東方見雲録

東方見雲録

2026.09.20
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カテゴリ: 文化
自然の時代 縄文時代~江戸時代初期




溜井の時代 江戸時代初期~中期



下流地域の水害の危険度は著しく低くなりましたが、その代わりに農業用水も不足するようになったので、貯水量を確保するために、 伊奈忠治 いなただはる により築造されたのが見沼溜井みぬまためいです。

八丁堤が作られる前・八丁堤が作られた後
見沼溜井みぬまためいの築造は、寛永6年(1629年)に、見沼南端の両岸の距離が最も狭くなっているさいたま市の附島と、川口市の木曽呂との間に堤を築き、見沼への流入水を堰き止めることで行われました。この堤は長さが8町(約870m)あったことから、「八丁堤はっちょうづつみ」と呼ばれています。 こうして、用水を貯めるために周囲40数km、面積1200haに及ぶ、平均水深1mの見沼溜井みぬまためいが完成しました。

田圃の時代 江戸時代中期~戦後

昭和21年の見沼たんぼ(米軍撮影)
昭和33年(1958年)9月、 狩野川台風 かのがわたいふう が関東地方を襲いました。
この台風により、芝川下流域の川口市市街地が浸水するという大きな被害が発生しましたが、この時、見沼たんぼが自然の貯水池となって水を受け止めたため、下流の被害を抑えることができました。



「大規模緑地空間」としての保全・活用の時代

、昭和45年(1970年)から米の生産調整により、水田から畑地への転換が始まりました。
さらに昭和55年(1980年)頃からは著しい都市化や営農環境の変化により、農地や見沼たんぼの周辺に残されていた斜面林も減少するなど、見沼たんぼの土地利用が大きく変わりはじめました。
また、農業の後継者不足から耕作放棄地が増加し、建設残土等の投棄が行われるなど、土地利用の混乱もみられるようになりました。

しかし、一方では首都近郊に残された数少ない大規模緑地空間として見沼田圃を保全していこうという動きが活発になり、こうした状況を踏まえ、平成7年(1995年)4月に、『見沼三原則』に代わる新たな土地利用の基準として『見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針』が策定されました。
さらにこれを受け、平成10年(1998年)には、土地の買取りや借受けによる荒れ地化の拡大や新たな開発を防止して見沼たんぼの保全を図るために、公有地化推進事業が始まりました。
引用サイト: こちら



「八丁堤」は,江戸初期に建設された「見沼溜井」の堰堤跡です。
見沼溜井の広さは「1200ha」と言いますから,本図に記載した全ての「見沼」に及んでいたようです。
八代将軍の命により,見沼は干拓され「見沼田んぼ」となりましたが,耕作用の水は「見沼代用水」によって確保されました。
見沼代用水は,行田市の武蔵大堰から取水されており,途中で「西縁」と「東縁」に分流されています。
こちら

市民の森・見沼グリーンセンター






見沼グリーンセンターは、見沼たんぼの北部に位置し、敷地の東側を芝川に、西側を見沼代用水西縁に隣接した、面積約14万平方メートルの緑豊かな施設です。

ここには、市民の森・芝生広場・健康歩道・林間テラス・りすの家・展示温室・盆栽展示場・市民農園・指導農場・来園者用駐車場及び見沼グリーンセンター本館などの施設があり、一年を通して多くの方々に利用されています。
引用サイト: こちら

積読一撮:平成7年 年賀状にみる「みどり」の施策







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Last updated  2026.09.20 08:00:04
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