rainywoods2001

rainywoods2001

2009.12.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人生に必要な思想がひとつだけあるとすれば
ひょっとして タイトルのような
偶然 とのつきあいかただけかもしれない。

偶然性は 真善美を必然性の相でみるという
伝統的な西洋的思考にとって
なんとか排斥あるいは必然性に回収すべき課題で
ありつづけてきたようだ。偶然は
存在の根拠、同一性、恒常性、自由意志をおびやかす。

たいていのノウハウ書に どうも へきえき するのは

それが自由なのだろうか。ぽじてぃぶしんきんぐ?

本書の著者 野内さんの学問への機縁は 友人がさそった西洋史の講義に
なんとなく、ついていったところ これが野内さんの聞き間違いで
実は 西脇順三郎の 西洋「詩」 の講義であった。
それで マラルメに興味をもち・・・
かかる成り行きの果てに こういう著書をだす次第に成ってる
わけで 脇目もふらず己の企図の実現ばかりに夢中では
こんな おもしろい本も生まれていない。

「みな無の深淵の上に
壊れやすい仮小屋を建てて住んでいる人間たちなのだ」

如何にして投げ出されたか、何処に投げ出されたかは知る由もない。
ただ生まれ出でて死んで行くのである。
人生の味も美しさもそこにある。」

というのは 偶然や粋について考えた哲学者・九鬼周造の言葉。
最後の一行は 必然のみを重視する思想からはでてきようがない。


ところが 偶然に基礎を置く真善美もあるわけだ。
諸行無常という真理、一期一会という倫理
日本的儚さの美学 はもちろんだけど
それだけがでてくるわけでもない。
臨機応変、いくらだって 価値が発生していそうだ、
物語だってゲームだって お笑いだって 意外・予想外の
偶然がなければ成立しないではないか。
べつに失うものはないという 元気や勇気さえでてくることもある。

必然的因果関係を求める科学技術の発明発見の事例の数々だって
その過程には偶然が関与していて それは「セレンディピティー」と
命名されている。

世界事象は 仮小屋のような必然性 と 根本的偶然性のからみあい。
茂木健一郎のクオリアに次ぐ大テーマ「遇有性」もそのことらしい。
宮台真司なら「偶発性」、
「縁」「シンクロニシティ」も思い起こされる身近なことがらだ。

必然性 は 主体性に 偶然性 は 他者性 にかかわる。
主体や知や思想に いぜんとして役割があるとすれば
偶然というゲストのために 場を整理 提供しておくことかもしれない。

そんな さかしらさえ必要ないという 天然アナーキストや 
かんながら や 老子やフリージャズ に赴いてってしまうような
器ではないので せめて 必然と偶然の間にたってみよう。
それが無理のない「自然」というもの ではなかろうか。





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Last updated  2009.12.11 16:47:07
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いいですね!  
shimikotoshiori  さん
西洋詩の話(笑
私も最近、偶然が大事なような気がしています。
偶然から何をキャッチするか、出来るか、が重要なのでしょうが。
(2009.12.14 21:01:27)

Re:いいですね!(12/05)  
rainywoods  さん
shimikotoshioriさん

偶然という種はあっちこっちに
ちらばっているみたいですね。
気になる偶然の苗が 必然の木に
育つかどうかも 自然のはからい
ですね。(お- われながら うまいまとめ) (2009.12.14 22:07:24)

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