一切そのことが触れられていない。

実はここは、米軍施設ワシントンハイツだった。米軍の駐留家族が暮らす住宅地で、日本人が足を踏み入れることが許されない禁断のエリアだったのだ。827戸の家々(後には独身寮も増設)に加え、学校、教会、クラブ、劇場、グラウンドを有した〝アメリカ村〟が、東京の真ん中にあった。現在の沖縄と同じ状況と考えていい。つまり、各国選手団が使用した家々には、オリンピック直前まで、米兵とその家族が暮らしていたのである。

引用サイト:gqjapan 秋尾沙戸子記事  ​ こちら ​


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Last updated  2023.05.08 00:00:13コメント(0) | コメントを書く


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