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しあわせは思考の外にしかない。とふと浮かび、なかなか名言かもな〜んて思ったりした。朝の光と雨上がりの清い空気と木々の葉が揺れ動く様に至福を感じたひとときにて。
2025.05.03

出雲のまつぼっくり乾燥終了。自然災害や野生動物の出没戦争への予感などなど社会不安が増している昨今ですがここで一旦立ち止まり自分の中心を思い出すことがどんなにか大切なことと感じています。そして今尚わたしたちを育んでくれている大地や自然環境に感謝を捧げ日本の地の平安を願うワークショップを行います。祈ることしかできないならせめて祈りたい。このワークでは呼吸を使って不安や恐れを手放し身体を動かしながら自然との一体感を感じていきます。大地への感謝と祈りをハミングに乗せて日本の地、更には人々への集合意識にも働きかけることができればいいなと思っています。この想いに共鳴してくださる方のご参加をお待ちしています。森のリトリートダンス🌳🌳大地や木々、動植物たちへの感謝と祈りを込めて〜森のダンスを楽しみます。花や鳥、風達と一体となり、自由に表現をしてみませんか?【日時】2024年11月30日(土)14:00〜15:30 (13:45〜入場できます。)【会場】たましんRISURUホール 3階ギャラリー(東京都立川市錦町3丁目3−20)https://risuru.hall-info.jp/☆立川駅南口より、徒歩12分 西国立駅より徒歩7分【ワークの内容】⭐️深い呼吸しながら、自分を整える⭐️森のお散歩イメージダンス⭐️お茶&お菓子タイム⭐️感謝と祈りのワーク【参加費】2000円お茶&お菓子付き【ワークリーダー】⭐️風里(ぷーり)(保育士をしています。散歩と動物が大好き💕)⭐️ゆみこ〜ん (保育のお仕事をしながら、障がいをお持ちの方とのワークショップや施設での表現ダンスを行っています✨)【お申込み】メールか、お電話で菊田までyumiko.8671@yahoo.com 070-6572-2391
2024.11.24

※なるべく写真を入れようと思っているのについ忘れてしまう。。。(追加しました!)この週末に友人の行っている子ども向けワークにお手伝いに行った帰りに寄った素敵なカフェ 日野市の「クレア」数年ぶりでした〜(≧∇≦)世の中には恵まれない境遇の人もいるのだから自分が置かれた環境に感謝しなさいというような言われ方をしたことがあるけれど何か腑に落ちないものを感じていた。上を見たらキリがないから下を見て自分の幸せを感じなさいというフレーズにも違和感を感じる。下と言われた人たちにとってまた、「恵まれない」特定をされた人たちにとって随分失礼な話だと思うのだ。自分のしあわせを感じるのに他人の境遇を持ち出す必要はない。自分のことでもたとえば今より大変だったり貧しかったりした時の自分の過去を思い出してみるとその時の自分もたいてい満ち足りていたしそうでない時はそうでない時なりの経緯というものがありそこでの体験を経て次に繋がっていた。つまりその時の暮らしぶりやしていたことはその時の自分にとってベストでいつの時もその時々の自分にふさわしい環境や過ごし方があるだけだ。そして人には「運命」というものがある。とわたしは思っている。ここでいう「運命」とは一般的に使われている「運命」の意味とはもしかしたら異なるかもしれないけれど(?)その人独自の生きる道筋という内面のダイナミズムのことだ。悩みや葛藤があったとしても「運命」として受け入れそこを生きることができれば自分の生き方に完全にフォーカスできそこに他人の暮らしぶりとの比較を持ち出すことは無意味となる。うーん。伝わるかな?今日の記事はちょっと分かりにくいかもしれないけど伝わる必要性のある人に届けばいいなと思っています。
2024.05.25

以前引越しにまつわる話の中で家を決めた理由に「フィット感」を挙げ「分相応」な感覚を大事にしているということを書きました。その後「身の丈」という言葉に気づきそっちの言葉の方が素敵だししっくりくるなあと思ったわけですが...語源を調べたわけではないけれど「分相応」て自分の身分的なものや財産(⁇)とかとか自分が属している「相」に相応しいみたいな意味合いが感じられるのに対し「身の丈」と聞くともっと個人的な個性や特性を持った自分に見合うというニュアンスが感じられるからなんですね。で。今日はしあわせを感じる条件の一つとして「身の丈にあった暮らし」を大事に思えるかどうかそこに価値を置けるかどうかそこを味わい感謝してしあわせを感じられるかどうかというお話です。わたしは幼い頃からしあわせな感覚が多いという感じで生きてきてその昔競争社会が当たり前の社会価値観だった頃は「安上がりな子」「張り合いがない子」などと家族に茶化されもしましたが(競争心が欠けていることを学校からも心配されていました←こんなところにも発達障害ぽさがΣ(゚д゚lll)「しあわせ多い人生」といっても常に楽だったというわけでは決してなくてその時その時をちゃんと味わうということが大事と思っています。余談ですが好きな言葉の一つとして良寛さんの「災難に遭う時節には遭うがよく候」「死ぬる時節には死ぬがよく候」というのがあるくらいで誤解を生みやすい言葉かもですがとーっても深い言葉なんですよ。でもでもわたしには競争心はなくても向上心は脈々とあるのです。保育士という職業はそういう意味でもびったりでかつてまことしやかに言われていた「競争心は人間が意欲を保つために必要」という概念を身を持って「ほらほらそんなことなかったよん!」と感じたものでした。保育士なりたて当初。自分の身の丈を愛せないと「今」にフォーカスして満喫することが難しいのでは?なんて思うわけですが「向上心」というのも張り合いが感じられるほうがより充実感を味わえるという意味であったほうが日々の満足度は高めかもです。何故なら人の体には「前と後ろ」があって前に進むようできているからです。時間も常に未来に向いているし厳密には「今この瞬間」なんてものはなくてというか捉えることはできなくて常に「未来」に矢印を向けて変わり続ける「今」が無数にあり続けるという感じなので「この先」に進み続ける今を楽しむためには「向上心」てあったほうが喜びも多いというわけなのです。ではでは「身の丈のしあわせ」に埋もれてしまうと向上が難しいのでは?と思われるかもしれませんがそんなこともなくて今の「身の丈」を味わいつくすと自然と自分自身が変化して「次」に進みたくなって「身の丈」にあった「次」に導かれていくのです。でも必須なのは「変化」であって必ずしも「向上」でもないのであれあれ戻っちゃった!なんてことがあっても大丈夫。「向上心」はあくまで使える手段の一つとしてしてあるだけだし戻ったかのように思えても戻るなんてことはなく常に新たな自分で体験したいことがあってそこを超えた先にはもっと新たな自分に出会える楽しみも待っていたりするのです。進む道は直線ではなく螺旋だっだりするしね。ということで今回は身の丈に合ったしあわせを感じられたらしあわせというお話でした。自分が何に喜びを感じて何を大切にしたいのか自分自身の内側に常に問いかけて身の丈に合ったしあわせ見つけていきましょ♪
2024.05.03
家のすぐそばに小さい公園があり特にお出掛けしない休日は気分転換によくくつろぎに行きます。家には庭も広いバルコニーもないけれど公園が近くにあって庭に出るような感覚で思い立った時にすぐに利用できる環境がありがたいです。少し前まで桜の花で埋め尽くされていた視界も今では緑でいっぱい。小鳥の囀りを聞いたり緑たちを眺めながらお茶を飲んだりぼーとしたり。家の用事で忙しい日もそんな区切りで気持ちがリセットしています。最近の発見!!わたしは「聴覚情報処理障害」(APD)だったのでした!!!APDとは音は聞こえているのに言葉として聞き取ることに難がある症状です。最近発見された症状らしく聴覚検査をクリアしてしまうし本人にとっては幼い頃からの症状なのでこんなものか?で過ごし続け見過ごしてしまうことも多いらしいです。わたしもそんなものかでやってきたけれど社会に出てからこれまで2回ほど全く別の職場環境で上司にあたる人に聴覚に問題があるのではないか?と言われて検査に行きましたが問題は発覚されず、ただ、自分にはそういう独自の症状があることだけは自覚するようになっていました。未だに診断を受けたわけではないのですがそうなんだろうなと思っています。治療法もまだないらしく生活の知恵などで切り抜けるしかないそうです。APDは発達障害の一種とも言われていてこれも結構なるほどです。普通の人が当たり前にわかることがわかってないことが自分にはあり自分は発達障害なのではないか?と感じることが稀ではあるけどあったんです。昔は間が抜けているとかそれを恐らくは精一杯のお世辞(?)にして(⁇)天然とか言われてたし...人と雑談レベルでの感覚的交流があまりできないし。(これはスターシードあるあるでもありますね)聞こえにくいからどうでもいいような細かい話には労力をさかないようにしてきた幼い頃からの習慣で そのようなコミュニケーション力を伸ばせなかったということはあるのかも?ところで最近発達障害の子どもが増えている理由の一つとして地球の悪き(良いものもある中の悪いほうという意味あいですあくまで)習慣や考え方に染まらないことで高い波動を保ち続ける人たちが地球にとって必要だからというのがあるそうなんですがこういう説も妙に納得!わたしは人の中で孤立してしまいがちな面がある一方で集団心理に流されにくい面があると自覚しています。みんなが悪く言うことに逆に興味を持ってしまうところがあり子どもの頃は学年のいじめられっ子殆ど全員と仲良しでした。皆に人気のある子ともとも普通に仲良しで小学生時代は人生中いちばん友達が多かった時代かもです。いじめられっ子に対しては同情とかは勿論なくて単にその子たちがユニークだったから気が合ったんですね。わたしはというとあんまりいじめられはしなくてどちらかというと敬遠されるタイプなのかも?高校時代の友人にいかにもいじめられそうなわたしがいじめに合わなかった理由を聞いたことがあるのですがいじめがいがなく面白くないからなのでは?と言っていました。また、親や学校から競争社会で生き抜いていく術などを説かれ続け他の価値観もない状況(時代)でも前提となる「競争」そのものに違和感を抱いてそういう概念から外れた価値観で過ごしてこれたのも発達障害ゆえだとしたらその代償の孤立感に関しても許容する気持ちにもなれるというものです。ということで今回はAPDであろうと発達障害であろうとちゃんと存在価値はあるんだよというお話でした。
2024.04.21

その昔我が家にはシーズー犬が2匹いた。トントンとミョンミョンという名前で2匹はとても仲良しだった。ミョンミョンが亡くなったのは2011年秋。我が家にトンミョンが来るまではわたしと夫は家族というより同居人みたいな感じだったけれどトンミョンが来たことでチームというか...ファミリーになった。そしてミョンが亡くなったことでファミリーとしての絆を再確認することになりそれを何らかの形として表現したい気持ちが出てきた。そうしてわたしたちは今まだ生きているトンも一緒に家族写真を撮ろうという話になりどうせなら正装してかっこよい写真を→どうせならウエデングドレスで→それならついでに籍を入れるかな非常に軽いノリで(正式に)結婚したのだった。とはいえ最愛のミョンを失ってすっかり意気消沈してしまったトンちゃんを確かな絆で支えたい。結婚はその決意表明でもあったので軽いとはいえ覚悟でもあった。亡くなってしまったミョンちゃんはわたしたちの導き手としてトンとミョンは以前よりもっとわたしたちの子供になった。そんな夫が作ったミョンミョンTシャツです。て、それだけを言いたいがための前置き、長過ぎかもね...
2024.03.17
やりたいことをやっているつもりでもいつしか気持ちがずれてきて生まれる空白。ハートにびたっとはまらなくなる。それでも今の自分にとって考えられる範囲での(ズレありの)好きを続けていると心の奥に何かが生まれてくる。でも何かはわからない。何かは分からないけれど違和感を伴っていたりもするけど鳥が卵を温めるように大切に奥に持っておく。これまでの日常を続けながらもね。やがてその‘何か‘が明らかになる。段階を経てだったり時には一気に進んだりして。そんな過程を経て見つけた次なるわたしのやりたい事。それは仲間と一緒にグループワークを行うこと。昔ちょっとだけやってたことだけど新たなバージョンでやってみたい。子どもや親子を対象にしたワークも楽しそう♪イメージするとワクワクしてくる。まだまだ卵状態のアイデアでこの先もっと別の形に変化するかもしれないけど今はそんなことを考えています。そうすると面白いものでわたしと同じように新たな「好き」を見つけている人新たな「好き」が既に実りを迎えている人で周囲が溢れてくる。というのかそういう人とバンバン出会う。わたしにとっての新しい時代は今、そんな感じです♪
2024.03.09
これまでそんなことは思っていなかったのですが今年は目覚めの意識で生きることにもっと向き合ってみようかな?なんて今頃になって改めて思いました。私は最初の覚醒がまだ何も準備のできていない10代の頃だったので魂の目覚めと現実を統合することの真逆の道を選んだという過去がありました。人生経験薄すぎるのに何でも達観できてしまうことや何があっても大丈夫な感覚が強すぎたり安定した至福感な自分がだんだんと鼻につき出してちょっとこのままでは敢えて物理現実の地球に生まれてきた意味がなさすぎると感じるようになって覚醒意識のことは忘れる方向に進んだんですよね。今と異なりスピリチュアルなことの認知度が世間にあまりなく私がそっち方面の情報を受け取れることが全くなかったことも背景にはあるかもしれません。それからいろいろな体験をして体験こそが私の持ち味を作ってきた貴重な財産だと感じるようになりました。何をやってもそんなに器用に人より秀でるようにはできないけどそこに私ならではのスパイスを加えることができる。それは私独自の経験を自分の中に取り込み消化してきたからこそからかなと。(付け加えていえばそれは万人に当てはまることです)私がそんなふうに「体験」を味わえたのも最初の覚醒を忘れる方向で生きてきたからかなと。覚醒を忘れて生きたことがむしろよかったというのはあくまで当時の私ならではのことで他の人に当てはまることではないです。時代も全く違うしね。けれど根底には常に「目覚め」があって自分はそれを知っていることをわかっていたようにも思います。次の覚醒はヒーリングを仕事として始めようと決めた頃。最初の覚醒がどかーんと壮大な宇宙🟰愛🟰神🟰自分になってしまったのに対し次の覚醒は人間としての自分にもっと寄り添った形で起こりました。これは他の人を巻き込んだ形でヒーリングをするにあたり宇宙からレッスンを受ける必要があったからではないかと思います。深いところの自分や宇宙の存在たちと繋がって自分のあり方を問われ続けたのですがざっくりと言ってしまえば愛とは何かってことで1つ1つの自分の行動が愛からなのか怖れからなのかってことでした。怖れから表面的には優しい人を演じてしまったりすると強烈な試練が来て自分の内側と向き合うように仕向けられたり。当然どうすればよいのかは言ってもらえなくて自分で見つけた選択で気づきを得て行動し直してからメッセージを受け取ることが多かったのですがこれが英語だったりするんですね。面倒なので放っておくとしつこく何回も聞かされるので暗記してしまう笑。しかもだんだんその声も大きくうるさくなっていく。で、やれやれと思ってようやく辞書を引いて(その頃スマホは世になくパソコンもまだあまり出回っていない時代)初めて意味が分かるみたいな笑。でも、喉元過ぎれば何とやらで最近はまた超いい加減になっていました。今思うのはそろそろそれらの体験をきちんと統合していかないとせっかく人間として生まれて覚醒体験もしたのに中途半端なまま人生を終えることになりモヤモヤして(ん?いや別にモヤモヤはしてないのですが...)とにかく今、これをしていくことにしんしんと静かな興味が湧いているので今年のテーマとして掲げてみた次第です。
2024.02.06
トンちゃん(昔一緒に暮らしていたシーズー犬)が亡くなって今年で10年。10年前の1月初めに発病して約2か月後に命が尽きるまで密着介護をした。肌の感覚で優しさを伝え合える冬でよかったと当時しみじみ思ったっけ。この時期になるとその頃の甘く切ない思いが甦る。今は何処でどういう形で存在しているのか知る由もないけれどきっと何処かで存在しているであろうトンちゃんの魂に思いを馳せる。目には見えなくても異なる次元ではあったとしても今というこの瞬間に共に存在していることに感じ入る。ただただ愛だけがここにある。そんなひととき。
2024.01.15
連日流れてくる熊出没のニュースに心痛めている人は多いのではないでしょうか?人にとってはもちろん恐怖。でも熊にとっても悲劇でしかないですよね。熊は人間と違って恨みを持って人を襲うわけではない。熊は人間と違って侵略戦争を仕掛けているわけでもない。ただただ生きたいだけ。それなのに殺処分しか手立てを講じないのは人としてどうなんだろう解決法としては頭が悪過ぎ。モグラ叩き式過ぎて根本解決にはならない。それとも尊い一つの種を自分たちの都合で根絶やしにするつもり?相手が置かれた立場を考えて見通しを立てられるのが人間ならではと思うんですよね。しかも熊が人里に降りて来ざるを得ない食べ物のない苦しい原因を作ったのってそもそも人間たちですよね私はこれだけ頻繁に問題となっているのなら単に駆除するのではなく見通しを持った策を講じた方がよいと思っています。山を整備して熊を含めた野生動物が動物側にとってもリスクを冒すことをして、人里に降りて来なくても済むようにするとか一時的にでも、熊の保護区なりできるだけ自然に近い形での広さや食べ物環境を兼ね備えた「動物園」(動物園とはちょっとニュアンスが違うけど)なりを作って人と交わらなくて済むようにするとか今の付け焼き刃的対策と並行してでも進めた方がよいと思っています。そのための予算は出すべきでは....ちゃんと野生動物の生態に詳しい専門家もメンバーに加えたプロジェクトを組んでね。自分たちのためでもあるし野生動物や地球環境への罪滅ぼしとしてもね。
2023.11.12
人に慕われたり優しくされたりすれば嬉しいし理不尽なことをされれば 嫌な気持ちになる。それはそれだし しっかり味わえばよいだろう。 気持ちを表現して相手に伝えたっていい。でもポイントはそこではない。 一喜一憂するのも全然ありだけど 振り回されちゃダメ。私自身がどう在るのか? そこだけに振り切ることができたら きっとその方がスッキリ気持ちよく 生きられる。
2023.11.11

今日は寝具を一気に洗濯するぞーと思っていたら雨が降っていたので引越し直後に洗濯機の接続不具合でお世話になったコインランドリーへ。必要な小銭を用意して向かった筈が...いつのまにか値上げしていてお金が足りずひるみながら両替したりしているうちに通常サイズが埋まってしまった(-。-;仕方なく大量サイズでやりました。その分追加料金で_| ̄|○で、、、気分を変えて今日1日をどう過ごそう?雨だけど外に出たい気分。そこで思いついたのが、近所の神社参拝。緑の多い神社周辺は雨でも景観を楽しめるに違いない。思惑通りに神社参拝で気分UP &クリアになり前から気になっていたカフェで仕事の資料に目を通して頭に入れる。仕事時間中にできなかったので週末中にはやっておかなくては、、と思っていたけど、カフェでやるとストレスフリー100パーだす。私は外れた場所にぽつんとあるカフェが大好き♡全く同じ外観、店内、混み具合、メニュー、味だとしたら外れた場所と賑わいエリアの両カフェ外れた場所のカフェは断然高価値なのね私にとっては。あ、混み具合というのはもちろん空いている方が価値高です。あくまで客の立場の私視点ですけど。そして初めての道をひたすら散歩&見つけたカフェを梯子してマンション管理上の案件も片付ける。入居したばかりなのにマンション管理にバリバリ関わることになったのだけど私は自分の住まいを愛しているので生涯気持ち良く住み続けていきたくてガラにもなくどんどんやっているんですよ。こういうの超苦手なんだけど苦手とか得意とかもはや無関係無問題。いろいろな人がいるけど動物村は大騒ぎ、みたいな。なんのこっちゃ?ですよね...動物たちが会議していて訳分からんと思うと楽しかったりもするのですよ。ということで行きつけになりつつあるお店で地元ビールを飲みながら暮れていく今日1日なのでした。
2023.10.09
今回の引越しは、家を探し始めた時からミラクルの連続だったけど人生振り返るとミラクルが起こる時っていつも何らかのチャレンジなり行動なりを した時だったなあと気づきました。そーかー、、ミラクルってちゃんと決意して(これ最重要ポイントね!)ちゃんと行動するということとセットなんだなあと改めて認識しました。そしてその度合いってこの時代、ますますハードルが低くなってるつまり自分次第で願った現実化が起こりやすくなっているように感じています。生きている限り現実を変えるのに遅過ぎるということはなく意識を変えたその瞬間から新しい道が用意されるんですよね。今日は前のお家の最終引き上げをして大家さんに挨拶をしてきました。生涯過ごしたかったほどの素敵なお家でした。大家さんにもお家さんにも感謝を伝え、次に借りる人がこの家を心から気に入って大切にしてくれる人であるよう思いを込めました。今日でまた過去に一つの区切りをつけて昨日よりもっと身軽に前に進んでいけそうです。その前にひと休み。しばしの間ゆっくり過ごそうと思います。
2023.10.08

引越しして約10日。今日は前のお家の片付けに行った。今回の引越しでの自分自身の変わり身の早さには自分でも笑ってしまうのだけど、引越した途端、新しいお家大好き♡新しい地域大好き♡になった。住んでみて初めて気づいた良さが沢山あった。実はここ、購入を決めた時はそこまでよいとは思わなかった。昔はもっと自分は勘がよかった気がするが、そのあたりの感覚が鈍ってきたのかもしれない。でも有難いことに何か別のサインがくる。そのサインに従ってよかった、という感じ。有無を言わさないような神的流れもあったし。流れというのは私が事を判断するポイントの1つで、自分たちにとってよい家でなかったらどこかでストップが入る筈。という根拠のない確信もあった。「今」という現状に、気持ちの「今」が追いついて重なる。今回の引越しの際に大量に処分した物。それは夫との思い出の往復書簡。出会ってから何年か手紙の交換をしていた。アナログの世ならではの楽しみ方だったなあと思う。その後効率化のため交換日記に変わり、更に同居するようになってからは2人一緒の行動や予定を大きなカレンダーに記録する方式に変わった。その期間に渡る膨大な量の紙類。もはや終活を意識する歳になり、引越しを機に処分に踏み切った。あの世には持っていけないし、他人に見せる物でもないから。そうしてまた新たな一歩を踏み出す。
2023.10.01
将来はキャッシュで小さなマンションを買う。というのがここ数年の目標だった。夢というより目標や計画、予定という感じで捉えていた。ただもう少し先の話かな、と思っていた。だけど昨年の終わりに京都を旅行した頃に、家を買うことを翌年実現させようと気持ちが定まった。そして今年に入り、散歩中に気になるマンションを見つけたことを皮切りに、あれよあれよという間に流れがきて、あっという間に古いマンションを手に入れた。それこそ導きとしか思えないような不思議な流れ。決めた理由は、フィット感。家が私たちにフィットする感覚があった。分相応な感じ。分相応というのは私が大事にしている感覚の1つ。その昔夫と最初に住み始めた古いアパートは、当時いたく気に入って選んだけど、一方で「今の私たちに分相応。ここから始めるんだ」とも思った。そんな感覚で生きてきた私には、常にその時の居場所がベストだった。その居場所を満喫して、でも何故か新しい居場所に導かれてしまう。話は現在に戻り、これまで住んでいた家や地域や通勤経路までをこよなく愛していたので、なかなか引き払う気になれず、購入したマンションはとりあえずは賃貸に出すことを考えたり、事務所にしようかとか(何の事務所?って自分に突っ込みつつ笑)当面は2拠点暮らしをすることなど考えていた。その頃夫が意味深な夢を見た。当時の家の廊下を歩いていたら廊下がどんどん長く伸びていき、突然衝立が現れ、その陰からこの世の者ではなさそうな女が現れて「お迎えに来たよ」と言ったんだって。夫は購入した家を、私の比でなく気に入っていて、入居を心待ちに過ごしていて、その前に寿命が尽きてしまったら悔いを残すと感じていたようだ。さすがにそんなことで悔いを残してあの世に旅立たれては叶わない。いつ寿命が尽きるかはわからないから。という理由により入居を早めた。必要な補修や工事を経ていざ引越し。日頃の週末休みでは、自分には引越し作業ができないだろうと(年齢的体力的に)引越しのために1週間休暇を取り、その中で荷造りを始めた。その期間、ちょっと旅行に来ている感覚。時間の流れが違う。体験全てが新鮮だ。そして新しい地で初めて目覚めた今朝。ダンボール山積みの中。とりあえずは散歩に出る。ここは2駅使えて、一方は夫好みの賑やかなエリア。一方は私好みののどかなエリア。賑やかな方も嫌いではなく充分楽しめるので、夫と一緒の時はたいていそっちだけど今朝は1人なのでのどかエリアの探検。まだ「特別な時間」の中にいる。
2023.09.21
ヒュッゲって言葉をご存知ですか?私は先日北欧系のYouTubeを見ていて知ったのですが主に日常の生活の中で居心地のよい、しあわせを感じる空間や行為を意味していて北欧系の国では日常的に使われるそうです。たとえば家族や親しい人とゆっくり食事をしたりカフェや家で1人でくつろいだりする時の行為やその時間や空間を言い表わす言葉だそうでヒュッゲしようとかヒュッゲ的に過ごそうとかいう風に日常語として使われるそうなんです。まさに私はそういう時間を大事にしていて、そういう時間を意識しているからこそ益々自分のしあわせ感が増しているとも感じているので自分のその概念をひと言で表現する言葉が存在していたことに軽い驚きがありました!憩うのが好き、とか憩える空間や時間が好きとか瞬間を味わうことがしあわせとかとか、自分の感覚を表すのに言葉を費やしてみてもしっくりこないような気もしていたのですがヒュッゲ そのひと言に集約されるのですよ、私の言いたかったことが。そういうワードが普通に生活の中に浸透しているなんてさすが幸福度の高いと言われる北欧ですね!その言葉が表している通りしあわせに生きるのは自分の意識一つで実現できるんですよね。もちろんそういう形とは別の幸福感も存在することを思うと🟰ではないかもしれませんが、幸福のバリエーションが多いのはもっと素敵です♡そして日本は遥かに陽の光が多いし綺麗だし、ヒュッゲに過ごせる要素に溢れていると思います。でも、北欧では陽の光が少なくて室内で過ごす時間が多いからこそその条件下でより充実した時間を過ごすために生まれた概念とも思うとやはりしあわせを感じることに条件なんてものはないとも言えるんじゃないかと思います。自分の置かれた場所でヒュッゲに過ごす時間、意識してみましょ♪
2023.08.10
宇宙由来の魂だからだと思うのですが昔から結構、集団でいる時の他の人との感覚に違和感を感じることが多かった。いいとか悪いとかではなく感覚が通じ合わない。仲良くなる人とは通じ合うものがあるし特に仲良くならない人とでも、それが1人2人なら単に人との違いで済むのだけど集団になった時の人々の感覚に馴染めないといったらよいかもしれない。家族という集団に対しても同様。そういうことが多かったので自分が宇宙由来の魂と知った時やけに腑に落ちるものがあった。自分を振り返るに宇宙由来の魂は初めから集団に同調してはいないので集団催眠的な誘導にもかかりにくい気がする。それで集団としておかしな方向へ皆の意識が傾いてしまった時に私のひと言で皆の意識が戻るということも何度かあった。でも、とくにおかしくないことや声に出して言えないことであったとしても違和感を感じるという自分の感覚は他でもない自分へのサインでもあると思うのでどうこうするでなくてもきちんと感じて向き合いたいと改めて思う。
2023.07.30
幼い頃、自分が1つの‘個体‘として、今後の人生を歩んでいけるということに気がついてやたらとワクワクしたことがあります。自分の意思で体を動かせること、自分の体を管理して人生をプロデュースできることって自由で楽しそう♪って思ったんです。体は重さもあるし操縦するのは面倒な面も確かにあるけれど、それでも、だからこそ面白そう〜♪と、このような明確な言葉で考えていたわけではないですが当時の感覚を言語化するとそんな感じです。それにしても、個体として生きることを楽しみに思うなんて、私は生まれる前の魂だけの状態に相当飽き飽きしていたのかもしれません。生きてるだけで辛いということはよく聞くし自分のそんな感覚は何だかおこがましくて敢えて口にしたことはなかったけど私は昔から生きてるだけでワクワクする♪というのがベースです。何故ならこの意識というものそのものが、もう神秘で魔法ではないですか!なので私は何も考えたり何かをしたりしなくてもよい時間が結構好きです。ただただ意識の神秘を感じて佇んでいられる時間が。忙しい毎日、そんな時間はあまりないですが。だけど気体になりたいと切に望んだこともあり、それは苦しんでいる人や動物のそばに行き包んであげることで苦しみを癒してあげられるのではないかと考えたから。この世の何処かには、きっとそんな存在もいるんだろうと思います。でもそのような存在は相手を癒すことができたとしても、それに気づいてもらえずに孤独を感じてしまうのかな?そんなことはどうでもいいくらい相手が楽になることに喜びや満足感を感じるのかな?そんなこんなで気体になることへの憧れもありますがとことん自分の個を楽しむことは生きている今しかできないことかもしれません。
2023.07.16
命名してみました!願望実現チャレンジキット手に入れる方法は、自分の心からの願望を宇宙にオーダーするだけです。そうすると何故か実現された願望そのものではなく実現へ向けたキットが届くんです。昔は、何でかなぁ〜?手取り早く、ブツそのまま届けてよ〜、、な〜んて思ったこともあったものだけど私たちは剥き出しの魂ではないですからね、経験することが超必須なんですね。そしてその経験が願望を手にするに相応しい私自身を創ってくれるというわけです。その経験は、世間では‘試練‘と呼ばれることもあるようです。でないと、どこかでそのツケを払わなければならなくなったりするんじゃないかな?宝くじに当たっていきなり大金を手にした人が不幸な結末を迎えるみたいな?分相応って実は物凄く大事なことなんですね。そんな私は現在絶賛チャレンジ中なのでした。
2023.06.30

今日は何も予定のない休日。こういう日はなかなか貴重です。たいてい何らかの予定が入ってますからね。目が覚めたタイミングで起きて朝ごはん&カフェオレでゆっくりした後は、心の赴くままに散歩に出ました。こういう過ごし方が本当に好きなんですが、そうもいかない日のが多いからね、今日は貴重な1日です。いつもと違う路地を曲がってみたら、この先うちの氏神様の神社に繋がっている予感がして、急遽お参りすることに。この地に導かれているご縁やここ最近の幸運に感謝して、この地の自然と人々の繁栄を祈りました。ご先祖様にも感謝です。そもそも今日はそういう日ですね。そしてふらっと川沿いの桜を見に行くことにして、その途中のカフェのテラス席にて一服。コーヒーとケーキをいただきました。今年のエネルギー、叶っていくパワー凄いですよね。私の周りの人々も凄い変化をしています。と、、、。ここの管理画面がまた変わっていて、使い方がいまいち掴めず、アップせずに1日経ってしまいました!きっとまだ宇宙正月は続いていて、今日は新月。事始めの日として何か始めてみるのも良さそうです。
2023.03.21
スピリチュアル的な対外活動は今殆ど行っていませんが、仕事としてではなく唯一細々続けているのが、毎月新月の日に行っている動物遠隔レスキューです。2011年の東日本大震災をきっかけに始めたこの活動。その年の5月から一度も休むことなく続けています。今は自分のキャパオーバーを避けるため、ここに書くこともなく新たに参加者を募集することなく、それでも未だに参加してくださっている方々と動物たちに向けた祈りの時間を持ち、参加費は全て動物愛護団体の犬猫みなしご救援隊さんへの支援金として送っています。と。ここまでは前振りですがその祈りの時間を持つ時に、ついでな感じで?私たち自身へのメッセージを受け取ることがあります。で、今回(12月23日)のメッセージをシェアしたいなあと思いました。地球のステージが変わります。それに伴い世の中は一層混沌としてきます。新しいものはいつも混沌の中から生まれてくるからです。そう思うと混沌ですらワクワクの対象にもなり得るなあと感じました。何が正しくて何が正しくないのか、どちらへ行ったらよいのかわかりにくくなってきます。ここで大切なのは周囲の情報に惑わされないようにすること。皆がそちらへ行くから自分もそうするという動き方ではなく、入ってくる情報を鵜呑みにするのではなく、一度自分の心のフィルターにかけてみることが大切です。正解というものはそもそもないのですが、強いて言えば自分の中に答えはあります。今、そしてこれからは自分自身と繋がることがめちゃめちゃ大事になってきます。自分がどう感じているのか、自分の感覚を研ぎ澄ませてくださいね。それと、紛らわしいのですが、自分の感覚を大事にするといっても、自分が何に反応しているのかということもポイントです。もしかしたら、自分自身にとってそれほど重要でないことに反応している場合もあります。その反応はあなたの幸せにとって必要ですか?どんな自分でありたいですか?1人になって自分自身と繋がる時間を持つことを習慣にしてみてくださいね。とはいっても、間違いというものはないので、選択を後悔することがあったとしても、それを学びとして、そこからまた進んでいけばよいということです。1人1人がどんどん自分自身になっていく時代です。自分自身に忠実であるより、周囲に流されてしまう方が楽だと感じることも多いかもしれないですが自分を主人公として、自分自身をプロデュースしながら唯一無二のオリジナルを生きる方が人生断然楽しそうですよね。どんな時も自分自身を生きること、練習してみてください。練習なので完璧でなくて全然いいんですよ。自分自身を生きるということは自分だけの濁りのない音を奏でるということ。1人1人が自分だけの音を響かせることで他の人たちの音と響き合い、地球が美しいハーモニーを発して愛と美の星になっていく。それが私の受け取っているビジョンです。
2022.12.31
京都の東寺に行った。講堂の仏像が凄い迫力。中でも大日如来像が別格の大きさで、そこに来ると、皆さん自然と手を合わせていました。大日如来像を眺めていたら、自分の中心奥深くへと入っていったのですが、そこに扉があり、その扉をそーと開けると....眩いばかりの黄金の光。愛と真理の光。ワンネスの光。それこそが大日如来様...らしい。(あくまで私個人の感じ方です)自分の中心奥深くに扉があり、その向こうは宇宙の中心と繋がっている。そんな体験をしたのでシェアします。
2022.11.27
いつのまにか以前のように、このブログの管理画面にアクセスしやすくなっていたので、昨日に引き続き今日も書いてます。ところで皆さんはブルーレイスターシードってご存知ですか?私はこれまで全然知らなかったのですが、ある時青のサインが立て続けにきて、あー今、何だかよく分からないけど青がきてるな〜と意識に上るようになったところで、たまたまネットの画面に「ブルーレイスターシード」のワードを見つけ、ビビビときて調べてみて初めて知りました! 私のガイドって、鈍い私に知らせるためによくこのような2段階方式で伝えてくれることが多いんですね。それも、一度の青のサインでは全く気づかないので、繰り返し青を見せてくれて、私が「ん?」と気づきかけたところで次の段階へと。ブルーレイスターシードというワードがいつからあったのか分からないですが、なんで今頃?とも思うけど、きっと知ったその時がタイミングだったのでしょう。つまりこれからなんですね。ブルーレイスターシードとしての生き方が求められるのは。とはいえ、これまでも宇宙魂として生きてきた側面もあり、そこら辺あまり変わり映えしないようにも思うけど、同じ仲間が沢山いるんだとわかってテンションあがりますな感じはあります。エネルギーがより軽くなるというか。 以下は全て他の方の受け売り情報なので、興味のある方はご自身でも調べてみてね。ブルーレイスターシードとはスターシードの一種とのこと。スターシードとは、地球のアセンションをサポートするために、宇宙から転生してきた魂のことで、インディゴチルドレンやクリスタルチルドレンはよく知られていますね。ただブルーレイスターシードはインディゴよりも早い生まれのことが多いらしい。ざっくり1940〜1970年代生まれに多いらしいですよ。自分は明らかに宇宙魂なのにインディゴより年齢もいってるし、タイプ的にもどう考えても当てはまらないからそういうカテゴリーには入らないんだ...と思っていた方、ブルーレイスターシードの可能性大です!私もそのクチでした。スターシードの人口比率ですが、70人に1人くらいとか。うーん、少ないんだか多いんだか?クラスに1人いるかいないかと思うと少ないけど、全人口で見ると少なくはないですよね。それに新しく生まれて来ている魂はスターシードが多いとのことなので、将来的にはもっともっと増えるんじゃないかと思います。その中でのブルーレイスターシードが生まれ育った時代は、まだ世の中的にもスピリチュアルがあまり知られてなかった頃なので、目覚めるきっかけに恵まれないこともあったかもしれません。また、先駆的役割もありながらも孤立感を抱えて生きてきた人もそれだけ沢山いるのかもしれません。タイプ的なことでいうと、全スターシード共通の性質に加え、目立たない控えめな人が多くて世の中に合わせてやっていく忍耐力もそれなりにあり、自分の主張のためになかなか妥協しづらいインディゴとは異なり、平和主義らしい。根っからのヒーラー気質で、その場にいるだけで周囲の人を癒やしている。そのために低級霊を引き寄せてしまいがちな一面もある。ここらへんのくだり、まさに私に当てはまるので、真っ先に書いてしまいました。個人的弱点だと思っていたことも、ブルーレイスターシードのタイプがそうなんだと知ると、自分を更に受け入れやすくなるように思います。それから家庭事情が複雑な人が多いらしい。まあ私も闇の多い家系の生まれです。悩んでも仕方ないので悩んではいませんが。自分がブルーレイスターシードとわかってよかったのは、自分の弱点を以前よりも受け入れやすくなったこと、世の中に仲間が沢山いることがわかったことが大きいです。以前ももっと大雑把には仲間がいることを知っていましたが、ブルーレイスターシードとしての仲間がいるというのとでは段違いな気がします。今後の使命ですが、特に意識して何かをするというものはないそうで、この緩さもいいですよね。何しろいるだけで周囲の波動を上げたり、相手を癒したりできるので。ただその能力をより発揮するために、自分を大切にして、もっと自分優先で生きてよいし、遠慮したり自分を低く見せたりするのはほどほどにした方がよいようです。それからブルーレイスターシードは自分のエネルギーチャージのために、子どもの無邪気さに触れる時間を日常的に持つといいんですって。保育士の私が、時に激務でも疲れ方がそれほどでもないのはそーいうことだったのか!!!子どものためと思っていますが、子どもからもらっているものももちろん多いとは思っています。でもでも、思っていた以上に子どもからもらっていたものの方が多かったとは!!今回はブルーレイスターシードについて書いてみましたが、参考になった方がいらっしゃったら嬉しいです。そうそう、覚醒を体験した人が急激に増えていますよね。それで私も、リアルで覚醒についての話をしあえる機会に何度か恵まれるようになり、とうとうそういう時代が来たんだなーと感じています。なので今後は、このブログで覚醒についても触れていきたいと思っています。
2022.11.19
ひとりで憩うのが好きだ。基本ぼーっとして生きてきたけれどいろいろ世の中のこととか人生のこととかわからないながらもわかってきてからぼーっとばかりしてもいられなくなった。だから敢えてぼーっとする時間をつくる。緑の中を散歩したりカフェで温かい飲み物を飲んだり。そして「今」を感じる。そんな時の不意な発見。雲だったり光だったり。
2022.10.08
人生でしあわせでなかったことってあまりない。私がそんなふうに思えているのは亡き父の影響で、父はしあわせとは手の届かないところにあるものではなく自分がそうだと思えば得られるもの。今ここにありそれを得るも得ないも自分次第てあるということを教えてくれたお陰だ。だから私はたいていいつでもしあわせだったしこの先もそうあり続けるという確信のようなものが、いつも心の根底にあった気がする。今この瞬間を味わうことこそがその秘訣だ。
2022.03.13
やっと入れた、ログインできた!ここ何週間も何故かログインできなくなっていた。書きたいことたくさんあったのになあ。もう忘れたなあ。今日は久々にログインできた記念。元気です!また書きます!
2022.02.09
最近引越しをした。 突然そのタイミングが来て 急ピッチで物件を探した。 ちょうど更新前で 期限が迫っていたこともあり 内見一件のみで決めてしまった。 というか、 我が家のニッチな需要を満たす物件が やっとのこと一件のみだった。 前の家も大好きだったし 無理に引越すこともなかったんだけど 流れというか勢いというか、タイミングだったんだなあと思う。 といってもその一件に 物凄くピンときたわけではなくて、 まあこんなものかで決めたけど 引越してみたら家にも周辺にも どはまりしている。 少しずつ部屋づくりを していくことや 近所散策して駅までの近道や別な道、 いろんなお店や カフェや公園を見つけたりするのが 滅茶滅茶楽しい(*≧∀≦*) 新しい家では合わなくて これまでの習慣が変わったりしたこともあり 大袈裟にいうと価値観や文化の変化ってこういうことでもあるんだなというか 引越ししたくらいでこういう変化があるくらいなので 広い世間を自分の価値観だけで見るのはおかしなものなんだということを つくづく思ったりした。 新居は前の家からそれほど遠いわけはなくで 知っているつもりの地域だったのに 住んでみて初めて知ることがたくさんあって そういう一つ一つがとても新鮮だ。 仕事へ行くのもバス通勤に変わり、日々ちょっとしたドライブ気分。 今日は用事があって 電車で役所へ行ってきたけれど 帰り道、電車を使わず 初めての道を歩いてみたら 風変わりなカフェを見つけたので すかさず入る。 そんなことに 滅茶しあわせを感じている。 去年の終わりぐらいから いろいろなものに終わりを告げていたけれど、 この時期は自分にとって、やはり大きな転機だったんだなあと思う。
2021.09.26
変化というものは常ではあるけれど 必ずしもよい変化悪い変化があるわけではない。 ただただ“変化”があるだけ。 それだけがこの世の真理。 その中でいかに過去を手放し、現在において喜びや幸福を見つけるかは自分自身だ。 最近そんなことを思う。
2021.08.08
ぼのぼのの呟き どうして、楽しいことは終っちゃうのかなぁ。。。 この言葉はこの世の真理をついていると思う。 私たちは常に移ろい流れる。 そこから逃れることはできない。 ではどうしたらよいかというと、一瞬一瞬今を精一杯味わいながら生きるしかないなあと思う。 でも永遠である私。というのもある。これも真実。 私たちは時間をまとった永遠なのだ。 若い頃はこの2つのバランスが取れなくて「永遠」の方を忘れようともがいた。 「永遠」が強烈過ぎて 何に対しても達観できてしまい、大丈夫過ぎてしまう自分を何とかしたかった。 でないと生きている意味がなかった。 でも今は、その2つそのままでいいんだと素直に思う。 簡単なこと。 自転車に乗れるようになるまでは大変だけど乗れるようになれば簡単になるのと似ている。 乗りこなせるようになるまでは長かったけれど、それもまたしあわせな体験だ。 その時その時で泣いたり笑ったり苦しんだり。 そうしながらもちゃんと永遠の自分でいればいい。
2021.07.25
ある卒園児の話。 数年前の「お弁当の日」を 小学生になった今でも楽しい思い出として その時の「お弁当券」を大切に持ち続けていると聞いた。 感じてもらいたかったワクワク感。 ちゃんと伝わっていた。 嬉しい!
2021.07.25
自分が何故保育士になろうと思ったのか長い間自分でも謎だったけれど 理屈ではなく直感だったんだなあと改めて思う。 学生時代を私は満喫しきっていたけれど 恐らくだからこそ ある時から自立への強い欲求が湧き、仕事というものを持ちたくなった。 進学を選択したのもそのためで、自分が何を為す人になるかを決める前に まだ何者でもない立場で、視界を広げることをしたかったからだ。 そして仕事を持ちたい気持ちが湧いてからというもの、自分に問い掛け続けた。 どんな仕事なら、人生の大半を費やす仕事において打ち込む気になるのかを。 保育士になりたいという思いは、その問い掛けへの答えとして、閃きとして、やってきたんだと思う。 子どもと接する場面があったわけでもなく、そういう人が身近にいたわけでも、そういう本や話や映画などに触れたわけでもなく まるで気まぐれみたいだったけれど その思いは小さな消えない炎となって、私の中にあり続けたのだから。 敢えていえば、私は子どもに初めから興味があったわけではないけれど、その頃子どもの本を読むのか好きだったということはあるかもしれない。 または母性というか、親性の変則形という側面もあったかもしれない。 というのは、私は自分の子どもを持ちたいという欲求に駆られたことがない。 それは、血筋というものが自分にはちょっと生々しいというか、きつ過ぎたからで、 それでも動物的な?母性または親性を注ぎたい欲求はあったのかもしれず それが保育の仕事に就きたい思いとなって現れたのかもしれない。 その頃保育園と幼稚園の違いも知らなかったが 友達に話したところ、 保育園なら働く女性を助けることもできるよと教えられた。 実際調べてみて、保育園と幼稚園では管轄が異なることを知り 保育士の方は学校に通い直さなくても国家試験でも資格を得られるとわかった。 既に大学4年生だったので、再び学校に通う気はなかった。 ちなみに私は一般的な就職活動といものをしたことがなく、大学の進路指導やら進路相談やら就職説明会なども受けたことがなく 自分のやりたいことが一般企業にはないことだけははっきりしていた。 既に実家は出ていたし、卒業後は保育などのバイトで自活して全て自分でやり繰りしていたので 保育士になったことは親には事後報告で、父親には、大学まで行かせて子守かよと嘆かれはしたけれど あなたの娘は大学へ行かせてもらえたことも、まわり道をして保育士になったことも本当に感謝しているし、満喫して、幸せな人生を歩んでいます。 と、亡き父に言いたいところだ。 大人になって思えば裕福な家庭というほどでは全く全くなかったのだが、結構ちやほやと 物資的にもメンタル的にも豊かに育てられたせいか 元々物欲のない子どもだったらしいのでそれもあるかもしれないが そっちの世界はもうお腹いっぱいというか 育ちのその反動が物凄く出てしまい 自分でも何様?と思うのだけど ずっと貧乏が憧れだったので 大人になってからは、ギリギリのお金で何とかやり繰りせざるを得ない状況になるほどワクワクしてしまい それをイベントとして楽しめてしまうので お金がない時も楽しかったし お金を得る大事さもだんだんわかってきたお陰で、そっちも楽しめるようになった。 その頃は世の中の景気がよくて、認可園の給料は公立に準じていたし 私は保育科卒でないにも関わらず大卒待遇にしてもらえたし 着々と昇給もしたし 転職しても元の園で昇給した給料をそのまま引き継げたので 今より全然恵まれていたとは思う。 ボーナスも退職金も気前がよかったし 給料からの天引き率が今では考えられないほど低かったので 手取り額がとにかくよかった。 仕事も正規職員の数が充実していたので質が保たれていたし それから私の記憶違いでなければ 昔の8時間労働は8時間のその中に休憩時間もきちんと含まれていたので 仕事量的にもかなり余裕があった。 要するに、税金でまかなわれている保育士の待遇というのは、社会の景気とかなり密接に直結しているのだ。 といっても、当然のことながら、無認可園や未認可園はその頃でも給料ががくんと低く、仕事内容的にもきつい面はあったが なにしろ若くて体力もあったし 好奇心も旺盛だったので そういう園で働くのも好きだった。 給料面は結構どうでもよかったし そういう園では子どもの境遇が多彩で認可園では出会えないような子どもと接することができたので、面白かったのだ。 その頃は国家試験で資格を取る人はそれほど多くなかったし、保育士の退職率や転職率も低かったので 私のように社会に出てから資格を取り、様々な園を経験したというのも当時はレアケースだった。 それこそ無認可のベビーホテルから家庭保育園(保育ママの補助)、ベビーシッター、スポーツクラブの保育所、公立私立の認可保育園、ダウン症の子の保育など、何でもやった。 そんな風にして得た、念願の保育士生活だったけれど、ある保育園を6年ほど勤めたある時、 0歳児クラスで担任を持った子どもたちが卒園するタイミングで これまた突然閃いてその年度いっぱいで退職した。 新しいことが始まる予感があったけれど何もしない時間というのも体験したくて 失業手当が出終わるまでの1年間は何もせずのんびりしようと思った。 でも半年も経たないうちに新しい世界と出会ってしまった。 それがスピリチュアルな世界で、 失業手当が切れてしばらくは保育士を再開しながらヒーリングを学び ヒーリングセッションで開業してからは13年間それで生計を立てていた。 もう二度と保育園には戻らないだろうと思っていたのに 再び私は保育士をしている。 以前にも増して新鮮な思いを持って。 保育とヒーリング、この2つの仕事に出会えたことは、私にとって人生における大きな幸せの1つだと思っている。
2021.05.30
人生がかなり後半になってきたせいか最近はわりと安定志向なのですが 今年はちょっと違って久々に転機の兆しです。 そういう時って特別なサポートが入るようで 変化というのは幾つになっても楽しいものだなあと 安定志向だった筈がたぶん今だけ変化モードになっています。 馴染んできた場所が急に色褪せて見えたりね。 ということで、セッションルームはほぼ撤退して 新鋭ライトワーカーのフェアリーちゃんに譲る見通しになっています。 サイトも閉じてついに私のヒーラー人生も完全に幕を閉じた感じです。 これまでは、予約が入ればお受けしていたんだけどね。 そして保育士人生が新たな段階に入ることになり、ワクワクしています。 これからは、大好きな保育の仕事1本に絞って緩やかに過ごしていきたいと思っています。
2021.05.16
新型コロナで世の中変わりつつありますが これからの時代で必要なのは 自分の軸をしっかり持つこと 所属感覚で安心を求めるのではなく、個人と個人が愛で繋がっていくこと 自分の気持ちに正直に生きること この3つではないかと 私なりに思っています。 令和が明けた時に 皆が自分の中の「神」と繋がる時代が到来したということを書きましたが それを噛み砕いて云うと そういうことになります。 それが新型コロナウイルスがきっかけで加速されているのは そう来たか〜〜!と思ってしまいますが。
2020.05.17
今年は年が明けた途端、 周囲の人たちが面白いように本性をあらわにする出来事が立て続けに起こり ああ今年はそういう年なんだなあと思っていたらコロナ騒動が勃発して、 集団レベルでも同じようなことが起きている。 うん。きっと今ってそういうときなんだなあと思う。 こういう時こそ 自分の軸に立ち返る絶好のチャンスだと思う。 コロナに侵されるより大切なもの、 大事にしたいもの ハートの中に見つけよう。
2020.03.31

先日のお花見散歩で 道端に落ちていた小枝。 ツンツンしたつぼみが花開きました!
2020.03.26
保育園の発表会が終わった。 会場の都合上、年明けすぐの企画となってしまい 通常の保育業務をこなしながらの準備のため ここ2週間ほどろくに睡眠が取れていなかった。 なのに自分のこの体力はいったい何なのかと思う。 いやいや、そうじゃない。 自分で意識を入れてやると決めたことって 自分の力だけではない、天から補給されるエネルギーがあるのね。 自然と天にプラグが繋がるようだ。 あ、ヒーリングするときは意図して そうしてたっけ。 ヒーリングのそういう方法って 普通に事を為す時も使っていることだったんだ。 何だかそんな体験だった。 でも、物理的にきちんとエネルギー補給することは一番大事なので これからたっぷり睡眠を取って、ゆっくり休むことにします。
2020.01.19

夫が唐突に聞いてきた。 「フジ」って言葉、心当たりある? 私「ない」 夫「寝言で嬉しそうにフジ、フジ、フジ〜〜!て言ってたよ」 えー、、全く覚えてない!! 翌日、友人のおうちカフェに行き、カレーライスを注文したら 年始だからちょっと遊んでみたよと あ、富士だ! その後どれにする?と聞かれ、 適当に選んだコーヒーカップが あれ、これも富士山? テーブルに運ばれて目の前に置かれるまで気づかなかった! 一緒に来ていた別の友人に 「ぷーりさん、富士きてるねー!」 と言われ、初めて夫が言ってた寝言の話を思い出した。 で、また別の友人が ブログを始めたいがやり方がわからないと言ってきたので携帯借りたら トップ画面富士山じゃん! てな感じの 富士、富士、富士〜〜! な一1日だったのでした。
2020.01.13
今年は、私の中で、ヒーリングセッションよりも保育士の仕事に、 これまで以上に気持ちの比重が傾いた年でした。 今後は純粋に、保育一本でやっていこうと考えたり。。。 それでも、ヒーリングセッションを行うと クライアントさんと共に過ごさせていただく時間にとても貴重なものを感じ あー、やっぱり私はこの仕事、好きだなあ〜と感じもして。 先日私が受けた、フェアリーちゃんのセッションでは 私はヒーリングセッションも保育も、同じ根っこの意識から行っている ということを改めて言われたりもして。 自分の中で、スピリチュアルをもっと保育の仕事に落とし込んでいきたいと思ったりしました。 これはきっと来年の課題だなあ。
2019.12.31
先日出掛けた時の道中の出来事。 小さな女の子を連れたお母さん。 人混みの中で子どもに問いかけました。 迷子になったらどうする? ちゃんと自分の名前と、お父さんとお母さんの名前言える? 子どもは少し沈黙した後こう言いました。 えー、、でもそれ、個人情報じゃん! 思わず振り返ってしまいました。 だってまだ、就学前か、せいぜい小学校低学年くらいの子ですよ。 んー、さすが現代っ子ですねー! と感心してしまった出来事でした!!
2019.12.31

この連休を利用して旅行に来ています。 埼玉県の深谷に行ってみたいというのがそもそもの発端。 初日は古い街並みを散策。 そして翌日。 線路の引込み線跡に作られた遊歩道を歩き、ひたすら小山川を目指します。 途中の風景も素晴らしい。 これはねぎ畑。 有名なレンガ工場跡へも立ち寄ってみました。 「恋は緑の風の中」という映画のロケ地にもなった小屋というか、 元変電室。 そしてそこを越えるとついに小山川到着。 この開放感、最高でした! で。改めて地図で見て、深谷って群馬県との県境にあるんだーと知り それなら群馬県にも足を踏み入れてみたい、ということで急きょ高崎へ。 駅前の発展ぶりにびっくり! さすが新幹線の停まる駅!! そしてやってきました。榛名山をトコトコバスで登り、榛名湖です。 向こうに見えるのは榛名富士だそうです。 山の上だからか結構紅葉していました。 深谷とはまた、全く違う風景です。 帰りのバスでは、2度ほどちょっとした渋滞に巻き込まれて時間が遅れたせいか 途中何と”トイレ休憩”がありました! その後は飛び入りの宿で温泉に浸かり、のんびりしました。 旅行は、私にとって日常の時間からどっぷり外れることのできる特別な時間。 そうして日頃抱えていた雑多な思いや感情をリセットすることで また新たに日常の中へ戻っていけるのだと思います。
2019.11.04
さて逆立ち、続けてますよー! 体のコリにかなり効きます。 職業上、定期的に整体に通っているけれど、以前ほど通う必要を感じなくなってきました。 顔のリフトアップには、効いているのかいないのか、正直よくわからないけれど 顔の皮膚が活性化している触感はあるので 効いているのかも? それから私は日々プチ祈りみたいなことをしていて こうなって欲しいと思っていることを心の中で唱えているのですが たったそれだけのことなのに 具現化がどんどんやってくるーー! やり方はもっと凝った方法もあるのですが、今の私はそこまで手間ひま掛けられないからただ願うだけ。 嫌だと思うことは、嫌だに留めず、じゃあどうなって欲しいのかにフォーカスして 素直にちゃんと、ストレートに願う。 コツはこれだけ。 ただし心の底ではあまり願っていなかったり 全く別のことを望んでいる場合は効力を発揮しません。 だから自分自身ときちんと向き合う。 これはもう前提です。 ピンときたらやってみてね☆
2019.11.01
久しぶりにチベット体操について。 といっても今回チベット体操は前振りです。。 一時は15回まで漕ぎ着けたチベット体操ですが、何かと忙しい日々が続くと、続けるのが困難になり 睡眠時間を確保するのも重要課題となってきて 自分なりに無理なく続けられる回数として 今は各体操を、毎日7回ずつ行っています。 それでもチベット体操を続けていると、思わぬ衝動が湧いてくることがあり 先日はふと 逆立ちをしてみたくなりました! あ、逆立ちと言っても、壁に向かってです(笑) 昔一時やっていたことがあるのですが それから年月も経ち、歳も取り もうできないだろうと感じていたのですが 最近になって、できそうな気がしてきたんですね。 チベット体操を続けていると、そんな風に 体の内側から、何かが湧いてくることがあります。 逆立ち、最初はほんの少しだけど勇気も必要で ちょっとだけきつくもあったけど 2回目からは嘘のように軽々できるようになりました。 で、感じたこと。 引力の凄さ!! 頬の全お肉が一斉に引力で引っ張られるその度合いたるや 数年前の比ではなく、、、笑笑!! 普段はのべつまくなく、逆立ちした時とは逆方向にこの力で引っ張られ続けているのだから たるんでくるのも至極納得。 、、、て、数年前に逆立ちのマイブームだった時にも 全く同じようなことを書いた記憶が┐(´ー`)┌ ですが、それから更に垂れたんだろうな、、と 感じるくらいの大量の皮膚が引っ張られる感覚があるのです。 確か数年前も、やはりチベット体操を続けていたことで逆立ちやりたい欲求が湧いてきたんだっけ。 のべつまくなく下に向かって引力に引っ張られている顔の皮膚を 1日に1分やそこら逆方向に力を加えてみたところで 引き上げ効果はたかが知れているかもしれないけど 逆立ちはどうも私の体が求めていることだと思うので 今回も、その体の声が続く限りはやり続けてみようと思います。 今の生活を続けながら、チベット体操の回数を増やしたり、他の運動をプラスしたりはなかなか時間や余裕が取れないけど 逆立ちだったら気軽にできるし、体がスッキリして体幹が鍛えられてくる感じもあります。 そうそう、逆立ちのお手軽感(予想効果対比)の優秀さは右に出るものがないかもしれません。 まああくまで効果に関しては、今のところ予想の範疇ですが。 更には顔の引き上げ効果もあるといいな、と期待しつつ。。。 そちらも感じることがあれば、また書きたいと思います。
2019.09.07
ブログというものを始めて丸14年経過した。 とにもかくにも、生まれて初めて書いたブログがここで、今も唯一続けているのもこの、光のはしら通信だ。 と、ここまで3月に書いてて放置(。-_-。) 今日は5月1日。 令和が明けたばかりなので、ご多聞に漏れずということで、令和について書いてみようかな。 いやあ天皇の生前退位での改元て、明るくてよいですね。 このお祭り騒ぎを見ていると、つくづく日本人て昔から変わらないんだなあと思ってしまいます。 さすがに平成の時は、天皇が崩御されての改元だったから、もっと厳粛な雰囲気だったようなおぼろげな記憶がありますが。 で、令和ですね。 令和の「令」は神様のお告げという意味があるそうですね。 それを聞いて私は、神って突き詰めるところ自分の中にいるものなので、 1人1人が深く自分の内側と繋がってその声を聞く。 1人1人がその声に従い、唯一無二の自分自身を生きることを通して周りと繋がり、和を成していく。 そんなことを求められている時代なのではないかと思いました。 とってもスピリチャルな時代到来ですね。 以上私なりの「令和」の解釈でした!
2019.05.01
(いつかの記事の続き)資格を取るための勉強をしながら保育園でアルバイトを始めた頃の私は 「昨夜11時までかかって今日の流れを考えたんだけど---」 とか 「昨日家で書類を書いてて気づいたんだけど最近の○○ちゃんて---」 な類の保育士さん同士の会話に わ〜何だかプロいな、と感動し 保育士への憧れを募らせたものだった。 (我ながらかわいいね笑!) ベビーホテルや無認可の小さな園では、正職員の人たちは、給料や待遇の悪さから満足していない人も多かったが、若い頃の私はそういうことに無頓着で どんな形態の園であっても、そこに子どもがいるという点でやりがいのないところはなく、他ではないその園ならではの自分のやりたいことが見えていた。 実際ベビーホテルや無認可では正職員と同じ時間と責任で働いた。 ベビーホテルでは園長による子どもの虐待もあったが、保護者と協力して園長の反省を促すなんてこともしたし。 保護者はそんな園長だとわかってはいても、世間にまだ長時間保育や夜間保育をしているところがあまりなく、子どもを預けざるを得ない、切実な事情のある家庭が大半だった。 保護者たちのそんな話を聞き、辞める覚悟で園長との話し合いの場に挑んだ私は、ツラの皮を厚くすることに決め、退職を思いとどまったのだった。 さすがに直接被害にあった子はやめていったけれど。 保育士の転職があまりなかった当時、様々な園で働く機会を持ち、資格を取って正職員となってからも幾つかの園を経験したが 職場が嫌だという理由で辞めたことは一度もなくて いつも辞めざるを得ない何かが起きて転職していた。 そんな感じで、当時では珍しい、豊富な転職経験を、転職活動の際にはちゃっかり売りにもしていた。 当時としては、年齢というものも転職の際にはマイナスポイントではあったが たまたま私の経歴を面白がってくれるオーナーさんと出会ったお陰で、何とか再就職をクリアしていた。 そうはいっても、正攻法しか受け付けない保育園も普通に多くて そういう園では箸にも棒にもかからなかった。 この世はまさに捨てる神あれば拾う神ありなのだ。 今でも時折、かつて勤めたことのある保育園をあれこれと思い出したりしては、愛しく感じたりしている。 (いつの日か続く、、かも?)
2019.02.20
フェアリーちゃんのチャネリングにて 覚醒体験について興味深い話があったので、シェアします。 まずはひと口に覚醒体験、ワンネス体験といっても、その体験は人によってまちまちなんだそうです。 巷では、そういう体験さえすれば、抱えている問題が全て解決したり、その後もずっとハッピーでいられるような印象を受ける情報が目立ちますが、そんなことはさらさらなく 出回っていない情報の方が多いとのこと。 そういう体験をポジティブに語っている人も、その後バッドな状態に陥ってしまうこともあるけれど、そちらの方の話は出にくいのだそうです。 魂とハートと思考のうち、魂だけが強力になってもアンバランスとなってしまいます。 覚醒体験自体は素晴らしいものではあるけれど、それはその瞬間だけのことに過ぎない。 その体験を日常に落とし込むことができてこそ、その強大なパワーを活用でき、意味のあるものになるのですが ワンネスの体験は非常に強力なエネルギーなため、消化するのが大変で、リスクが大きいということです。 ということで、そうそううまい話はないということなのでしょうね。
2019.02.06

お勤めを始めてからというもの、結構な期間 まともに掃除というものができなかった。 シフト制で働くというライフスタイルには 実は未だに慣れきってはいない。 それでもある程度は徐々に要領も掴めてきて 気掛かりだったクローゼット周りの片付けを済ませたことを皮切りに 去年ようやく我が家の掃除が正常化した。 正常化と言っても、週一程度ではあるが ここまで来るのに数年を費やした。 それでようやく実現できたのだ。 それはシーズー犬トンちゃんとミョンちゃんのクローゼットコーナーを作ること。 トンミョンが生きていた頃は、そんな余裕も発想もなく 服はいつも畳んで籠の中にしまってあった。 だけど取っ替えひっかえ出しては着せたり 洗濯しては干していたので あの頃はそれで申し分なかったけれど 今となってはわざわざ取り出す機会もないし かといって捨てられるわけではない大事な宝物に変わりはない。 恐らくは自分自身の服の整理ができたおかげで 閃いたのだ。 次はトンミョンのクローゼットだと。 完成〜!
2019.01.20
LGBT問題がクローズアップされたりして 世の中変わったなあと思う。 保育園でも、子ども自身から出された男の子らしさ、女の子らしさの表現を、わざわざ外す試みはしないまでも こちら側からは性差による決めつけをしないように気をつけている。 昔のことになるが、学生時代私は、婦人問題を考える会というサークルに所属していたことがある。 婦人問題という名称がもはや古典だが 要するに社会に出た時や家庭内での男女の不平等を考えることが会の一応の主旨だ。 の筈なのだが、、、 メンバー構成がそもそもその枠を超えていた。 純粋に女性差別をなくしていきたいと考えていたごく僅かな学生のほか そういう女子学生に惚れて彼女目的で入部した男子とか 女子になりたい男子とか バイセクシャルとか 隠れ蓑的に左翼のセクトもいて そちらの勧誘目的で在籍していたり ただの女好きとか (彼曰く女の子が好き過ぎて、女の子が直面する問題にも無関心でいられなくなったらしい) とにかく多彩で 一つのテーマを話すにも、立場や視点や裏の動機が一人一人違い過ぎて カオスというか、一向にまとまらない感じが、 人的環境はどちらかというと雑多好きな私には、まあ面白かった。 そんななので、セクトの人たちの目論みもまるで意味を成さず。笑 その頃、マスコミにはいかにもな感じのお姉系な男子が取り上げられたりはしていたけど 一般人の中にはもっと自然な感じのトランスジェンダーもしっかり存在していて 自らの問題と真面目に向き合っていたのだった。 物心ついたころからの生い立ちから、どのように自覚があり、性の嗜好に気づいていったのかなど、 結構深い話もし合っていた。 女子になりたいその彼は 男の子の格好をしても女の子の格好をしても 中性的な感じでナチュラルに似合っていて 言葉づかいは同じ、自分のことも「僕」で通していたので 女の子の格好の時は、ボーイッシュな女の子という感じだった。 でも、彼自身は変わらないのに 男の子の格好をした時と、女の子の格好をした時では 周囲には全然異なる扱われ方をするらしく 女の子の格好をすると、世間がいかに女性蔑視をしていたり 女性を性的に見ているかが肌でわかると言っていた。 それでも利点はあるらしく 彼は機械系、理数系思考が得意で普通に男並みの力仕事もいけたので 男子の時にその能力を発揮しても当たり前に受け入れられるけど たまたま女子でいる時にその分野で問題が起こり ささっと解決してしまったりすると、物凄く賞賛されるのでちょっと嬉しかったらしい笑。 当時はLGBTを社会問題として扱う風潮が、殆どなかったので 個人でそういう問題を抱えている人たちが、このサークルに集まってきていたのだ。 あれから時は流れたが、性的に少数の人たちが、少しは生きやすい世の中になってきたのだろうか?
2019.01.20

新年あけましておめでとうございます。 今年が生きとし生けるものにとって 幸多い年になりますように。 今年もよろしくお願いします。
2019.01.02
ポヘミアンラプソティという映画が大ヒットしている。 去年私も観に行く予定があり、物凄く楽しみにしていたのに、ある事情があり、未だ叶っていない。 クイーンのポヘミアンラプソティという曲は、5年前にシーズー犬トンちゃんの密着介護をしている時によく口ずさんでいた。 いたく共感するものがあり、その頃の自分の境遇と重ね合わせては、何とも言えない思いに心かき乱されていた。 それは何かというと、ある運命的な出来事が起こり、もうそれ以前には戻れなくなってしまった状況 過去と現在を隔てるその出来事は、一見薄い壁で出来ていて 何とかその前の状態に戻れたり、なかったことにできそうな錯覚に陥りそうでもあるのに 絶対超えられない壁として、過去の世界を隔てる。 過去のほんの些細な、何でもない日常のひとコマが、 もう決して手の届かない、眩し過ぎる光を放つ。 そうなった以上現実を受け入れて、道はなくとも前に進むしかない、悲壮な覚悟のようなもの。 そんな心境をこの曲から感じ取り、その頃のトンちゃんと重ね合わせていた。 私はクイーンのファンではなかったし、 この曲がどんな背景のもとで作られたかも知らないけれど その後のフレディの晩年を象徴しているようにも感じていた.。 でもね---。 トンちゃんのこと 今振り返るとまた違って見える。 「それ」以前と以後にあんまり隔たりなんて感じない。 以前も以後も、トンちゃんの生涯という連続性で貫かれている想いの方が強いのだ。 密着して過ごした最期の日々は 特別ではあったけど 今はもう、愛だけが確かなものとして残っている。 それは今もこれからもずっと トンちゃんと私の中に存在し続けるてあろう絆だ。 https://ameblo.jp/tonmyon/entry-11764576303.html
2019.01.02

放置していた鉢に草が生え ある時その草がぐったりうなだれていたので 思わず水をあげたらみるみるシャキーンと蘇ったものだから 以来毎日水をあげるようになってしまった! 雑草とはいえこの暑さで鉢生活は辛かろう。 結構背高さんになりました!
2018.07.24
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