もう9月か~。
数日前、NHKですごいテレビ番組を見てしまいました!
「ヤノマミ族~奥アマゾン 原初の森に生きる」
再放送だったそうです。「ヤノマミ」で検索すると、この番組の感想を書いた、たくさんのブログがヒットしました。
その内容は人それぞれですが、少なからず衝撃を受けていたのは、みな同じのようです。
これは近代文明に生きている私達とは、あまりに違う人々の物語。あまりに違いすぎて、途中、何度も思考が止まりかけました。
この番組を見たあくる日も、次の日も、どこか宙を浮いているような気分になりました。
今も、人知れず「ヤノマミ・・・、ヤノマミ・・・、ヤノマミってすごい、すごすぎる・・・」
とつぶやいてしまいます。
ヤノマミ熱に浮かされた私のこの3日間。それを記念して、番組についてメモっておきたいと思います。
もちろん読み飛ばしてくださいね☆
みなさま、よい週末を~!
ぴよ
ブラジルとベネズエラにまたがる深い森の中で、原始の生活を続けているヤノマミ族。
その暮らしは1万年も前から変わらない。
「ヤノマミ」とは彼らの言葉で「人間」という意味。対して、「ナプ」と呼ばれていたNHKのスタッフたち。
「ヤノマミ」は人間だが、「ナプ」は「人間に相当するものか、それ以下」という意味らしい。
現在、先住民保護法で外部の人間の干渉が禁止されている。
NHKの取材班は10年近く取材交渉を続けた結果、150日間の同居が許された。
これは、その記録である。
ぶひ
緑の葉が生い茂る森の中、
1人の若い女性が、シロアリの巣に火をつけている。
数千、数万もの小さくて白い半透明な虫たちがうごめく土のかたまりから白い煙が立ち昇る。
白い筋は空を覆う木々の葉をすり抜けて、高く高く天にまで上っていく。
女性の瞳は深い悲しみをたたえていた。
彼女は、この日赤ん坊を精霊として天に召したのだ。
何よりも衝撃だった、赤ん坊を精霊にするという慣わし。
ヤノマミ族は、森の中で赤ちゃんを産むが、文字通り、土の上に産み落とされる。
私達のように、生まれた赤ちゃんを即、お母さんが手にとって抱き上げたり、産湯につけたりはしない。
土の上に転がされて泣くわが子を見つめながら、ヤノマミのお母さんが考えること、
それは、この子を「人間」にするか、「精霊」にするか、さてどうする?ということだ。
人間にするというのは、もちろん、この子を一生懸命育てていくということ。
対して、精霊にするということは・・・・・・。
私達の言葉で言えば、それはつまり「殺す」ことだ。
冒頭に書いたのはその儀式である。シロアリの巣の中に生まれたばかりの赤ちゃんを入れ、火をつけるのだ。
ヤノマミ族では毎年約20人の子供が生まれるが、その半数が精霊になるという。
なぜ、このようなことを続けるのか、番組では理由は明らかにされなかった。きっと、彼らが語らなかったからである。
彼らは、自分達を理解させようとするような無駄な理屈を口にすることはない、ように見えた。
「われわれは太古の歴史から、このように生きている、それだけ。お前達にわかってもらう必要も義務もない」
映像を通して見る彼らの姿は、口にせずとも、そう語っているように見えた。
そして、また憶測だが(とはいえ多くの人もこうブログで書いていたが)、これは彼らの人口調整の方法である。
彼らの生活の糧は狩猟だ。つまり、彼らも生命体のピラミッド構造の中で生きている。
そのバランスを壊すことは、自らの首を絞めることにつながる。決して口が増えすぎてはいけない。だから「間引き」をする。
人間か、精霊か決められるのは母だけ。
親兄弟であれ、長老であれ、誰も口を出すことはできない。
母がたった1人で決める。その過程で、彼女達は強い葛藤と闘う。その心境は私達と同じはずだ。
彼ら、彼女達は決して冷徹な人たちではない。
その証拠に、「精霊」にすることを決めた女性達は、その夜、森の中で天に向かって涙を流していた。
その泣き声は、とても悲しく、つらく、心につきささるものだった。
一方、ある女性が「人間」にすると決めたとき、周りの人々の顔は満面の笑みではちきれ、
お母さんの胸に抱かれた赤ちゃんは、部族総出で歓迎されていた。
※そんな方法で人口調整するのであれば、性交渉を持たなければいいのにという考えもよぎるが、避妊や中絶の技術をもたない彼らには、きっと色々な事情があるのです。文明社会ではタブーとされている近親相かんがあるのかもしれない、という考えもよぎります(この点については番組では明らかにされてませんので、事実はわかりません)。とはいえ、彼らは女性という性を絶対的なものとして崇拝しているようです。
※かつての日本人も、同じようなところがありました。日本の多くの地域では、子供は7歳までは「神の子」であって人間ではないと考えられていたし、それとは矛盾するようですが、やはり「間引き」も行われていました。
森の中で生きている彼らは、常に精霊と交信しながら生きている。
もちろんシャーマンと呼ばれる人たちもいる。幻覚作用のある葉っぱ(爆!)の煙を吸って、天の精霊たちと会話する。
彼らは死ねばいったんは精霊として天に召され、その後、虫に生まれ変わり、そして本当の死に至ると信じている。
生と死は常に一対であり、森の一部として、自分達は生かされていると考えている。
ヤノマミは人間という意味。
森で生まれ、森で食べ、森で食べられる。
ただそれだけの存在として森の中にあった。~ナレーションより
神話の一部としてスピリチュアルに生きている人々が、いまだこの地球上にいる、
私はこのことに非常に驚き、ショックを受け、コンクリートに覆われた東京の街で途方に暮れている、そんな気分です。
一方で、「理解しなければ、自分とは違う人たちの生き方を理解しなければ」と念じながら、見ていたような気もします。
しかし、彼らはこの方法で1万年、生きてきたのです。彼らは誰も傷つけていないし、誰の生活も脅かしていないし、ただ、ただ森のリズムといっしょに生きてきただけです。
もしかしたら、彼らが「ナプ」と区別するように、私たちのほうが野蛮だったりして?
彼らはとてもきれいな顔をしています。切れ長の眼にすっきりとした鼻筋。
その瞳は澄み、まなざしはまっすぐで、深い知性も見て取れます。
「野蛮」という言葉からはほど遠い容姿です。
しかし、私が何よりすごいと思ったのが、彼らがこの時代にあって、自分達の生活を変えない、この生活を選んでいる、というところです。
今の時代、街に下りれば狩猟なんてしなくても食べ物は手に入るし、楽しい遊びもあるし、贅沢はできるし、誘惑はいっぱいのはずです。
過去にやはり白人がキリスト教に改宗しようと宣教師を送り込んだことがあります。
世界中の多くの先住民が、これによって伝統的な暮らしを変えざるを得なかった歴史を見ると、
彼らの強情?さに感動を覚えます。
現在、ブラジル政府の方針で僻地医療が行われ、外部の人間と接触する機会はあります。
そのおかげで、ナイフやパンツなどのちょっとした衣服を使うようになりました。
でも、いまのところそれ以上、変わることはなさそう。
私は、そこに彼らの誇り高い精神性を感じます。
「孤高」の人々、そんな言葉がぴったり。森を捨てた私達と、森の一部として在る彼ら、最後に勝つのはどちらでしょうか~。なんつって。
NHKの思うツボかしらん。
番組の作り方も、とってもスピリチュアルな雰囲気にあふれていたので、
ちょっと気持ちが引っ張られたかもね。
しかし、さすがNHKだなあ!こんな番組、国営放送でしか作れないや。
受信料を払う甲斐があるってものです。
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