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小説「桜が咲くにはまだ早い三月」「無明の果て」
第四章 「キス」
ひとしきり騒いだ祭の後のように
少しずつ賑やかさも引きはじめ、
テーブルには7、8人のスタッフを残すだけになった。
ライブの成功を誰よりも喜んでいたのは優二で、
こんなに酔った優二を見るのは初めてだった。
「冬弓さん、本当に良い曲ですよ。
僕頑張りますから。頑張りますから。」
優二は何度もそう言って、私の隣で微笑んでいた。
確かに優二の言う通り、切ないサビが耳に残る大人の歌は、
何度も繰り返し聞きたくなる魅力あるものだった。
でも本当は、その歌が冬弓の声だったからかもしれないけれど。
優二が時計を見ながら
「そろそろお開きにしますか。
それともホテルの部屋で飲み直します?」
優二は名残惜しそうに席を立ち、冬弓に向かってそう言った。
「僕は彼女を送ってから、ホテルに行きますよ。」
テーブルの下で芽生えてしまった感情は
優二の言葉で終わりを迎えた。
冬弓と私の繋いだ指がほどけ、
行き場を失った私の右手が冬弓を追いかけていた。
でも、こんな出会いなんて夢物語に決まってる。
冬弓の気まぐれに、私だけがはしゃいでいるだけだったと
ひとり立ち上がりドアへ向かい歩き出した時、
回りの目を気にすることもなく冬弓は私を引き寄せ
「721」
と耳元で囁いた。
「えっ」
腰に回した右手のぬくもりが、
さっきまでつないでいたその手の熱さと同じだった。
そしてその721と云う数字が、
ホテルの部屋番号だと云うことは冬弓の目をみれば分かった。
それを見ていた優二が慌てた様子で
「冬弓さん怪しいなぁ。
やめてくださいよ。
彼女はダメですよ。」と私の腕を強く引いた。
めまいに似た私の戸惑いが、冬弓の真実を探りかねている。
私にこれからの行き先を決めろと言うの?
私の胸の高鳴りはは冬弓に支配され、
それが今は希望に変わった。
それから優二はタクシーで私を送り届け、
すぐに冬弓の元へと戻って行った。
「ゆっくり休むんだよ。
今日はありがとう。」と笑いながら。
優二 ごめんね。
私はこれから冬弓の部屋へ向かうだろう。
危険な秘密を抱える部屋を、ノックするだろう。
通りへ出て行き交う車を眺めながら、私は大きく深呼吸をした。
私はホテルに戻り、隠れるように部屋を探した。
“721”
この部屋の向こうにあるのは何?
天を仰いで息を吐きながら、私は部屋のチャイムを押した。
とほどなくしてドアが開かれ、
決して見せる事はなかった穏やかな笑顔で
冬弓は私を迎え入れた。
長い とても長いキスをした。
忘れられない キスをした。
つづく・・・
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