東方見雲録

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2023.08.21
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カテゴリ: アーカイブス
横井庄一さん

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小野田寛郎さん

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中村輝夫さん
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主な残留日本兵一覧
大場栄(陸軍大尉、1945年12月1日までサイパン島タッポーチョ山にて180名ほどの将兵、民間人を連れて潜伏していた)
井川省(陸軍少佐、1946年、ベトナム独立戦争において戦死)
土田喜代一 (海軍二等兵曹、パラオで部下と共にペリリュー島に潜伏。1947年に帰国)

石井卓雄(陸軍少佐、クァンガイ軍政学校、トイホア陸軍士官学校教官、1950年、ベトナム独立戦争において戦死)
赤津勇一(陸軍一等兵、フィリピン・ルバング島にて1949年9月逃亡、1950年6月投降、1951年帰国)
中原光信(陸軍少尉、ベトナム独立戦争志願、クァンガイ陸軍士官学校教官。1950年代に帰国。日越貿易会会長)
谷本喜久男(陸軍少尉、陸軍中野学校出身。ベトナム独立戦争志願、クァンガイ陸軍士官学校教官。1954年帰国)
島田庄一(陸軍伍長、フィリピン・ルバング島にて1954年5月7日戦死)
岩井小四郎(ハイフォンで寿司職人をしていて終戦直前に召集。ベトナム独立戦争志願、ヴィエット将軍の配下で偵察大隊長として補佐)
林弥一郎(陸軍少佐、東北民主連軍航空学校で中国共産党空軍創立に寄与。日中友好会会長。1956年帰国)
日向勝(陸軍少尉、中国共産党軍将校として国共内戦参加。参謀、大隊長、砲兵学校教官等。1958年帰国)
横井庄一(陸軍軍曹、1972年までグアム島に潜伏)
小塚金七(陸軍上等兵、フィリピン・ルバング島にて1972年10月19日戦死。また彼の事は、若一光司の著書『最後の戦死者 陸軍一等兵・小塚金七』に詳しく書かれている)
小野田寛郎(陸軍少尉、陸軍中野学校出身。1974年までフィリピンルバング島で任務遂行、フィリピンの警察軍が発表した被害は死者30人)
中村輝夫(高砂義勇隊一等兵。1974年までインドネシアモロタイ島に潜伏。1975年、台湾に帰国)
深谷義治 (陸軍憲兵曹長、戦後も中国で特殊任務を遂行し、中国当局に逮捕され収監。1978年帰国)
田中清明、橋本恵之(1989年までマラヤ共産党ゲリラに参加。1990年帰国)

呉連義 (台湾系日本人工作員。ベトナムにて特殊業務を継続、1994年一時台湾に帰国)
阿彦哲郎 (シベリア抑留後、カザフスタンに移住。1994年帰国)
蜂谷彌三郎 (ロシア残留。1997年帰国)
上野石之助(樺太残留後、ウクライナに定住。2006年に一時帰国)
田中明男 (ソ連に残留、2017年帰国)
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関連サイト:元日本人傭兵が絶句…!インパール作戦を生き延びた日本人が祖国に帰れない「ヤバすぎる理由」 こちら
その後Nさんは治療療養後部隊に復帰するが、部隊が後退を繰り返す終戦直前の混乱の中でマラリアを発症。山中で倒れ、部隊に追従できず取り残された。もはやこれまでと悟った時に、カレン族の村人に救出され、介抱されて一命をとりとめたという。

しかし話はそこで終わらない。その後、部隊と一緒に行動できなかった事を、敵前逃亡と責められたらしい。敵前逃亡は重罪で最も不名誉な事とされている。その汚名を着せられたままでは到底帰国できないと、助けられたカレン族の元に留まる事を選択したという。

私が思うに、終戦直前の混乱の中でマラリアに倒れて動けなくなった人を敵前逃亡とはただの言いがかりだと思うが、当時の人には死ぬほど恥ずかしい事だったのだろう。

こうして現地に残ったNさんだが、私が知り合った頃は子や孫に囲まれ、畑を耕しながらのんびりカレン族の奥様と過ごす好々爺だった。笑顔を絶やさず、訪ねていくといつも冷たいコーラで歓迎してくれる穏やかな姿から、その凄まじい経歴は想像もできなかった。





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Last updated  2023.08.21 08:00:09
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