東方見雲録

東方見雲録

2024.10.27
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カテゴリ: 政経




八王子城御主殿の石積(発掘調査結果をもとに整備されたもの)



滝山城の巨大な空堀


戦略という観点から、北条領国全体の動向を俯瞰してみると、氏照が本拠を移転した理由がはっきりする。北条氏は、天正14年(1586)頃から豊臣政権との関係が悪化し、領国全体で大がかりな動員体制を敷くようになっている。当然、城の改修も各地で進められている。しかも、豊臣政権への対応では、氏照は北条家中での強硬派なのである。
 だとしたら、滝山城から八王子城への移転も、「対豊臣シフト」の一環と考えるのが、論理的帰結というものだ。戦略的状況の変化に応じて、軍隊が基地を移転・再編したり、企業が工場や営業所を移転・統廃合するのと、まったく同じ原理である。
・・・・
 統一政権(豊臣政権や徳川幕府)に従った大名たちは、政権からの指令によって動員される立場になるから、動員に即応しやすいように平野部に本拠を移しただけである。限られた兵力で敵の攻撃を防ぐ、という原理だけからすれば山城が有利なことは変わらない。
 つまり、対豊臣戦に備えた北条領国全体での戦略シフトの中で、甲斐方面からの突破に備える要塞として八王子城は選択された、というのが唯一の合理的説明なのである。
引用サイト: こちら





こちら

関連サイト:都立高尾陣馬自然公園   こちら

関連サイト:滝山城址   こちら

関連サイト:都立滝山公園   こちら

関連サイト:都立滝山自然公園   こちら





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Last updated  2024.10.27 11:40:36
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