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こんにちは笑顔カウンセラーゆうさんです。 まずはここをクリックして YouTubeの動画をご覧、お聞き下さい。 この曲は「我が敵は我にあり」といいます。頑張るあなたに贈る応援ソングです。 作詞:島田紳助 作曲:高原兄 唄:RYOEI です。 この歌詞を聴いてみなさんはどう思われますか? RYOEI さんの声もとっても素敵です。 終わりに島田紳助さんも言ってるように「とってもおもしろくて、夢もってへん人が聞くと何でもない唄…」ホントかどうかは分かりませんが、夢を持っている人には「ぐっ」とくる唄だと思います。実際私は涙がこぼれました。 そうなんです。我が敵は我なんです。己に勝って大きく飛躍したいものです。 私には(みなさんにもあると思いますが)心を動かされた唄が何曲もあります。歌詞には意味がありそして違った場面にでも考えられます。そんな解説(私なりのですが…)をここでしていきたいと考えてます。 名付けて「ミュージックテラピー」 勝手気ままな私の思いを我慢して読んでみてください。近々公開しますね。 では、また。笑顔カウンセラーゆうさんでした。
2007.06.29
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2006年10月 自らカウンセラーになろうと考え始めた頃は 毎日のようにインターネットで検索を続けました。 「カウンセラーのなるには」 「カウンセリング」 「カウンセラー資格」…等々。 決めたことは良いが 何から初めて良いのかが分からない。 検索で良くでてくるのは「養成学校」「養成講座」 どれも高額でとっても手がでるような額ではなかった。 ここでもお金で断念か! 高ぶる気持ちも徐々に「諦め」とともに 薄れ始めた頃あるNPO法人のサイトにぶつかりました。 「オンラインカウンセラー養成講座」 手ごろな価格と時間帯を選ばないメーリングリスト形式の 講座進行にすぐに飛びつきました。 既に始まっていたのですがギリギリセーフで 参加することができました。 参加メンバーは女性3名と私の4人。 最初は自己紹介。 今までの過程と、なぜカウンセラーになろうと 考えたのかなどを書き込みました。 そこで大きな壁にぶち当たったのです。 カウンセラーになろうと考えたその理由 そのものを否定されてしまったのです。 「あなたのやろうとしていることは カウンセラーではありません。 それはアドバイザーです。」と。 私はいろいろな経験をしてきた。 それも一つでも十分すぎるほどの大きな問題をいくつも。 その経験を生かそうとしてカウンセラーを 目指したのにそれはカウンセラーではなくアドバイザー。 ではカウンセラーとは何なんだ! こんな状態から始まった養成講座。 出鼻をくじかれた分素直な気持ちで 吸収することができました。 そして3ヵ月が経ち修了テストを 年始に迎えるだけの状態になった12月末、 私は自分が今までの自分とは大きく変わっていることに 気が付いていました。 「子ども達が恋しくて恋しくてたまらない自分」 「そんな思いをさせられた元妻への憤り」 「両親との確執」 「10年20年先の不安」 こういった思いはたくさんの「笑顔」によって 徐々に少なくはなっていたが、 まだまだ残っていたのは事実。 しかし3ヵ月のカウンセラー養成講座によって 自らがカウンセリングを受けられていたのです。 そして大きな前進をすることになります。 私は無意識のうちに受話器を握っていました。 そして… カウンセラーになるまで6につづく
2007.06.28
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その本とは野口嘉則著「鏡の法則」です。派遣社員として働く工場での同僚から教えてもらいました。この同僚とはいろいろな話はしていたのですが、株や、ゲーム、TVなどほとんどが娯楽話ばかりで、これと言ってお互いを高め合うような話は一切ありませんでした。しかし、彼は突然この本の話をし始めたのです。本を紹介されることは良くある方なのですが、印象に残らないと買ってまで読むことはなく、そのまま記憶から遠ざかっていくことが多い中、今回はこの同僚からでたあまりにも唐突で、意表をつかれた話が、私の印象をより強いものにしてしまい買って読むことにしました。内容に関してはここでは語りませんが、私の中で何かの変化があったことは間違いありませんでした。内容が、親との確執に絡む内容だったからでしょうか?そして又ある時、ひとりの女性から悩みを打ち明けられました。内容はここでは避けますがかなり参っている様子。以前の私ならただただ聞いてあげるか、自分の思いをアドバイスするかのどちらかでしたが、「この人のために私ができることは…」「どうしたら笑顔を取り戻してあげられるか…」そんな風に考える自分がありました。そして又ある時は美容院で何気なく話していた美容師さんに「経験は何よりも大きい。その経験は何よりも勝。その経験から学んだことが発揮できることができると良いね」と言うようなことを言われました。私の心の中には既に「カウンセラー」という言葉が何となくあったので、その芽が一気に伸び始めたことを覚えています。あんなに辛く、あんなに落ち込み、あんなにひどい状況だった自分が今徐々に取り戻しつつある時に「本」「相談」「助言」そして「軽くなってきた自分の心」が10日間あまりに集中して起こったんです。これは偶然ではなくやはり「必然」なのでしょう。それからの私はただひたすら「カウンセラー」になるためにはどうしたらよいのかを調べ始めました。しかしここにも思いも寄らない出鼻をくじかれる出来事が起こり頭を「ガーン」と一発やられた思いにさせられるのでした。カウンセラーになるまで5に続く。
2007.06.12
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2006年1月。ここから私のひとり暮らしが始まりました。 毎日毎日子どものことを思いTVに自分の子ども位の子達がでているのを見たり、悲しいドラマを見たり、歌を自分に置き換えて聴いたり、家族や子ども達の写真を見たりして泣かない日はありませんでした。 どうして俺ばっかりこんな目に遭わなくてはいけないのか?俺はそんなにひどい人間なのか? このころからとにかく映画を見まくりました。毎週毎週映画館に足を運び興味があるのもないのも見あさりました。 そしてまた泣く…そんなことを4ヵ月は続けていたでしょうか。そんな私に心のそこからの笑顔があるはずもありませんでした。 そんな状態でも、借金返済と養育費は確保しなければなりません。とりあえずで始めた派遣社員での工場勤務も間もなく2年になろうとしたとき、少しでも足しになるようにとアルバイトを週末に始めました。 たまたまネットで目にしたバイトがイベント会社での仕事。 ハウジングセンターでの子ども向きイベントを多く手がけているところで、即、面接をして採用していただきました。それまでにもキャバクラ嬢の送迎や大型スーパーでの福引きなどはやってましたが、子ども相手の仕事はこれが初めてでした。バイト中にたくさんの子ども達の楽しそうな笑顔や、親子の行動を見ていると、初めは自分の子どもを思い涙が出そうなときもありましたが、それが徐々にその光景を見ながら、自然と笑顔になっている自分に気づきました。いろいろな子ども達と携わるバイトをしていて、一番自分が「これだ!」と思ったのが、「着ぐるみ」でした。8月の暑い日に防災フェアがあり、名古屋市消防局のキャラクターになったときのことです。子どもが大好きな私は子ども達に向かって手を振ったりおどけてみたりしてたくさんの笑顔を誘っていました。それが不思議なことに年齢を問わずどんな人にもおどけて見せたり手を振ったりすると大人でも、恥ずかしそうに笑顔になるんです。照れ笑いって言うんですか?それが私の快感になりました。たくさんの笑顔に囲まれることが、こんなに幸せな気持ちにさせてもらえるとはこの時まで恥ずかしながら気が付きませんでした。そんな頃から自分の心が不思議と軽くなっていく、そんな気がしていました。そんなとき1冊の本に出逢いました。カウンセラーになるまで4へつづく
2007.06.09
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2005年4月ここから意地の父子家庭生活が始まり、両親揃っている家庭の子よりも、必ず寂しい思いをさせないようにと、全ての時間を子ども達のために全力投球しました。 周りからは「大変だね」「がんばるねぇ」「俺には真似出来ない」などなど全く嬉しくもない褒め言葉を毎日のように聞いていました。 私自身両親は健在でしたが、世間で言う「確執」状態が5,6年は続いていました。 頼れるものは何もない!自分ひとりで乗り切ってみせる! そんなことばかり考えていました。 「親とはうまくやれよ!」「そんな状態で良いの?」「○○するとうまくいくからやってみたら」などなどいろいろ言われましたが、全て右から左へ。 「お前達に俺の何が分かる」「当たり前の話なんか聞きたくない!」いつも心でそう叫んでいました。 そんなある日耳を疑う言葉を耳にしました。 「子ども達が母親と一緒に暮らしたがっている……」 目の前が真っ暗になりました、…が意外と早く決断できました。絶えず子ども達のことを最優先に考えていた自分にとって、子ども達がそう望むのであれば………。 それから2ヵ月足らずで、子ども達は母親の元に行きました。2005年12月28日のことです。私の父子家庭生活は9ヵ月で終わることになりました。カウンセラーになるまで3へつづく
2007.06.08
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誰しも辛くて悲しくて思うようにならなくて、どうしようも無く切なくて、とても笑ってなんていられない時ってありますよね。私はそんな時期を3年ほど過ごしました。若くして経営者となり、業績が上がらず、借入ばかりが増え、倒産。そして失業。何とか一から出直そうととりあえず派遣社員として工場で働き始めた頃、妻が心労から倒れる。借金返済のためにプライドを捨て、油まみれになって働いた。そんな矢先、妻から離婚を告げられる。絶えられなかったんでしょう。可哀想なことをしたし、させてしまいました。娘の卒園式には夫婦別々で出席、入学式には離婚が成立した後でした。カウンセラーになるまで2につづく
2007.06.07
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