東方見雲録

東方見雲録

2025.09.14
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カテゴリ: 文化
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン/1850年~1904年)は、ギリシャ人の母とアイルランド人の父を親にもつ、ギリシャ生まれの新聞記者であり、日本の民俗学者です。日本滞在を含む生涯で翻訳、紀行文、再話文学を中心に約30の著作を遺しました。

のちに、日本人女性のセツと結婚して日本人に帰化し、日本名を小泉八雲と名乗りました。
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小泉八雲の人生は、旅と共にありました。ギリシャのレフカダ島で産声を上げた八雲は、アイルランドで養育されました。イギリスで学生生活を送った後は、職を求めて移民としてアメリカに渡り、新聞記者として働きました。その後アメリカや中南米の島で生活をし、日本にやってきます。

写真:aka-region



写真:aka-region
小泉八雲の曾祖父が司祭を務めていたセント・アン教会(アイルランド・ダブリン市)



写真:aka-region
ダブリンにある小泉八雲の旧居




ダブリンにある小泉八雲の旧居



写真:aka-region
ダブリンの作家博物館にある小泉八雲の肖像画


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写真:aka-region
ギリシャ、アイルランド、アメリカ、日本-小泉八雲の生涯を知る。



写真:aka-region
2016年夏にリニューアルオープンした小泉八雲記念館(島根県松江市)
引用サイト: こちら

放浪するゴースト
小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンはギリシャに生を受け、父の母国アイルランドで子供時代を過ごした後、フランスやイギリス、アメリカへと放浪の旅を続ける。彼は“自分を絶えず放浪へと掻き立てる衝動”をゴーストと呼んだ。そして放浪の果てに辿り着いた日本を愛した作家であった。

イギリス軍医だった父チャールズは、駐屯地ギリシャで会ったローザ・カシマチと結婚。ラフカディオは1850年レフカダ島で3人兄弟の次男として誕生した。兄は生後2か月で亡くなっている。



父は結婚契約書に母の署名が欠落していた法的ミスと、ギリシャでの結婚が当時の英国法で違法なことを理由に離婚を申請し、1857年の離婚成立の2か月後、かつての恋人と再婚した。 この後、ラフカディオは同情した資産家の大叔母に引き取られている。



フェアリー・リング(妖精の輪)。芝生が輪の形に色濃く繁茂する。満月の夜には、ここで妖精たちが踊ると伝えられる。 (c)Alan McSherry

望郷の念                   
ラフカディオは13歳まで過ごしたアイルランドへの望郷の思いを同胞の詩人W.B.イェイツ への手紙で、こう吐露している。「乳母がケルトの幽霊や妖精の話をしてくれたからこそ、そして自分は本当にアイルランドを愛しているのだ」

引用サイト: こちら


ケルトの妖精

妖精横断注意の看板(撮影:ユーラシア旅行社)



タラの丘(撮影:ユーラシア旅行社)



ニューグレンジ(撮影:ユーラシア旅行社)







モナスターボイスのケルト十字(撮影:ユーラシア旅行社)



妖精の家(撮影:ユーラシア旅行社)
引用サイト:ケルト文化の残る“妖精に愛された島”アイルランド   こちら
関連サイト:ケルトの妖精物語   こちら

関連サイト:小泉八雲と水木しげるが魅せられたケルトの妖精 焼津で特別展 こちら

特別展のポスター=焼津小泉八雲記念館提供

関連日記:2023.08.01の日記  小泉八雲の足取り   こちら





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Last updated  2025.09.14 09:00:07
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