暮らしの便利屋奮闘記
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元々は便利屋に関心はなかったんですよ、ただ色々な経験をしてみたいいろんな仕事をし、いろんな人と接してみて自分に何ができるかそれを知ってみたい、その考えは学生時代から私の中にありました。家庭環境もあってか中学の頃に新聞配達したり年齢ごまかして土木に行ったり高校の頃にはカラオケ屋から郵便局、足場鳶に飲食店などでバイトしてた。社会に出て最初の就職先は関西電力の関連会社で電気の鉄塔に登ってましたwまぁ、二日酔いで上って落下し怪我して退社しちゃいましたけどね(^^;)その後もいろいろなバイトや職につきました、ホストもしたし訪問販売もしたそうやって色々な仕事を体験しながら各種スキルを自然に身に付けていき19歳の時に一度結婚したんですよ、家族や友人の反対を押し切って。で、その相手っていうのがあの有名な某やくざ組織の直参クラスの娘さんで一気に借金を背負わされ、逃げるに逃げれない状態での生活がやってきました借金の総額は4500万、生活費も稼がなければならないしもう必死!借金の肩代わりをする条件で身内に火の粉は飛ばさない事、そして完済で文句なく離婚させてもらえると約束し毎月60万以上稼ぎ自由になる為に私は身に付けたスキルと、そのやくざの権力を活用して裏便利屋になりました。そりゃ、ここでは書けないような悪さもたくさんしちゃってましたよ元嫁は家事も仕事も一切しないゴミ屋敷製造マシーンだったもので私も精神的に病んでとある病院に入退院しては生活に困り悪さをする生きるためには誰の屍でも越えていかねば、使えるものはつかわなきゃそんな感じでどんどん裏家業という悪の道を邁進していってました(..)ハンセイでも悪さだけをしてたわけじゃないんですよね、ご近所さんの困り事といっても借金の取り立てや行方不明の身内の捜索、ボディーガードなど割とグレーゾーンな依頼もこなしてました、口コミで一般の人の依頼も少しづつ増えてきて、だんだん真っ当な仕事で収入を得られるようになり8年かかったけどどうにか完済、離婚して家族のいる大阪へ戻ってきました。でも、大阪に戻り住んでいた一軒家にいくと家がなくなっているし当時のご近所さんに聞くと両親は離婚、兄弟はバラバラになってました大阪では便利屋としての知名度もないしバイトしながら家族を探す生活それから3年たった現在、全員の居場所もわかり連絡もつくようになりふたたび便利屋として活動を開始しました、まだまだ取引先も少なく依頼もすくないので便利屋だけでは生活も苦しいですけどね(苦笑)便利屋っていう仕事は人との心のふれあいで成り立っている仕事ですいろいろな経験をしてきた私だから思うのかもしれませんが本当につらいときに、無償で差し出される救いの手、やさしい言葉それにどれだけ心が救われたことか、今の世の中は人と人の縁が希薄です私が子供の頃のように、困ったときは家族やご近所さんが助けてくれるもうそんな暖かい世の中ではないのかもしれません。生きてきて、たくさんの挫折や辛さ、苦しみを味わって思いました自分にできることで「ありがとう」そう感謝される仕事がしたいただ同じ事を繰り返す仕事じゃなく、いつも充実できる仕事がしたい職業としてではなく、生き方として人の役に立てる人間になりたいだから私はなんでもやってくれる「何でも屋」ではなくその人の困った・悩みの解決をお手伝いする「便利屋」なのですこれからも便利屋という生き方、貫きたいと思います長々と書いちゃいましたが、最後まで読んでくれてありがとうこんな私でお役に立てることがあれば、お気軽にご相談ください一人で悩むより、きっといい方法がみつかると思いますよ♪
2007年10月27日
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