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2006.03.31
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カテゴリ: 食べ物・料理系
ラーメンの語源は?

語源について、最も有力なのは、製めん方法の一つ「手延べ」を意味する中国語「拉麺(ラーミェン)」の誤用説。
長崎、函館、横浜に外国人居留地が置かれたのは1859(安政6)年。
横浜の居留地はやがて「南京街」と呼ばれ、中華料理店が並ぶ。
作家・長谷川伸(1884~1963年)は、明治30~40年ごろのこととしてめん料理「ラウメン」が南京街にあったと随筆に書いている。食文化史研究家の岡田哲さんは著書「ラーメンの誕生」で、ラウメンは包丁で切って作る柳麺(リュウミエン)(広東語の発音でラオミン)とし、「拉麺か柳麺辺りが、ラーメン語源説に最も有力かなと考えている」と書く。
一方、季刊誌「麺(めん)の世界」の編集長で「文化麺類学・ラーメン篇」の著者、奥山忠政さんは「当時は南京街への日本人の出入りは限られており、ただちに『ラウメン』が『ラーメン』として広がったかは分からない」と慎重だ。
横浜税関に勤め、南京街にも親しんでいた尾崎貫一さんが東京・浅草に中華料理店「来々軒」を開いたのは1910(明治43)年。
13(大正2)年ごろの写真に「シナソバ六銭」の看板がある。しょうゆ味のスープに縮れた中華めん、チャーシュー、ナルト、ネギなどがのっていたといい、現在のラーメンの原形といえそうだ。
ただ「ラーメン」という名ではない。
奥山さんが「語源として有力なのはこちらでは」とするのが、札幌市の北海道大学前にあった「竹家食堂」(1921、大正10年開店)。
当時の料理人の王文彩さんがつくる肉絲麺(ロースーミエン)は揚げた細切りブタ肉をのせたもので人気だった。
しかしお客が中国人への差別をこめた名でこのめんを呼ぶため、食堂の主人の妻、大久タツさんが、王さんがよく使う中国語「好了(ハオラー)(OKの意味)」から「らーめん」にしようと思い付く。
奥山さんは大久夫妻の息子に直接話を聞き「どう表記するか悩んでいたら、出入りの留学生が『拉麺』がいい、本来はめんの製法だが構わないだろうと言ったという。
だがそれにも客はなじまず、カタカナにしたらやっと定着した。
留学生の名も分かっており具体性が高い」とする。この店でしょうゆ味のさっぱりした「ラーメン」を“完成”させたのは、王さんの後任だ。

ナルトはどこから?
ラーメンの上でピンクの「の」の字が存在感を放つ「ナルト」。
すり身魚の加工品で蒲鉾(かまぼこ)の一種だが、どこで生まれたのか。
その名にちなんで、まずは徳島県鳴門市商工観光課にたずねてみたが「うちの方とは関係ないんですよ。
こちらではラーメンにも入っていません。
だからいわれも分からない。
形状からその名前がついたんでしょうねえ」。
鳴門市の名産品でもなんでもないそうだ。
文献上はどうか。
年間生産量約4600トン、国内最大のナルト生産地、静岡県焼津市。
焼津蒲鉾商工業協同組合の池ノ谷政利事務局長(49)は「『鳴戸』は1846(弘化3)年発刊の『蒟蒻百珍(こんにゃくひゃくちん)』に出ている」と教えてくれた。ただ、昆布に湯葉やすり身魚を巻きこんだものとあり、現代のものとは違う。
全国蒲鉾水産加工工業協同組合連合会(東京都千代田区)にもたずねてみた。石内幸典総務課長(51)によると「蒲鉾」は平安時代に書かれた「類聚(るいじゅう)雑要抄」に登場している。「切り口が渦巻き模様になる巻き蒲鉾は、室町時代以前の文献に多数のっていると書いた本もあるんですよ」と石内さん。

ところでこのナルト、なんでラーメンにのったのか? 
池ノ谷さんは話す。
「由来はよく分からないんです。
中国の文化にラーメンどんぶりの縁にあるような渦巻き模様があるから、中華風のソバであるラーメンにのせたという説もあるようですが……」
。焼津駅にはかつて鮮魚専用ホームがあり、そこから東京方面に出荷された。
だから東京や横浜・中華街のラーメンにのったのではと推測する。
子供のころ、真っ先にナルトに手をつけた人も多いと思う。
なぞの出自、ユニークなデザイン……隅に置けないのはその不思議さゆえか。

どんぶり模様
気になるといえば、縁にぐるりと渦巻きのような模様がついたラーメンどんぶり。
あのどんぶりはどこから?
「意匠登録もない時代なので、本当の本当に最初かと言われると困りますが、先代は『最初に図案化したのはうち』と言っていました」。
そう語るのは東京・浅草、道具街として知られるかっぱ橋の業務用陶磁器卸「小松屋」三代目の本(もと)健太郎さん(52)だ。
小松屋は1909(明治42)年、九谷焼の産地、石川県から初代、本清太郎さんが上京して始めた。
四隅が角ばった渦巻きを組み合わせた文様は雷文(らいもん)と呼ばれ、古代中国王朝の殷(いん)(紀元前16世紀~同11世紀)の青銅器にも見られる縁起のいい文様。
日本にも古くから伝えられ、九谷焼にも雷文をあしらったものが数多くある。
当時、中華用食器は珍しく、顧客と相談してデザインなどを決めて小松屋が産地に発注した。
「当初からの取引先に来々軒さんもあった。初期のラーメンどんぶりは縁の内側に赤、黄、緑の雷文をあしらい、外側の側面に竜や鳳凰(ほうおう)を描いた丸六三(ろくさん)どんぶり三色雷文。直径が6・3寸(約18センチ)で、底も浅かった。
屋台が多く、立って食べることも多かったから」と話す。どんぶりの底には「喜」の字を二つ組み合わせたものや、やはり縁起物のこうもりがよく描かれた。

ラーメンがなぜこれほど日本人に愛されているのかもフシギ。ひょっとしたら縁起物に囲まれているからかもしれない。

2006年3月30日
毎日新聞 東京夕刊 
暮らしWORLD
より


どっちの料理ショーでもラーメンの特集だったので
気になった記事を抜粋してみました。


さて!何ヘェ~~ですか?







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最終更新日  2006.03.31 13:05:25
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