小説「桜が咲くにはまだ早い三月」「無明の果て」 

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第十一章 「楽園」 三節




慌てて駆け込んだ空港で私はチケットを買い、

そのまますぐ一行に電話を入れた。


ちょっとした着替えだけを詰め込んで、履き慣れたスニーカーで、

化粧もせず、まるで何かに追われ慌てて逃げて来たかのようにここまで来た。


夢中だった。


「もしもし一行、寝てた?

今 空港。

もうすぐ発つからね。

着いたらまた連絡いれるから。」


「うん、わかった。

ありがとう、麗ちゃん。

気を付けて来て。

途中で気が変わったなんて、言いっこなしだよ。」



「何言っていんの。

スッピンで走って来たのよ。

リレーの選手だったって言わなかったっけ?

まだ少しは寝られるでしょ。

一行、起こしちゃってごめんね。

もう一度寝て。

おやすみ。」


明るく振る舞おうとして、ちょっと浮いてしまったかな。


電話を切り、出発の時間が来るまでゲート近くのカフェで軽い食事をとることにした。

そして、涼が会社を辞めプロ棋士を目指して歩き出したという真実が、

どれだけ一行の心に衝撃を与えたのかを考えていた。


もちろん私にとっても、耳を疑うほどの事だった。

あの長い手紙のどこにも、会社の事、囲碁の事なんか、

一切触れられてはいなかった。


ただただ、熱い想いだけが綴られていたその手紙は今はもうどこにもない。

その手紙の事はいつか話そうと思っていたけれど、

一行に話すべき事ではないと、今私は強く心に釘を刺した。


夢は闘うものじゃない。


頑張った人が報われる世の中が誰にでも当てはまる未来なら、

希望も、野望も、遠謀も、容易い日常となって、

たいした価値を持たなくなってしまうだろう。


私が会社を辞める決心をしたのは、涼が言った


「麗子さんが幸せじゃないと、一行も幸せにはなれないですよ。」

その言葉だったはずなのだ。


自ら、より厳しい世界を目指して行こうとしていた涼だから、

私に言えた言葉だったのだ。



コーヒーを飲みながら、


「これから急に帰国する事になりました。

戻りましたら、連絡させていただきます。」


と、岩沢へ宛てたメールを送った。


彼もまた、時にはこの身をさらし関わらなくてはならない運命の元にいるのかと、

生きて行く不思議を思案している私がいる。


機内は空席も少しあり、私はすぐに新聞を受け取り、

隅からゆっくりと眺めていった。


「あっ」

見逃してしまいそうな小さな記事に、息が止まりそうになった。




【アマチュア囲碁本因坊  優勝者

   西山 涼 二十三歳】



誇らしげな涼の写真は、やっぱり美しく輝いていた。


一行、おめでとうっていつか二人で言える日がきっと来るよ。


涼は必ず、笑いながら

”ありがとう“って応えてくれる。





そして私は半年ぶりにここへ帰ってきた。

通い慣れたはずの会社への道も、たった半年の時間がその景色を懐かしいものに変え、

見慣れていたはずの何もかもが、はじめて見るもののように今の私の目には映った。


一行の仕事が終わるまで、あのショットバーで待っているからと、

一行にはメールを入れた。


「こんばんは。」


「いらっしゃいませ。

お久しぶりですね。」


「半年ぶりに美味しいお酒が飲めそうだわ。」


「何になさいますか?」


「そうね、やっぱり、いつものダイキリをいただくわ。」


「かしこまりました。

あっ、外でお会いになりませんでしたか?

いつか一緒においでになった方が、

つい先ほどまでここにいらっしゃいましたよ。」


「えっ、あの綺麗な顔をした・・・」


「えぇその方です。

一杯だけですぐお帰りになりましたけど。」



涼がいたというこの店で私は想う。


遠いアメリカから帰ったその日に擦れ違い、

運命は二人が出会う事を許さなかった。


あなたはあなた。


私はわたし。



一行。


夢は闘うものじゃないと、私はそう信じている。





つづく・・・





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