東方見雲録

東方見雲録

2025.12.30
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カテゴリ: ランドスケープ



引用サイト:​ こちら ​



向丘 由来
地名の由来
上野の忍ヶ岡辺りから不忍池を隔て向こう側に開ける台地ということでこの名がついたといわれる。夏目漱石が住んでいたことがある。
引用サイト: こちら
駒込村。元和の頃中仙道と日光例幣使街道(本郷通り)の分かれ道に駒込追分町起立、延享のころ麟祥院の百姓地に駒込肴町起立、明治5年四軒寺町に周辺寺地をあわせて駒込蓬莱町起立。同11年「郡区町村編制法」により小石川区に所属。昭和22年文京区に所属、同39年8月1日新住居表示により駒込蓬莱町追分町・駒込肴町・駒込東片町の各一部をあわせた町域を現行の「向丘1丁目」とし、同42年駒込蓬莱町の全部に駒込肴町・駒込追分町・駒込千駄木町・駒込淺嘉町・駒込林町をあわせた町域を現行の「向丘2丁目」とした。その2丁目本駒込駅前・駒本小学校の脇に「お茶の水」の名の元を作った高林寺があります。
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白山 由来
地名は白山神社から。縁起によれば、948年(天暦2年)に加賀一ノ宮の白山神社を分祀しこの地に祭った。徳川綱吉の信仰を受けた。
・・・・
1丁目の円乗寺には八百屋お七(妙栄禅定尼)の墓があり、寺の門前、表通りに面してお七延命地蔵尊がある。2丁目の白山通り沿いは明治期は銘酒屋街、白山通りの西側低湿地(現在の白山1丁目の一部)は大正から昭和初期にかけては白山花街(三業地)として繁栄した。
明治より盛り場だった指ヶ谷の料理屋店主・秋本鉄五郎が鳩山和夫や地元選出の政治家の支援により警視庁に三業地指定の申請を行い、1912年(明治45年)に「白山三業地」が出来、関東大震災で被害が少なかったことから、大正中期以降、周辺一帯の人口急増を背景に隆盛した。



白山御殿町では明治10年代頃、当時流行っていた洋傘の骨を生産する岩崎工場ができる。これは全国でも初めてのものであった。
関東大震災以後、小石川区に印刷工場が多く移転してきたことから労働者が集まり、昭和初期の白山御殿町には東京市最大の不良住宅地区(長屋が並ぶ細民居住地)が形成され、労働争議を描いた徳永直の『太陽のない街』は白山のそれら地域が舞台となっている。

5丁目の白山神社は、加賀(石川県)白山にある白山比咩神社(総本社)の分霊を勧請した古社。もと3丁目の地にあったが、1655年(明暦元年)白山御殿造営に際して現在地に移転。また本念寺には、江戸後期の文人大田南畝(蜀山人)の墓がある。

小石川植物園は東京大学大学院理学系研究科に付属する公開の植物園。5代将軍徳川綱吉が上野(群馬県)館林藩主だった頃の下屋敷(白山御殿)のあった所で、1719年(享保4年)雑司ヶ谷薬園がここに移された。
青木昆陽が飢饉対策として甘藷(サツマイモ)の試作をしたり、庶民のための養生所(施療院)が経営されたことは有名。園内に甘藷先生の記念碑が立ち、また療生所の井戸が残存している。1877年(明治10年)、養生所は東京医学校(東大医学部の前身で、現存の校舎は国重文)となり、のちに東大付属の植物園となった。


東京大学安田講堂





引用サイト: こちら


関連サイト:安田講堂改修工事の概要 こちら







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Last updated  2025.12.30 00:00:07
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