東方見雲録

東方見雲録

2025.01.24
XML
カテゴリ: ランドスケープ









 徳川昭武は黒船が来航した1853(嘉永6)年に水戸藩中屋敷(現在の東京都文京区弥生2丁目・東京大学浅野キャンパス)で水戸藩主徳川斉昭の十八男として誕生した。最後の将軍となる徳川慶喜は16歳年上の異母兄に当たる。慶喜は弟の資質を高く評価し、13歳の昭武は将軍家へ迎えられ、67(慶応3)年パリ万国博覧会に将軍名代として派遣された。それはフランスとの連携で幕府の窮地を打開するためだった。

 昭武はフランス以外にも欧州5カ国を歴訪して各国元首と交流し、イギリスの新聞では「プリンス・トクガワ」と報じられた。しかし、昭武の留学中に幕府は瓦解(がかい)する。留学を打ち切っての帰国、最後の水戸藩主への就任、廃藩置県を経て、一華族となった。

 アメリカのフィラデルフィア万国博覧会に御用掛(ごようがかり)として派遣された後、パリで再び4年半の留学生活を送る。帰国後、明治天皇から定期的に拝謁を賜る麝香間祗候(じゃこうましこう)となり、29歳の時に隠居。翌年、松戸に戸定邸を完成させた。

 現在の東京都墨田区立隅田公園に立っていた水戸徳川家本邸(小梅邸)と私邸の戸定邸とを行き来しながら、昭武は趣味の狩猟、魚釣り、作陶、写真撮影、自転車などを楽しむ生活を送り、兄の慶喜も戸定邸に何度も訪れたという。

 この戸定邸と庭園は1951(昭和26)年に昭武の次男武定(たけさだ)から松戸市に寄贈され、91年に戸定が丘歴史公園として開園した。戸定邸を訪れる際は、幕末から明治の激動の時代を生きた幻の将軍徳川昭武の生涯を知っているとさらに味わい深くなる。(千葉スリバチ学会会長・稲垣憲太郎)
引用サイト: こちら

関連日記:2024.03.30の日記 こちら
関連サイト:Te5G 戸定邸見学 写真集 こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.01.24 07:00:12
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: