デニムデザインの虜です!

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2012.09.30
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かれこれ1年以上になるが、資料を探しに「国立公文書館」には毎週出かけ(便利な閲覧カードが作れる)金沢(加賀藩)に資料が残っていると聞けば6月と8月に現地に赴き調査を行ってきた。
その結果、確定した事実は1000年以上も歴史を遡り、源義光流加賀美遠光系「甲斐清和源氏」の末裔である事が解った。
金沢市に残る「加賀藩藩籍簿」に残る各家の「由緒書き」に我が家の祖先3名の名前が記載されていたからであるが、幸運にも加賀藩に当家の姓を名乗る武士が一家系しか居なかった事から簡単に探す事ができたのである。
我が家に残っていた資料は「仏壇の中にあった過去帳」と「兜飾りの家紋」そして各種のお宝だけだった。
その過去帳の先祖の名前が今回の決めてとなった訳だが、一番古い先祖の死亡年は西暦で言うと1603年、つまり徳川家康が征夷大将軍になった頃から現在までの400年以上書かれている。
8月の金沢市における調査については「金沢市玉川近代史資料館」の学芸員の方2名に協力していただいたのだが、古文書には前述の我が家の祖先の生国出身地や由緒が細かく記載されており、甲斐清和源氏の一族である事も詳細に書かれていた。
それにより鎌倉時代から江戸初期までの人名からどのような武士だったか?どんな事をした人物がいたのか?インターネットでその名前を検索すればいくらでも出てくる。
鎌倉時代以降から続く家紋も一緒、祖先の名前も一緒、と何でも判る感じだったのだが、どうしても解らない事があった。
なぜ、甲斐の国から金沢に移りすんだのか?
いつ江戸に移りすんだのか?
松江城主「松平直政」から捨扶持700石、越後松平家から500石、他の大名家から「捨扶持」として貰っていた理由は何だったのだろうか?
それだけの知行を貰いながら、どこの藩にも属さない「浪人」だったのはなぜか?
つまり江戸時代の我が家の祖先の役向きと言うか、何をして生きていたのか?それが全く説明できなかったのである。
「浪人」と聞くと藩が御取りつぶしになり貧乏で「傘張り」なんかの内職をしながら長屋で暮らしているイメージがあるが、我が家の明治期まで残る屋敷は「四ツ谷」にあり700坪以上あったと聞く。
家人・用人は36名以上仕えて居たと言う事実や写真が残っている。
だから解らなかったのである。
家内などは「きっと何か悪い事をして生きていたに違いない」と言っていたが、昨日その我が家の江戸時代の「仕事」が判明した。
「清和源氏」とは清和天皇を始祖とする一族であり、「源頼朝」が征夷大将軍になれたのも清和源氏として武家の頭領資格を得ていたからであり、その後の「足利尊氏」も清和源氏の一族である。
・・・で、我が家も清和源氏の一族だった事から、江戸時代の初期から「高家」と言う扱いを受けていたと言うのである。
「高家」(こうけ)には、「奥高家」と「表高家」の二つがあり、「奥高家」は天皇に拝謁し武家との諸手続きを行う事が出来る職に務める事ができる家柄なので、官位としては徳川御三家・徳川御三卿の次に位が高かったので、大名家で言うと加賀前田家・奥州伊達家などを除くと殆どがこの「高家」の方が身分が高かったそうである。
これが「職を持つ高家」である「奥高家」であり、一方で「職を持たない高家」が存在した。
昔から「藤原摂関家」の一族、「公家」に関係する武士の一族、そして「清和源氏」の一族がそうである。表向きの石高は1000石程度だったが、仕事は大名やその藩士に「武家の作法」「公家・武家の接待饗応作法」などを伝えて教えるのが仕事だったと言うのだ。

あの「忠臣蔵」において赤穂藩主が、奥高家である「吉良上野介」に饗応の方法を教えてもらおうとしたが、「謝礼」が「赤穂の名物塩?など?」だった為、吉良上野介から「田舎者と馬鹿にされて意地悪された」事が発端と聞くが、私が「高家」の立場から吉良上野介を見ると、「作法を教える事」を仕事にしていたので、「名物」では無く「金品」を渡すのが筋だった事が解る。
実際に「高家」は諸大名や他の武士達から教える事による「報酬」を受け取る事は幕府から黙認されていたと言う事実がある。
つまり名門の家系である「高家」を滅亡させない為にも余裕のある大名家は「捨扶持」を与えて、作法教授として藩士の指導をさせていた経緯もあり、高家の武士自らが営業し稼ぐ事は大名家の負担も減らす意味からも重要な仕事だったと言う事が解る。
だから長男曰く「400年間遊んで暮らしていた」のも事実であり、しかもかなり裕福だった事も証明された。
ちなみに明治時代の曾祖父は明治新政府に登用されて働いていたようだが、祖父は生涯働いていいない。父も38歳まで働いておらず財産を食いつぶして暮らしていたらしい。
戦争中は「お家が途絶えてはいけない」として、軍部に圧力がかかり?陸軍経理部で兵隊の給料計算をしていたと言う。
確かに我が家は親族が誰一人生き残っていない、我が家には長男が一人いるが彼の子供が生まれなかったら当家1000年の歴史は終わる事になる。






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Last updated  2012.09.30 17:57:12
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