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日本は鬱から躁への転換期、注意が要る
●世界におもてなし上手とか言われて表向きもてはやされいるが、やはり日本人は本当は付き合い下手である。 正直に気持ちを表に出せない。 いまの若い人はそれでも古い世代よりは時代の影響からクールにまだしもスマートに演じきれている様だ。 しかし時としてその反動からか歴史を見返れば日本人は
うっ積を跳ね飛ばすように深いマグマを時に噴出する。 まさに火山のそれによく似ている。 そういうことを暇に任せて考えているとなにか最近の日本はやはりデフレの 15-20 年の沈静期から潜っていた潜水艦がそれも急浮上するように水面から跳ね上がるような動きを雰囲気的に感じる。 もうそれは長い潜水から一挙に空気を求めて今までとは違った荒々しさである。 鬱から躁への激しい移り変わりでどうも今までとは違うように思う。 自律的ではないのが気に掛かる。
こういう時には日本人はすぐに過去の記憶としての歴史の遡りに同じパターンを求める癖がある。 あの江戸から明治にかけての国民国家への変貌の姿である。 しかしいまはそんな簡単な筋書きで語れるものではない。 日本を取り巻く周りの環境変化要因は当時と比べても物凄く複雑多岐に亘っている。 まず記憶遡りという習慣を払しょくしたゼロ化した前提で考えることが大切だと思う。 その時に思い当たることはやはりこの国のあるべき羅針盤をどこに求めるかである。 少なくとも不動の一点だけは定めておかないと流浪、漂流では国は滅びに向かう。 あらためて海図なき流転の航海には天空における北斗七星のごとき明察な基点の再確認をこそこの国の総意として新たに確認することで、いたずらに躁鬱の繰り返しの弊に陥ってはならない。
鬱も躁も人間にもあるのは必然であるが、その人間が作り上げた国が大いにそれを制御できないのはやはり問題だ。 それがあることをよく理解してそれを人間の制御の枠、タガに抑え込むことこそ新しい歴史を作るゆえんである。
過去の記憶に遡って同じ方途で新しい歴史を築けるはずはない。 過去は飽く迄も過去。 天空の普遍の理念に従って現在を編み上げれば決して同じ轍を踏むことはない。 それが出来ないのは想像力の欠如と鬱と躁に踊らされる自己の甘さと怠惰と横着横柄である。
いま為政者の中でこの天空の不変の星を指し示す戦士こそ日本人は求めているのだ。 賢しらに騒がしいアジテイタ―は国をミスリードしかねない。
すなわち、巧言令色少なし仁。 そんな輩は未来の中で必ず淘汰されるのであるから。 それこそそのことは歴史が編み込んで後世に知らしめるのである。
いまの現実はかならず過去に歴史として残る。 偽りの戦士も同じだ。 ただそれをどう読むかは未来の国民である。 そのためにもいつも静止している基点の星は定めておくべきだ。