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私の甥は「雨の降り始めが分かる。」と、いいます。それは交通事故でむち打ち症になってからだといいます。 そのときになると首がピリピリとするそうです。医者に行っても直らないのでそのままにしているということです。 自分の不注意で事故をすることもありますし、もらい事故もあります。もらい事故の時は、相手を恨むことで少しは気分のはけ口としているのでしょうが、どんなに恨んでもあなたの傷が癒えることはありません。 病気でもそうですが、その原因が、不摂生であれ遺伝子のせいであれ、何であれ、病気を治すのはあなた自身の強い意志が、 最強、最良の「薬」であるように思います。医者はあなたの最良の助手でしかありえません。 ヒポクラテスは「医者は手当てし、自然が治す。」と言いました。「自然」とは、あなた自身が内に秘めている「治癒力」のことでしょう。そしてその「治癒力」を最大限に発揮させる力は、 あなたの「治りたい」と、真に願う心です。病気でお悩みの皆様、どうかそこにとどまらずに、 健康になってください。他の人は、あなたをそこから無理やり引きずり出すことはできないのです。あなたの「今を変えたい」と願う、強い意志を持って どうか新しい1歩を踏み出してください。私は、そんなあなたを力の限り応援します。
2005.09.27
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皆さん3連休はいかがお過ごしでしたか。万博に出かけられた人お疲れ様でした。 私は、久しぶりに友達に会いました。当然のように子どもの話になり、 私が、「休みの日は、子どもの用事で結構忙しいよ。」と言うと、 彼は、「そんなのはね、始めは、ハイハイと言って約束をし、前日になって仕事ができたからと言って、ごめんねと謝るんだよ。それを2,3回繰り返せばもう2度と用事は頼まれなくなるよ。」 と言いました。私は、「あ、そう。」とだけ返事をしました。 以前こんな話を聞いたことがあります。コーヒーが今ほど一般に普及していなかった頃、商社の人がブラジルにコーヒー豆を買い付けにいきました。 仲介者に現地の仲買人を紹介してもらい、その人と契約しようとして、 何月何日までに何等級の豆を何キロ船積みできるようにと言って頼んだところ、その人は「それではそのときに豆の代金を現金で持ってくるように」といって、メモ用紙に注文を書きこみ人ごみに消えていったそうです。 契約書などの書類もないまま相手が消えてしまったのであわてたてた商社の人は、 これで本当に契約が済んだのか、紹介者に問いただしたしたところ、済んだと言うことでした。それでも安心できない商社マンは、「もし彼が約束を守らなかったらどうなるのか?」と聞いたところ、「信用を失った彼は2度とここでは商売ができない。」と答えたそうです。この話が本当かどうかわかりませんが、 本来、人と人の「約束」とは、こうゆうものなんでしょうね。
2005.09.26
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お彼岸に親戚などが集まると、普段はそんなに似ていないと思っていた兄弟が、年を取るとともにだんだん似てきているなあと思うことが多くなります。 それと共に、自分たちのどちらかの親にも似てきます。外見だけでなく、嫌だなあと思っていた親の性格なども現れ、「コレはチョットまずいんじゃないの。」と、内心思ったりします。 コレも遺伝子のなせる業でしょうか。その家族が持つ、性格、性質、考え方、行動の仕方、笑い方など、他人から見れば共通点は一目瞭然でしょうね。 でもその奥に隠れていて見え隠れする心は、親族の誰とも違うようで、むしろ他人の中にそっくりだなあと思える人を見出すことがあります。親友と呼ばれ、時には血縁よりも深い絆を結ぶことがあります。 演歌的には「心の兄弟」でしょうか。では、その心を生み出してくれた親は、誰でしょうか?
2005.09.25
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ようやく秋らしくなって忘れかけていたのに、今度は、高校野球夏の甲子園準優勝校の不祥事がバレました。 今年は開始間際になって明徳義塾が出場を辞退し、その対応に追われました。 無事に終わったと思ったらなんと優勝校の不祥事の発覚でしたね。毎年同じことが繰り返されていますよね。 高野連の皆さん、1度しっかりと全国の野球部から聞き取り調査をして、実態を把握してみたらいかがですか。それとも、もう知っていますか?新聞社の皆さん、どうか高校球児の純真を守ってやってください。 以前、校長宅で飼われていた犬が、近所の子どもをかんだと言う理由でその高校の野球部が1年間の対外試合禁止になりました。 この処分からすると、今度の事件の処分としては、優勝剥奪、夏の甲子園優勝校なしが相当だと思われましたが、当事者同士の話し合いがついたと言うことで軽い処分に終わりましたね。 球児は大人たちの作った法律の中で生きています。 これらの事件で本当に問われているのは、その法律を運用している高野連の皆さん、あなたたちです。 どうか子どもたちの本当の声を聞いてください。 処分の重い軽いは力関係で決まるのでしょうか。新聞社の皆さん正義とはどこにあるのか教えてください。 上記の対外試合禁止になった高校生は私のいとこです。彼は2年生のときからレギュラーで、3年生が引退した後、主将に選ばれ、さあこれからというときでした。 彼らにどんな落ち度があったというのでしょうか。彼らの人生における大切な1年間を返してあげてください。 改革が必要なのは、郵政だけではないですよね。 この夏彼らが1番強かったのは誰にも異論のないところです。でも大人たちの優柔不断によって、彼らの喜びは、後ろめたさを伴ってしまいました。 甲子園では、勝ち負けにこだわるのではなく、自分たちの力を出し切るところに意義があるのだと思うのですが、どうでしょうか。 かつて松井秀喜の5連続四死球というのがありました。明らかに力の違う相手と戦わざるを得ない時があるのですが、そのときにこそ、その人の真価が問われるのです。 全力で戦うことに意義があって、勝ち負けは、結果に過ぎないのです。そしてこうゆうことが言えるのは学生の間だけなのです。 勝者も敗者もともに美しく、勝者が敗者を勇者として讃えます。そこに集っているあらゆる人が、この若者たちから心揺さぶられる感動を得、惜しみない拍手を送ります。いや全国の人びとが感動を共有し、心洗われるのです。 またその感動を味わうために、夏を楽しみにしているのです。残念ながらこの件に関しては大人たちは、 少なくとも勇気あるものでもなく、若者に範を示すこともできなかったようですね。何かがばれるんじゃないかと思いながら、毎日練習をしていたって、上手くなりはしませんよね。高校生諸君、指導に当たっている諸先生方、今こそ、勇気を持って、変革をすべきです。純粋で、純真で、ひたむきな姿を、われわれは見たいのです。私たちも、かつては持っていたけれど、いまは失くしてしまったもののを。
2005.09.22
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誰もが健康を願っていながら、誰もが自分の健康に不安を抱えています。他の人から見れば、健康そうに見える人も当の本人は、 いつか大病をするのではないのかと内心びくびくしている。情報が多すぎて、どれが真実なのか誰も知らない。 その情報が自分にとって有益なのか検証しようともしないで、やみくもに走り回り、自分の心の中に何が潜んでいるのか知ろうとももしない。 あなたは、自分でやらなければならないことを、他人任せにしてはいませんか。
2005.09.21
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昨日の続きです。私が高校生の頃だと思うのですが (ずいぶん昔のことなのではっきりとは覚えていません) 6月のお昼ごろ、テレビを見ながらごろごろしていたとき、庭のほうから一筋の光がわたしの顔に当たるのを感じました。 ちょうど日光を鏡で反射させていたずらするようなかんじです。そちらの方角には畑に続いて川があるだけなので、いぶかしげにその方向を眺めると、 なんと!庭木の葉の先にひとしずくの水滴が今にも落ちそうで、プルプルと小刻みに震えているようで、 なおかつ渦を巻いているようでした。それに日の光が当たっているのでした。 一滴の水があのように輝くのを見たことはありませんでしたので、しばらく見入ってしまいました。 やがて太陽が少し移動したので、またただの水に戻ってしまいました。なんでもないと思っていた水があんなにも美しく輝き、感動を与えることができるのかと思うと、自分も負けてはなるものかと、思ったものでした。 それからしばらくして同じ現象に出会いましたが、それ以来、それ以上にキラキラ輝くものを見たことはありません。
2005.09.20
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少し前のことです。 我が家から山に向かって1時間あまり車を走らせると、山あいの谷川に湧水があります。 渇水期になると、その場所から上流には水が全くなくなりますが、谷側のあちらこちらの岩の隙間から絶えず水が溢れ出し、 また伏流水が川底から湧き出して、その下流には幅5メートルほどの川が出現します。 本当に不思議な光景です。このあたりは私の好きな場所のひとつですが、近くに鉱山もあり、少し前までは多くの人も住んでいたようで、今は廃校になっているのですが、小学校もありました。ある日、明け方まで雨が降っていましたが、その場所に出かけてみました。10時頃に着き、廃校跡にたたずみ、疲れを癒す山の空気と木々の緑のにおいを、満喫していました。 そんな時です、ザワザワザワと木々の間を風が通り過ぎました。すると木の葉についていた雨水が水滴となってパラパラパラと、目の前に降り注ぎました。 ん? 自分の目を疑いました。なんと水滴の1粒1粒が、キラキラとルビーのように赤く輝いて落ちていったではありませんか。「今の、赤かったよね?」「ウン、赤かった!」その光景が2,3度繰り返されました。 これは神様の贈り物でしょうか。そうに違いないと思わせるほど、神秘的で、美しい光景でした。ありがとうございました。
2005.09.19
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悪魔は耳元で甘言をささやき、神はそれを黙認する。 もちろんこの場合の、悪魔と神は、宗教的な意味ではありません。 悪魔とは、体に悪いと知りつつ、ついついタバコを吸ってしまったり、悪酔いするほどお酒を飲んでしまったりするなどの、 悪習慣 のことです。自覚もしているし、何度もやめようとしたのだけれども、結局やめきれずに現在に至っている人のなんと多いことでしょうか。 私は、酒とタバコはたしなみませんが、甘いものが好きです。 なぜ身体は、自分自身を慢性病に導いているかもしれない食べ物などを欲するのでしょうか。何故、過度に摂ってしまうのでしょうか? 本来ならば、身体は自分を長生きさせる物を取り入れようとするのではないのでしょうか。 ならば、身体に悪いものをそれと承知の上で取り入れさせているものは・・・あなたの中の・・・何(だれ)。病気とは、身体から発せられたS.O.S.でしょうか。
2005.09.19
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先日、親戚のお見舞いに病院に行ったときのことです。病院内は禁煙のため入り口の外でタバコを吸っていたおばあさんの近くで、孫だと思われる3歳ぐらい男の子が、スロープの手すりにぶら下がって、ブーラリブラリと体を前後にゆすっていました。それに気づいたおばさんは、ケガを恐れてのことでしょう。「何をやっとるの、そんな危ないことしとったらあかん!」と言って、おしりをピシャリとたたきました。子どもは不満げな顔をしながらも、ゆれるのをやめました。でも手すりは、にぎったままでした。こんな時、自分だったらどうするだろうかと考えてみました。おそらく、心配をしつつも、しばらくは、やらせるだろうと思いました。後日、スーパーの駐車場で、同じような光景に出会いました。カート置き場の鉄棒に、子どもがぶらさがっていました。そのそばでは、父親がタバコを吸っていました。またこの子どもは怒られるのだろう、と思っていたところ、「しっかり鉄棒をつかんでいるんやで。」と、その父親の声がしました。子どもは嬉しそうに父親の顔を見ていました。自分の行動を否定されたとき、干渉されなかったとき、あるいは、行動を肯定され、なおかつ、適切なアドバイスをもらえたとき、この中のどのケースが一番子どもの能力を伸ばすでしょうか。それぞれの立場もおありでしょうが、特に小さなお子様をお持ちのお母さん、無意識のうちに、子どもの成長の芽を摘まないで下さいね。子どもにとって母親は、全能の守り神ですから。
2005.09.18
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心配はまたたく間に伝染し人々を不安に陥(おとしい)れ結果、物事を失敗に導く。グループの中に一人心配性の人が居ます。その人は自分の心配事を、次々と他人にぶつけ、一通り出し尽くすと、安心したのかさっさとその場から立ち去ってしまいます。残された人たちは、押し付けられた不安の中で、次善の策を練らなければなりません。しかし、疲弊した心は、良いアイデアを生み出せるはずも無く、ただ無駄に時間が過ぎるだけです。そして植えつけられた不安を払拭するために、気分転換をする必要があるのですが、なかなか上手くいきません。誰かいい方法を教えてください。自分の心配を他人に押し付ける人! あなたは他人を病気にしています!! 心配事のある人は、それを解決する能力を同時に持っていることを忘れないで下さいね。
2005.09.18
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はじめまして。整体のらく庵です。 肩こり、腰痛、頭痛など、微妙に健康でない人、なんとなく気分が優れない人。多いですよね。 あなたもそうですか?気にしすぎじゃないですか?”やまい”は気からですよ。 でも、事故等による痛み、慢性病などによる不快感のある方。1度ご相談ください。
2005.09.17
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