東方見雲録

東方見雲録

2024.02.23
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カテゴリ: スクラップ
2007.02.23の日記 こちら


写真:歌舞伎の題材となった願人坊主の浮世絵(江戸時代後期) (歌川国丸「けいせい半田稲荷業ひら」 当館蔵)

様々なご利益があるお稲荷様ですが、その祭神はウカノミタマノカミという穀物の神様とされています。『山城国風土記』逸文いつぶんによりますと、お稲荷様は渡来系の秦はたという氏族が祀った稲作に関わる神様として登場します。稲荷神社の総本宮である京都の伏見稲荷大社では、この説話を奈良時代初めの和銅4年(711)2月のこととして伝えています。秦氏は絹の生産や機織りなどの産業のほか、交易活動に従事する氏族としても知られていますので、お稲荷様が各地で信仰され、そのご利益が五穀豊穣のみならず商売繁盛や産業興隆などを期待されるようになったのも、そもそもは秦氏の活動という歴史的背景が下地となっていたのかもしれません。

 江戸時代になりますと、急速に大都市となった江戸とその周辺の近郊農村では稲荷信仰が盛んとなります。お稲荷様の神社やホコラは、火事や喧嘩と並ぶ江戸の名物の一つにあげられるほど沢山立てられました。こうした稲荷信仰の都市化・大衆化とともに、特定のお稲荷様に特別なご利益を求める人々の祈りが沸き起こります。葛飾区の東金町に鎮座する半田稲荷神社もそうした神社の一つです。半田稲荷神社は18世紀前半の享保の頃から、武士や江戸の町民の間で信仰が高まりを見せ始めます。18世紀終り頃には疱瘡ほうそうとよばれた天然痘や、麻疹はしかの病を軽くするほか、安産祈願にも霊験あらたかなお稲荷様として江戸市中の人々に大いにもてはやされました。この盛り上がりに貢献したのが願人坊主がんにんぼうずと呼ばれた人々です。願人とは人々の代わりに祈願して参詣さんけいや水垢離みずごりを行う宗教者のことです。赤い衣に赤い頭巾の赤装束で「半田稲荷大明神」の幟のぼりを持って、「疱瘡も軽い、麻疹も軽い」と歌いながら江戸市中を歩き廻る姿が評判となり、歌舞伎の題材にも取り上げられたほどでした。
引用サイト:葛飾区   こちら

関連サイト:Wikipedia情報   こちら







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Last updated  2024.02.23 00:00:24コメント(0) | コメントを書く


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