東方見雲録

東方見雲録

2026.06.11
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カテゴリ: ランドスケープ


意匠図案説明        原稿用紙、馬込文士村、万年筆、大森貝塚を描く
開設場所             〒143-8799  東京都大田区山王3-9-13
引用サイト: こちら

山王 地名 由来
江戸時代、この辺りは「新井宿」と呼ばれていました。それが「山王」となったのは、「大森山王日枝神社」にあると言われています。大森山王日枝神社は、地域の人たちに「大森の山王さま」と呼び親しまれている神社で、新井宿村の名主で「新井宿義民六人衆」のひとりでもある酒井権左衛門が山王権現を祭祀させたのが始まりと言われています。

「新井宿義民六人衆」とは、延宝年間(1673〜1681年)に、領主木原氏の厳しい年貢の取り立てに耐えかねて、幕府に直訴することを計画した村役人6人のこと。しかし、直訴する前に事前に役人に知られてしまい、延宝5年に全員が斬罪に処せられました。山王3丁目にある「善慶寺」は義民六人衆霊場でもあり、ひっそりと彼らの墓が残されています。


引用サイト:高級住宅街「山王」には田園調布より古い歴史と伝統がありました   こちら



馬込文士村 こちら


こちら

大森貝塚

モース博士と大森貝塚の発見
エドワード・シルベスター・モース(Edward Sylverster Morse 1838~1925)は、アメリカ人の動物学者で貝の研究をしていました。1877年(明治10)に腕足類の研究のため来日し、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝層を発見しました。これが大森貝塚です
・・・・
モース博士による発掘は1877(明治10)年9月から12月に行われました。1879年(明治12)には日本初の発掘報告書である“Shell Mounds of Omori”を出版しました。この発掘は日本初の学術的発掘であり、このことから大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。
その後、1984年と1993年の大森貝塚遺跡庭園整備などの発掘調査が行われ、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかりました。1984年、1993年の発掘資料のいくつかは、品川歴史館に展示しています。
引用サイト: こちら


引用サイト: こちら





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Last updated  2026.06.11 00:00:07
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