東方見雲録

東方見雲録

2025.08.15
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カテゴリ: 文化

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なぜ“幻の大本営”がここに?
 松代大本営の造成計画の胎動は、戦況がいよいよ後戻りできない段階に来ていた1944年の初め頃。陸軍の井田正孝少佐が発案した。

 当初は八王子や甲府といった比較的東京の近くで検討されていたが、サイパン陥落で日本本土の大部分が空襲の射程に入ると事情が変わる。より東京から遠い内陸部で、かつ大規模な施設を建設できる場所が求められた。

 そうして白羽の矢が立ったのが長野・松代であった。

 開戦後、長野には軍需工場などが移転・設立されており、集団疎開などもあって労働力が比較的潤沢だった。そして何より、空爆にさらされても破壊されない強固な岩盤に覆われた山があった。

 松代の象山を視察した井田少佐は、「天与の場所」と言ったという。信州が「神州」に通じるとか、そういう理由もあったようだがさすがに後付けだろう。

 ともあれ、こうして長野・松代に大本営の造成が決定し、1944年11月11日から本格的な工事がはじまった。

のべ300万人が動員された極秘計画


 朝鮮人労働者を含めてのべ300万人が動員されたという。朝鮮人労働者のために慰安所まで設けられていたというから、まるで新しい都市がひとつ松代に現れたにひとしい。

 ただし、地元の松代の人たちには、この工事が大本営のものだとは知らされていなかったという。

 それでも多くの資材が次々と運ばれて、たくさんの労働者がやってきた。時勢も時勢だけに、何かしら重大な工事であることは察しがついていたのは間違いない。

 梱包が崩れた荷物から「宮」の文字と菊の紋の一部が覗き、宮城(きゅうじょう)関係の施設で天皇が松代にやってくるのでは、などと噂になっていたらしい。

 そうして建設が進んでいった松代大本営。内部の見学ができる象山地下壕のほかに、舞鶴山・皆神山の三地区に分かれていた。

 象山には政府機関やNHK、舞鶴山には大本営と皇居(御座所)、皆神山には食料庫などと役割分担。さらに、近くの山の中には三種の神器を納める賢所の建設も決定していた。

 賢所の工事は終戦でほとんど手つかずのまま終わったが、少なくとも政府中枢が皇室や軍部を含めてまるごと移転する、まるで首都移転さながらの大規模事業だったのである。

 しかし、結局終戦によって本土決戦は回避され、松代大本営が使用されることもなかった。ただ間違いなく、日本の歴史に刻まれた一幕なのだ。

引用サイト: こちら

関連サイト:松代大本営跡  Wikipedia情報   こちら

関連サイト:驚愕の「松代大本営地下壕」! こちら





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Last updated  2025.08.15 09:00:06
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