東方見雲録

東方見雲録

2026.07.16
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日 2003年3月25日
意匠図案説明 旧地名井荻の由来・イグサ、サクラ、地蔵堂、区花・サザンカ、富士山を描く
開設場所 〒167-0041 東京都杉並区善福寺1-4-5
引用サイト: こちら

善福寺 地名
地名の由来
地名の由来となっているとされる元の善福寺は善福寺池のほとりにあったが、江戸時代に災害により壊滅しそのまま廃寺になったため現存しない。この廃寺は史料に乏しく東京・麻布にある麻布山善福寺の奥の院であるという説と、麻布山善福寺とは無関係な寺院であるという説があり、その実態はよく分かっていない。

なお、現在、町域内には善福寺という寺院も存在するが、これは福寿庵という寺院が後年地名をとって改名したものである。

井荻土地区画整理事業
善福寺を含む旧井荻村は、地元の篤農家出身の内田秀五郎村長(1876-1975)のリーダーシップのもと1925年(大正14年)から1935年(昭和10年)まで10年の歳月をかけて総面積8.4平方キロメートルの区画整理事業を完成した。それまで満足に整備された道路がないため悪天候の際には通行に支障を来す程であったが、完成後は各街区を約2,000坪とする碁盤目状の整然とした町並みが形成された。これによって現在の閑静な住宅地域としての善福寺が誕生したといえる。
こちら





旧地名井荻の由来
地名の由来   こちら
東多摩郡上井草村、下井草村、上荻窪村、下荻窪村が合併する際、井草の「井」と荻窪の「荻」とを組み合わせて命名。


関連日記:2026.07.13の日記   こちら

荻の花

引用サイト:オギ ヨシ ススキ   こちら


井草

引用サイト: こちら



地蔵堂
この地蔵堂は、正徳3年(1713年)6月に観泉寺(今川二丁目16番1号)受持として、旧下井草村字向井草に創立されました。別称・平等軒ともいわれ、本尊は地蔵菩薩立像です。
「新編武蔵風土記稿」に「見捨地五畝 小名井草前ニアリ 四間ニ三間ノ堂ニテ南向 本尊木ノ立像ニテ長一尺七寸 遅野井村観泉寺持」と、この地蔵堂の記述があります。
天保5年(1834年)2月には、観泉寺が下井草村の田中惣兵衛にこの堂の管理をまかせていました。その後、天保12年(1841年)に間口5間・奥行3間の堂を焼失してしまいました。翌天保13年(1842年)年9月、田中惣兵衛が村民の代表者となって、鳥見役にその再建を願い出たという記録が残されています。明治初年には、観泉寺庵室として、慈照という尼僧が住んでいました。その当時は、境内は90坪の年貢地でしたが、明治12年(1879年)には、境内は130坪となり、信徒も31人を数えるにいたりました。
その後、観泉寺から独立し、現在の境内は3坪、堂宇(建物)は2間四方となりました。平成の初め頃(1989年頃)までは、約30人で結ばれた地蔵講中があり、毎年11月24日の夜、堂前左右に行燈を立て、燈明を献じ、般若心経を唱和した後、酒食を共にするならわしがありました。現在は、地元有志の方によって大切に管理されています。



引用サイト: こちら

区花・サザンカ

童話にも歌われるように、サザンカは秋から冬にかけて咲く数少ない花木の代表。ツバキ科でツバキに似ているが、葉も小さく花弁もばらばらに散る。香りがあり、さまざまな花形や花色が楽しめる。樹齢100年を超す古木も珍しくない。
・・・・
区の木
区内の緑を“守り、ふやし、育てる”ことを目標に「みどりの条例」を制定(昭和48年11月1日施行)し、

引用サイト: こちら






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Last updated  2026.07.16 00:00:08
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