コートのボタンを開けて、湿った風を迎い入れた。
約束の時間まで、10分ほど
早足で駅の改札を抜ける。
数週間ぶりの彼女は、いつも通りキュート...だ。
その笑顔を独占したい誘惑に、いつも駆られるが
一緒の時間を、過ごすことだけで
酸性の心が、アルカリ性に随分と中和されていく。
毎日、数1000行の文字をかき集め
数100ページの書類を造り出しているが
その言葉は、僕にとっては意味をなさない
会社にとっては重要でも...。
彼女と交わす言葉は、何でもない会話だが
僕にとっては 「意味がある」。
「何事にも定められた時がある。
天の下のすべての事には時がある。」
~伝道の書
「 ○ ○ には、ときがある。」
という伝道の書のフレーズを
時折 脳(あたま)の中で当てはめる。
不要なモノを捨てるにも、ときがあり
必要なモノを求めるのにも、ときがある。
抱きしめるにも、ときがあり
背を向けるにも、ときがある。
積み重ねるのにも、ときがあり
突き崩すにも、ときがある。
暖めた想いが溢れだすのにも、ときがあり
引き潮のように冷めて行く想いにも、ときがある。
諦(あきら)めるにも、ときがあり
探し求めるのにも、ときがある。
「自分を愛してくれる人を愛したからとて
どれほどの手柄になろうか」
(~ルカによる福音書)
と言うけれど
愛さないと、愛しては貰えないジレンマに
人は、時として陥る。
ひとつの傘に入り、歩く歩道は雨に濡れ
一歩ずつ踏み出す足音を消し去る。
多くの言葉は要らなくて
この瞬間(とき)は、確実に胸に刻まれ
自分にとって”今”は、何の 「とき」だろうかと
サヨナラと手を振りながら、心の中で呟いた。
扉 2014.03.03
大丈夫、心配ない 2014.03.01
epilogue エピローグ 2010.09.15
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