小説「桜が咲くにはまだ早い三月」「無明の果て」 

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第八章 「アメリカ」 一節



☆登場人物☆


 ★小池敬志(たかし)

   麗子の会社の専務








思いがけない誘いだった。

私が辞表を提出した時、専務はすでにそれを考えていたと云う。


「会社の者が行くのが相当だが、まぁ不満の声は出ないだろう。

今まで希望は出さなかったのか?」


「はい、以前出しましたが、その時は通りませんでした。」


「そうか。

だが、時間はないぞ。

あと一月後には海の向こうだ。

まぁ君がアメリカ行きを決断したらの話だが。」



そばに居なくても、いつでもあなたの声は聞こえている。

一行、あなたと出会ってから、

私の生きる道は明らかに変わって来ている。


私は顔を上げて専務に言った。


「相談する者もおりますので、少し時間を頂いてよろしいでしょうか。」


市川麗子という生き方が、問われている。


「市川、いくつになった。」


「もうすぐ四十になります。」



「そうか。

まだ若いじゃないか。」


専務は窓の外に映る、流れ行く雲をじっと見ていた。


その言葉がまたひとつ私を前進させる。


一から会社を築いて行こうと決めている今、ここで土台になる礎を手に入れる事は、

大きな意味を持つ、私の柱になるものに違いないのだろう。


寂寂たる深夜、もの淋しい時。

たったひとり、迫る結論の行方を探りながら

窓際で微笑む一行の写真を見た。

早く伝えなければならないけれど、

この予想もしない事柄の流れに、一行は押し潰されはしないだろうか。


その夜遅く、私は一行に電話をかけた。


「もしもし一行、また驚かせちゃう事が起きた。」

一行は眠たそうな声で


「えぇ~何だよ。

まさかもう会社出来たとか云うんじゃないよね。」


私は大きく息を吸い込み

「今日ね、専務に呼ばれて

特修に行かないかってお誘いを受けたの。

もに決まれば、それまで一ヶ月しか時間がないの。」


一行は少し黙ったままでいたけど


「それって、決定なの?」

と、静かな口調で私に聞いた。


「ううん。

返事はまだしていないわ。

相談する人がいるからって言った。」



「特修ってアメリカだよね。

決まったら何年ぐらい行く事になるの?」


「二、三年か、もう少し長くなるかもしれない。

一行、私どうしたらいいのか分からないよ。

会えなくなるんだよ。

大阪だって遠いのにアメリカなんか・・・

行けない・・・

行きたくない・・・」


奥底にしまい込んでいたはずの、愛しい想いが弾けて一行へぶつかった。

静かに、ゆっくり、一行は言った。



「麗ちゃん、行きたくないならそうすればいいよ。

今までだって、麗ちゃんが自分で決めて自分で進んで来たんだから。

でもさ、あんまりカッコよくないな。

どうした? 市川麗子。


俺の知ってる麗ちゃんはそんなんじゃなかったけどなぁ。

麗ちゃん、俺は大丈夫だよ。

これからの麗ちゃんの仕事に、俺の存在がマイナスで関わる事は嫌なんだ。

麗ちゃんの生き様を見届けるのに、

俺に出来る事はアメリカへ送り出す事だと思うよ。」



一行が転勤になって、それでも私のすぐそこの未来をも認め、

私は一行にまた力を授けられるのだ。


「カッコ悪いのは駄目よね。」


流されてしまいそうなのは私だった。

押し潰されそうなのは、この私の方だった。




そうして私はアメリカへ向かう決心をした。

専務の元へ宜しくお願いしますと、

頑張らせていただきますと、その言葉を伝えた。



一月の間に、仕事の整理、身の回りの事、

そして気持ちの置き所を明確にするのは、あまりに過酷な作業である。


ただひとつ、なんとなくだけれど、一行と離れるということの意味が、

重く厳しい日々を運んでくるだろうと云うことだけは分かる。


そしていつか、それぞれの道を歩む日が来るかもしれないと感じていたのは

私ひとりじゃなかったかもしれない。。


アメリカ行きを決めた時、

それは別れさえも覚悟をさせたほどの事であると、

一行には言わないで私は行くつもりである。




つづく・・・





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