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Mar 16, 2005
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カテゴリ: 自己紹介
間違いなく僕にもっとも大きな影響を与えた人です。
ガキ大将がそのまま大きくなったような、今では愛すべき存在です☆
ものすごく正義感が強く、何度も現場を見たがケンカも半端じゃなく強かった。父の友人・知人からいまだにその武勇伝を聞かされるほどです。
しかし、酒もタバコもやらず、スキあらば掃除、洗濯、裁縫とばあちゃん直伝の技を駆使する奇妙な人でもあります。
実は、とてつもなく優しくて、デリケートな人だったと気づいたのは僕が家族を離れてから、ずいぶんと時間がかかったものです。
「理想の親でいる必要なんかない。俺は反面教師でいいんだ」といつも得意気でした。実際に幼い僕をあらゆる場面に連れて行ってくれた。悩んでいたであろうその姿以外はすべて僕に見せてくれたと思うほど。


 (( 父ちゃん略歴プロフ ))
父ちゃんは函館に近い小さな町で生まれた。小学生のころには父親を亡くし、9人兄弟の末っ子として母親に甘えながら自由奔放に育ったらしい。学生時代はスポーツでその才能を発揮して、スキー・水泳・陸上とやるものすべて国体選手という異常さ(笑)高校を出ると船乗りになりたい一心で東京商船大学を受験。しかし当時大黒柱となっていた長兄の「そんなゼンコ(お金)どこさあるんだば!!こんちきしょ!運動すんなら野球でもやってゼンコ稼げ!」という一言で、貧しい漁師の家に生まれた青年の夢はもろくも崩れ去ったのであります。
本人こそ口にしないが、その後函館に戻ってからは相当荒れたらしい。そんなすさんだ生活をしていたある日、函館市内の映画館で、行儀の悪い地元のゴロツキと一悶着。もちろん圧勝だったのはいいのだけれど、相手は相当なケガをしたらしく、すぐに「死んじゃった」という噂が街を駆け巡ったそうだ。

やむなくタラやオヒョウ(巨大なヒラメの一種)などの漁に勤しむこととなる。帰港の途上「函館には帰れんべ...」と、途中「浦河」という町で下船した。
慣れない作業のため、一時期療養を余儀なくされ、一番近くにある大きな病院を探し居ついたのが、僕の出身地である苫小牧というところ。
新天地でも父ちゃんの腕っ節の強さは目を引いたみたい。地元のヤクザ連中に一歩も引かず、何度も死ぬ目に遭ったそうだ。父ちゃんの体や顔にはその名残がしっかり残っている。そんな中で一人の大切な人と出会う。その人はのちのち全国に名を馳せる「大親分」となる人で、Nさんという。お互いの気骨に惚れ込んで、いわゆる「カタギ(一般ピープル)」とヤクザが兄弟分になっちゃった。流行ってたのかー?ふふふ
本人にもそんな気はなかったろうが、Nさんは父ちゃんにいつも口酸っぱく「ヤクザにはなるなよ」といい続けたそうだ。小柄ながら貫禄充分、学生ころはボクシングの名選手だったというNさん、当たり前だが(笑)タダモノじゃない。
カタギの人たちに迷惑をかけること、特に覚せい剤を売ることを断固拒否しつづけ、晩年は表舞台から消えることとなったんだが、僕のような青二才と話していても、おごったところがひとつもない。若さに任せていっぱしなことを僕が語ってみても「そうか...そうか...でもな、オレはまぁお前みたいに学はないけどな、~~~と思うぞ。自分でちゃんと考えて、思うようにやればいい」と、いつもこんな穏やかな調子。気がかりなのは、Nさんには僕よりひとつ年下の息子がいるんだが、過保護にしてしまったんじゃないかといつも悩んでいた。
Nさんのおかげで、「その道」に染まることなく奔放に生きていたマイ父ちゃんだが、事業が軌道に乗ると(世間から見れば当時)とんでもないことをはじめた。
ヤクザから足を洗いたい人や、覚せい剤中毒の人たちのために、共同生活できるアパートを家の裏に建ててしまった。スゴイぞ父ちゃん☆


僕が物心ついたころアパートに住んでいた個性的な面々。
Tさんはいわゆる「鉄砲玉」として3人を殺し、出所したものの社会に復帰できずにいた。Kさんという人は、チンピラ時代からの覚せい剤がやめられず、うちで働きながらリハビリをしていた。
Tさんはとにかくまじめで融通の利かない人。しきたりや礼節を通すことにかけては譲るということがなく、それが原因で社会になじめずにいた。現場仕事は天下一品の働き者なのに、「なめられた」といっては喰らいつき、偉そうなヤツが現場にいると「許さん」といって聞かない。でも心の優しい純粋な人には違いない。とにかく僕の面倒を見てくれた。夏のある日、ランニング(決してタンクトップではない!)姿で現れたTさんを見て、Tさんに会うのがうれしかった小学生の僕は「おじさーん!今日のシャツ派手だね!!」と声をかけた。一同大爆笑。そして一部は沈黙。Tさんの全身には見事な「タトゥー」があったから。もちろん知ってて僕は言った。おそらく父ちゃんがそんなことを冗談にしてしまう人だったから、平気だったんだろう。それでもTさんはやはりうれしそうに「いやぁあ、まいったなー。かなわんなー」そう言って笑い転げるのだった。本当に申し訳ないくらい(そんなこと思ってないが...へへへ)ノールールな小学生だった私。Tさんがスケートリンクに連れてってやると助手席に乗り込んだ僕は「ナイスジョーク」をひらめき、シフトノブにかけたTさんの手を見て「おじさん!なんで指短いのー?」そんなことばっかし。
でもね、これ大切なことだと思うよ。いっしょに笑ってみーんなで受け入れちゃったんだもん。そこにあるのは暗い過去の遺物じゃない。極上の「笑いのネタ」だ。父ちゃんが教えてくれた「極上のデリカシー」だと僕は思う。

放任主義とはちょと違う。かなり覚悟が必要だったろうと今なら思う。でも当時の僕には知る由もなく、崩れて離れていく家族関係にただ心を閉じていくばかりだった。

勉強には口うるさい人でした。それでもだいぶセーブしてたみたいだけど。「残してやれるものは、健康な体と学問しかない」が口癖だった。当時思いつきで、バイクのレーサーになりたいからまずは整備士になろうと「工業高校に行きたい」って言ったら猛反対された。あんときは「夢を潰されたー!」ってかなりしょげたけどね。たらればなんか好きじゃないが、あれで良かったのかもなぁって思ってるよ。恥ずかしげもなく書くけど...物心ついたころから「人のためになりたいから医者になる」と言ってはばからなかった生意気な僕の姿、そして幼いなりにも抱いたそのときの気持ちを捨てるな!ってことだたんでしょう?医者どころか、その後に描いた夢の一つも実現させず今日に至るが(笑)、結果としては、幼いころに抱いたものに僕は戻ってきたのかもしれない。

離婚した本当の理由は聞いたことがない。話せる時には話してくれるだろうと信じているから。うすうすは僕もわかってきた。父ちゃんはきっと、「信じ待ち許してくれる」母親を求めていたんだろう。そして、結果として同じ思いを僕に抱かせてしまったと悩んでいるんだ。だから父ちゃんの前で僕はいつも片意地張っていた。本心をのぞかせまいとするあまり、いらんとこまでガラガラピシャンとシャッターを下ろしてしまっていた。辛かったなんて悟られまい!と僕なりに必死でした。

でもきっとそんなことまで気づいてただろうね。一見、すっかり自立していた僕のことをずーっと心配してたもんね。気にしていたんだね、きっと。

もっとも悩まされる時間を過ごした思春期の僕にとって、父ちゃんは敵であり、反面教師でした。父親のようにはなるまい!と戦った時間でもあります。



P.S.あっ、それから父ちゃん。僕はずっと「A型だ」って言われてたけど、去年調べたらO型でしたからー!ざんねー--ん!!これでいいのかー?





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Last updated  Mar 17, 2005 11:24:07 AM
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