小説「桜が咲くにはまだ早い三月」「無明の果て」 

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第九章 「結婚」 四節



曇の上から切目のない空をずっと見ている。


離れたからこそ解る真実もあるのだろうと、

アメリカへ到着するまでの果てしないと感じるような

耐えがたい孤独感に打ち克つ術を、

私の心は模索している。


時の癒しを求めるのはもう自分の心しか無いのかもしれないと、

必死に言い聞かせてはそっとため息をついた。


手渡されたこの手紙に書いてある事は、

今の私が見つめなければならない未来なのかと、

開けるタイミングが分からないでいる。


離陸する瞬間、一行が空港のどこかで見送ってくれていたと信じてはいても、

触れてはいないその胸その姿に、私の心は置き去りにされたようだ。


私のこの手の中にある、涼が強く握った指の跡がついた封筒は、

私に何を語ると言うのだ。



「市川麗子様


初めて会った日の事を覚えていますか?

僕は決して忘れる事はありません。

あの日、テーブルの一番奥で笑っていたあなたは、

聞いていたキャリアウーマンの姿ではなく、

とても輝いた僕には特別な女性でした。

僕は目が離せなかった。

あれからあなたはずっと、僕の前を歩き続けています。

僕の心にはいつもあなたがいます。」


恋は、したもの勝ちなのか。


時を癒してと悶える私に、この空間は何の自由も許してはくれない。


なぜ今なの。

もう大丈夫って言ったじゃない。




一行が一足違いで空港に駆け込んだ時、

やっと見つけた妻の前には、居るはずのない涼の姿があった。

手を振り、力の限りまた手を振り、それは愛している人に向けられた、

それ以外のなにものでもない姿に見えた。


だけど涼がそうして見送る姿は、

一行の耐えすぎた気持ちを抑えさせはしなかった。

自分の妻となった人をただひとり見送る事になった涼を、

一行は許しはしなかった。



「涼、何してるんだよ。」


涼は身じろぎもせず顔だけ振り返った。

驚いた顔は、あまりの事に表情がない。


「涼、何してるんだよ。

なんで電話に出なかったんだよ。

電話もメールも、何度したと思ってるんだよ。」


「ごめん。」


涼の言葉が出尽す前に、一行の拳が涼の頬を貫いた。


さっき、麗子が触れたその同じ頬を。


足を止め、人々が振り返る。

座り込んだまま、涼はじっと動かない。

一行に立ち向かう気など、はなから無いように。


「涼、大丈夫か。」


差し出した手の方が涼の頬より痛い事を、

二人がここまでたどり着いた道のりを、

これからしっかり話さなければならない。



今をどう生かして、これからどう生きようとしているのか、

友達なら聞き入れる覚悟はあるだろう。



「涼、ちゃんと聞いてくれ。

俺は麗子と結婚した。

麗子は俺の妻だ。

もう、

もう頼むから関わらないでくれ。」



涼の背中が丸く、小さく、消えて行く。





涼の手紙の最後には

「麗子さんが目指すものを見つけたように

誰でもそんな風に生きて行けたらいいのに。」


と締めくくられていた。


私は泣かずにこの手紙を読み終えた。

涼の長い手紙は、自分の情熱で無理にこじあけようとしている

重い扉の鍵のような気がした。

意欲と危険な賭けの狭間でもがき苦しんでいるのが、

切なく悲しかった。


私はこの手紙を読みかけの雑誌にはさみ、通りかかった搭乗員に渡した。


「捨ててください。」


そう言って。






「お仕事ですか?」


隣に座る紳士は低く静かな声で私に聞いた。


そしてテーブルには二杯目のコーヒーが差し出された。



つづく・・・






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