東方見雲録

東方見雲録

2025.08.21
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カテゴリ: 文化



巨大な「ゼロ」としての「大屋根リング」
そうして、そのようないのちの乱立からなるお化け屋敷の無政府状態に文字通り輪をかけて、その象徴的なゼロ記号として同じ地面に根を張りながら、物理的にも意味論的にも一段桁上げされ、純粋に無意味と呼んでよいほどの規模で実現されているのが、かの大屋根リングにほかならない。

大屋根リングは、聞くところでは、いのちの特性でもある「多様でひとつ」の象徴の役割を託されているようだが、実際にそれを目の当たりにし、想像をはるかに絶していたその巨大さに驚かされ、さらにその上に昇って彼方に見えるその輪郭の片鱗を目指すでもなく目指し、回遊しなければ死んでしまう魚影の群れのように、どこにもたどり着かない輪をまるで難民のように延々と歩き続け、なにより自分自身がなんの目的も持たないまま、いのちをなしくずしにしながら、ただそこを歩き続けるという一種、異様な体験をしているうち、そして歩いているあいだに目下に数々の意味不明なパビリオンの群れを次々と通り過ぎているうちに、この巨大なゼロ記号は、設計者の思惑であったはずの「多様でひとつ」をすっかり忘却し、多様であることもひとつであることも飛び越えて、一種の永劫回帰(ニーチェ)だけを示しているように感じられたのだ。

確かにニーチェは、その主著『ツァラトゥストラはかく語りき』のなかで、西洋の文明を支えている世界の起源(創造)とその終焉(最後の審判)という線分的な歴史の支配(形而上学)から人類を分離し、永遠に繰り返され続ける輪のなかにヒトを解き放つため、始まりも終わりもない永劫回帰を唱え、すべての瞬間はかつてもあったし、これからも無限に到来すると主張し、人間との根源的な変革=超人への跳躍を推奨したのであったが、そのようなことが迫られたのは、なにより人類が神を失ったからであって、神を失ったからこそ人は超人にならなければならず、そのためには人であることを超え、すべてのいのちとの並行的な関係を結ばなければならないのであった。

そうすると、大屋根リングは「多様でひとつ」などではなく、突き詰めれば、人類を永劫回帰へと導き、人類だけでなくすべてのいのちと関係を結ぶための霊性(お化け)を獲得するための象徴的な記号としての「ゼロ(零=霊)」なのではないか、人類という概念を消し去り、いのちの万有性のもとに個人を消去し、永遠に夢幻で不滅のいのちの無償性を目指すための「幽霊博」としての万博を結果的に主題化する、かつての大阪万博における丹下の「大屋根」ならぬ「大屋根輪廻〔リング〕」とでも呼ぶべき、歴史的な反建築の象徴となったのではないか、と思うのだ。

この大屋根リングが今後、大阪・関西万博の閉幕後にどうなるのかについては、まだはっきりした結論は出てないようだ。一部保存という案も出ているらしいが、大屋根リングが巨大ないのちの「輪廻=ゼロ」であるならば、それではあまり意味がない気がする。予算のことを度外視して言うなら、全部残してはどうか。実際のところ、今ではかつての大阪万博の象徴=モニュメントとして考えられており(当初はそうではなく会期終了後取り壊しの予定であった)、あろうことか今回の大阪・関西万博が開幕してまもなく国の重要文化財に指定された岡本太郎「太陽の塔」が、大阪万博の終了後、残されこそせよ万博から30年が経過した2000年当時、内部は完全に廃墟化していたことを考えれば、そしてそもそも「太陽の塔」は岡本太郎の反思想=人類は進歩と調和もしていない、を担ったアンチ万博の塔であったことを思い起こせば、なにが起こるかは誰にもわからない。いっそ丸ごと残したうえで、この巨大な反建築的で非文明的な永劫回帰の「大屋根輪廻」が、今後ますます幽霊化するであろう、人類を含む地球上のいのちの総体を、どのように見守ることになるのかについて、いつか知りたい気もする。

引用サイト:現代ビジネス 椹木 野衣 の意見   こちら





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Last updated  2025.08.21 08:00:05
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