東方見雲録

東方見雲録

2026.06.27
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日   1996年12月2日
意匠図案説明  重文・旧大場住宅(世田谷代官屋敷)、ボロ市起因のわらじ、ボロ市の雑貨を描く
開設場所    〒154-0017 東京都世田谷区世田谷1-25-8
引用サイト: こちら

世田谷 地名
「世田谷」という地名には、とても興味深い歴史があるんです。

かつてこの地域は「勢田郷」と呼ばれていました。平安時代中期に作られた辞書「和名類聚抄」には、勢田郷の谷地という意味で記載されているんです。つまり、低い谷間に位置する場所として認識されていたということですね。

「世田」は「瀬田」に通じ、「瀬戸」の「戸」が訛ったものではないかと考えられています。「瀬戸」というのは狭小な海峡を意味する言葉でしたが、地名の場合には必ずしも海に関係するわけではなく、内陸部にも多く見られるんです。

時の経過とともに「瀬田」の言葉がわからないまま、勢田郷の一部で特に谷の多い所という区別をして「せたかい」と呼ぶようになり、以後「狭(かい)」が同義語の「谷」に変わって、発音も「せたがや」と変化したと考えられています。
引用サイト:世田谷区の地名由来を解説!   こちら

重文・旧大場住宅(世田谷代官屋敷)






同時に同家所蔵の古文書は一括して「都重宝(現在都指定有形文化財)」に指定されています。
また、現存する大場家住宅主家および表門の2棟が、近世中期の代表的上層民家としてよくその旧態を保存し、貴重な建造物であるとの理由で、昭和53年(1978)1月21日、住宅建造物としては都内で初めて国の「重要文化財」に指定されました。
引用サイト: こちら

ボロ市
ボロ市の始まり
ボロ市の始まりは、遠く安土桃山時代まで遡ります。当時関東地方を支配していた小田原城主北条氏政は、天正6年(1578年)世田谷新宿に楽市を開きました。楽市とは市場税を一切免除して自由な行商販売を認められた市です。当時は毎月一の日と六の日に6回開いていたので、六斎市(ろくさいいち)とも呼ばれていました。その後、北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、徳川家康が江戸に幕府を開き、世田谷城が廃止されると、世田谷新宿が城下町としての存在意義を失い急速に衰えていきました。六斎市は自然消滅して姿を変え、何時のころからか年に1回、年の暮れに開かれる歳の市(市町)になっていきました。明治の世になって新暦が使われてから正月15日に開かれ、やがて12月15日・16日の両日、正月にも15日・16日の両日開かれるようになり現在に至ってます。

「ボロ市」の名の由来
戦国時代に楽市として世田谷新宿に開かれた市は、徳川時代になって市町(いちまち)という名のもとに歳の市として開かれていましたが、明治20年代になって古着やボロ布の扱いが主流となっていき、いつしか農機具や正月用品が主だった「歳の市」は、その実態に合わせて「ボロ市」と呼ばれるようになりました。正式な名称となったのは第二次世界大戦後からですが、既に明治の終わり頃には世田谷の「ボロ市」が定着していました。
引用サイト: こちら


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Last updated  2026.06.27 08:41:22
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