PUTIT~ココロとカラダのプチサプリ~

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2005.01.17
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カテゴリ: つれづれ
10年前のあの日・・・阪神大震災の日。

きっと関西人以外は風化しつつある出来事でしょうね。
今でも、 阪神淡路大震災 阪急電車の全記録 ドキュメント1405日【DNN-709】 =>20%OFF!《発売日:04/08... は思わず見入ってしまいます。

私はその日のその時間、新潟にいました。
高校の修学旅行で、妙高高原のスキー場に来ていたのです。
16日に出発して、17日から本格的な実習が始まるため、わくわくしながら熟睡中でした。
朝起きて、朝食の時間、先生から挨拶がありました。

なんだか神妙な顔つきで「みなさんにお知らせがあります」と言うのです。

私の通っていた学校は、毎年、神戸新聞の「修学旅行だより」というコーナーに旅行中の様子を載せていました。
その当日も、先生が神戸新聞本社に電話して、修学旅行の様子を伝えようとしたそうです。
ところが、電話が通じない。
何が起こったのかと思っていたら、ニュースで震災を知ったと言うわけです。
神戸新聞本社はすぐに倒壊したので、電話が通じるわけがありません。

先生は「修学旅行だより」の電話が通じなかったことを話したあと、
「実は、神戸で大変な災害が起こっています。大地震です。」と伝えました。
朝からテレビでニュースを見ていた生徒はほとんど居なかったので、
10分程度ざわつきましたが、それほど深刻に思った人はいませんでした。
何せ地震らしい地震をほとんど体験していない世代でしたから、


その日は朝から夕方までみっちりスキー実習。
楽しく疲れて夕食の時間になって、ようやく部屋でくつろぐ時間にテレビを付けました。
そうしたら、田舎なのでチャンネルは限られていましたが、全チャンネル震災報道。
「何これ?!」と声を失いました。
特に長田の焼け野原が映る所は、まるで、戦争映画を見ているよう。

それと同時に、自分の家族や家は無事なのか急に不安になってきました。
みんな、公衆電話に殺到しました。

家にかけてみましたが、電話は、なかなか通じません。
10回目ぐらいでようやく通じ、母は無事でした。
家の中は食器棚が見事に倒れて、割れた食器でぐちゃぐちゃになり、
私のベットの上には本棚が倒れてきてて私が寝ていたら危なかったそうです。
家(団地)そのものは壁に少しヒビが入るぐらいで、無事でした。
無事を確認したのでひとまず安堵しました。
そして・・・この当時、別れた父も明石にいたので無事かどうか電話してみました。
同じように10回以上かけてようやく通じ、無事を確認しました。
父の家は古いアパートだったので、倒壊はしなかったけれど砂壁が一部はがれたりしたそうです。

とにもかくにも、家族は無事だった。
家も、中はグチャグチャらしいけど、無事だった。
安心して、ニュースの続きを見ていたのですが・・・
報道はやっぱり戦争映画のようで、とにかく恐かったです。
阪神高速や新幹線の線路も倒壊していたので、今度は家に帰れるのか不安になりました。
こんなに線路も道路も崩壊していたら新潟に取り残されるのでは?
そんな不安を抱えながら、修学旅行2泊目の夜は過ぎていきました。

記憶を思い出していたら長くなってしまったので一日ずつ書き留めよう。





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Last updated  2005.01.20 05:09:28


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