時々の話題&SaxophoneとMelody

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2026.09.25
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テーマ: 仏教を考える
カテゴリ: 仏教
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​YouTube動画・仏教に学ぶ幸福論by菊谷隆太より
仏教版「絶対に手放すな4つの縁」
1番目が、間違いを認めることができる人。
2番目が、損得で節を屈しない人。
3つ目が、叱ってくれる人。
4番目が、仏さま。
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その1として、「間違いを認めることができる人」。
人間というのは失敗もしますし、ミスも犯すんですけれども
うっかり忘れたりすることもあるし。
そういう間違いを犯した時に、それを認めることができる人です。
そういう人じゃないと、人間関係はきついですよ。
特に夫婦とか、よく接する上司と部下とかですね、
そういう関係・間柄で、何か失敗した時に、向こうが謝らないとか
向こうがそれを認めないとかいうことになると、
これは間関係がきついです。
浅い人間関係の時は、別にいいんですけど、深い人間関係になると、
うっかり忘れたり、お互い失敗して迷惑かけたりということがある。
そんな時に「ごめんね」とか「悪かった」とか「すまなかった」とか
いう言葉があり、「今度からはもうしないから」と、こういうふうに
なっていかないと、その人に対しての信頼がおけなくなりますし、
「なんで謝らないの」ということで精神的にもつらくなってきます。
そんなの人間として当たり前じゃないかと思うかもしれませんけども、
なかなか謝れる人って少ないんですよ。
夫婦なんかでも、「なんでやってくれないの」って言われた時に
「ああごめん、悪かった」とこう言えばいいだけのことなのに、
それが言えないっていう人は結構いますね。
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これは仏教で言うところの「我慢」という心がありまして。
「我慢」と言えば、日本語で「忍耐」と同じような意味で、
「人間我慢が大事だよ」みたいに「耐え忍ぶことが大事だよ」
というような意味で使われがちですけれども、
元来、仏教で言うところの「我慢」というのは、
「慢」というのは自惚れ心なんです。
「我慢」というのは自分の考えをどこまでも押し通そうとする
自惚れの心を「我慢」と言います。
オレがオレがという「我」を押し通していく心ですね。
自分が間違いだと知りながら、それでも「我」を押し通してしまう。
そういう自惚れる心のことを仏教で「我慢」と言います。
「慢」というのは人間の6大煩悩ですから、
この「我慢」というのは、その一つです、
だから、なかなかなくならないですよ。
いったん自分がこうだ!と言ったことが、たとえ間違っていた
としても なかなか認めないですよ。

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そんな中で自分が間違っていたと自分の非を認めて、
そして、直ちに正すことができる人っていうのは、
これはただならぬ立派な人なんです。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)も『正信偈(しょうしんげ)』の中に、
曇鸞大師(どんらんだいし)という方をたたえて、
このように言われています。
「三蔵流支授浄教(さんぞうるし じゅじょうきょう)
--意味・三蔵から曇鸞大師が浄土の教えを授かった--
 焚焼仙経帰楽邦(ぼんしょう せんぎょう き らくほう」
--意味・長生きを教える道教の経典(仙経)を焼き捨てて
  極楽浄土(楽邦)の教えに身を委ねられた--
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曇鸞大師という方は、今から1600年くらい前の中国の方ですけれども、
その曇鸞大師はどんな方であったのかということの一つのエピソードを
ここに、『正信偈』の2行で表されています。
これ読み下しますと、
「三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰す」。
このように書かれてますね。
これはどういうエピソードかと言いますと。
曇鸞大師という方は、仙人の教えに迷っていた時期がありまして。
3年間、陶隠居という当時仙人で不老長寿の方法を説いていた
仙人に弟子入りしまして、非常に優秀な人でしたので、3年間で
免許皆伝となり、陶隠居から次期の継承者は曇鸞だと。
ということで仙人の経10巻を、授けられたんです。
曇鸞大師はその仙人の経を授かったことを大変喜び、
この仙人の不老長寿の法をみんなに伝えるぞと、意気揚々と洛陽という
当時の中国の都に帰っていった。
その洛陽に三蔵流支という人がいた。
三蔵法師というインドから中国に経典を持ち帰って翻訳した三蔵法師
と言われる人の中に、菩提流支という人がいまして、その人のことを
ここで親鸞聖人は「三蔵流支」と言われているんですけれども。
その菩提流支と曇鸞大師が話をすることがあったんですね。
その時に曇鸞大師が「私は不老長寿の仙人の教えを知ってるぞ」
ということで、得意げに話をしたところ、
「その仙人の経ちょっと見せてくれ」と言い、菩提流支がパラパラと
読んだところ、「情けない」と、ため息ついて大地にツバを吐いたんです。
「お前はせっかく仏縁がありながら、こんな情けない教えに迷ったのか。
不老長寿の法とは何と情けない!
どんなに長生きしたところで必ず死ぬ命、これが人間の定めだ。
ところが仏教には永遠の命を受け取る教えがあるんだぞ」と。
このようにですね、三蔵流支は宣言されて、
一つのお経を曇鸞大師に差し出した。
これがですね、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』というお経です。
「無量寿を観る」とありますように、無量の命を頂く、
という内容が書かれているのがこの『観無量寿経』なんですね。
「100年や200年ちょっと長生きした程度じゃないんだと。
無量の永遠の命を頂くのが仏の教えだ。
何かの呼吸法や食事で、100年が150年長生きした所で必ず死ぬ命。
未来永遠に変わらない命を授かる教えが本当の仏教なんだ」と。
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そのように三蔵流支が説かれて差し出したお経が『観無量寿経』
というお経だった。
その『観無量寿経』を読んで、曇鸞大師はびっくりしたんです。
そして「これこそが本当の真実の教えだ」ということを知らされた
曇鸞大師は、「私は間違っていた」ってことで、
その場で仙人の経を焼いてしまった。
これが「仙経を焚焼した」。
『観無量寿経』というまことの教えを授かった時に、
自分は間違っていたと、自分の誤りを判然と知らされた曇鸞大師は、
その場で3年間取り組んできた仙人のお経を、その場で焼き払った。
そして「楽邦に帰す」、「浄土に帰す」っていうのは弥陀の救いに
会われたんだと、親鸞聖人は、ここで言われているんですね。
曇鸞大師のような方でも仙人の教えに迷ったことがあった。
ところが自分が間違っていたと知らされるや、直ちにその非を認め、
そして正しい道に進んだんだ。
そういうところがまた曇鸞大師の素晴らしいところです、
ということをですね、親鸞聖人がおっしゃっているのが、
この「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」
自分が一生懸命やったことは、たとえ間違っていた、
これは違ったってことが知らされても、すぐに認めることが出来ずに
意固地になるのが世の常なんですけれども。
この曇鸞大師のように間違っていたと知ったら直ちにその非を改める人
というのは、これは素晴らしい人ですね。

人生で大切なご縁のその2「損得で節を屈しない人」。
損得勘定で人間は動きますので、それで己の節を屈して、
間違ったことをしてしまうというのが世の常です。
そんななか損得勘定で動かない人がいたとしたならば、
それは本当に信頼できる人なんですね。
かの松下幸之助が、世界のパナソニックを一代で築いた、
いわゆる経営者としては日本の巨人と言われるような人が
この松下幸之助ですけども。
その松下幸之助が、生涯でこの人は信頼できると思ったという
エピソードを紹介しているところがあります。
-- そのエピソードというのは、Aさんという社長と、
Bさんはもっと大きな大会社の社長なんですけども。
このAさんがBさんとの会社との商談に臨んだ時に、
すごい儲け話をこのBさんから持ちかけられた.
ところが、一つだけ不正がそのBさんのやり方には
あったそうです。それを知ったAさんが
「この条件では受け入れられません。
うちの社員やお客さまに顔向けできなくなります」と。
Aさんが毅然と断った時に、松下幸之助はこの2人の
やり取りを聞いてたんです。
松下幸之助こう書いてます。
「この一言で私はこの人とは一生付き合えると確信しました」。
とAさんのことを言ってます。--
松下幸之助は一生涯付き合える人とは一体どんな人かっていう
例として、このAさんのエピソードを出しています。
損得勘定から言えば、ちょっと悪いことすれば儲かるんですから、
ついついそういうことをしがちです。
また、そういうことしがちな人が多いんだと思いますね。
皆もう少しでも儲けるにはどうしたらいいか?ズルしてでも騙してでも
っていう世界ですからね。
ところがそんな中でも社員やお客さんを顔向けできないようなことを
してはならないと、こういう信念で生きているというところに
松下幸之助は感動したということでした。
なかなかできることじゃないですよ。
西郷隆盛もこう言ってます。
「金もいらない、官位もいらない、名もいらない、
 命もいらないという者は、始末に困るものなり」。
そんなものでなければ、国家の大事をなし得ることはできないんだ
ということを西郷隆盛は言葉に残してます。
どんだけ立派な志を持っていても、金を積まれると
己の節を曲げてしまう、こういう立場やこういう役職がもらえますよ!
と言うと、それが欲しさに自分の志を曲げてしまう!
という人が多いんでしょうね。
あるいは「これ以上やるとお前の会社を潰してやるぞ」とか
「お前を殺すぞ」とか。
どんなに信念持って進んでた人でも、もうこれ以上やるのはやめよう!
というふうになるものなんでしょうね。
だから金や名誉を与えるぞ!場合によっては命も奪うぞ!とこう脅せば
みんな前進をやめてしまうんだ。
ところが、そんなになってもオレはこの道進むという者はもう止められない、
もう始末に負えない。そんな者でなければ天下の大事をなすことはできない。
ということを言ってますけれども。
常に損得勘定で生きているような人に天下の大事を動かすことはできない。
という西郷隆盛の言葉ですね。
こんな生き方の出来る人というのは、しっかりした自分軸を持っている人。
言い方を変えれば「人生の目的」をしっかりと持っている人です。
何があってもブレないという自分軸。
大地に根っこが張ってる植物のように、しっかりと自分の軸がある。
「人生の目的」を持っている。
自分はこのために生まれ、このために生きてるんだと言える
確固たるものがある。
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金や名誉の損得で振り回される人生を、仏教では「浮生」と言います。
「浮き草」のような人生ということで、浮き草のように根っこがないですね。
で風のまにまにフラフラフラフラ揺れる。
そのように得だ損だと言って、志もなくフラフラ揺れている。
そういう自分軸のない人生を「浮生(ふしょう・ふせい」と言うんです。
そんな浮生でない、しっかりと大地に根っこが張っている、
自分はこのために生きているんだというものがある。
そういう人じゃないと、こういう生き方はできないですね。
またそんな生き方ができる人こそが本当に信頼できる人なんだ
ということが言えます。

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人生で大切なご縁の人その3として、「叱ってくれる人」。
叱ってくれる人、大事にしたいですね。
私ももう50代半ばになりましたので、あんまり私のことを
叱ってくれる人って少なくなりました。
これが10代、20代、30代くらいまでは、まだ叱ってくれる人が
結構いたんですけども。
今はねやっぱり50代にもなるとね、50代のいい大人を、
叱るって、勇気いりますよ。
50代にもなると、今さら叱ったって腹を立てるだけだろうな!
というふうに、思われるんでしょうね。
だんだん歳とってくるとですね、プライドばっかりが肥大化して
人の注意を受け取らなくなってくる.
自分のことを考えてみてもわかりますから。
若い時はねありがたかったです。
私の先生、先輩から、いろいろ叱っていただきました。
高校時代は先輩からは叱られたというよりもシゴキでしたね、
部活動がちょっと厳しい部活動だったこともあって、
もうイジメに近いようなシゴキを受けてました。
私がこの仏教の布教使の道を目指してからも私の先生や私の先輩
から非常に叱られたことあります。
もう怖いぐらい叱られた経験、何度もありますけれども。
だけど今から思うと良かったですね、
叱られないと気付かないんですよ。
自分で気付け!って言っても気付けないんです、自惚れてますから。
こっぴどく叱られて初めて気付くということなんですね。
だから叱られないと向上できないんです、
散々若い時から叱られてきて、そしてある程度まあ常識が身に
付いてきた!っていうことが言えるんです。
それでも、まだまだ浅ましいんですけど。
このままじゃ仏教を伝える者としてダメだということで
先輩から叱っていただいて今の私があるというのは本当に思うんですよ。
それが40代、50代となってくるにつれて、叱ってくれる人が
少なくなりました。
そんな中で叱ってくれる人があるとしたら、
本当にそれはねありがたい人なんです。
自分を向上させてくれるありがたい存在ということになります。
あの仏教の彫刻でね、仁王像ってあります。
仁王って怖い形相でね。
ああいう怒ってるような怖い形相の仁王っていう存在が、
なぜ仏教の世界にあるのかということですけど。
あれはあの怒ってるんじゃないのです。
怒ってるとしたならばそれは煩悩(ぼんのう)ですから。
仏教では煩わせ(わずらわせ)悩ませるものの一つになってしまうんですけれども。
あの仁王というのはですね、この仏の慈悲(じひ)の一つの形なんですね。
慈悲っていうのは単なる優しいっていうだけじゃなくて、
邪(じゃ・よこしま)を破る。間違ってる者を叱りつけて破る。
それが一つの優しさの表れなんです。
ですから仁王像というのは、厳しく私たちの邪を破っている、その形相なんですね。
だから叱ってくれる人というのは本当に大切にしたい有難い人。
自分によっぽど良くなってほしいという気持ちのある人じゃないと
人は叱ってくれませんから。
叱るとね、どうしてもね、嫌われますから。
嫌われたくないですから、叱ってくれません。
よっぽど自分のことを大切に思ってくれてる人じゃないと
自分のこと叱ってくれません。
もし、あなたに自分のことを叱ってくれる存在がおられるとしたならば、
それは本当に大切にしなきゃならない、ご縁の人です。
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人生で大切にすべき人、その4として、「仏さま」。
人というよりも仏ですから、仏のさとりを開かれた方。
阿弥陀仏であり、またお釈迦さまであり、それらの方とのご縁ですね。
もちろんこのお釈迦さまは当時のインド、2600年前の方ですから、
今の私たちと直接のご縁を結ぶことはできません。
いわゆる生身のお釈迦さまとお会いすることはできませんけれども。
そのお釈迦さまの教えは今もありますので。
その教えを正しく伝えてくださる方とのご縁を深める。
こういうのを「仏縁を深める」と言います。
「仏縁を深めなさい」と言われている親鸞聖人のお言葉がこちらです。
「善知識(ぜんちしき) 同行(どうぎょう)には親しみ近づけ」。
こう言われてますね。
正しく仏教を説く先生のことを「善知識」と言います。
善知識に近づきなさいって親鸞聖人は言われてます。
「同行」に近づきなさい。
「同行」というのは共に仏教を聞き求めている法友ですね。
仏法の友達に近づきなさい、親しみみなさいと、
親鸞聖人は言われています。
この親鸞聖人の書かれた『正信偈』とか蓮如上人の書かれた『御文章』とか、
そういう親鸞聖人や蓮如上人の書き遺されたものを拝読する、
それを朝晩のお勤めと言って仏前で読む、これも得難い仏縁である。
と仏教で教えられます。
そういう善知識・同行とのご縁を深めなさいと、こう言われてます。
そうすると本当の幸せになれますよと、言われてます。
逆に言うと仏教の救いに会えない人というのは、
「同行・善知識に親近せざるが故に」と。
救われない人の特徴として善知識や同行に親しみ近づかないんだ、
こう言われていますように、いかに正しく仏教を説く先生や
仏教を聞き求めている法友と親しく接するということは大切なことか
得難い仏縁なのかっていうことは、親鸞聖人も教えられています。
人生で大切なご縁の人4つ
1つ目が「間違いを認めることができる人」。
そういう人と一緒にいると気持ちのいい人間関係が送れますよってことです。
2つ目が「損得で節を屈しない人」。
そういう人こそが本当に信頼できる人ですよってことですね。
3番目が「叱ってくれる人」。
そういう人がそばにいてこそ、自分は向上できるんですよ。
4番目が「仏さま」。
仏さまとのご縁を深めれば本当の幸せになれますよと。
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最終更新日  2026.09.25 06:44:42
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