東方見雲録

東方見雲録

2025.02.18
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カテゴリ: ランドスケープ
渋沢栄一の精神引き継ぐ田園調布の100年 住民が維持する緑の景観



旧駅舎をくぐり、花壇と噴水のある広場を過ぎる。ここからイチョウ並木の3本の道路が放射状に延び、住宅街に続く。パリの凱旋門にある「エトワール式道路」と呼ばれるもので、渋沢の息子、秀雄のアイデアだそうだ。視察した米サンフランシスコ郊外の高級住宅街「セント・フランシスウッド」の放射状の道路に着想を得たとされる。

 「かつては農村地帯で、田んぼや畑しかなかった」。大田区立郷土博物館の築地貴久学芸員はそう話す。築地さんや東急グループによると当時、東京都心に人口が集中し住環境の悪化が問題になっていた。

 イギリスの都市計画家エベネザー・ハワードが提唱した緑と都市が調和する「田園都市論」(ガーデン・シティー)に影響を受けた渋沢は、東急のルーツにあたる田園都市株式会社を1918年に設立。下沼部村と呼ばれた農村を開発し、23年に分譲を開始した。

 直後に関東大震災が発生したが、高台で地盤が強い田園調布の被害は少なく、大学教員や軍人、大企業の管理職など富裕層に人気が出たという。職場と住居を分離する考え方は、「ベッドタウン」のはしりといえる。
引用サイト: こちら

皆が認める高級住宅街「大田区田園調布」特徴とその歴史

田園調布は、東京の中でも確立された地域で特徴は豪邸の件数です。一軒一軒都心部とは思えないほど広大な土地に建つ邸宅が多く立ち並び、街に緑が多く洗練されている昭和初期に形成された街です。現在も衰えることなく海外の人にも親しまれているため外人も一部住んでいます。また、こちらも高台に位置しているため場所によっては、武蔵小杉方面を見渡すことができます。




大正7年(1918年)日本の明治、大正期の実業家渋沢栄一の計画により建設された、日本で最初の住宅専用市街地です。かつては一区画200坪が最低敷地面積とされていたため今なお東京の住宅とは思えないほどの立派な邸宅が多く立ち並んでいます。
世田谷区と多摩川に隣接しており多摩川を渡ると武蔵小杉環八を渡ると自由が丘という立地です。国分寺崖線の最終地点がこの田園調布こちらの地域も多摩川から駅にかけて急こう配の坂があり高台にあります。電車は東急東横線と東急目黒線が通っており渋谷、目黒までまで約15分の場所にあります。






田園調布憲章とは?

次に掲げる建築物は、建築してはならない。
・長屋又は共同住宅の用途に供する建築物で、次のいずれかに該当するもの
 ア 住戸の数が4を超えるもの
 イ 床若しくは壁又は戸で区画された各住戸の床面積が37平方メートル未満の住戸を含むもの

・建築物の敷地面積の最低限度
 165平方メートル

・壁面の位置の制限
 建築物の外壁又はこれに代わる柱の外面から敷地境界線までの距離の最低限度は、道路に面する部分では2メートル以上、その他の部分では1.5メートル以上とする。

・建築物等の高さの最高限度
9メートル

・壁面後退区域における工作物の設置の制限

・建築物等の形態又は色彩その他の意匠の制限
 建築物の外壁又はこれらに代わる柱及び屋根並びに工作物の色は、地区の環境に調和した落ち着いたものとする。

・垣又はさくの構造の制限
1.垣又はさくの構造は、生垣又は網状その他これらに類するものとする。
 ただし、垣又はさくの構造が、次の各号の一に該当する場合においては、この限りでない。

(2)鉄筋コンクリート造、コンクリートブロック造等で地盤面からの高さが1.2メートル以下であるもの

このようなルールがあり街の景観が維持されている。
引用サイト: こちら

田園調布、驚きの100年前写真







・・・・
傾斜地にひな壇状に造成されたばかりの田園調布である。すでに街路樹付きの歩道が整備されるものの、街路樹はまだ若く、細い。いずれ大樹に育ち、夏は日陰をつくって心地よい道となる、と説明されても、この何もない住宅地を購入し、マイホームを建てる気になったかどうか。

 これから魅力的な住宅地になるかもしれない。でも、何もない造成地をみると今は買う気になれない。そう思う人が多かったのではないか。
・・・・
何もないところからつくりはじめたので、「駅に近いのに、住環境がよい」住宅地をつくることができた。しかし、理想を追求した田園調布も、最初に分譲されたときは人気がいまひとつだったという伝説が不動産業界に残っている。

 当時、理想の住宅地として人気が高かったのは、千代田区の番町・麹町エリアと港区の麻布エリア。しかし、それら都心の高級住宅地は当時でも値段が高かった。そこで、中堅サラリーマンでも購入できる住宅地として開発されたのが田園調布だった。

 「開発の意図は、理解できるのだが……」

 なかなか決断できない、というのが初期の反応だったのではないだろうか。
・・・・
「あんなところダメだ」

 新しく開発された住宅エリアに対し、そのような評価を下す人は多い。田園調布の開発が始まってから100年も経ち、多くの情報を簡単に手に入れることができるようになった現在でも、開発初期の住宅地に対する評価は相変わらず手厳しい。

 しかし、勇気を持って購入を決めた人が、結局は「いいところに家を買ったねえ」と言われるようになる。そのことを約100年前の写真が教えてくれるようだ。
引用サイト: こちら

ちょっと寄り道:「田園都市論」(ガーデン・シティー)
ハワードの中核となる理念は、「都市(Town)と農村(Country)の結合」である(原文“Town and country must be married”から「都市と農村の結婚」とも翻訳される)。
ハワードは、都市・農村という2つの「磁石」(すなわち魅力)の間で、人々はなぜ都市に引き付けられるかに着目した。
都市は、雇用機会や高賃金、社会的交流、娯楽などの長所の一方、自然や住環境は汚染され、高家賃・高物価、孤独という問題がある。農村は、自然の美しさや森と草原、新鮮な空気、低家賃・低物価という長所の一方、雇用機会や社会的交流、娯楽に恵まれずインフラも整っていない。
そこで、第3の選択肢として、双方の長所を兼ね備えた「田園都市」を建設すれば、人々はその磁石に引き寄せられ(すなわち自発的に都市を離れ)、田園都市での新たな暮らしや文化的社会を享受できるようになる。そして、大都市の過密、農村の荒廃という両方の問題解決につながると考えたのである【下図:3つの磁石】。

・・・・
ハワードの田園都市構想は 120 年ほど前のものだが、自然との共生、協同型社会、循環型システムなど、その提案は古びていない。近年のアメリカのニューアーバニズム運動においても、ハワードが提唱した田園都市の理念を現代社会に置き換えて捉えなおそうとする動きがあり、いまだ大きな影響を与え続けている。








引用サイト:ハワードの田園都市    こちら

関連サイト:日本のローカル都市が生き残るための「縮小のマネジメント(リーン・アーバニズム)」 こちら

関連日記:2022.11.22の日記  20分生活圏   こちら





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Last updated  2026.06.11 06:36:58
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