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中京大学のプールでスタッフ(高橋繁浩監督・左縁)と選手,岩崎恭子選手(中央)最近のオリンピックのメダリストのインタビュー(競技直後が多い)では,結構印象的な言葉を残しています。中でも,1992年のバルセロナオリンピックの200m平泳ぎに出場した岩崎恭子選手(当時は沼津市立第5中の2年生)は見事な追い込みを見せて,鮮やかに金メダルを獲得しました。実況アナは絶叫するほどの興奮振りで,---- 「 岩崎 ノールを追い込む~抜いた~ゴール~岩崎恭子(ここで1拍おいて)金メダル 」 ---- という録画を何度も見たものでした。レース直後(まだ髪や顔にプールの水が残っていて,滴り落ちていました)に,インタビューがあり, 『 今まで生きていた中で,一番幸せです 』という発言でした。このシーンと言葉は,幾度もマスコミで取り上げられ,多く用いられたようです。当時の岩崎選手は,まだ日本選手権で2位での2’32”程度で予選通過も危ういほどのレベルでしたが,予選から2’30”を大きく切る2’27”程度のタイムでの予選通過=決勝進出だったと思います。決勝では,世界レベルの記録のアニタ・ノール選手(アメリカ)の独泳かとも見られていましたが,逃げるノール選手をスタミナで増す岩崎選手が150m手前から徐々に追い上げ,ゴール前の5~10mで追いつき,ゴール手前でわずかに交わし,タッチの差でゴールインしました。しかし,同時に中国のリン選手も鋭く追い込んできて2位でした。ばてたノール選手は3位に落ちてしまいました。(このレースは良く見ていないと,着順が見ずらかったようです。)正式結果は,優勝 岩崎恭子選手 2’26”65の五輪新,2位のリン選手 2’26”85,3位のノール選手 2’26”88と大接戦でした。というわけで,勝利の確信度も低いようなゴール後の表情でした。けれども,記録の確定後は軽やかな表情の変わったようです。予選での結果(たぶん2’27”台の日本新記録だったような)から,入賞は狙っていたと思いますが,国際試合での実績がありませんでしたので,当時の細身の身体(14歳2ヶ月という競泳では最年少の金メダリストでもありました。)にどのようなスタミナやパワーが含まれているのかと不思議でなりませんでした。 ここでは,「 無欲の勝利 」「 水泳は,若いときにはとてつもない伸びを見せる 」 「 技術力の要る種目ではまだまだいけるのでは 」ということが教訓として残ったような気がします。また,若い選手(中,高校生)の強化をどのようにすべきかを問われていたような感じがします。
2007.12.29
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前哨戦の全日本大学駅伝で首位争いをする竹澤健介選手( 早稲田大 )( 右 )松岡祐起選手( 順天堂大 )( 左 ),宇賀地選手( 駒沢大 )( 中央 )3)「 山登りのスペシャリストは誰れ 」今年は,今井正人選手( 順天大 ~ 九州トヨタ自動車 )と北村聡選手( 日体大 )との9kmまでの争いは熾烈でした。結局は,今村選手が3年連続で,しかも区間新記録の圧勝でしたが。今年は,北村選手も他の区間に回るようですのでが,新たなドラマが,山登りの得意な選手で見られることでしょう。 2007.1.2第5区の箱根の山登りで区間新記録でトップに,今井正人選手( 順天堂大 )ここでは今井選手の山登りのスペシャリストとしての走り振りを見てみましょう。この選手だけは,無駄な力みがなかったような気がします。自然体でのフォーム,服装も半袖の上半身,アームウォーマー,手袋を着用して万全の備えでした。幾分前傾姿勢で,軽快なピッチで進んでいたような感じです。そこで,予断ですが今井選手はいまだに10,000mを28’50”台の後半もかかり,社会人1年目としては,九州トヨタの森下広一監督の指導のもとの成果もまだまだと思われます。やはり,スピードをもっと磨いて欲しいし,「 何とかできそうでは 」とは思いますが。27分台を出して,長距離界に新風を入れてくれればとも。4)「 終わりに 」箱根駅伝は,関東の学生の大会ですが,他の地区の憧れの対象にもなっています。全国ネットのTV中継もされますし,高視聴率も稼いでいます。 長年( 来年で84回目 )続いたのは発足当初の長距離ランナーを育成するための「 アメリカ大陸横断駅伝 」にあったといわれています。最初の参加大学数は4校しかメンバーは揃わず,優勝した東京高師15.05’16”もかかっていました。なお,大会記録が10.59’13”(70回大会の山梨学院大学,1994年)や,長距離のランキング等からも明らかのように進歩が顕著です。けれども,いまだに日本ICでは外国勢に10,000mで1周遅れでは,まだ世界では戦えません。これからのスピードの強化と海外遠征での外国勢とのせめぎ合いが必要になってきています。日本ICの10,000mで,ただ1人27分台での優勝した 箱根駅伝のエース メグボ・モグス選手(山梨学院大3年)の練習風景優勝している各大学の最近の傾向は,次のとおりになります。 1.粒ぞろいの選手によって,くまなく全選手とも好記録を出した時。2.エース級の選手が2~3人いて,その他の区間の選手も連動して好記録を輩出したとき。3.ほとんど平均的な選手が,少しのブレーキもなく完走したとき。------ この場合は,10人のメンバーの10,000mの平均タイムが,29’10”~29’20”より上であることが条件になっているようです。3.のように,必ずしもかなり強い選手がいなくても優勝する場合は,区間で2~3位に入る選手を多く持ったチームが好結果を生むようです。こういうことが,箱根駅伝へ向けて上位を狙うチームとっての目標や,ペースの見所になるはずです。予選会の20kmのタイムがかなり前には,1時間を切るのは難しかったのですが,ここ数年は58~59分台も出るような盛況になっています。1月という時期は例年,寒さや雨,雪などのコンディションに対して調整が難しいと考えられています。参加選手はもちろん,支援などのバックアップの方にも好条件に恵まれますよう,願いたいものです。この箱根駅伝を契機に,社会人になったらマラソンに転向する選手もいることと思いますが,基本は長距離(5,000m,10,000m)の強化からと考えますので,学生の選手から,多くの選手がオリンピックやその他の国際大会での今後に期待したいと思います。
2007.12.26
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2007年1月2日 第83回 箱根駅伝のスタート直後の模様新年早々の1月2日(水),3日(木)の両日に( 関東の学生が対象ながら )第84回箱根駅伝が開催されます。テレビ中継が朝の7時~14時(2日目は15時)まであるせいか,駅伝ファンにとっては必見で新春の風物詩となっています。往復217.9kmに11時間かけての長丁場ですが,高視聴率(約27%)を得ているのには色々な秘密があるようです。そこで,箱根駅伝を様々な面から描いてみたいと思います。1)「 メンバーは何時決まる のでしょうか 」今年の83回大会は,昨年の12月29日(土)に1~10区までの選手10名,補欠枠6名に,計16選手の区間エントリーをしました。最終エントリーは1月2日の競技開始の1時間前に補欠枠の選手6名の内から選び,全選手の出走順が確定します。実際に2007年の大会でも,各大学で2~4名の選手が補欠(といっても手の内を明かさなかった有力な選手が多い)から変更しています。けれども,最初に1~10区までにエントリーした選手は他の区間へは変更できません。したがって,各大学の監督は選手の体調や作戦をぎりぎりまで考え直し,最終判断をします。2007.6.8日本ICでの10,000m決勝の模様 2)「 最強選手は2区に集合 」例年通りのメンバー構成ですと,前半で勝負をかけるチームがほとんどだと考えられます。以前は25.4km(1964年に重松森雄選手が区間新---福岡大が招待出場)24,7km(1966年に澤木啓祐が区間新---順天大)もの距離があり,エースクラスが出場しました。また,1978,1979の両年には瀬古利彦選手(早稲田大)が区間記録をそれぞれ出しています。今でも23.0kmと10区間で最長距離であり,ここで差をつめたり,離したりするには絶好な距離で,「 花の2区 」と呼ばれています。ここでの選手は,長くてきつい上り坂があるので,並の選手では克服できません。【 前回に2区を走った選手の例 】2007.6.8日本で優勝した メグモ・モグス選手(山梨学院大)右から3番目の青のユニフォーム(あと2人を抜けば全員1周遅れに)2007年では今年の日本ICの10,000mをただ一人27‘台で制した, モグス選手 ( 山梨学院大3年 )が2位( 松岡祐起---順天大 ) 以下に1周以上も離しての圧勝でした。正確なピッチと,軽やかな走法は,スタンドで見ていても爽やかな一陣の風を感じたものです。彼は,ハーフマラソンでも好記録を残しており,今大会ではエースとして活躍できそうです。2007年は一旦は11位~2位に浮上しましたが,あと1kmで失速してしまいました。今回はきっと区間記録へと活躍してくれそうな気がします。サイモン選手 ( 日本大4年 ) ,松岡祐起選手( 順天大4年 )の更なる活躍,竹澤健介選手( 早稲田大3年 )は5,000m,10,000mでの学生記録の更新から期待されましたが,11月の千葉駅伝から坐骨神経痛がひかず,渡辺康幸監督も,来年の北京五輪を見据えて「 選手生命をここで終わらすわけにはいかない 」と出場には確信が持てない様子です。竹澤選手の回復を待ちたいと思います。【 前回は他の区間を走った選手 】上野裕一郎選手( 中央大 ) は今季5,000のmの北京五輪のA標準をオランダの遠征で破り,前哨戦の全日本大学駅伝でも大活躍し,先の千葉駅伝でも日本代表として,1区を区間2位と好走しています。この並に乗って,スピード豊かな長身(180cm) から繰り出す走りに磨きをかけて欲しいものです。佐藤悠基選手( 東海大3年 )は1区の区間記録を持っており(2007年は4区で区間最高)今度は2区に出場し,各チームとの競り合いを制すことができるのでしょうか。伊達秀晃選手( 東海大4年 )は小柄ながら,軽快なピッチでハーフマラソンのスピードを生かしてくれるのでしょうか。3年生の佐藤選手との2区の争奪戦はいまだ不明です。北村聡選手( 日体大4年 )は5区の山登りからの転進だと思いますが,主将として28'00”台のスピードを見せて欲しいものです。
2007.12.23
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これからの駅伝では,2008年1月に開催される,1日ではニューイヤー駅伝( 前橋 ),2~3日に開催される箱根駅伝が2大イベントです。特に箱根駅伝は高視聴率(往路の方が高い)を稼ぐ,関心度の高いレースとしてお馴染みになっています。。まずは,ニューイヤー駅伝は7区間100.0kmでの注目の区間を拾い上げてみます。2区は22.0kmと最長で,しかも例年上州名物の空っ風の影響を受けてしまう区間です。各チームではエース級で,しかもハーフをきちんと走れるスピードとスタミナを持つ選手の出場が要求されたようです。 (ここでは外国人選手は使えません)直線部分が長いところが特徴ですので,選手はどのような位置にあるか,どのように抜こうかと走りながらも作戦を練り,ペースや作戦を瞬間に決めるという離れ業を演じなければなりません。区間記録は,高橋健一選手( 富士通 )が2001年の45回大会に出した1.01’36”ですが,元ハーフマラソンの日本記録保持者でもありましたので,軽快なピッチで,豊かなスピード走を見せてくれました。( ちなみに,彼は筋肉質の選手でもありました 。)( 他の区間でも同じことがいえそうですが, ) ここでの好走する選手のパターンは,1.長距離のスピードに恵まれている ------ 5,000m,10,000mの両種目の記録で少なくてもどちらかが秀でている。2.ハーフマラソンで好記録で走っている。3.前のランナーを追い抜こうとする闘争心に溢れた選手であること。4.マイペースを保てる(=ハイペースを突っ切ってしまう)最初から飛ばしていける選手。5.筋肉質の選手は少なく( 例外もあります ),細身でも小気味のいい選手が多い。といってみましたが,重複する場合が多いようです。1区( 12.3km ),3区( 11.8km )の比較的短い区間では,外国人選手が活躍する場合が多いようです。最初から抜け出し,スパートして首位かそれに近い順位でたすきを渡すのが役目のようです。5区( 15.9km )では,「 すべての区間の中でも,最もきついコース 」と呼ばれています。上り坂は,高低差66mもあり,赤城おろしの向い風に悩まされるとのことです。しかも,選手は何とかして前半の遅れを取り戻そうと,勝負に出る区間でもあります。この区間は外国人選手は使えませんので,日本人選手の登竜門ともいえる区間ともいえましょう。改めて,日本選手で注目している選手は佐藤敦之選手( 中国電力 ),松宮隆行,祐行の双子の兄弟選手( コニカミノルタ )の長距離での活躍振りを,藤田淳史選手( 富士通 )の再起,尾形選手( 中国電力 )のマラソンへの準備状況(ほぼ世界陸上の5位で北京五輪の出場は決まりか。)が気になります。1995~1998年にかけて,ヱスビー食品が4連覇しましたが,このときは瀬古利彦監督のもと優秀なメンバーが揃い,活躍したものです。最近は,コニカミノルタ,中国電力の活躍が顕著で,駅伝の楽しさを伝えています。駅伝の最中に,俳人の黛まどかさんを選者に迎え,「 ニューイヤー駅伝 」をお題にした俳句を募集しているのが特色です。そこで「 1句 」詠んでみてはいかがでしょうか。 元旦から活躍し,お茶の間を楽しませてくれる選手は,これを終えてからがお正月になるそうです。お餅やおとそ,おせち料理もそれまではお預けでしょうか。精一杯の全参加選手の好走振りに(ファインプレーに)乾杯したいものです。
2007.12.20
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昨日(12月16日)は岐阜の長良川競技場を中心とした42.195km第27回全日本実業団女子駅伝が行われました。実業団の長距離の一線級を含め,好天(しかし風はやや強し)に恵まれ.沿道の観衆の後押しも幸いし,好記録,高レベルのレースを楽しめました。この駅伝では,特に3人の選手に注目していました。1人目は,2区10kmの渋井陽子選手(三井住友海上)でした。彼女は2.5kmで先行の2選手を抜きトップに立ちました。先月の東京国際女子マラソンからは,見事に立ち直ったかのようです。5kmを15’06”で通過し,31’38”の区間3位と健闘してくれました。これからも6月の日本選手権(川崎・等々力競技場)での10,000mで渋井選手の重厚なスピードレースに期待したいものです。2,3人目は5区11.6kmの最長区間走った福士加代子選手(ワコール),赤羽有紀子選手( ホクレン )でした。ともに国際千葉駅伝を走ったメンバーでしたが,福士選手は両腕に黒いマジックでも字を書き入れ,気合を入れ直しました。ママさん選手の赤羽選手も安定した,粘走を見せ充実振りをうかがわせました。結果は,(この駅伝の予選では走らなかったが)故障から立ち直った福士選手がやや先着し,36'42”の区間記録( これで連続4回目の区間賞になります。 )で,赤羽選手は7”遅れでしたが,大健闘でした。そこで,9月の世界陸上で銅メダルの土佐礼子選手(三井住友海上),11月の東京国際女子マラソン(主催者の都合で,これで最後の大会となり残念です。)での野口みずき選手(シスメックス)の2.21’台での優勝と1名の内定と1名の確実となり,残る代表枠は事実上1名となりました。そして今日,福士加代子選手(ワコール)が大阪国際女子マラソンに,主催者側の招待選手打診を断り,一般参加選手として出場し,初マラソンに出場となりました。福士選手は「 五輪出場を視野に入れ,初マラソンに挑戦することになりました。期待と不安の両面があるが,期待に応えられるよう頑張りたい。」と。福士選手はご存知の通り,3,000m,5,000m,そしてハーフマラソン(1’07”24)の日本記録保持者です。スピードはぴか一で,長いところも十分こなせるはずです。ですが,8月の世界陸上前から脚を痛みがあり,常に不安視されているといわれます。事実,11月の国際千葉駅伝では,若干小さい動きで,本調子を欠いていたようにみえました。けれども,(実業団駅伝の予選を欠場し)本戦の実業団駅伝では,最長区間の5区11.6kmでは,区間賞(区間記録は川上麻衣子選手---沖電気の35’58”)の健在振りで盛り返しました。走りが安定しており,強い向かい風でしたが,3’10”程度のペースで押し通しました。これから,マラソンでは30kmまでをどういけるか,その後の12.195kmはどのような展開になるのか。スタミナ面,距離の克服などの諸問題が福士選手の課題になっています。スピードがあるので,リラックスしたフォームで序盤を駆け抜ければ,終盤で自力で勝負をしてくれましょう。とにかく,日本の女子マラソン界に新しい旋風を巻き起こして欲しいものです。タイムは,東京国際での野口みずき選手の2.21’台が目標になりましょう。今の福士選手は,脚に故障を抱えていますので,十分なコンディションは望めません。けれども素軽なスピードを持っているので,「名古屋での出走を決めた,高橋尚子選手(ファイテン)」を初めとして「原裕美子選手(京セラ)---大阪出場」,などの有力選手が参加します。高橋選手は,ボルダーでの合宿~中国の昆明での合宿などでどう仕上がるのかが楽しみです。名古屋で出走時に絞りすぎでは距離が壁になって,危ないと見ています。逆に.少しふっくっらと仕上がれば身体に余裕があり,いけそうな気がします。こんなことは考えたくないのですが,場合によっては「 今回がラストラン 」になる可能性があります。ですから,彼女のしなやかで,外連味のない走りに注目し,しっかりと眼に焼きついておきたいものです。できれば,あの「 Qちゃんスマイル 」を相性のよい名古屋のコースで優勝(2.21’~22’台で)でき,見事に北京代表になってほしいものです。まだまだ,日本の女子マラソン界には盛り上げ役の方が必要です。皆さんも期待してください。そして,応援してください。そうすれば,声援の後押しで高橋尚子選手が奇跡を起こしてくれそうに思います。
2007.12.19
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福島大,ナチュリルで指揮を執る陸上競技教室での川本和久監督みなさんは,どのようなスポーツをされていますか。またしてみたいスポーツは何でしょうか。身近に,有名な監督や選手などがこられるとしたら,どのような監督,選手がお望みでしょうか。そこで,スポーツ教室として陸上競技教室の模様をお送りしたいと思います。 女子400mの日本記録保持者, 来季のナチュリル入りが決まっている福島大の丹野麻美選手(2006アジア大会で3位に) 1)短距離関係の現役選手では,男子は朝原宣治選手,末纜慎吾選手,為末大選手などと大勢いましょうが。女子では唯一丹野麻美選手がノミネートでしょうか。そこで,実際に丹野麻美選手が通学されている,福島大学の川本和久監督の陸上教室の模様を取り上げてみます。コーチは福島大の現役トップ選手である女子400の日本記録保持者でもある丹野選手を初め,青木選手他,OGが主で同じく川本監督が指導するナチュリルの吉田,木田,長島他の各選手が勤め,午前の降雨の影響で陸上教室は1日がかりで進行されたと。小学生の高学年クラス,中,高校生のクラスと午前と午後に分かれて実施されたといいます。さすがに日本代表を務める方たちの指導で,生徒の皆さんの眼の輝きぶりが違い,手取り足取りの指導で満足のいった教室だったといわれています。川本監督が要所を占め,全体のまとめ役で指揮を執ったようです。ここでも,川本監督の理論 ------ 「 力を地面に伝える 」(=足で地面を蹴るのではなく,足を真下に振り下ろして地面を押す技術)ということを,カール・ルイスのコーチを務めたトム・テレツから学んだ。------が実際の現場で生き,各生徒が実施してみると,すぐにでも総力がアップしたと,TVの放送などで生徒の方々が語っています。2)また違った地域では,小学生の教室の模様です。丹野選手とナチュリルの選手+男子選手に小学生が司会が女子400mHの吉田選手で始まりました。渡辺,長島,栗本の3選手の50ダッシュの「 競争 」を見学です。畑瀬選手の砲丸投げでは「 すごさ 」を。最後に池田久美子選手が100mHで 「 速さ 」をアピールしてくれました。ここでの小学生(キッズ)の眼を見張るもの,わ~~と驚くもの,ほ~~と感心するものと大概の小学生は,日本を代表する選手の動きに引き込まれたことと思います。次に,男子400mの佐藤選手の300mに男子の小学生が3×100mで挑戦。女子400mの丹野選手の300mに女子の小学生も3×100mで挑戦しました。結果は男女とも小学生には楽勝でぶっちぎってしまいました。ここでは,断然な日本の代表的な選手がいかにすごいものかを知らせてくれたものでした。そのほかにも45m VS 50mでは,反対側からそれぞれ走ってくるので,中央の50mがゴールでした。勝ち負けが最後までわからなかったそうですが。OGチームがわずかに勝ったとのこと。畑瀬選手ドッジボール投げ,池田選手の50mHには小学生が50mのフラットで対抗。最後の種目は,佐藤,杉森の両選手(当時はまだ独身でした)の登場でした。女子800mの日本記録保持者の杉森選手は,600mを走り,500mの小学生を100m前においての競争でした。後に,ハーフマラソンの日本記録を樹立した佐藤敦之選手は,1,000mを走り,830mの小学生を170m前においての競争でした。どちらも,最初はスローでしたが,周囲の心配をよそに悠々と抜いたそうです。ラスト1周では立ち止まって,疲れたハーハーというポーズでユーモアも演じていたそうで。このあとに,小中学生を対象に陸上教室が開かれ,数百人が参加したとか。みんなは意外にも開会式での姿から一変して,静かだったそうです。しかし,家に帰ってからの家族での団欒では,大いに陸上談話が弾んだような気がします。
2007.12.15
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ノーベル賞受賞者の決定機関 スェーデンアカデミー12月10日はノーベル賞の授賞式がスェーデンの首都ストックホルムのコンサートホールで行われました。(平和賞はオスロの市庁舎で実施)今年は,アメリカのゴア元副大統領が平和賞を受賞され,私生活での電気消費があまりにも大量で顰蹙を買ったようですが,何事もなかったかのような受賞風景でした。 田中耕一さんのノーベル賞受賞時のディプロマそこで,日本での受賞者の中で,2002年に受賞された田中耕一さんについて感想を述べてみます。知人で,同姓同名の方がいたのには驚きでした。(また,島津製作所内でも,同姓同名の方がいたそうです。)受賞の理由は「 生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発 」であり,生体高分子の質量分析法のための「 脱離イオン化法」な開発を評価されたものです。質量分析機といえば操作が複雑で,かなりの高価なものというイメージが学生の頃はあったような気がします。しかし,異なった分野に行けば,さっぱり縁のない機械だと思っていました。また,化学関係者でも,専門分野が違えば内容を理解するのは容易ではありませんでした。そこで,受賞時の田中さんの素顔を追ってみました。自宅に受賞の知らせが入ったときに「 びっくり( ドッキリカメラ )と思った 」 といいます。家に前に報道陣が大勢押しかけ事の重大さに気づいたほどでした。受賞の記者会見は,島津製作所の会社内で行われました。会社の作業服姿で,少々照れたような仕草で現れた田中さんは「 童顔で,いかにも純朴そうな顔つきの万年青年 」という感じがしました。彼が受賞の原因となったのは,「 間違えて混ぜてしまったものを,捨てずに採っておいた」とのこと。これを実験に使用し成功したというエピソードが伝えられています。このことが,著作の「 生涯最高の失敗 」に載っているのは有名です。また彼は,電子工学科出身ですので化学関係の学科の出身ではありません。また,化学の分野では博士の学位,修士の学位,専門職の学位を保持しない受賞者は2番目だそうです。このあたりに,学生時代の専攻と違った学科でも「 大賞 」を受賞する可能性があるという励みになったという感じがします。また,化学実験に興味を持ち,常識にとらわれないユニークな研究のをするのには並大抵なことでは成し遂げられない ような気がします。田中さんは周囲で騒がれることや,マスコミでの取り上げ方が大げさすぎるなどの対処に困っていました。けれども,語学が達者で,記者会見の席で高い人気を指摘されると「 独身なら良かったのに 」とユーモアのセンス一杯で切り替えしています。当時の生命保険会社が企画した生命保険会社の創作四文字熟語で「 突然権威 」が発表されたのは有名です。サラリーマンから一躍有名になった田中さんを指したものだったようです。現在は白髪も増えて,年齢も増しましたが。勤務先の会社の他にも,4つの大学で客員教授をされています。なお,母校の東北大学では,受賞後にすぐ名誉博士号を授与されています。内外に活躍の場は拡がり,社内で田中耕一記念質量分析研究所長を勤められていて,多くの研究者の育成に努められております。次回は,同年の物理学賞を受賞した小柴昌俊博士について書いてみます。
2007.12.13
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1980年前後の日本のマラソン界ではスター選手が何人もいました。瀬古利彦選手(早稲田大~SB食品)を筆頭に,宗茂,宗猛の双子の兄弟選手(ともに旭化成),しばらくして中山竹通選手(富士通長野~ダイエー),森下広一選手(旭化成)(いずれも当時の所属)と国際での一線級の選手が目白押しでした。最近の男子選手はどうでしょうか。確かに記録は出していますが,いわゆる「 強い選手に 引っ張られた記録 」「 ペースメーカーなどによって作られた記録 」などと呼ばれるものが多かったような気がします。一時(2000年福岡国際)の藤田敦之選手(駒沢大~富士通),2004年のシカゴでの高岡選手選手が日本記録を出したときは,これでいよいよ本格派が登場と騒いだものでした。しかし,故障や年齢的なものがあり,12月2日の福岡国際では両者とも本来の力を発揮できませんでした。そこで,将来の日本を背負って立つ「 新しいリーダーになるべき選手 」を探してみましょう。また,その条件をあげてみましょう。1)スピードに恵まれている ---- 5,000m,10,000mが13’30”;27’40”を切って,トラックでも十分に外国選手と勝負できる選手。2)20,000m,20km,ハーフマラソンのレースに対応でき,ハーフに換算して59’台の前半で走破できること。3)1),2)のレースで主導権を握って勝てる力があること。とにかく,「 勝つ味を知っていること 」というのが最も大事な要素かもしれません。いかに高いハードルが課されているかがお分かりだと思います。以前に当時のタイムや条件をクリアーしたのは,残念ながら瀬古,中山,森下の3選手だけでした。瀬古選手は不運にも1980年のモスクワ五輪のボイコット,1984年のロス五輪では調整に不備があったため,1988年のソウル五輪では故障上がり,という不運と不調な五輪の3大会でした。中山選手は2回とも4位でしたが,1988年のソウル五輪では思い切ったレースができませんでした。1992年のバルセロナでは先頭グループから離れてしまいました。森下選手だけは,10,000mから転向し,初マラソンで2.08’53”という好タイムで優勝という離れ業を演じてしまいました。1992年のバルセロナ五輪では,マラソン3走目で韓国の黄選手との競り合いに惜しくも敗れましたが,大健闘の銀メダルでした。この森下選手のタイプが臨まれているのです。スピードがあり,粘れるスタミナがあり,勝負強いの3拍子+使い減りがしていなく,マラソンに対して負けるという恐怖感がない選手。こういう強い選手の条件とある面ではいえましょう。では,いまクリアーまたはクリアーしそうな選手はというと,松宮隆行選手( コニカミノルタ ),竹澤健介選手( 早稲田大 )の2選手に限られてくると思います。ではどこで見定めることができるでしょうか。現在両選手の目標としている,松宮選手は実業団のニューイヤー駅伝( 群馬,2008年1月1日 ),関東学生の箱根駅伝( 東京 ~ 箱根間往復 ,2008年1月2日) が注目のレースになります。松宮選手がどこの区間を走るのか,最長区間( 22.0km )なら脈はありますが,そうでなかったらずっと先にマラソンの夢は遠のいてしまいます。ここでのタイムは,上州名物の空っ風もありましょうが,無風だとすれば1.02’を切るようなタイムは出して欲しいものです。竹澤選手が箱根駅伝の2区( 23.2km )を走り, 区間新かそれに近く,最初から飛ばしスレースをし,前の走者を並ぶ間もなく抜き去るようならば,大いに期待が拡がると思います。タイムは,1.06’をきるようなタイムが望まれます。いずれにせよ,来季のトラックのシーズンでは5,000 m ,10,000 m で勝負勘とスピードを養って欲しいと思います。それで,最終選考ではきっちりと1,2着で,他の選手をぶっちぎって,北京五輪ではメダルを取りに行くつもりの気概で臨んで,日本の長距離界に新しい風を吹き込んで欲しいと思います。そういうことが,次のマラソンに向かってのステップになると考えます。
2007.12.10
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ジョギングをしている女性の様子最近私の地域では,朝,夕方に限らず日中も,ジョギングやウォーキングをされる方を多く見かけるようになりました。今までの私は,フォームとかの形にとらわれことが多く,彼らの表情にまで観察したことはめったにありませんでした。ところが,昼間のごく少数の方がジョギングされているのを見ると,きつそうでもマイペースで黙々と芝生のコースをジョグしています。お世辞にも綺麗な格好,フォームではありませんが,彼らの「 定番の姿 」をあらわしていたと思います。一般道路を横断するときも,とても慣れている様子で,横切るタイミングがリズミカルで速い判断をしているのに気づきます。私の場合は,左右を何回も見てからという具合に慎重になっていたものでした。女性の数人グループがおしゃべりしながらとても朗らかな笑顔でウォーキングしている姿を見ると「 女性特有の大らかさ 」を感じ,思わずこちらの心も和んでしまいます。この方が距離を踏めそう。とか,長続きしそうとか。そういうことばかり考えていたような今までの私でした。 ジョギングしている男性の様子ジョギングやウォーキングをされているのは,陸上競技とはどうも無縁の方が多そうで,何もこだわりや格好のをつけるような不自然な姿が見られないような気がします。そのうち,森林を利用したもの,歩行者用の道路でも走るのに都合が良いように,道路の表面が滑らかなものに変えられるときが来るかもしれません。道路の新設,拡張,補修にばかりお金をかけていたのを,転用するような時代はすぐそこまで来ているようです。公園内が増え,付属の森林や芝生のジョギングコースの整備がすぐやってくると考えてもおかしくありません。健康ブームで,様々な情報が飛び交っていましたが,これからは良いものしか残っていないような気がします。家族や親類,友人などの周辺の方の健康を考えて見ると,(一番大事なのは家族のことですが)生活の中で, 「 どれだけスポーツを利用しているか 」を考えると疑問な場合が多いようです。よく民間のスポーツ施設で,走らされる機械に向かっている方を見かけますが,これが日本の現状を良く物語っていると思います。夜間に回りでも人がいないと,せっかくお金をかけているのだからとしゃにむにしているような気がします。なかには,この後の爽快感を味わっている人もいるかもしれませんが。このような施設には,結構なお金がかかります。若いときは費用が捻出できそうですが,歳をとったらそうはなかなかできません。民間でも,もっと有効な施設の利用を考えなければなりません。前にも余暇の利用,スポーツの項目で書きましたが,大勢のひとが自分の健康に対して取り組める(というと堅くなりがちですが)----- 「 具体的に取り組む姿勢 」 が大事だと痛切に感じるこの頃です。
2007.12.09
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1980福岡国際マラソンで社会人1年目で優勝2.09’45”の記録を出した 瀬古利彦選手(SB食品) 前回は,瀬古選手の高校時代の中長距離選手,学生時代の福岡国際マラソンでの初優勝の喜びと感涙の表情をご覧いただきました。この後の活躍ぶりは,福岡マラソンの3連勝へとつながりましたが,1980モスクワ五輪では,不参加ボイコットによる)になってしまったことは実に残念なことであり,惜しいことをしました。その後,社会人1年目の1980年には9月6日,15日の2回の5,000レースmで調整し,9月20日の太平洋沿岸8ヶ国陸上の10,000mに出場し,29種目中,日本選手で唯一の優勝でした。手をぐるぐる回し,喜色満面の様子と観客が大いに沸いたのは,いかに多くの人が陸上界にスター選手を求めていたかが解ります。このときの模様は,実施年数を訂正し,加筆しました「 瀬古選手のあれこれ!!」(11月分)をご覧くださ留ようお願いします。 1981年4月の2回目のボストンマラソンでは,前回の覇者ロジャース選手,最後まで(36km過ぎ)付いてきたバージン選手を破り,前年の福岡国際の自己記録を更新し2.09’25の大会新記録で優勝しました。このレースから1年後,ボストンの勝利で空白感を抱いてしまったといいます。以前のように,高い目標がなくなってしまったという今までは味わったことのないものだったようです。そこで,中村監督が半年間の休養をしようということにしたのです。ところがこういうときにおなじみの神宮外苑の木立の中の柔らかいコースで,右足の捻挫~左足~右ひざへと故障してしまったのです。ここで故障が長引き,中村監督から「足の故障くらいなんだ。命を取られるわけではない。恐れるな。怪我と戦って勝つんだ。」と叱咤激励されることになります。SB食品の他の主力2選手も故障し,「 赤信号3人で渡れば怖くない 」では笑い話にもならなかったような気がします。鍼灸の先生の「 私が診て直らなかったものはいません」「 必ず私が治して見せます 」という熱い言葉と心のこもった治療のおかげで瀬古選手を初め3選手は介抱に向かったのです。それでも全快には程遠く,一進一退の症状だったようで,練習開始には多大な努力が必要だったといわれます。そして,復帰第1戦になったのは9月になりました。1)1982年9月15日 早慶対抗陸上8国立競技場 ----- 5,000m( オープン参加 )1982年9月の早慶戦にオープン参加した舌瀬古選手は,早大の坂口泰(現中国電力監督),遠藤司(現早大コーチ)の両選手を従え,好ペースでのレース展開。いつもの試合とは違い,スタンド下には在京のテレビ局などの報道陣でごった返していたといいます。2,000mで二人を置き去りにし,ラストの1,000mから全力をあげる。スタンドの早大側から「セコーッ」,「ガンバレーッ」の声援,慶大側からもエールの声援があったといいます。結果は,13’36”1の国内での自己最高でした。ここでの瀬古選手は「 福岡やボストンで勝ったときよりうれしい。この1年で自分には走ることしかないんだ。走れないことの辛さを初めて知りました。」と言葉を選んで話しました。瀬古選手の表情は,自然にあふれれ出てくるうれしさで一杯のようだったといわれます。これほどの感激を味わったことのないようだったとも。2)1982年10月16日の全日本実業団対抗 ----- 20,000m この後,マラソンへの移行のためのステップレースとして実業団対抗( 福井 )での20,000mが目標とされました。この日は強風のコンディションで同僚の中村孝生選手と2,000mずつ交代で走ろうということになったそうです。10,000mで日本記録を上回るペース(29’14”)「 日本新記録ペース 」という場内の案内でレースが湧きました。瀬古選手は手をたたき,慣習の手を振ったのです。観客もわいて,セーココールを繰り返しました。これに答え,乗った走りでスピードを上げゴール。58’29”6の日本記録での優勝でした。前の自身の記録を16’あまり破ったわけです。中村選手も58’39”8の日本記録で見事なゴールでした。ここでの瀬古選手は,自信に満ちた表情で次のように語っています。「 20kmまでなら大丈夫です。この後長い距離の練習を始め,来春はマラソンに出たいです。」たぶん,ここでも落ち着いた表情で,心ははずんで自然の喜びの表情だったことでしょう。レース中の同僚の中村選手とともに好記録を大いに祝ったことと思います。両者のレース運びでの健闘にも拍手を送りたいものです。こうして11月からのマラソントレーニングへ進むことになったのです。ここでも瀬古選手は,1980年9月の8ヶ国陸上の10,000のときのように桁外れの陽気な一面を覗かせています。中村監督は,厳しくもあり,あとで喜びを分かつ,大きなバックアップを瀬古選手にしていました。この後,瀬古選手がマラソンの世界でトップグループの一人として輝かしいレースを繰り拡げることになります。この続き,その3は次回にします。第55回(1980年)箱根駅伝で花の2区( 24.4km )で区間新を記録した瀬古利彦選手(早稲田大)後方は高校時代に瀬古選手を破った中村孝生選手(前橋工~日体大~SB食品)
2007.12.08
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根室総合運動公園の芝生公園前回はおおよその目安で,余暇のスポーツの環境について述べました。今回は現在ある施設,スポーツの種目を大勢で楽しめるにはどうしたら良いのか考えてみました。《( 現在 + 多少増える可能性がありそうな )施設 》----- 市の体育館,グラウンド,コミュニティーセンターの体育館,小,中,高等学校の体育館,グラウンドなどが公的な施設として挙げられます。また私的なのは,各種のスポーツクラブの体育館,施設,プールなどでしょう。前者は無料かほとんど安い費用で借りられますが,指導者が付く場合は○○教室とかに限定され,通常は個人かサークル活動での自己運営です。後者は費用が多少かかりますが,一箇所の施設でたくさんの種目があるので,刺激になってやる気が出るようです。しかも指導者が付いている場合が多く,より一層楽しめることができ,自身の技量も向上し,励みになることでしょう。そこで,民間の利用料(+入会金)より少し安い料金で公的施設が利用できないかを考えてみました。ここでは,将来週休3日制になってからのことも加味しています。地域のコミュニティセンターを今よりも増設できればなお良いし,(室内プール,体育館数面,トレーニングジム等々)指導者,トレーナー等のケアもあるとなお良い。雇用の増設にもなりますし,こうなったらという願望がほとんどですが。1)通常のスポーツ教室を頻繁に ----- できるだけ日中に開催し,大勢の人数が何班かに分けて受講する。一回の開催に参加した方は,優先的に他の種目に参加できるようにする等の特をつける。(ポイント制の導入をはかり,家族での参加も募る)ここでの種目は 陸上競技,水泳,テニス,バスケットボール,バレーボール等がありましょう。多くの福島大の好女子選手が参加し,福島大の川本和久監督が指揮するスポーツ教室2)有名選手の指導が受けられる特別教室も頻繁に ----- やはり,オリンピックや世界の第一線で活躍された選手の顔を見,声が聞きたいものです。今まで特別な地域や機関でのスポーツ特別教室はあったようですが他のスケジュールの邪魔にならないようでしたら,毎週どこかで教室が開催され,実技の指導を手取り足取りしてもらえる。こういうのが結構将来の希望と励みにつながるものと思われます。 川本和久監督が率いる,福島大の主力と卒業生の各選手 中央が400mの日本記録保持者 丹野麻美選手3)指導者,トレーナー等の増員で参加者が大勢楽しめるように ----- とにかく正しい方法で技能,体力が付く方がよいので,楽しめたらなお結構と思います。なかなか,独学では偏ってしまいがちで,教室で学んだ知識や技術を自分でもやれるような気がします。4)アフターケア ----- 教室が終われば,次の機会は??というようにならないためには,また故障などアクシデントに対応できるスタッフが常駐して欲しいものです。そうすれば安心して,思い切り運動ができます。怪我や事故等も最小限に成り,快適な老後生活,中年生活という感じができることでしょう。5)文化施設との関連 ----- 文化施設との関連施設,それこそ公民館では体育施設と文化施設が一緒にあるところも多いような気がします。公民館の活用で,施設も活きてきますし,大いに宣伝してもらえると助かります。募集人数も大勢になると大変でしょうが,そこは何とか努力してもらって,大勢が楽しめたらと思います。6)新設の施設 ----- これは多くは望めないとおもいますが,既設の施設の充実も必要だとは思います。新設が必要なのは小さくても数が必要なものや,一まとまりで大きな施設も要求されます。 ママさん主婦の幼児スポーツ教室 大勢で楽しむスポーツは考える上では簡単ですが,いざ実施になると多額な資金や施設,要員等が必要となります。今までスポーツクラブにかけていた費用の何割かでスポーツを楽しめたら(家族で揃ってというのもなお良いでしょう)と思うと週末(平日でも空いた時間に)が待ち遠しくなりましょう。これからの余暇のスポーツは様々な世代との時間の共有にもなりましょう。幼児も歳をとった方もそれなりに楽しめる,「 生まれたばかりの赤ちゃん ~ 人生経験豊富な老人まで 」 一緒の平和的な空間を共存できるようなときが待たれます。
2007.12.05
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今日(12月2日)に福岡国際マラソンが無事終了しました。天候は晴れ,1~2mの微風でしたが,気温が13~18℃と若干変動しましたので,汗をかいた選手がいたのが気になりました。( 給水の水を多くの選手が浴びていました。)今回のレースは,北京五輪の選考も兼ねていましたので,好ペースメーカー,外国勢のワンジル,メルパの両スピードのある選手の参加によって,好記録が約束されていたようです。そこで,今回のレースで気の付いたことをいくつか挙げてみました。1)レースメイク ----- ペースメーカー(10kmまでが3人,30kmまでが2人)が14’50~15’05の間できちんとレースを作ってくれました。そして,高記録の期待が膨らんだようです。2)展開 ----- 日本勢の主力が20kmで高岡俊成選手,22kmで松宮佑行選手,30kmで油谷繁,藤田敦史の両選手が遅れてしまい,佐藤敦之選手だけがトップ争いをしただけだった。主力と思った選手がコンディションが充分でなかったか,見た目以上に今回の気象条件が厳しかったともいえましょう。3)スピードに対する適応力 ----- トップ争いをしていた,ワンジル,メルパ,佐藤選手の3名がそろってハーフマラソンで,58’33”,59’16”,1.00’25と世界記録~日本記録とスピードの裏付けがあったことは特筆されるべきことでした。スピードの絶対値が必要なことは,往年の瀬古利彦選手は5,000m ~ 20,000m( または20km ),中山竹通選手は10,000mでのスピードに磨きをかけていましたし,瀬古選手はマラソン出場の前は20,000m( または20km)で,調子の良し悪し を判断していたといわれます。今後の選手の練習の材料にもなっていくし,またそうしている選手もいるはずです。4)暑さに対する順応性 ----- スタート時から13.5 ~ 16.5℃と日差しがきついこともあいまって,体感温度がレースがはじまってすぐにも「 暑さモード 」に変わってしまったことが,30km過ぎで3人にトップグループが絞られてしまったようです。日本勢では,高岡,藤田,油谷の3選手が健闘しましたが,途中で先頭グループから脱落してしまいました。結局,暑さに強い遺伝子を持ったアフリカ勢のワンジル(ケニア),メルパ(エチオピア)の両選手のマッチレースでした。4)最後の ”スパート力 ” ----- 勝負の決め手は最後の瞬発力( = 抜け出す底力,機動力 )かもしれません。そこまで,まだ余力のあるリラックスした走りができているかどうか。相手の調子を見ている余裕があるかどうか。ここぞというときに一気にいける決断力が問われます。レースの締めは,ラストの2.195kmですので,ワンジル選手が初マラソンでも,高いレベルで安定した好レースを終始展開してくれ,押し切ってしまいました。(ラストが6’38”とまずまずでした。)結果は,今季世界第3位の記録 --- 2.06’39”という大会新記録(以前は2000年での藤田選手が記録した2.06’51”でした)で見事に優勝しました。メルパ選手が11秒差で6分台,佐藤敦之選手が2.07’13”の自己新記録をだし,北京五輪への切符を確実にしました。残念なことに,日本勢の2番手は松宮佑行選手でしたが,2.09’40”とかかり,油谷繁選手も10分台,藤田敦史選手は12分台(ゴール前の様子はちょっと気になりました)に終わってしまいました。今後は,2月の東京,3月のびわ湖毎日と選考レースがありますが,日本選手の活躍が期待されます。今回は佐藤選手のみが当確でしたが,今後もボーダーラインは8分台が望まれることでしょう。また,北京五輪へ向けての暑さ対策( 気温が25~30℃と予測されています )が必要で,今後選ばれる代表選手が,ちょうど良いコンディションつくりをしてくれるのを願わざるを得ません。
2007.12.02
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福岡国際マラソンコースの上空からの写真明日(12月2日)は,北京五輪の選考レースの一環で福岡国際マラソンが開催されます。日本選手は,ほぼ一線級が出場し,この大会では好記録続出という定評のあるコースということから,後に複数の代表が選ばれる可能性があります。他にも2月の東京,3月の琵琶湖毎日などの選考レースが目白押しですが一番注目されるレースです。そこで,北京五輪でどのようなレベル(≒タイプ)の選手が選考されれば良いのかを様々な視点で分析してみます。1.メダル獲得レベル --- このレベルは海外での試合経験が必要かもしれません。しかも3位以内(優勝争いをレースのリーダーとして経験していることが重要な要素となりましょう。)に確実に入選する力があるという厳しいハードルをクリアーすることが求められます。北京五輪を想定して,25~30℃の気温を想定し,前半(20km付近まで)はスローペースを我慢して上位グループに,自分のリズムで余裕を持って付けるかが最初の課題になります。そこをクリアーした選手が,小集団と成り,30~35kmが勝負のキーポイントになろうと思います。そこで,数人になった選手が駆け引きが始まります。けれども,もう瞬発力は要らず,少しずつ速くなる「 ジリ脚 」(少しずつじりじりと長くいい脚を使えること)が求められ,次第に他の選手を離せるかがポイントになります。メダル獲得のクラスでは優勝争いをこういう地点でできるかが問題です。あそこでもう少し頑張れれば,と惜しいレースを展開でき,抜群のスタミナ(精神的にも,肉体的にも)がなければ1~3位には到底入れないというのが大方の見方と。世界選手権では若干メンバーが落ちるので参考記録程度かもしれません。自身が幻のモスクワ五輪優勝のチェルピンスキーを破り1980年の福岡国際マラソンで3連勝をした 瀬古利彦選手(SB食品) 古くは,瀬古利彦選手,中山竹通選手がコンディション不良やレース運びのまずさ(消極的で自分のレースができなかった等の理由)で実力がありながら涙を呑んだ苦い経験があります。その後,世界選手権で谷口弘美選手が優勝,バルセロナ五輪では森下広司選手が銀メダルというときもありましたので,最近の世界選手権でも,銅メダルや下位入賞などもう一つの段階まできています。今回の福岡で「 再興の兆し 」を観てみたいものです。2.上位入賞( 4 ~ 5位 )レベル --- このレベルでも海外での試合経験が必要。このレベルでは,30kmまで付けるか,後半追い上げるかのどちらでも可能なような気がします。けれども,最初から優勝は狙わず,入賞狙いの選手はいないでしょうから,初めから上位集団に付いていけないと勝負になりません。できるだけ上位に付け,しかも上位から脱落してもひたすら粘ることが要求されましょう。 2000年の福岡国際マラソンで2.06’51”の日本最高で優勝した 藤田篤史選手(富士通) 3. 【 今回の福岡国際マラソン 】では,日本のトップランクの,高岡俊成選手(カネボウ),藤田敦史選手(富士通),油谷繁選手(中国電力),佐藤敦之選手(中国電力),松村祐行選手(コニカミノルタ)が有力な選手です。マラソン競技はレース経験がものを言う場合が多いのですが,あまり多い回数を走っている選手,年齢が高い選手は,精神的のも肉体的にもスタミナ,疲労回復の早さ,スピード等の能力,気力等に衰えが目立つというのが妥当な見方です。勤続(金属)疲労といえる かもしれません。ですから,有力5人の中から期待できるのは,今年に海外で下位ながらも日本記録を樹立し,中距離の杉森美保選手(ナチュリル)との結婚で心機一転の佐藤敦之選手,若手といってもう27歳になってしまった中堅の松村祐行選手(コニカミノルタ)が希望の星です。今後もこういった選手に着目し,世代交代がされればとも思います。(別に,高岡,藤田,油谷の3選手が選ばれてもまったくおかしくはないのですが。)今回の外国勢はポール・テルガト選手(ケニア)が軍の召集などで不参加となりました。そして,筆頭格の選手はハーフマラソンで世界記録を樹立したサムエル・ワンジル選手(トヨタ自動車九州)となったようです。エチオピアやケニアのヌグセ,イエゴの両選手も2.08’台の持ちタイムですから争覇権の内に入るでしょう。いずれにせよ,各選考会とも好気象条件に恵まれ,ベテランも中堅,若手もそれなりのレースをして,外国勢を打ち負かす勢いで,内容のあるレースを望みたいと思います。
2007.12.01
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