小説「桜が咲くにはまだ早い三月」「無明の果て」 

小説「桜が咲くにはまだ早い三月」「無明の果て」 

第二十二章 「運命」 一節




時が巡り、いつか私が一行より先に死んでも、

こんな風に終わりのない夢の始まりが永遠に訪れる。


私は朝方近くまでかけて、やっと一行への手紙を書き終えた。

空港でもらったラブレターの返事は、

ちゃんと自分の文字で送りたかった。

メールに慣れてしまった今は、届くまでの時間がもどかしいけれど

それだってその分、心がこもって届くような気がしている。


そして今日も会社までの道を急ぎ、ポストのある通りへ抜けようとした時、

脇から誰かぶつかってきた。


「すみません。

怪我はないっすか?」


いつかこんな場面を夢見た事を思い出し、ひとり笑ってしまった私に、

その若者は不思議そうな顔でもう一度言った。


「大丈夫っすか?」

懐かしい“っす”に、あの頃の一行を見たようで

「平気っす」

なんて言ってみたりした。

その青年は不思議な顔をしながら、ちょっと頭を下げて走り去った。

そして私はまた歩き出し、その手紙をポストに入れた。







そして、


ここには今日も真紅の薔薇の花が供えられていた。


アメリカへ来てからの僕には、やるべき仕事、経験しなくては分からない事、

知っておかなければならない知識の他に、自分と向き合う事での発見や、

自分の値打ちを築いて行く事への挑戦の何もかもが、

後から後から押し寄せて来ている。


心地良い疲労感とまではまだ言えないけれど、

やっと時間を作り僕は妻との約束の場所までひとり来た。


喜びと悲しみのぎっしり詰まった、この教会へ。


昨日届いた妻からの手紙は、まだ開けずにいる。

僕は岩沢夫婦の墓前で手を合わせ、そして美しい木々に囲まれた階段に座り、

静かに封を開けた。

妻が岩沢からの手紙をここで開けたように。


三人で泣いたこの階段で、ひとりここにいる今を思う時、

「はじめまして」とあの日、口を開いた日から、

月日はすごい速さで駆け抜け、そしてこの三年が僕の歩む道を変化させ、

いつの間にかたくさんの絆を作っていたと言う事を、

家族と離れて暮らすアメリカでしっかりと感じていた。


切れかけていたと嘆いた友情が、本当は強い絆で繋がれていた事を。


傷つけてしまった恋人の心を癒したメロディに込めた、切なすぎる絆を。


もがいてももがいても、前に進めない夢でも見ているような不安はもうない。




「一行へ


そちらの暮らしはどうですか?

少しは会社までの道にも慣れて来ましたか?

元気にしていますか。

私と絢はとっても元気です。

食事は口に合いますか?

ちゃんと寝ていますか?」


”小学生か“


なんて呟きながら、一緒に送られてきた絢の写真を見ていると、

その中に一枚だけ新しい会社のデスクで微笑む麗子の写真が入っていた。

凛々しく、ただ凛々しく輝いている。



「一行がくれた手紙を、今日も絢に読んで聞かせました。

絢はちょっとつまらなそうだけど、

首をかしげて聞いているうちにそのまま寝てしまう姿はとても愛らしく、

一行の手紙は絢の一番お気に入りの子守唄になっています。

この手紙を、もう何度読んだのか分からないくらいです。

ありがとう一行。

私がアメリカで過ごした年月と、これから一行が経験する年月は、

きっと私達の未来に予想のつかない何かをまた運んで来るかもしれないけど、

ひとつだけ・・・

ひとつだけ約束して欲しい事があるのよ。


私がいつか、一行より先に死んだら・・・

そんな時が来る日まで・・・

こんな事を書いたら一行は怒ってしまうかもしれないけど、

岩沢さんの奥さんからの手紙を読んだ時から、

ずっと思っていた事があるのよ。


それはね、一緒に暮らしていても何年も何年も月日が過ぎようとも、

伝わらない気持ちがあるんだということ。

さみしいけど。

それはしょうがない事なのだろうけれど。


幸せを築くために頑張っているはずなのに、

枯れて行く木々の葉のように、

誰にも気にかけられず去ってしまうのは悲し過ぎるわ。


私達は離れて暮らしているから離れて暮らしているからこそ、

しっかり伝えあっていかなくちゃいけないんだと、

一行の手紙を読む度、何度も何度も自分に言い聞かせているの。


だから、約束して。

私をあきらめないで。

何か伝わらない事があっても、私を諦めないで。


絢が生まれた時にいつか自分が死んで行く覚悟が出来たと言ったら、

一行は分かってくれるかしら。

だからその時まで、私を諦めないでいて欲しいの。


岩沢さんの奥さんは、どこかで何かを諦めてしまったのかもしれないわ。

そう感じたのは、読まれる事がないかもしれない手紙を教会に託して、

一度だけ、最後にもう一度だけ、賭けをしたのかもしれないということ。


結果など分からなくても、賭けてみたかったんだとしたら、

やっぱり私には寂しく思えてならないの。

岩沢さんも岩沢さんの奥さんも、一行も私も、

後悔のない過去などあるはずもないけど、

こういう気持ちを伝え合うために、

私の前に岩沢さんが現れたんだと思ってみたいの。


水の中からあがった時、身体に重力がかかるように、

どうにもならない不自由は必ずやって来るから。


そして、ちゃんと私達の所に帰って来てください。」



「諦めないでか・・・」


今日が辛くても、少しだけ頑張れば明日はきっとやって来る。

もう少しやる気を出せば また次の日が訪れる。


麗ちゃん、こんな繰り返しでいいのかなぁ…

写真を見ながら聞いてみた。


”それでいいのよ“と、


木々のざわめきの中から、麗子の声が聞こえた気がした。







つづく・・・





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