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春節があけました。Youtubeの動画「変面」に見入っていると、夜な夜な夢に現れます。長崎の記録や変面ショー独自の音楽と歌詞についての詳報を得ました。列記します。「ふるさと台北への旅」は実現しそうにない。無念です。■https://www.youtube.com/watch?v=bwz4gYuqZHA■https://www.youtube.com/watch?v=4u1aczl2oD4
2024.02.22
昨日、姉は百二歳の誕生日を迎えました。大正11年(1922年)2月15日生まれ、大阪府交野市に娘夫婦と暮らしています。訪ねる予定でしたが悪天候のため☎訪問にしました。暖かくなる日を待ちます。きょねんは1945年5月の台湾大空襲でB-24の直撃弾をくらった台北の我が家の見取り図を描いてもらいました。娘(中央)とケアマネージャー(右)驚きの記憶力です。隣組の別嬪さんや台北高校(現・台北師範大)近くの池で釣りをしたことなどを思い出しました。姉は両親が結婚した2年後に生まれました。姉とぼくの歳の差は13歳。台湾神社とおぼしき写真の右端は姉、左端はぼく。抱いている父29歳、母21歳。以下は姉の詠んだ歌集「花蘇芳(ハナズオウ) 」の一部。外国となりし生地よ花芭蕉台北の生家跡なし花野光仏桑花炎ゆ蓬莱の秋末だしパパイヤの熟うる軒並み空は秋旅つづく雲の流れよ花すすき鳥雲に海峡へだつふるさとよ最新の百寿者は86,510人。そのうち女性は76,450人と全体の88%。男性は女性に比べて少ないものの、初めて1万人を超える10,060人となったようだ。野村アセットマネジメント(株)は2047年には50万人を突破するとの予測しています。
2024.02.16
1月ふりかえり■記憶復元 狂言 関西の人間国宝を伝えるNHK eテレに狂言師、茂山千五郎さんのお顔あり。素敵な笑顔です。 記憶は60余年前に飛びます。事務局から送っていただいた当時の写真に見入っています。清水寺の石段の「蟹山伏」の写真には、お兄さん(左)、あきらさん(右)。そしてあなたがいる。皆さんと琵琶湖で遊んだことを思い出しました。テレビ局にない記録です。 縁あって狂言番組を担当しました。日本文化を将来にわたって伝える皆さんを元気づけたい思いでした。 千五郎さん 昨年7月、あなたは人間国宝に認定されました。祖父と父君につづく重要無形文化財。「千五郎家の狂言を多くの方に愛されるものにしていくという役割を兄に代わって果たしたいと思います」の言葉を耳に刻みました。 4月なかばの高槻のトークショーに参加します。楽しみです。■大震災 1.17の日、大阪湾に浮かぶ人工島を見下ろす展望台にいました。工事は遅滞なく進んでいるのでしょうか。岸田政権の一閣僚の開幕延期の提案、建設業界の危機コメント、祭りを認知しない人々多数。延期しませんか。明日は台湾に関して一文するつもりです。
2024.02.02
石川や新潟の地震と津波、羽田の航空機事故、小倉の火災と続く日本。多くの方々が亡くなり、傷つきました。ご遺族や被災者の方々にお悔やみ申します。また災害復旧に徹夜されている関係者のみなさん。感謝しています。本日午後、帰省した息子たちとお不動さんにお参りしました。
2024.01.03
年の初めに願うこと 争いごとがない地球 穏やかな地球 願いの数%でも 実現しますようにさて、待ち遠しいのは栖来ひかりさんのエッセー集『日台万華鏡』(書肆侃侃房刊)。台湾在住の著者が、“日台のあわい”で書き続けたエッセーです。日台の文化比較、歴史的交錯、映画やアートなどについて記されているようです。昨年、彼女の『時をかける台湾Y字路 記憶のワンダーランドへようこそ』を初見、読み進むにつれ、ボクが生まれ育った80年前を描写していることに気付きました。「地層のように積み重なるまちの記憶や人びとの息づかい。右に行こうか、左に行こうか…。台湾のY字路から歴史をたどり、忘れられた記憶に耳を傾けた旅を綴る」。「Y字路」は台中で生まれ、父の仕事先の台北に移り、1945年の台北大空襲で家を失うまで過ごした「古亭のまち」の記録とwります。イラストは、ことし102歳になる姉が描いた家の見取り図。一泊でもいい。賑わいの古亭の町を見たいな。栖来ひかりさん ガイドしていただけませんか。淡いお願いです。
2024.01.02
朝メシ。そのあと3種の薬を服用。血圧を測り手帖に記録。このくりかえし10年の師走。感謝。新手帖のナンバーは㉙。薬代は月額5千円としてカウントすると5、60万円か。血圧記録の開始は2013年です。その年の6月14日、わがまち豊中の気温は37.9度、全国一の猛暑を記録しました。ニュースで知った旧友から「焼酎をやめ、水をしっかり飲め」のメールが届きました。7月なかば、ふるさとから帰阪、台湾からの留学生のTくんを神戸に案内した時のことでした。電車は三宮駅へ到着、立ち上がろうとしたが天井がまわっている。ぐるぐるぐる。「どうしたのですか?」と185㎝のTくんが支え、ベンチに連れて行ってくれました。そのあと駅長室で仮眠。眩暈はとまらない。駅長がコールしたようです。待つこと10分。ピーポー車に乗りました。血圧は200を記録。受け入れ先は神鋼記念病院でした。意識だけはしっかりしています。妻に電話しました。点滴数時間。熱中症から解放されました。そのあと3人は震災メモリアルパークなどを歩きました。中華街のショットがあるが、なにを食したのかな。10年経ちました。Tくんは名古屋の大学で教鞭をとっています。次便で詳細を伝えたいと思っています。そして来年、ぼくは少年時代を過ごした「ふるさと台湾」をたずねたいと思っています。栖来(すみき)ひかりさんの古亭町へ。
2023.12.31
数日前、Googleドライブの有料プランを解約した。100ギガのうち36ギガを使用しているが大半はgmailである。10数年の間にストックしたメールは数万件。見入る。忘れていたことを思い出し「断・捨・離」ストップである。思い出の使用料は月額250円。解約解除。昨日、救急車で運ばれた裏の住人は無事か。家は無人。
2023.12.30
終活中です。PCやスマホに保存したg-mail、文書、画像などを保存してくれるgoogle drive。容量15Gまで無料です。先年、それを超えたという案内がきたので100Gにupしました。月額250円。安心料かな。しかし、委託した本人が仆れて「三途の川」を渡ったあと、誰れかが手続きしないかぎり、使用料は永遠に請求される。物価高騰、年金目減り、無策無為の国策を思うと…本日、google drive の利用をやめることにしました。だけどPC本体とリンクしている。識者はgoogle driveを削除する際、細心な注意が必要と助言してくれました。過去のデータを見ているうちに、日めくり暦がさらに薄くなりました。
2023.12.23
12月21日朝、「ミキサーが変よ」と妻の声。回転刃を支える軸から駆動部にジュースが漏れている。その部品だけ入手できないかとメーカーに☎すると、かなり前に生産停止したという。購入したのは10数年前である。働き者に感謝です。ミキサーは必需品である。調査開始。新品は4~5,000円。そのうちメルカリに出品している新古品が目にとまった。送料込みで1300円。思い切って発注すると、22日昼に現物が届いた。出品者は大阪市内のNさんである。「数年前に求めたが未使用です」という付箋がついていた。「メルカリってすごいね、こんどは出品者になるわ」と妻の声。Nさん、メルカリさん、宅配のsagawaさん、ありがとう。
2023.12.22
あの日あの時、異業種交流の新年会の資料を作成していました。なんども突き上げられました。食器棚はふくらみ、二階が落下してくる。覚悟しました。妻がいます。揺れが収まり、表に出ると灯篭の石が飛んでいる。堀に面した建物が崩れていました。会社に電話したがつながらない。「淀川大橋が崩壊した」とラジオは繰り返していました。翌日、ようやく会社にたどり着きました。以後、みなさんの声が洪水のように続きました。その記録は「社外秘」ですが、お見せしたいと思っています。
2023.01.14
久々に園内周回。ヘルメットをはずし深呼吸をする。マスクなしはいい。4月からヘルメット着用は「努力義務」である。着用は任意であるが、もしものとき、保険金に多少の影響があるかもしれぬと損保の友。3年前の4月、マスクをつけないで散歩していると「マスクせんかい!」と怒声を浴びたことを思い出す。一週間をふりかえる。元旦 コロナ後遺症で遠方組の帰省なし。スマホ異状。専門店の診断はアプリの複合と競合が原因ではないかと診断。電池の性能も悪いのでarrows weにチェンジ。支払い額は少々高くなるが、いつ止めてもいい契約にした。年賀状の束。幾人かに電話でご挨拶。今年は寒中見舞いに切り替え。6日 特定健診と大腸がん検査 7日 脚をいため入院加療していた姉が5日に退院した。見舞いに行く予定だったが家族の都合で16日に延期した。姉は1922年(大正11)生まれ、2月15日には百一歳になる。78年前の5月、爆撃で吹っ飛んだ台北の家の間取りを聴きだしたい。子ども部屋、兄の書斎、父と母が演奏した座敷、そして庭。『わたしのふるさとは台湾』の続編を書きたい。7日 大阪大学&CiDERシンポジウム「私たちのくらしとワクチン」受講
2023.01.08
社友の展覧会をはじめ魅力的な集いの誘いが増えた。透析中の友を訪ねたい。帰省したい。しかし、巣ごもりに慣れ、飛び出す気力が萎えている。これはまずい。一年一回のチャンス。計算サイトに誕生日を入力する。経過日数31,457日、754,968時間。そして「もうすぐ30億秒!まだまだ元気だ!」というメッセージ。そうありたい。
2021.11.11
地区の長老が発案したと伝えられている『たぶかまちなかウォーク』。昨年は我があばら家・旦過寮がコース中にあったので家内とともに参加させていただきました。ことしは11月27日土曜日開催とのこと。11月22日と聞いていましたが参加締め切り日でした。帰省機会を考えているので切り替えに問題はありません。問題はあばら家は雨漏りしているはず。地蔵堂に泊るか、ホテルに泊るか。地域でこんな老人を受け入れてくださるかと思っています。ところで「たぶか」は日本のどこにあるのでしょう。大分県/国東市/国東町/田深。「タブカクレトロ」の皆さん もっとがんばりましょう。
2021.11.03
体調なんとなく変。流感か!? 熱を測る。ふだんとかわらない。卓球お休みの連絡をしていると、 ”インフルエンザの申し込み、どうするの?”と妻。先週ホームドクターの受付で11月分はすでに満席と聞いていたが、その後はどうか。☎すると「X日Y時に来院のうえ手続きを。行列覚悟してね!」の声におどろく。Kクリニックに☎した。こちらは受け付けてくれたが接種日は12月8日。かなり先だが、ヨロシクとお願いした。市ホームページの記載。「新型コロナウイルス関連支援事業の一環として、今年度に限り、満65歳以上の高齢者は2022年1月31日まで無料接種することができます」とある。今のところインフルエンザ流行の兆しナシのようであるが、衆院選の結果同様、先は読めない。
2021.11.02
初代民博館長・梅棹忠夫さん(1920年 - 2010年)の著わした『夜はまだあけぬか』を読む。還暦近く、球後視神経炎によって視力障害に陥った先生の薄明の世界を知る闘病記である。先週、民博の「触展」で求めた。失明後も家族や民博職員らの助けを得ながら精力的に活動された。先生は日本語のローマ字論者で、わたしは一時期傾倒したことがある。はるか昔の事である。11月1日朝。大阪地区の立憲候補者全滅。そのなかに辻元さんがいた。ショックである。彼女の『総理、総理、総理!!“小泉現象”におそれず、ひるまず、とらわれず』には2005年1月20日のサインあり。"維新におそれず、ひるまず"たくましく活動されることを期待している。・
2021.11.01
A地点を掘る。伸びたつるの下を探索するが収穫なし。憮然とした顔は写されることを拒否した。でも、天の恵みはバケツ一杯。ありがたい。写真整理のつづき。5,6冊分をPCへアップ。でも、飽きた。捨てきれないので、メモを張り付け、棚にもどした。楽天ブログスマホ版を験した。指先の動きのたよりなさ。キーボード派にはなじめない。
2021.10.31
スマートフォン版ブログにトライしています。収穫物の添付ができない?
2021.10.31
「キティは長生きだね」とよく言われます。17年前、研修中のこの家の息子が女性から「もらって!」と言われて以来、家族の一員になりました。さて、このごろ年齢を意識するようになりました。人間年齢に換算したらいくつか。いろいろ調べているうちに『花王』のHPで「猫年齢計算式」を見つけました。24+(猫年齢-2歳)×4という数式です。[猫は最初の2年で24歳、3年目からは1年に4歳ずつ加齢する」と解説しています。ワタシがこの家にきたのが17年前ですから、24+(17-2)×4=84歳。オーツ、母ちゃんの歳と同じ。父ちゃんは月末に86歳になる。ということで、誕生パーティをしようと思っています。どこかに猫語翻訳ソフトがないかなと探しています。
2021.09.19
昨年、信州名代の蕎麦屋を騙ったサイトに騙されました。「近づく『敬老の日』に蕎麦ワンセットを100円で差し上げます」という言葉に我を失いました。注文したが届きません。ある日、カード会社の請求額を見て驚きました。支払先はフランス系化粧品会社です。カード会社も異常を察知したのでしょう、カード支払いを停止してくれました。数か月後、お金は戻ってきましたが、幸運だったねと言われました。好物の蕎麦を啜るたびに思い出しています。さて、画像倉庫を整理中、「古希にもらった銀の首飾り」の画像と文章が現れました。消去する前に、なんらかの痕跡をとどめたいと思い、UPしました。 以下は、ペンダントが到着した際に記した戯れ文です。 この秋、ぼくは70歳になりました。家人は誕生日に関心がなく、プレゼントいっさいなし。髪やしわなど形状的変化は自然の摂理、忘れっぽいのは以前から。年を意識しないほうがいいと思っているからに違いありません。 関心を寄せてくれたのは懸賞や出会い系のプロ。「お誕生日おめでとう」「記念にデートしませんか」というメールが続き、ある日、シルバー製の草履をかたどった首飾りが届きました。美品です。添え書きに「現物はプレゼントですが、送料と梱包料をお支払いください」とありました。 「ウーン、巧妙な手口!」と感心し、現物は消費者センターに預かってもらいましたが、そのうちに「はやく支払え。さもなくば債権回収センターから催促させる」というこわ~い手紙がくるようになりました。脅しに屈してなるものか! 「シルバーに首かせは不要」「身に覚えがないのに送りつけるとは非道」と抗議文を送ると「お詫びメール」がきました。 懸賞サイトは名前の知られたネットサービス会社が運営しているようでした。こんな話を古希記念の高校同窓会で披露すると「邪心がある」「だまされるのは若い証拠」などと侃侃諤諤。 あれから20年近く、同期生の多数が旅立ちました。次は米寿年に故郷で会おうという約束。みんな元気でね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
2021.09.12
使い勝手はどうかな?試してみます。
2021.09.12
「ちょっと散歩に行ってくる」と言って小一時間。「大漁だよ」と父が差し出した手桶にはシジミとタニシがいっぱい。掌がかじかんでいた。雪が降っている。 水がぬるむと桶の中身はセリやつくし、フキノトウにかわり、あえ物や天ぷらになった。 戦後、外地から故郷へ引き揚げ、いなか暮らしをはじめた父の「散歩」は、わたしたちの食糧調達の時間だったのである。「野草なんて苦くて食えないよ」と言うと「良薬は口に苦し。そのうち美味しいと感ずるときがくるさ」と父。 今、私は父の年齢を超え、散歩は欠かさないが、コースには小川やせせらぎはない。コンクリートで固められた用水路では、生き物が育たないのである。郊外に出かけても農薬シャワーを浴びない野草を見つけるのは困難である。 これは大丈夫だろうと持ち帰ると「これって安全なの」と家人の眼。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 資料の断捨離中、Y新聞の読者欄に投稿した下書きが現れた。66歳と記している。・・・・・の二枚目はないが、採用されたと思う。 ふるさとの家の用水路を思う。メダカは泳いでいますか。シジミは頑張っていますか。
2021.08.05
今月18日の土曜ドラマ『路(ルウ)~台湾エクスプレス~』(全3話)は、日本の誇る新幹線の売り込みや国境を越えた若者の恋をちりばめた日台合作である。原作は吉田修一著の『路』。一気読み。 2話プレイバック。波瑠と炎亞綸(アーロン)の恋の行方が気になったが、かつて旧制台北高校で学んだ「湾生」の高橋長英と「元日本人」の医師(楊烈)の劇的な再会のシーンに心打たれた。ふたりは無二の友だった。しかし終戦を迎え、日本に引き揚げる湾生にあこがれの女性への思いを伝えた「元日本人」に、「二等国民には無理だよ」と差別的な言葉を口にした。その女性と結婚した男に、妻は台湾への旅を誘うが、あの言葉が頭にあふれて、台湾のことを口にすることさえしない。「台湾に帰ってお友達に会いなさい」という妻は逝った。・75年前。兄は旧制台北高校から台北帝大医学部に進み、1年時に海軍軍医学生に徴用され高雄で暮らした。楊烈さんが演ずるのは医者である。どう見たって同年齢。 書棚に旧制台北高等学校の会報『椰子樹会』の「卒業50周年記念文集」があることを思い出した。発行は1995年10月。3年後の1998年8月4日に兄は昇天。享年73。存命なら96歳。 いろんなことを聞き損ねたと悔やんでいる。以下はほぼ全文。 平和の喜び 青木 秀 1955年10月 僕は大正14年1月2日生れです。今年、1995年(平成7年)1月に満70歳の古希を迎えました。 昭和20年8月15日、終戦を迎えましたが、この日僕らは満20歳でした。僕たちの人生は、はじめの20年間は「戦争」、あとの50年間は「平和」といってもいいのではないでしょうか。 「終戦」という言葉は大平洋戦争(大東亜戦争)が終ったという意味で使われているようですが、僕は昭和6年9月18日にはじまった満州事変以来の日本の戦争の歴史が終った日と考えています。昭和21年11月3日、日本国憲法が公布されました。21歳の時でした。 僕は台北市で生れ、幼稚園、旭小学校、台北一中、台北高校、台北帝国大学医学部一年まで台北市で教育を受け、終戦後引揚げて九州大学医学部に転入学して医者になりました。台北高校に入学して呉建堂君(雅号 孤蓬万里)に出会いました。独立も統一も夢蓬莱の民に幸福何時なむぞ来る 彼が編纂した台湾万葉集(集英社発行)の中にあったです。僕は戦争さえしなければ「フォルモサの民」は必ず幸幅になると思います。独立戦争などは絶対にしないようにお祈りします。中国大陸のみなさんと協力して平和を創り出そうではありませんか。 日本の平和憲法を読んで考えると、台北で生れ台北で育った僕には、日清戦争以来の日本の軍国主義はあやまりであったと思います。僕達日本人は、戦争の放棄を誓った「平和憲法」を、子供たち孫たちとともに、永久に、誠実に守りたいと思います。 僕は、別府市の朝見病院の名誉院長です。精神保健指定医で、精神医療審査会の委員をつとめています。別府大学附属高校の衛生看護学科の講師も兼任しています。趣味として俳旬と短歌をやっています。昨年(平成6年)12月、短歌の友達と合同歌集「別府歌帖」第三集を発行しました。その合同歌集に「喜び」と題してのせていただいた短歌二十首を同窓の兄弟達に発表いたします。睡蓮の開花知らせる妻の声明るく弾む七月の池病室の窓より見ゆる泰山木美わしきかな下熱せし朝病室の窓越えて来るせみの声下熱せし朝たのしく聞こゆ問診をやめ老鶯の声聞けり患者もともに耳をすまして夏雀しきりに囀る朝の窓妻の寝息も混じりて聞こゆパラソルの妻つれて行く投票所帰り道にてかき氷食う餌をやるひよどりの母発見し帰省の長女歓声あぐる首あげて口に母鳥より餌もらうひな一羽ありひよどりの巣に夕立が来ればひよどり巣に帰り羽根をひろげてひなを覆えり緑陰の池の水跳ねひよ三羽水遊びする八月の池友よりの見舞のみかん味わいて高校時代思い出しおりみどりの日ありがたきかな父母の七回忌しのぶ友のつどいて鉢植えのカーネーションの花持ちて入院の母見舞う母の日孫駆けて我に飛つく五月かな平成四年の旅の思い出這い這いの瞳輝く孫の顔我に向かいて元気よく来るライオンになりたる我の声を聞き孫の裕太は逃げてゆくなり椅子つかみ二人目の孫立ちにけり「立った立った」とママが喜ぶおしっこがトイレで出来て褒められて頭撫でられうれtげな孫もみじがり妻と二人の遊園地孫とあそびし思い出語る父の日の子のネクタイのプレゼント妻もながめてほめてくれたり 僕は昭和24年の復活祭の時、九大医学部の近くにあった福音ルーテル教会で洗礼を受けキリスト者になりました。現在は妻と共に大分聖公会に所属しています。 あなた方に平和があるように。ヨハネ福音書二十章十九節(新共同訳)(注)文中の孤蓬万里(こほうばんり、1926年4月1日 - 1998年12月15日 )さんは、台湾の作家、歌人である。呉建堂さんは本名。 以下はウィキから。 孤蓬万里は、旧制台北高等学校在学中に、万葉集研究で知られる犬養孝に師事。戦後、医師の本業のかたわら、日本統治下で学んだ日本語で和歌や俳句の創作を行った。1993年には台湾で創作された和歌を『台湾万葉集』として刊行し、大岡信らの絶賛を得る。1996年には『台湾万葉集』が菊池寛賞を受賞。台湾人として日本の文学賞を獲得した第一号となった。
2020.05.26
国東日記より 2003年5月 かなりおつむが薄くなりましたね。 竹が露出している。台風は大丈夫ですの? チカが語りかけてきた。屋根の傷みを心配してくれているのだ。なんとか囲炉裏がある暮らしを過ごせる状態にしたが、建物を覆う屋根がダメになればおしまい。 屋根の半分を葺いてもらったのは四年前だが、手当てをしなかった箇所の痛みは激しい。鳥はカヤを好む。わが巣に好都合と加えて持ち去ってるようだ。 そこで、隣町に住む親方を訪ねたが足腰を痛めていた。国東一の屋根師は隠居していたのである。県内に葺き師はいるが、遠方だから費用はピーンと跳ね上がる。材料のカヤの値段も高いという。「アア、これで終りか」と思ったが、棟梁の親戚が秋口に作業をしてくれることになった。 徳治元年の普請記録がある〝アバラヤ〟最期の葺き替えになった。そのあとどうするか。雨漏りしてきたら室内にテントを張って暮らすか、トタンをかぶせるか、簡素な丸太小屋を建てるか、更地にして記念碑を建てるか。迷う。 軍資金を稼ぎたいが金儲けの才覚はない。ジャンボ宝くじを当てにしているが、こちらも運がない。 頼みの綱は「風の会」ネットワークである。仮にひとり千円の寄金を仰ぐと百人で十万、それぞれが十人を確保すると100万、それぞれが十人に伝えると千万円になるぞ。 それを資金に茅葺の家を完全に整備して、夏は井戸につるしたスイカを食し、冬は囲炉裏を囲んで一献という風雅な生活を味わう「風の会」御用達の〝笑涯楽衆の家〟を開くか。 近くに弥生時代の遺跡を再現した公園がある。海も山も近い。ダマさんの「芦屋17℃」というコレクティブハウジングもいいが、こちらは西方浄土により近い。あぜ道を歩けば石の仏さまが微笑みかけてくる。「さあ、行きましょう。きょうは茅葺き資金稼ぎの最終日ですよ。夢から覚めてください」 5月1日、国東半島をめぐったアルバーソ・チカとの〝国東半島・歌の巡礼Ⅲ〟は国見町の県立高校の特別授業でおしまい。全校生徒270名が参加する授業のタイトルは「突撃ライブ イン 双国」であった。
2020.05.16
ステイ・ホーム数か月。普段使わぬ外付けHDを起動すると、10数年前にやめたホームページ(HP)のデータの断片。ふるさと国東半島の「六郷満山峯入り」の秘事やラテン歌手との「歌の巡行」などの「二住生活」の記録などである。新しいパソコンに入れ替え中、瞬時に蒸発したと諦めていたデータである。画像はないが、原画は写真倉庫にあるはず。新型コロナウイルス終息はるか先。気分転換に「復刻」してみようと思ったがHPアプリはなく楽天ブログに取り込むことにした。数字・氏名などは当時のまま。ギター、ホラ貝、春の声… 2001年春 先年、兄から田舎の家作を引き継いだ。屋根の一部を葺きかえ、シロアリにやられた床を補強し、住めるようにした。 「仕事が終ったのだから、あなたの気に召すまま1か月でも2か月でも過ごしたら…。余暇の専門家でしょう」とのたまう家人のおかげで、二住生活をはじめた。の自炊生活であった。最長一か月過ごしたことがある。 2001年3月下旬、花のつぼみがほころびはじめたころの話。 見わたせば一面やわらかな緑。小鳥のにぎやかな声。草刈りにつかれると広縁に寝そべって焼酎をなめ、雲の流れを観察し、日が暮れると囲炉裏の火を見ながら行く末を考える。至福のきわみではあるが。傍に人気がほしい。 ある日、世話をしてきた異業種交流会で帰省計画を語ると同行希望者が現れた。 アルバーソ・チカさんである。かれは、1995(平成7)年1月17日の前日まで、宝塚で理美容店を営んでいた。若い頃からトリオ・ロス・パン チョスに傾倒し、本業の合間にギターを奏で唄った。 その日、店は半壊。再開不可と判断し、ハサミを捨てギターに持ちかえたという。家族はいない。知人の経営しているレストランで演奏し、イベント会場に出向いてしのいでいた。知り合ったのは偶然である。以後、例会のたびに甘い歌声を披露してくれた。 2001年3月23日、自家製の漬物や煮物など「一人一品」を持参した20余人があばら家に来宅。奥の間がステージに。急造のスポットライトの光輪にチカが浮かび上がり、「その名はフジヤマ」「ベサメ・ムーチョ」などを唱った。 翌日は「いこいの村・国東」に招かれ、130名の方々に聴いていただいた。町の観光協議会がバッ クアップしてくれたのだ。 陽気であったかい声。50歳とは思えぬ歌声にア ンコールの拍手が続いた。2日後、地元大分合同は「阪神大震災で転身の歌手、国東町で熱唱」と伝えた。 彼を空港に送ったあと9年ぶりに行なわれている「六郷満山峰入り」の一団を追った。峰入りは国東半島六郷の寺院や霊場や険しい峰々約160キロを4日間で踏破する天台宗僧侶と信者たちの山岳修業である。社会人も参加できるということで、わたしも行に加わりたいと思ったが、行く手に断崖絶壁が待ち構えているので断念した。一部でも見たい。そんな思いだった。 私は山寺近くで一行を待ちうけた。やがて菜の花が揺れるたんぼに白い浄衣に身を包んだ人々が現れた。80人はいただろう。と、お迎えの鐘の音がカーンと響き、ブウォーというホラ貝の音。 山寺の桜のつぼみが、ひとまわり膨らんだように見えた。
2020.05.12
気に入った本を1日1冊選ぶ。表紙の写真をFacebookへ7日間アップする。中身の説明不要。ただし1人の友だちを招待し、チャレンジへの参加をお願いする。むかしはやったチェンメールを思い出したが、読書普及に貢献するイベントと思うが、連日。棚でねむっていた本を読んでいるので余裕がない。指名していただいたが謝絶。ごめんなさい。今、国東関係の本10冊が目の前にある。廣末九州男『国東半島北浦部の地名を歩く』、通正知秀『ほとけの里物語』、国東の民話集などである。廣末君の本は、嵐山の古希記念の会で頂戴したものの棚で眠っていた。開封して扉に「郷里の人はあたたかく風景は緑に満ちて! 2005.10.3」の署名に見入る。英語教師30余年。定年後、生まれ故郷の真玉町にもどり、小さな歴史や名もない文化財があちこちに存在していることに気づき、方々を訪ねて見聞したことをまとめたささやかな書である。終章は「ケベスの語源に挑む」。国東半島に伝わるけったいな火祭りについての考察を記していた。ケベス舞う火に惚れられてふくら脛(はぎ)同期の河野輝暉さんの秀句である。鼻がつぶれた奇怪な面をつけたケベスと白装束のトウバの炎をめぐる攻防。炎の束をもち参拝者を追いかける。天高く舞い上がる炎をとりかこむ回廊には身動きできぬひと。その回廊にトウバが飛び上がり、走る追いかける。人々は必死になって身をかがめるが、火の粉は服や髪の毛にとびかかる。あちこちで悲鳴があがる。が、だれも苦情を言わない。火を浴びたものは家内安全を信じているからである。ぼくの祭り見物は3回目だった。火付け人の死角に隠れるコツを会得したが、それでも火の粉はどこからか飛んできてジャンバーに小さな穴をあけた。けさ、廣末君に感謝の電話。10年前に夫人は昇天された由。ケベスの開催日は10月14日。5月11日夜、通正さんに電話。端整なお声。ありがたや。
2020.05.11
西暦20XX年▼某月某日 コホンコホン。五右衛門(風呂)を焚く妻。煙にむせている、スイッチポンでお湯が出てくる快適生活から一変した妻を不憫に思う。▼某月某日 近くの川で獲ったアユを囲炉裏の火であぶり、「松之露」で一杯。庭先でホタルが乱舞している。パソコンのキーを叩き、小説の続きを書く。▼某月某日 たしか平成10年5月。関東から来浦の岩戸寺近くに移住して炭焼きをはじめた石崎くんの炭が話題を呼んでいることを知る。この炭を使っている町の飲食店主は「元テレビマンが焼いた炭は火持ちよく、一村一品に推薦したい」と驚嘆していた。 と、こんな調子で続くのであるが、次の日記で終わっている。▼西暦2023年某日 地元高校を卒業した同級生たちが米寿を祝って町をパレードした。その中に僕がいる・・・・。 1998年4月の「社友会会報」に寄稿した「廃屋の夢にうなされて」の一部である。 医者の兄があの世に逝ったあと記した一文である。(1998年8月4日) 当時の国東。大分空港から海岸線を北へ十分ほど走ると国東町に入る。世帯数五千、人口約一万四千人弱。その一隅に茅葺きの家。台湾から引揚げ後、小学生の中ほどから高校まで過ごした家だ。 両親がいなくなって十数年、誰れも住んでいないのに廃屋にならないのは近所の人たちが風を入れてくれるおかげである。この家、過去帖によれば徳治元年(1306)に建てられたとある。山あり川あり海あり緑あり石仏ありで、国東は僕の「林住期」にふさわしい居場所にちがいない。 屋敷まわりにはなにがしかの田畑があるが、生産者でなければ稲作はできないし、知識も技術もない。つまるところ田舎の土地や家は〝負の財産〟である。 この町に帰って経験や人脈を活かす道はあるか。 不便を楽しむ度胸はあるか。自問自答するが確信が持てない。 その上、都会暮らしにすっぽり溶け込んでいる女房殿を説得することは容易ではない。 あれこれ思案しているうちに、いろんな夢が現れてくるようになった。 倒壊した建物の下敷きになって苦悶している男 荒涼とした海辺をあてもなく歩く男 ロマンチックな夢はいっこうに現れない 昔、あこがれたマドンナがひょいと現れないかと思うが姿を見せてくれない。 せめて机の上だけでも、いい夢を見たいと思って書き始めたのである。 こんな途方もない夢を『ひとり新聞・風通信』に記し、友人や余暇学会に送り付けた。反響。 ・「白砂青松の海、深い緑、名水の井戸あり、六郷満山あり。藁葺の家に俺も住んでみたいよ」 ・「野菜を育て、釣り糸を垂れ、絵を描く。こんなところで老後を過ごすなんて贅沢だ」 ・「テレビの仕事に恋々とするな。一日も早く鍬をとれ、鋤をとれ」 ・「平松知事お得意の村おこしにならって新しい文化活動を起こすもよし、国東遊々塾を開くもよし。俺は応援団を結成してかけつける」 女房に伝えたら、「そんな夢はひとりで見るもの。ドボン式トイレの家にだれが行くものですか」と。家人に背かれたら田舎暮らしは成立しない。 現実に戻る。古家は外見はしっかりしているが、最低の文化的生活を可能にする状態にするには問題山積。ぐらつく床、屋根の葺きかえなど課題山積。 ・社友の「近畿歴史散歩の会」一行が近畿を抜け出しやってきた。一行は安国寺集落遺跡公園で古代人の気分を味わい、そのあと岩戸寺の仁王像や熊野磨崖仏などを見学、そのあと町の文化財に指定された「茅葺きの家」で酒宴を開いた。 と日記。そうありたいと思うこの頃である。・1998年4月
2020.05.08
きょうは憲法記念日&結婚記念日。ぼけぬため、せっせと頭を使え。日記を再開せよ! と天の声。▼2006年 45回目。サアァイヤ婚。お世話になります。▼2009年 48回目。おとうさんが「よろしく」と頭をさげると、かあさんは「よくもまあ苦難の道を歩かせていただきました。かんしゃく状をあげますよ」といっていました。憲法の田畑忍先生にあこがれて同志社へ入学した昭和29年から数えると55年。いま、来月の「老いじたくを考える会」の講演資料作成におとうさんは忙しそうです。10日の市主催の出前講座でおしゃべり奉仕をおえ、フェリーでふるさとへ。穴があいた屋根、五右衛門風呂は使えるかな。自炊し、海に面した先祖の墓地を掃除し、テレビもパソコンもない夜をどのようにすごすのか、気になります。あなたがそばにいてほしい。▼2010年 49回目。あと一年で金婚式。▼2015年 きょうは52回の結婚記念日です。昨日求めた淡竹のたけのこを調理し、庭木の枝を剪定。念力で故郷へ瞬間移動できたら、昨年同様、ふきの佃煮を作っていることでしょう。▼2016年 55回目の贈り物をネットで調べると「エメラルドの指輪」。かみさんに聞くと「あほなこと言わんと。花より御座候よ」というので千里中央の売店へ。かみさんは裏の月桂樹を剪定した際、着地に失敗、翌日市民病院で足指異常でギプスをまかれました。おかげで連休明けに予定していた帰省は延期。▼2017年 深夜便の須磨アンカーはその年の出来事や流行ったことを紹介。56回目の結婚記念日。妻の寝息をたしかめ書斎に。調べると、第二室戸台風襲来/第2次池田勇人内閣誕生/ベルリンの壁構築/米国35代大統領にジョン・F・ケネディー/ガガーリン・人間衛星第1号打ち上げ/うたごえ喫茶/女子バレー東洋の魔女/柏戸・大鵬横綱昇進/大阪環状線全通/流行語=巨人大鵬卵焼き/人類初の宇宙飛行士となったガガーリンの名言「地球は青かった」▼2020年 コロナで身動きできず▼2021年 ダイヤモンド婚。あなたへこころばかりの贈り物を差し上げたい。
2020.05.03
亥 とうとう1週間切ったね。キミのためにできる限りのことをしたから安全だと思う。新しいパソコンの試し心地はどうかね?子 なんとなく落ち着きません。亥 9月1日の防災の日に梅田の中古専門店で求めたPC。 i5とSSD。丁寧に使われていたせいか性能が格段にイイ。さっそくネットとプリンタ接続。3日にoffice2010インストール。日記替りのevernoteと筆ぐるめ18も。最新版のバージョンは27だが、自分で書くには古くても我慢しようね。子 ・・・・・・・・・亥 データの引っ越しは、サンワサプライ製のUSBリンクケーブルを知り、師走に入って試してみた。新旧2台のPCの間にひとつのマウスが出現、これは必要という画像や文書をコピペすると、あんれまあ、瞬間移動。すごい。子 きょうは7日。市の卓球教室のスタート日。ラリーをしながら、次世代へバトンタッチしなければならないことを思いだしていました。
2020.01.07
今年の漢字は元号の一字「令」。中西進先生は「令は『麗しい』、和は『平和』『大和』、つまり『令和」は『麗しき平和をもつ日本』。麗しく品格を持ち、価値をおのずから万国に認められる日本になってほしい」という願いを込めて考案したと伝えられているが、ぼくは、令旨・令状・号令・命令・辞令・司令・伝令・発令の「令」のひびきは好みではない。が、10億円を求めに連れて行けというかみさんの「指令」はうれしく、いそいそと大阪梅田の宝くじ売り場に直行し夢を買った。その10分の1、いや1000分の1でもいい。自宅と故郷の家大改造、ピースボート航海、もろもろ。その前に健康長寿の果実を求めよう。
2019.12.14
11月23日、夕暮れどきの服部緑地公園。公園を一周し、「こどもの楽園」横にさしかかると3号トイレの壁面の非常灯が点滅していた。警告音は鳴っている様子。子供たちの歓声でよく聞こえない。故障か、もしや閉じ込められているのではないかと気になり、見渡したがわからない、女子トイレには入れない。中学生に偵察してもらったが異常なしとしのこと。やれやれ。しかし、非常灯が点滅していれば公園関係者がすっ飛んでくるはずと、野次馬は思うが、十分経っても現れない。これは変。かなりむかし、雑木林やトイレでいまわしい事件があったことを思い出し、ついに老人は公園事務所に向かったのであります。受付で「警報」をキャッチしたかと問うと、知らぬという。トイレ管理は指定管理者の仕事ではないという。「施設管理は2階の仕事」というので呼んでもらったH氏曰く。「トイレには警告灯を設置してあるが、データの管理はしていない。」というのである。てっきりオンラインと思い込んでいたのでショックでありました。用を足しているとき体調崩した年寄り、あるいは密室に意図的に閉じ込められた子ども。助けてのボタンを押しても、だーれも来やしない! H氏には「こんな府民がきたことを報告してね」と頼んだが、どんなことになるのやら。西中央広場近くにできたトイレも同様か。それにしても非常灯の点滅に無反応の人々には驚きましたね。団地の建て替えの際の出来事を思い出しました。時は2004年11月18日、15年前の椿事です。▼きのう、昼下がりの出来事。ぼくは東豊中シャレードの中の郵便局に近づいていました。どこからか変な音が聞えているのに気づきました。音は「異状が発生した」を繰り返しています。どこかで警報装置をテストしているのだろうかと、高層棟を見上げました。すると12階の手すりからはげしく手を振る女性が現れました。ただごとではない動き。まもなくエレベーターから男性が現れました。声をかけてきました。「隣のうちから変な音が鳴りつづいている。声をかけても返事がない。鍵がかかっていてどもならん」「今から管理事務所に行ってみる。妻が心細いので12階に行ってくれへんか」12階から手をふるっているのは奥さんでした。一人住まい。高齢者・・・。胸騒ぎしました。12階には知人のOさんが入居しているはずです。「見晴らし抜群。夏の花火見物に遊びにきてや」と自慢していたからです。道路にはだれもいない。妙なことにならんようにと思いながら、エレベーターのボタンを押しました。12階には4世帯が入居しています。手を振った女性の家のドアは右から2番目。右端が音源です。門札はなく、ダンボールの空き箱が入り口にありました。もしやOさん宅かと背筋が凍りついたのですが、調べると彼の住まいは左橋でした。表札に大きく「O」とありました。「越してきたばかりで名前はわかりません。相当のお歳のようです。この前、娘さんがきていました」蒼ざめた奥さんがが語りかけてきます。最悪の事態を想像しているのです。そこへ夫が戻ってきました。怒っています。「管理事務所は休みだ。連絡できない」事務所に鍵はあるのか。かりに事務員がいても鍵がないことは予想されます。ようやく救急救命士を乗せた車とハシゴ車が到着、破壊工具らしいものを携行した数名の隊員が現れました。夫婦が異常音を聞いて3、40分は経っています。夫婦に経緯を聞いている隊員、ドアの郵便受けから大声で呼びかける隊員。でも、鍵がないので入れない。やがて「ベランダから入らせてもらいます」という隊長の指示で若い隊員が中に入りました。しばらくしてガチャガチャという音がして扉が開きました。件の部屋には、90歳すぎのおぱあちゃんがいました。布団から起きあがったおばあちゃんに隊員が声をかけているのが見えました。ベランダから、見上げている隊員たちにOKサインがでました。「やれやれです」後日、おばあちゃんは、からだに異状を感じたのでトイレあるいは風呂にあるコールボタンを押した。信号は外部にあるインターホンシステムに流れ、「異状が発生した」とがなりたてた。警報は管理事務所や警備保障会社にはつながっていない。近所の人や道行く人がアクションをおこすまで、音は永遠に鳴り続ける、ということがわかりました。マスターキーもないそうです。イザというときは隣のバルコニーから入らせてもらうか、ドアをドリルを使って開けるしか方法がないと「都市機構」は説明しています。数日後、ぼくはこの出来事を市消防局に届けました。
2019.11.27
10月31日未明、首里城火災の速報をラジオで知り、夜が明け、無残な光景に言葉を失った。開けて1日のデジタル朝日。『テンペスト』の著者、池上永一さんは「私は首里城が焼失した現実を、まるで災害に遭った被災者のような気持ちで受け止めている。ショックが大きすぎて、自分がふわふわ漂っているような心境である。」と記している。1997年1月17日、ぼくは定年記念の旅先に沖縄を選んだ。暖かいところがいいという妻の希望だったに違いない。旅程は思い出せないが、まず案内された朱色の門に目を奪われた。ふたたび池上さんの筆。「復元された正殿を初めて見た時、あまりの美しさに呆然とした。弁柄漆の赤い城と、青空が鮮烈なコントラストを見せていたからだ。ピカピカに輝く赤い城は、私の目に美術工芸品のように映った。同時に私がこれまで触れていた紅型や、漆工芸、琉球舞踊などの琉球文化のパズルが一枚の絵にぴったり収まった瞬間でもあった。沖縄の美は全て首里城に集約される、と確信したのだ。」再復元までには時間がかかるはず。現地を訪ねることは二度とないが、なにかできることはないかと、しみじみ思う朝である。
2019.11.01
兄あての封筒を開いた。消印は昭和20年11月27日。差出人の肩書は「第30震洋特別攻撃隊菊花隊所属」。米軍がSuicide Boat(自殺ボート)と呼んでいた特攻兵器「震洋」の乗員だった。山崎順治さん。17歳あたりか。「震洋」は、特殊潜航艇「回天」ほど知られていないが、ベニヤ板製のモーターボートの艇首に250㌔の爆雷を搭載し、目標に体当たり攻撃する特攻であった。大量生産され、日本各地や海外各地に配置された。しかし、スピードは高速艇にほど遠く、狙い撃ちできるスピード。さらに艦船のまわりに木材を浮遊しておけばそこで自爆する、狂気の武器であった。第30震洋隊の基地は台湾の海口である。兄は病弱のため兵役を免除されていた。差出人は台北第一中の後輩である。手紙には療養所で闘病中の兄への激励の言葉があふれ、みずからは敗戦によって命を拾ったことを淡々と記していた。特攻要員は、学徒兵、海軍飛行予科練習生出身者を中心としたようである。ウイキには犠牲者は2500人以上だった記されていた。中には、敗戦の日の翌日、待機していた震洋の誘爆事故で110人の若者たちが命を落としたという。昭和20年5月の大空襲で自宅が吹っ飛び、ぼくたちは疎開先で敗戦を迎え、中華民国政府に徴用された父とともに台北に戻ったころである。すでに日本に引揚げている自宅近くの知人の家を修理して住んだ。器用な兄がトンカチを振るっていたことを思い出す。体調は悪化し翌年3月末に急死した。封書の消印は11月27日。山崎さんと兄は再会したのか。Suicide Boat(自殺ボート)を考え付いた狂気について語っている頃かな。小さな写真は兄に違いない。ここはどこだ。
2019.08.17
昨年は最高気温が35度以上の猛暑日が連続19日間つづいた豊中。近畿の連続記録に並んだ。今夏も続くのか。昨年はモリトモ問題のせいだとささやかれたが、今年はナゼ? きょうとあす、豊中まつり。朝からカンカン照りで関係者はたいへんだ。いつもの水撒きおじさんも途中でへたばらないように祈っています。きょうは阿波座近くで台湾学の勉強。『むかし「日本人」いま「台湾人」』の著者、松本洽盛さんの話を拝聴する。このところ台湾に対する中国の干渉が露骨。熱い勉強会になるだろう。
2019.08.03
通っているスポーツジムは休み。姉妹ジムはオープンというので行ってみた。目的地まで自転車で30分、マシーン60分。これだけでも満足だが、正座できなくてもイイよと言うチャーミングなインストラクターの言葉に励まされ、エアロ&ストもレッチ体操を初体験。帰宅して一休み。録画したハリソン・フォードの「逃亡者」を観た。妻殺しの罪を着せられた医師が警察に追われながらも真犯人を見つけ出すというサスペンスもの。テレビのリメイク。最後まで観ちゃった。「技術士」試験に挑戦した息子の首尾はどうかな。うまくゆきますように!!!!!!!
2019.07.16
朝日放送の『ポツンと一軒家』、朝ドラ『なつぞら』と拮抗して高視聴率です。NHKの大河ドラマはすっかりかすんでしまいました。番組はGoogle Earthを通じて「こんなところにナゼ一軒家」に疑問をいだいた制作者の疑問を取材しています。昨年のスタート時から観ていますが、回を重ねるたびに取材者の挨拶に「待ってました」という歓迎の声がふえています。取材者が手にした衛星写真をもとに質問すると「太郎がいる。花子がいる。」と答えが返ってきます。個人情報なんてくそくらえですね。顧みて、隣に誰がいるのか、どんなひとが住んでいるのか、そんな日々を悔やんでいます。
2019.07.03
けさ4時の深夜便は『知っているようで知らない「ねむけ」の正体』。スピーカーは筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構機構長の柳沢正史さん。なんとなくぼやっと聞いているうちに「ねむけ」が吹っ飛んでしまった。柳沢さんはナルコレプシー(睡眠障害)の原因に繋がる物質「オレキシン」を1998年に発見、その後も睡眠研究の世界をけん引し、世界でトップレベルの睡眠研究拠点「筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)」を束ねている。人間の脳は平均7時間寝るのが最適な作り。短い睡眠時間でごまかす方法はない。その権威の警告である。「深夜便」をナマで聴くのをやめようか・・・https://astavision.com/contents/interview/2865研究所の画像から 「短い時間で効率よく眠る」は不可能です
2019.06.18
㈱スプラウト代表、坂下五男さんが亡くなって1か月。けさ、FBに坂下さんとの交遊がはじまった記念日の動画がとどいた。にこやかな笑顔だった。坂下さんは数日後に79歳の誕生日を迎えるはずだった。肝臓を患い入退院を繰り返しながら、病窓から四季の変化を教えてくれた。ご冥福を祈ります。 さてWindows7のデータを整理中、S誌に書いた原稿が現れた。 『続・PPK(ピンピン・コロリ)手帳を閉ざすのはだ~れ?』(2003/3/17号)である。 ◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ボクがあの世に旅立つとき、ぼくのHPは誰が閉ざすかな。家人は関心がないし、ひとさまがネット接続を切るわけがない。主を失ったHPは、ウエブの世界をいつまでも彷徨うのだろうか。イザというときコロリと消滅させる仕組みはないものか」と問いかけたところ、来ました来ました。《こんな能天気なことを書いているうちは大丈夫だな。キミのかみさんは倹約家だから、すぐ契約を解除するよ。先のこと心配するな。》と同級生。《棺おけに入られる寸前に〝バイバイ、楽しかった〟と言いながらスイッチ・オフなさいませ。多くのファンにあなたの素晴らしいPPK実証をお見せください。私は同じ歳ですので何もお手伝いは出来ないと思いますが、平均寿命は女性の方が何年か長いようですので、あなたのその瞬間を見て見たいな(笑い)》とS子さん。と続く。 中略 数十年前に流行ったテレビ映画の冒頭シーンを思い出していました。「おはようフェルプス君、今回の任務はXXX。例によって、君もしくはメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても当局はいっさい関知しないからそのつもりで。尚、このテープは自動的に消滅する。成功を祈る。」というフレーズではじまる『スパイ大作戦』です。 そうだ、あの手があった。日本の卓越したIT技術をもってすれば、「あなたさまがどこにゆかれようとも当社はいっさい関知しません。HPは自動的に消滅しますのでご安心下さい。念ずればハスの華がひらき、閃光とともに消滅いたします。ハイ、成仏の瞬間でございます」 なんてことも可能になる時代がくるのではないかと想像しています。 「厳粛なる問題をもてあそぶようなことはやめなさい」という声が出そうですから、このあたりでおわりにしますが、これがPPK・ピンピンコロリ流の生き方です。いつか必ずやってくる「そのとき」。 しかし、明るく迎えようにも、迎えられない現実がごまんとあります。「生・老・病・死」という自然なプロセスを否定することがらが多すぎますね。 身近には交通事故や凶悪犯罪などがそれですが、最たるものが殺りくと破壊の戦争です。いま、世界中がかたずをのんで見守っている地域で、何万、何十万の市民が死の危機にさらされています。出撃命令を待つ戦士たちもそうでしょう。母国にいる家族や恋人たちはどんな思いで過ごしているのでしょうか。 どうか、平穏な日がおとづれることを願っています。・けさ、SNS退会方法まとめ~Twitter・Facebook・LINE・Instagram~」を見つけた。【andronavi】をブックマークしておけば安心!という。
2019.06.13
先日参加した遺言書セミナーの資料を再読。「財産目録」をパソコンで作成できるようになったのはありがたいが本文は自筆に限る。試し書き開始。ボールペンでもOKだが一生に一度のこと。休眠していたモンブランに働いてもらうことにした。インク瓶を取り出すと空っぽ。近くには文房具屋はない。江坂の東急ハンズに走り求めたが、モンブラン用のインクはなく、PILOTのインク(400円)で代用した。万年筆の需要はほとんどないとのこと。インクを満たす。書き味はいい。しかし手は震え、字を思い出せない。キーボード依存のつけであろう。『やすらぎの刻~道』(テレ朝)の石坂浩二のようにさらさらと筆を走らせたい。梅雨空。万年筆のキャップにはアルプス最高峰モンブランの頂きを覆う雪をイメージした白い星型のマーク。ホワイトスターという。ペン先にモンブラン山の標高である「4810」が刻まれていた。
2019.06.08
佐藤眞生氏から冊子『おぼろ事始め』とドキュメンタリー映画『調査屋マオさんの恋文』のDVDがとどいた。冊子は昨秋発行の『認知症は羊水還りのおぼろ』(茨木未来倶楽部発行)の姉妹編。“おぼろ”とは、もののの姿がかすみ、はっきりしないさま。「認知症は病気ではない。老化現象だから予防もできない」「歳をとれば誰もがなる不自由だから卑下することも隠すこともない」「認知症を病気の面からだけ捉えるのは間違っている」という佐藤さんの優しい表現である。認知症はかっては「痴呆」といわれた。この侮蔑的な表現が行政用語から消えたのは2004年、15年前である。妻、縫子さん(89歳)はかなり前から認知機能が低下、数年前に転倒して左大腿骨頸部を骨折した。介護療養入院と在宅介護を繰り返し、特別養護老人ホームに入って5年目になる。介護破産にならぬ工夫を凝らし、野菜一反と米一反を耕作して縄文人のように自給するマオ80歳。佐藤さんは自宅での介護から開放されたが、一日も欠かさず「離れ」と称する特養に通っている。自分のことばだけにほほえむ妻と会話するために。映画『調査屋マオさんの恋文』は、そんな佐藤さんの生き方に共感した若いディレクターが撮った3年間の記録である。映画の上映館は未定。予告編・https://www.mao-koibumi.com/yokokkuhen佐藤さんのブログ「認知症は羊水還りのおぼろ(朧)」・http://3-10-nui.jugem.jp/
2019.06.07
きのうは困った。鞄をあけると眼鏡が中央で折れていた。カウンターに常備している眼鏡を借りて新元号についての各紙の解説を読んだが、似たような記事。強度が合わないせいにして早々に引揚げた。眼鏡の破損はことし3度目。いずれも100円均で購入した。鞄に入れ忘れても、店さえあれば大体おいてあるので頼りにしている。消費税を加えて108円なり。美尻の持ち主たちが座っても折れないというハズキルーペの1/100の価格である。そこまでの強靭さを求めないが、材質は似たり寄ったりに見える。帰りに求めた老眼鏡のタグにはMade in Chinaの表記。製造販売元は鯖江市のメーカーである。もっと目を光らせてチェックしてほしいね。
2019.04.04
下半身を強化したいと思ってはじめたジム通い。月6000円強の出費は痛いが、介護の世話にはなりたくない。半年経過した。ストレッチ運動のあとランニングマシンに。若い女が猛スピードで走っているが、僕は4キロメートルをとことこと歩くからウォーキングマシンだね。ディスプレーに持参のイヤーフォンを差し耳にする。チャネル選択。民放テレビはパス。NHKのeテレがイイ。国会中継もイイ。それもしばらく。あとは無音の世界がいい。「歩く」。単調なくりかえしに学ぶことは多い。思いついたことをメモに記す。ランニングマシンは思考の道具。贅沢な時間を提供してくれるかみさんに感謝。テレビは「令和」でざわめいている。命令。法令遵守。単なる記号なり。
2019.04.03
愛用の【日刊☆こよみのページ】2019/02/15 号。編集後記「言の葉」の【綸言汗の如し】。転記させていただきました。 綸言は君主の言葉。汗は一度出ると二度と体内に戻せないように、君主が一度口にした言葉は訂正したり、取り消したりすることは出来ないということ。出典は『漢書 劉向伝』。「綸言汗の如し」は、まだ子どもであった皇帝が弟との遊びの中で「お前を○○国の王に任命する」と言ったところ、書記官がその言葉を書き留め、実際に皇弟に王の印綬を授与する準備を始めたという故事。もちろん、言い出した皇帝は、遊びの中での発言でしたから、慌ててこれを取り消そうとしましたが「皇帝の言葉は汗のようなもので、一度口にしてしまった以上これを戻すことは出来ません」。書記官に諭され、結局そのまま皇弟に王の印綬が与えられてしまいました。「私の発言は、撤回させていただきます」という言葉をよく聞きます。大半は〇〇大臣たち。不正統計。女性蔑視。森友問題。しかし地位にある人物の発言は、撤回すれば済むというものではありません。一度発してしまった言葉の影響力を、自覚すべきです。 「トランプ氏にノーベル平和賞を!」のアベ発言は撤回できるのかな!?
2019.02.15
2月11日は建国記念の日。元は紀元節といった。初代天皇とされる神武天皇の即位日である。1874年(明治6年)、政府が制定し、1948年(昭和23年)にGHQの意向で廃止となる。1967年(昭和42年)に国民の祝祭日に連なった。当時国会が激突したことを思い出す。1940年(昭和15年)11月10日、『紀元二千六百年式典』が盛大に開催された。私たちは台湾台北にいる。台湾神社で提灯をかかげでいる写真がどこかにあるはず。後で探してみよう。国民学校入学は翌年か翌々年。ある日、『紀元節』の歌詞を覚えてくるようにと先生に言われ意味も分からぬまま覚えて褒められた。だけど国のはじまりを祝うのに、こんなに難しい言葉を使うのかと疑問におもって口にすると怒られたような気がする。ところで賢者のブログに出会った。思い違いをしている箇所多数。http://www.worldfolksong.com/index.html唱歌「紀元節」 1888年(明治21年) 高崎正風・詞、伊沢修二・曲1 雲に聳(そび)ゆる 高千穂の 高根おろしに 艸(くさ)も木も なびきふしけん 大御世(おおみよ)を 仰ぐ今日こそ たのしけれ・「高根おろし」とは、高い山の上から吹きおろしてくる風のこと。・「なびきふしけん」とは、草木が風になびき、地面に臥すこと。・「大御世」とは、天皇の治める時代、天皇の治世を意味する。2 海原なせる 埴安の池のおもより 猶ひろき めぐみの波に 浴(あ)みし世を 仰ぐ今日こそ たのしけれ・「埴安(はにやす)の池」は 奈良県橿原市の天香久山の西麓にあった池。3 天(あま)つひつぎの 高みくら 千代よろずよに 動きなき もとい定めし そのかみを 仰ぐ今日こそ たのしけれ・「あまつひつぎ」とは、皇位を継承すること。・「高御座」とは、大極殿や紫宸殿などに設けられた天皇の御座。転じて、天皇の皇位。・「千代」は大変長い年月のこと。「万代」は限りなく長く続く世の意味。・「もとい(基)」とは土台や基礎のこと。国家を維持していく根本となるものを指す。4 空にかがやく 日のもとの よろずの国に たぐいなき 国のみはしら たてし世を 仰ぐ今日こそ たのしけれ・「日のもと」は「日本」のこと。・「国のみはしら(御柱)」とは、国家の柱となるべき存在のこと。
2019.02.11
もろもろの整理。ノート 答案 水彩画 下書き 入社時の日誌 構成台本 企画書 写真 住所録 賀状の束・・・。段ボール3箱、いや5箱だったかな。ごみ出しの朝、パッカー車のぎゅっとねじ込む音に合掌。ファイルの背表紙や袋に目次を記し付箋をはりつけ棚におさめた。少しは空間ができたけど困ったことが頻発。あれはどのファイルにしまったか。今まではどこらあたりにあるという勘が働いたが、物理的整理と脳みその中の整理が反発している。ブックマークや記憶装置エバーノートの整理もしかり。これは大切と片っ端から保存しているので、情報の洪水に近い。9日朝、googleクロームのブックマークを1/3に削減。
2019.02.09
広島市にある金庫メーカーの熊平製作所から『抜粋のつづり その七十八』を頂戴した。B6版約130頁。新聞や雑誌、書籍から抽出したエッセイやコラムがびっしり。昨春、冊子のことを知り、同社に電話すると数年分をまとめて送って下さって感激した。その待望の冊子の到着である。78号の発行日は創業121周年の本年1月29日。おめでたい。見出しも見るだけでかしこくなりそうである。あとは実践のみ!!! 以下は現会長の熊平雅人さんの序文。 祖父の熊平源蔵(明治14年~昭和53年・享年97歳)が社会に感謝・報恩の思いから昭和6年に創刊。自らの糧として抜粋していたものを、修養、宗教、青少年、健康・介護、笑い・ユーモアの項目にまとめて発刊。お得意様や公共施設、知人、従業員らに配り好評を得ました。以来、戦中戦後の3年間を除き、その年に接した感銘深い文章を転載させていただき、号を重ねてまいりました。今回も45万部を発行し、世界各地の日本大使館や領事館、諸官庁、企業、病院、図書館など8万7千か所の団体と個人に寄贈することができました。明るい話題が少ない今日、少しでも皆様の心の支えになれば幸いです。■冊子希望の方は、同社のホームページ内にある「フォームでのお問い合わせ」 https://www.kumahira.co.jp/inquiries/input などで…。なお、株式会社熊平製作所は、銀行などの金庫設備やセキュリティシステム機器を製造販売している。金庫メーカーとしては国内最大手。
2019.02.03
二輪車を漕ぐ女。「風」の字の下に「いい話は山ほどあるけれど」。著者。なんだろう。表紙をめくるとまつしろけ。どの頁も。出版社名はJDC出版社。20数年前、あんがいおまる社長からとどいた本の見本でした。戸棚の奥に4半世紀眠っていました。ページ15行35字で60ページ。原稿用紙80枚。カットを入れ文字を大きくすると、たちまち文字数は少なくなる。たいしたことはないと思うのでありますがナニを書くか混乱しています。出版社の代表は、素直に感じたことを書けばいいというけれどきわめて難しい。以来、夜な夜な夢に現れて…。きのう、図書館で電子出版のノウハウを記述した本を借りました。自費出版はお金がかかる。ではどうするか・・・。あんがいおまる一座公演を拝見して考えることにしましょう。
2019.01.28
■身辺整理。手帳やノート、スクラップブックの山を崩すことにした。1995年元日発行の『千里タイムズ』の見開きページ。その中の写真。岩手へ出張した際、一関市の猊鼻渓で撮った一枚である。「旅先で発見した私の仲間。絶壁に張りつき、目を見開いて何を見つめているのだろう」「数千年、いや数万年前かな、清流の声を聴いている猪君に感動。特に眼がいい。今度は家内を連れて再会したい」。ローカル紙は2012年3月末に休刊。 1995年4月の大阪府知事選の切り抜きが現れた。「本名は無用 ノックが肝心」の見開き。前参議院議員の横山ノック氏が、162万5256票、得票率48.24%で府知事に選ばれた直後の読売新聞の特集である。当時、横山ノックと上岡龍太郎が司会を務めた『ノックは無用』(KTV) があった。たいほへんな人気だった。学歴のハンディを乗り越え首長という公職を続ける府民は歓迎したのであろう。かれは二期目の選挙では235万票という大記録で当選したが平成11年12月27日、女性問題で失脚した。さて公文書の署名は原則戸籍名である。芸名やペンネームは通用するのか。あるいは「風穴」をあけるきっかけになるのか。いささかの期待を込めて書いたように思う。『自分通信』のつづり。ワープロで十数号作成したが、感熱紙に印刷したため色あせている。その中の数号は24年前の1月17日についての記述であった。いつものように目覚め、公園へ行く、いやまだ寒い、と朝刊を読んでいた。炬燵台にはカシオのWP・ダーウィン。翌日夜の友遊会の資料づくりの途中。いきなり天井が揺れ、テレビが台から転落し、食器棚から飛び出すカップの音。妻と二男のいる二階に駆け上がり無事を確かめ、表に飛び出すと燈籠の宝珠が1メートルほど吹っ飛んでいた。突き当りの道に出ると、倉庫が水路を塞いでいる。腕時計は6時。阪急電車も北大阪急行もストップ。淀川の橋梁が落ちたとラジオ。翌朝、出社したが、どんなルートをたどり着いたのか覚えていない。しかしいつも足元が揺れていたように思う。本棚の奥に「視聴者の声」があることを思い出した。発災直後から一か月間の視聴者の声をまとめたものである。被災地上空を飛ぶ取材ヘリコプターの騒音で倒壊した建物の下の人声が聞こえないと激怒する声。衣類や食料などを運んでいる最中だが、どこに届けたらいいか、と問う人。社外秘。いつか公開したい。ドラマ『BRIDGE』(15日 KTV)の録画を観る。倒壊したJR六甲道駅(神戸市灘区)。余震のなかで「何としても大動脈をつなぐんだ」と不眠不休の作業を続ける人たちの記録の再現。【この年・・・・】 3月20日 - 地下鉄サリン事件。 4月9日 - フジモリペルー大統領再選。 5月7日 - フランス大統領ジャック・シラク当選。 5月8日 - テレサ・テンが旅先のタイ王国で気管支喘息のため死去。 8月5日 - ベトナム、米国と国交正常化。 9月4日 - 沖縄米兵少女暴行事件。 9月5日 - フランス、南太平洋で核実験強行。 11月16日 - 韓国大検察庁、盧泰愚前大統領逮捕。 11月23日 - マイクロソフト社がWindows95日本語版を発売。
2019.01.23
友遊会の新年会。久々の参加につき近況伝える一文を持参せよとのこと。元旦から直近までの徒然をまとめる。ブログに転記。緑地公園で初日の出。翌日は神戸で家族会。生田神社に詣でた。年男である。1935年秋、日台航路の船上で早産、かろうじて命を得て84年。感謝感謝である。さて次なる乙亥はとなるときわめて難しい。6年後の2025年に開催の大阪国際万博に狙いを定める。万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。サブテーマは「多様で心身ともに健康な生き方持続可能な社会・経済システム」。よくわからないが、活性化の名もとにゼニ儲けの仕掛け、カジノを誘致しようという企みは良識ある大阪府民らによって否定されているはずである。そこで55年ぶりの大阪の博覧会の初日は、非戦と非暴力を誓った平和憲法の長寿を祝うことから始まるのである。世界平和へのねがいをこめて。こんな卒寿のわたしを想像している。2日、郵便受け年賀状多数。2年前から年始状に切り替えたがやはりうろたえる。脊椎管狭窄症手術を受けたS氏は「痛みがとれたらあんたのふるさとへ行くよ」と記している。用意した葉書が足りない。大急ぎで本局へ行くと行列。約50通を投函、約10人に電話した。ナマの声がイイ。3日、スーパーの店頭に七草のセット。生産者は昨年と同じ大分県豊後高田市の北崎農園。がんばっちょる。「芹なずな御形はこべら仏の座すずなすずしろこれぞ七草」。字を忘れた。薺(なずな=ペンペングサ)、御形(ハハコグサ)、繁縷(はこべら=ハコベ)、仏の座(ほとけのざ=コオニタビラコ)、菘(すずな=カブ)、蘿蔔(すずしろ=ダイコン)。7日、ジムで筋トレ開始。5キロメートル歩行。足腰を責める。サウナで米寿迎えた方とおしゃべり。「持病は心疾患。国立循環器病研究センターにいつでも入れる用意をしているよ」と。8日、卓球教室の初日。6月に大会あり。チャレンジするか。十日えびす。服部天神に詣でる。大絵馬の構図はイノシシにまたがっている金太郎。少年が遊んだ相手は熊。イノシシをコントロールするときはどんな号令だろう。佐藤眞生さんから年始のご挨拶と冊子をいただいた。冊子は『認知症は羊水還りのおぼろ』と『自分名人への道 ~医療と介護と死に方について~』の二冊。「‘おぼろ’とは朧月夜のおぼろ。ものの姿がはっきりしないあいまいなさま。数年前に認知症になって以来、妻は胎内の羊水にただよっています。私は自宅‘母屋’から妻のいる介護施設‘離れ’に通い、一部始終を記録しています。友人が撮影しているドキュメンタリーも進行中です」と。冊子は茨木未来倶楽部発行。前者は500円、後者は1000円。税別。
2019.01.22
9月2日の国高関西地区同窓会総会&懇親会をパスすることにした。同期を誘ったが、お説教聴くより女子会の方がいいな、とかわされた。会報を見ると出席者はがたへり、昨年は40人を切った。合併により旧校舎で学んだものの消滅は必至だが、延命策を講じたい。昨日、東京地区のフェイスブックに今回の案内とまったく同一の文章が記載されていることに気づいた。本部代表の生業は医師のようである。福田榮さん 「引退の処方箋」を書くことをお勧めする。同窓を舐めるなかれ。
2018.08.22
「膝が痛うてしんどい。妙薬ないかい」「うちんバカ息子に嫁世話して」「まだ生きちょるの」など会話が弾む同窓会。20年前、はじめて参加した同窓会の風景を思い出しています。仕事を終え、「よう来たね」と声をかけてくれた仕切り役の林田先輩、会長の長木哲夫長老から『横たぐり』という絵画入りの自叙伝を頂戴しました。水彩画の達人、栗林先生も常連でしたね、来賓の母校の校長は高校の進学と就職状況を報告、本部会長は郷里のイマを語り、ゲストは神楽を舞って参加者の長生を祝福してくれました。参加者は100人は下らなかったでしょうね。毎年が楽しみになりました。しかし、ある時から同窓会に異変が生じました。参加者は漸減しました。昨年は40人を切りました。以下は、2018年9月2日の同窓会を予告する会報の冒頭の本部会長の挨拶文です。文字数1300字。母校は2008年4月に普通高校と農工など3校が合体。伊予野丘同窓会は合併前の普通高校の所在地名を冠しています。憲法について 伊予野丘同窓会代表 X X X 憲法を辞書で引くと、「国家の組織・作用の基本を定め、国民の基本的権利を保障する規定を持つ法律」とある。すると、刻一刻と変わる国内・国際情勢の中で、国家を保ち国民の基本的権利を守っていくためには当然、改憲は避けて通れない事になる。事実、殆んどの国々が実状に合わせてしばしば改憲を行なっている。 さてわが国。現曰本国憲法はGHQ作成の一種の宮刑であり、曰本を骨抜きにする為であったことはアメリカの政治家や有識者の方からも語られるようになっているにも拘らず、曰本の憲法学者と称する方々はこれを物理か数学の公式みたいに絶対不変のモノとして扱い、どのように解釈するかだけを考えているようである。これでは押し付け憲法の門番、単なる護憲論者ではなかろうか。憲法審査会に呼んでも無意昧だった訳である。憲法学者を自認する方々は、何故こうなのであろうか。 戦後GHQの下で東大法学部教授として曰本の憲法学の頂点に立った宮沢俊義という方がおられる。戦後の日本の憲法学者の多くがこの宮沢氏の教えを受け継いでいると言わているが、「保守とは何か」を著した江藤淳(故人)が「旧憲法と違って現行憲法学による天皇陛下の御地位はいかなるものですか。日本の元首はどなたですか。」と尋ねたところ、「今の陛下の御地位は総理大臣官邸の門番ぐらいのものでしょうか。元首というのは特にございませんが、敢えて言えば内閣総理大臣になるかと思われます。」と吝えられ、また、著書の中では「天皇は内閣の意のままに[めくら判]を押すだけのロボットのような存在である。」と何度も述べておられる。天皇観ひとつとって挙げても、これが戦後の憲法学の最高の地位にあった方の考えである。歴史的に観て、皇室は曰本文明の核とも言えるのに、これではまさにGHQの御用学者と言って良いのではないか。 現憲法の前文においては、国の安全と生存を平和を愛する?他国の公正と信義?に頼り、また国民と政府との対立を謳うなど多くの問題点があると思うが、何より2700年近くの確固とした歴史を持つ曰本の薫りがしない。また、地域社会を構成する基本の「家族」についての項目がない。個人的には、第9条に限定せず、緊急事態法、国防軍創設等も含めて前文から改憲し、普通の国になることを心から希望している。拉致問題や領土問題でもアメリカ頼みで、属国のような振る舞いしか出来ない現憲法のままでは、昨今の国際情勢を考えると、国土も国民の基本的人権もとうてい守れないところまで来ている。 以上昨年の会報は、今月8日に亡くなられた沖縄県知事翁長さんの誹謗に終始。許しがたい。医業の本分を思い出してほしい。
2018.08.09
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