東方見雲録

東方見雲録

2024.01.05
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カテゴリ: 文化
日本はひとつではない
宮本は、東日本については同族集団、同族結合が基本であり、縦の主従関係を基本にした家父長制的な傾向の強い上下の結びつきを特徴とし、それに対して西日本の場合、フラットな、横の平等な関係を結びあうのが特徴だとする。縦の主従関係が東日本に見られるのに対して、寄り合いや一揆のような横の組織は、西日本に発達するという考え方である。
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また宮本は、日本の文化は日本民族の民俗伝承的堆積を基礎にして生まれたもので、単に上層文化の開花によってなされたものではないという。

奈良や京都や江戸には社寺や公家や武士による見事な文化の開花があったが、日本人全体がそういう生活をしていたのではなく、それはこの列島に住む人びとの生活のほんの一部にすぎなかった。民衆はそのあいだにも田畑を耕作し、漁撈し、自分たちの生活を支えただけでなく、貴族や武士や支配者たちなど、上層階級の生活をも支えてきた。

ともすると私たちはその延長線上で、前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人びとを卑小に見たがる傾向が強い。宮本は、そのことにより私たちは一種の悲痛感を持ちたがるものだが、自分たちの立場や考え方に立って見ることも必要ではないかと訴えるのだ。
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民俗学が民俗の「歴史」を叙述するのは宮本常一が初めてではなかった。柳田国男は『日本農民史』(1931年)を手掛けているし、また柳田による歴史叙述として重要な著作に、『明治大正史世相篇』(1931年)がある。

柳田がここで試みたのは、日本の近代以降の風俗的変貌によって、日本人の心性がどう変化したか、あるいは変化しなかったかを捉えようとしたことだった。そのためこの著作は、「明治大正史」と銘打ちながら、「何年何月に何々がおこった」という編年体をとらなかった。



いっぽう宮本の仕事のなかでも、宮本単独の著作である『日本民衆史』と、複数の著者による『日本の民俗』は、宮本の歴史に対する問題意識を表現し、叙述したシリーズとして改めて評価するべきだろう。

未來社から刊行された双書『日本民衆史』の第1期全12巻のタイトルは、初回配本『甘藷(かんしょ)の歴史』(初版奥付・1962年10月13日)にはつぎのように予告されていた。

1『開拓の歴史』、2『山に生きる人びと』、3『海に生きる人びと』、4『村のなりたち』、5『町のなりたち』、6『生業の歴史』、7『甘藷の歴史』、8『旅と行商』、9『すまいの歴史』、10『生活の知恵』、11『生産の知恵』、12『労働の歴史』だった。

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「昨日まで忘れられていたものが、今日ふたたび民衆の意識にのぼってくるのは多くの場合不幸なできごとを媒介にしていた」

虐げられた庶民が人びとの意識にのぼってきた場合、歪められていたり、忘れられた世界のほんの一部であったりする。だからその世界の本当の苦痛は、とりあげられることで、かえって忘れ去られてしまうのだ。
進歩とは何か、発展とは何か、進歩という名のもとに、私たちはじつにたくさんのものを切り捨ててきた。網野は、これは現代の根源的な問題であり、その意味でも宮本の学問的な歩みをたどることは、ただ個人の学問の問題だけではなく、近代の学問そのものの歴史を考えるうえでも、また人類史全体を考えるためにも必要なことではないかと評価したのである。
引用サイト:現代ビジネス 畑中 章宏 の意見   こちら

関連日記:2023.09.08の日記 民俗学「庶民の歴史」  こちら

参考サイト:弓ヶ浜半島 「芋代官様の紙芝居」 こちら





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Last updated  2024.01.05 08:00:11
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