《違いをもたらす40日 第25日目》

神様は
あなたの
必要
を
満たしてくださるお方です。
しかし、
あなたの
欲望
を
満たすお方ではありません。
そのことを、ヤコブ4:3はこのように戒めています。
「願い求めても、与えられないのは、
自分の楽しみのため
に使おうと、
間違った動機で願い求めるからです。」
クリスチャンであっても
信仰という名の下に
自分の欲望を
まず満たそうとして
苦しんでいる方が多いようです。
「 わたしが賛美で満たされたい
」
「 わたしが礼拝で満たされたい
」
「 わたしが祈りで満たされたい
」
「 わたしが交わりで満たされたい
」
「 わたしが、好きな奉仕だけ楽しくしたい
」
「 わたしが、御言葉で満たされたい
」
「 わたしが、わたしが、わたしが・・・
」
という具合に・・・。
どうしても
信仰生活の中心に
「わたし」が居座り
、
神様が「 蚊帳(かや)の外
に追いやられてしまう状態です。
あなた自身の
欲望を
満足させようとすれば、
あなたの心は
イライラ
、 不平不満
、
つぶやき
、 怒り
などで、
満たされることになるでしょう。
なぜなら、
すべて
あなたの欲求通りになることは
あり得ない
からです。
さらには、
ねたみ
や、 嫉妬
などでも
満たされてしまうでしょう。
周囲の人々と自分を比べてしまい、
「 なぜ、あの人はあれだけ恵まれているのに、わたしは・・・
」
という具合に、
兄弟姉妹の成長や
受けている祝福を
素直に 喜べず
、
妨害
しようとしてしまうのです。
このように、
個人的な欲望を
満たそうとすれば、
様々弊害を生み出します。
教会に来たときよりも
帰るときのほうが、
不満や怒りに満ちて
より罪深くなってしまう
、
というクリスチャンも
少なくないのです。
あなたはいかがでしょうか。
心当たりはないでしょうか。
あなたが個人的な
満足感で満たされるために
神様が存在するのではありません。
神様の喜びのために
あなたは造られた
のです。
ですから、
あなたの人生を
神様の喜びのために
生涯を捧げるのです。
あなた自身の個人的な
欲求を満たすために
神様を都合のように引っ張り出し
利用してはいけません。
なぜなら、もうすでに、
「キリスト・イエスのものとなった人たちは、
肉を欲情や 欲望もろとも十字架につけてしまった
のです。」(ガラテヤ5:24)
人間はみな、
自分の欲望を満たそうとして
様々なことを試みます。
それを聖書は「 肉の業
」と呼び、
このように諭しています。
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。(ガラテヤ5:19-21)
では、どのようにして、
神様を喜ばせることができるでしょうか。
マルコ12:33は、その具体的シンプルな方法を教えています。
「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
また、主イエスはこうも教えました。
「 何よりもまず
、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)
そうです、
何よりも先ず
心を尽くして
神様の喜びのために
あなた自身を捧げるのです。
そうすれば、
あなたの必要は
結果として
後からついてくるもの
だ
と教えるているのです。
この世のすべてを
所有する神様が
御心のままに
あなたの必要を
すべて満たすと
わかっていたなら
、
あなた自身が
自分で自分を
満たそうと
必死に走り回る必要はありません。
ただ、
ひたすら、
主の喜びのために
あなたの生涯を
差し出すだけでよい
のです。