私が現場から手を引いた理由。約10年、一通りの仕事を覚え閑をもらい、次男ということもあって30代の頃、独立の夢を持ち親元を離れた。その頃の私は6人で出資した会社をつくり其処に自分の身を置いていました。
自分で営業しながら現場を収めるという独立採算の方法で会社が元請けとして仕事を発注し、それを請けるというスタイルです。請けた仕事は責任を持ってこなします。2年目が過ぎた頃、2間ほどの竹垣の仕事が入り、当時先代と兄、私とで考えた創作御簾垣があったので写真と共に見積をもって客先に提示し、契約の後に製作した。

ところが、造った後、こんな連絡があった。「自分が望んだ竹垣と違う」と・・・自分が望んでいるのは普通の竹垣だという。説明が困難だったようで特長をいうと「そうそう、それそれ」。なんと建仁寺垣のことだった。すぐに建仁寺垣に作り直す。
契約も済み、提示もしているのに「何故なのか?」疑問を持ちながら涙ながらに造った垣根を壊した。「自分が勧め、自分の作ったものを自分で壊す」今までに無い憤りと落胆に陥り、このときから総ての現場から手を引き、足袋から靴へ、首にはネクタイを締め、二度と誤りの無いようにと設計と営業に徹するようになったのです。
その後、客先から聞いたことですが、どうやら友達が来て「こんな垣根見たこともないわ」と言われ「そう言われてみれば・・・」が何気ない変更の理由だったそうです。
自分が作ったものを壊す。つまり、自分の今までを壊すのと同じぐらいの衝撃、その後も繰り返し8年周期に自分を見直すきっかけにもなっています。
山縣有朋の庭園観 2010年11月11日
京都に行ってきました。 2010年10月31日
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