2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全3件 (3件中 1-3件目)
1
海は赤子の空を胸に抱きながら心に嬉しく想った。3番目に授かったこの子が上の子供達(兄弟達)と(年が)離れて生まれて(我が家にやって)来たことで家の中に再び新たな華やぎが膨らんだなあと。高校生の長男の陸も中学生の次男の悠も休みの日は勿論学校から帰るとすぐ空のところにやって来ては末っ子が起きているかどうかを確認し「空ちゃん、ただいま。」と笑顔で挨拶をするのを欠かさない。挨拶するだけでは飽き足らないようで空に向かって「いないないばあ」をしたり可笑しな表情を作って見せては空を笑わせ嬉しがらせている。家の中にいつも明るい笑い声が溢れ笑顔が絶えないように想う。最後に授かった空が陸や悠のように男の子でなく上の兄弟にとって異性である女の子だったことが幸いしているように感じられる。空のほうもお兄ちゃんの帰宅が待ち遠しいようで時折り大きな高らかな笑い声を上げては周囲を和ませ驚かせているようだ。赤子の誕生と言うのはいつの世にあっても喜ばしくめでたいことであるように想われる。命の伝承や煌きはとても喜ばしくめでたいものだとつくづく心に感ずるらしい。海は時折り心に想った。兄弟は他人の始まりと言う言葉もあるけれどこの子達は幾つになっても結束を守り兄弟3人チカラを合わせ終生仲良くして行って欲しいなあと。年の順からいって先に陸次に悠そして空の順で家を離れ親から独立し好きなパートナーを見つけてそれぞれ結婚し巣立って行くだろう。親としてそれは喜ばしいことであり嬉しい限りに想われる。特に母親としては3者それぞれの幸福を心の中で祈りいつも平等に彼らを愛していたい。そう想うようだ。そしていつの日か両親が先に亡くなる日が来ても兄弟3人いつまでも仲たがいをせずずっと仲良くあって欲しいなあと想うらしい。そんな遠い未来のことを時折り海は小さな空のカラダを抱き空に乳を含ませながらぼんやりと心の中に願うのであった。思えば人間とはつくづく不思議なものだと想う。神様は授かり者としてこの世に小さな命(赤子)を授け夫婦(両親)の生活の中にしばしの間素晴らしい子育て期間を与えて下さるように想われる。そしてそうした楽しみとも想える(子育て)期間ののち鳥が巣から離れ勇気を胸に巣を潔く飛び立って行くように(子鳥が親鳥の元から力強く巣立つように)愛しい我が子と離れ再び夫婦だけの時間に戻るのである。この当たり前とも想われることを近頃は面倒臭く想う若人が増加しているようで世の中の少子化傾向はなかなか歯止めが利かないらしい。若人の中にどうせ元の夫婦の生活に戻るのであれば苦労も多いであろう子育てのステップを拒否し初めから生まない選択を決めるカップルが存在するのも一因だろう。夫婦相互の仕事の忙しさが起因している場合も考えられる。また独身女性の中に今の自分の生活レベルを下げるような苦労を伴う結婚を避ける傾向が見られるのも否めない事実であるようだ。更に子供側だけの問題に留まらず親サイドの我侭で可愛い子供を一生傍に置きたい一心から同居(近居)等を強制し子供側が心に想い描く結婚が出来ないケースも出ているようである。いずれにせよ夫婦は親を離れて一対になると言う。家族と言うのはたとえ距離的に離れていても相互の心の絆や温かな思いやりの気持ちさえあれば心強く結ばれるものだ。上記は遠距離恋愛が成功するパターンとどこか似ている感がある。天からの授かりものであるベビーをいっとき(親が)天から預かり子の成長と共に再び天に返すと言うような発想が今家族を形成する者に必要になっている。赤子の微笑みは天使の笑みであると言われている。いつぞやテレビ画面に映し出された戦火の中生まれて間もないあどけない表情をした天使の笑みを見い出し思わず両の手を合わせその子の幸せを祈ったことがあった。天使は無垢の状態でこの世に生まれて来る。そうしたことの意味する重要性を世に生きる全ての人間は今一度強く心に認識しなければなるまい。命その伝承と重み。海は今し方末っ子の空を胸に抱きかかえながら命を育む女性の肉体と魂が何故か無性に愛おしいものであるように感じられて来た。自分の名のように命を育む女性のカラダは神秘で海そのものだとつくづく感ずるらしい。雄大で悠久な偉大な海であるように感ずるようである。最後に生まれた末っ子の空が上の兄弟とかなり年が離れて誕生したそうした喜びで周囲から甘やかされて育ち我侭な子(女性)にならないように気を引き締めて育てなければと海は心に想うのだった。沢山の愛を受けて愛情深く育てられた分沢山の愛を他者に向かって与えられるように思いやりのある優しい言葉遣いの出来る気配りある女らしい子に空は育って欲しいと海は想う。愛することの出来る子は必ず人から愛されると言う。優しさを発揮出来る子は必ず人から優しくされるとも言われている。心の絆を大切にする子は必ず自らのチカラで逆境より這い上がれるものであるらしい。海は今小さな命を預かる身であることを改めて幸福に感じると共にこの小さな命が大きな航海に出てゆく日のことを心に思い描きしっかりと育てなければと再度自らの身を引き締めるのであった。大寒が過ぎたようだ。来月初旬の立春まで日本列島は1年で1番寒い時期を迎えることになる。海は顔を上げ青い空を見上げにっこりと笑顔を作って澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。どこかでヒヨドリが快く一声鳴いたようである。
2013.01.21
コメント(0)
今よりもっとキレイでクールに(かっこよく)なりたい。そんなふうに考える女性は世の中に多いのではないだろうか。昨今はおなごだけでなく男性までもが(オネエと言う方々も含め広範囲に)上記の達成を望んでいるようである。思えばカラダと言うものは幾つになっても変えられるものであるらしい。高齢になろうともその取り組み方如何では美しくキレイに変われるもののようだ。体の鍛え方次第取り組み方次第では幾つになっても随分キレイに変化出来るようである。何と喜ばしく嬉しいことではないだろうか。カラダは鍛えれば答えてくれるのだ。さてもである。キレイになりたいのであればまずもってキレイになるぞ!と言う強い思いが必要になって来る。また逆にキレイになりたい気持ちだけが先行してもキレイにはなれない。気持ちばかりが空回りし美への取り組み方が適切でないのであればキレイは手に入らないのだ。何事にも言える話ではあるけれども目標ばかりが高くても実践がついていかなければ目標には達成出来ようもない。大切なのは精神面だけでなく実行力(実践する継続力)である。さてここで一言付け加えたい。そうした継続力に本当に大切なのは実践を心から楽しむ気持ちのようだ。楽しみながら行なうことが非常に重要になって来る。例えばである。ヨガやストレッチなどのエクササイズを美しくなる為にだけ取り組もうとするとなかなか長続きすることは難しい。しかしながらそうしたエクササイズを心地良く気持ちの良いことだと考える(感ずる)とカラダを動かすことが根本的に好きになる。カラダを動かすことが好きになりエクササイズに対し心地良さや快感を覚えると取り組み自体にも熱が入るようになり継続が容易くなるのである。不思議なことだと想う。キレイと言うのはキレイを創造しようとする時間そのものを心の底から大事にし且つまた楽しむと言うそうした心の持ちようの中に育まれると言っても過言ではない。人生そのもの(過ぎ行く時間そのもの)を心から楽しみ味わうそう言った心の持ちようが美を育む過程に大切になるのである。ある人は朝1番起きがけにコップ1杯の水を必ず飲み干す習慣があると言う。命の水とも言えるものらしい。腸のキレイを助け育む立派な心掛け(習慣)であるように想う。またある人は家族が起き出す前に化粧台に向かって手早くメイクを施し化粧をするのが習慣化されている。肌のお手入れと言う女の嗜みが自然に身につきキレイが深化定着しているのである。いつぞや拝見したテレビ番組の中で阪神淡路大震災の後共に独り身になった90歳代の男性と女性が2人仲良く映し出されていた。共に家族の同意を得た上で再婚を果たし2人一緒に住み始めたのだがこの高齢の新妻の女性が朝1番起きてすぐ行なうのが丁寧なメイクアップであった。新郎を気遣う新妻の心遣いが何とも初々しく且つ又愛らしく感じられた。超高齢になろうとも毎朝お化粧し毎晩お化粧を落とす作業を心から楽しんで行なう愛らしいお婆ちゃまと言うのはとっても美しくいじらしく感じられお化粧と言うものは健康的でいいもの(習慣)だなあと大変感服して見せて頂いたことを懐かしく思い出す。わたくしがタートルネックを避けデコルテの見えるデザインの洋服を心して身に着けるのもよくよく考えれば施したメイクを1日大切にしたい気持ちが心の何処かに存在するからだと想われる。今し方デコルテと言う言葉で思い出したのだが「クール・ジャパン」と言うテレビの中で外国人の見た日本のかっこよさを英語で語るトーク番組があり「なぜ日本人の女性は胸の谷間を見せた洋服を着ようとしないのか?」と言う話題(疑問)について(短パンは穿くのにどうして胸の谷間は見せないのか不思議だ西洋においては反対で脚のほうは見せないけれど胸の谷間は積極的に見せてアピールすると言ったようなことが)話し合われていた。国際化社会が進化する現代(昨今)日本の女性達も様々に自分をアピールしながら上手に魅力的に見せクールな(かっこいい)ファッションを個性的に楽しむであろうことは想像に余りある。大胆と繊細を上手に操り自分自身で上手く使いこなすことが必要になって来る。例えばお淑やかな和服の慎み深い着こなしの中にしっとりと襟足を見せると言ったキレイに対する心遣いがそれである。様々なTPOに合わせて自分磨きを忘れない心掛けが重要になるように想われる。キレイは千里の道である。お洒落を尊びファッションやメイクヘアスタイルに気を遣うことは勿論のこと(女性の嗜みとして当然のこと)幾つになっても若々しさを保ち美しいボディー(体型)をキープすることも大切である。千里の道も1歩からだと言う。健康と美を心に念じ感謝と謙虚と笑顔を胸に刻んで弛まぬ精進を明るく朗らかに楽しみながら継続して行こうではないか。
2013.01.15
コメント(0)
小寒が過ぎた。我が国には毎年正月7日の日に七草粥を作って食すと言う古くからの風習がある。セリナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナスズシロ(春の七草)が七草粥の具材になり食卓にのぼる。1年の無病息災と招福を祈願して頂く七草粥はお餅や祝い酒など正月料理で疲れた胃を休め平常の食生活に戻る区切りの役割も含み持つ。今朝は我が家も頂いたが温かな七草粥に心和んだ方もきっと多かったのではないだろうか。脳の唯一の栄養素はブドウ糖である。良質の炭水化物を含むお粥を始めとする温かな朝食の存在は1日の活動(活気)を支える大切な栄養源だと言える。キレイはしっかりと排出出来るカラダ(腸のチカラ)とそうしたカラダの指令系統を司る脳をどちらも若々しく保つことにある。人間の「脳」について書かれた心に残る文章を下記に記し記憶に残して心に留めおきたい。新しい年が明けた。昔風の「数え年」で言えばみなが一斉に年を重ねたことになる。先日、ある人が心に残ることを言った。「超高齢化社会」などと年を重ねることが、あたかも問題のような風潮。長生きは、おめでたいことではないか。その通りだと思う。お年寄りは長生きしたほうが周囲も嬉しいに決まっている。長年苦労されて、今の日本を築き上げた方々。できれば、末永く生きて人生を楽しんで頂きたいと思う。人間の脳は、何歳になっても変わりうる。前向きに挑戦する気持ちさえ忘れなければいつまでも若々しくいられる。脳は、新しいことを学習するのが大好きである。新鮮なサプライズがあると「よろこび」を表すドーパミンが放出される。その度に、学びの階段を一歩上ることが出来る。新しいことに挑戦する脳は、いつまでも若い。世の中は、アンチエイジングが大流行。肌の若々しさを保つ工夫も大いに結構だが挑戦すること、学び続けることこそが最大のアンチエイジングの秘訣だと知っておきたい。ところで、新しいことに挑戦すると言ってもなかなか、その勇気が出ない方も、いらっしゃるかもしれない。挑戦に必要なのは「根拠のない自信」。子供の頃には誰にもあるのに、だんだん消えて行ってしまう。人間の脳は自分を支えてくれる「安全基地」があってこそ新しいことに挑戦出来る。家族との絆。友人たちとの語らい。自分とつながる人々の笑顔こそが、安全基地となる。子供が、次々と新しいことに挑戦する根拠のない自信を持っているのもお母さん、お父さん、保護者の笑顔と言う安全基地があるからこそ。何歳になっても、周囲の人との絆と言う安全基地が私たちを支えてくれる。日本の社会では、近年、「自己責任」と言う言葉が流行った。しかし、1人で挑戦しても、限界がある。米国のシリコン・バレーでも友人や知人の輪が、ベンチャーを支える。日本が前に進むためにも私たちを包んでいる絆を大切にしたい。年が改まる。家族や友人たちと、団欒の時を持つ。自分を支えてくれる安全基地を育む時は今。大いに絆を強めたい。人々の温かさが、「挑戦する脳」を育む。大切な人の笑顔が、前向きに生きる勇気とふくよかな希望を与えてくれるのだ。上記の内容が示すように家族の(絆の)存在は大事である。我が家もご多分に漏れず毎年正月元旦と2日の日には家族全員で夫婦(両家)の実家に出向き新年の挨拶をしている。兄弟や従兄弟たちと話が出来る機会と言うのは有意義であって大切である。(新春の大河ドラマ「八重の桜」の中で兄が妹を思い薄暗い蔵の中へ夜食を持って来てくれたシーンに感涙してしまった。)話を戻すとそうした家族だけではなく友人たちとの親睦も非常に重要であるように思う。毎年元旦の日には若かりし頃お世話になった塾生の集まる新年会へと足を運び同輩だけでなく先輩がた後輩たちとも交流を図り見聞を広めるように心掛けている。また毎年正月松の内には親しい仲間同士の同年代の新年会もあり二次会のカラオケなどでは今年も男性6名女性4名計10名ほどで夜が更けるまで大ハシャぎしては愉快で楽しい時間を共有し合っている。楽しく相互に歌い踊っては盛り上がり友好(友情の絆)の輪(和)を深めて交流を図っている。これからも大いに相互の絆を強め家族や友人たちとの団欒の時を大切にしてゆきたく思う。人々の温かさこそが上記の文面にもある「挑戦する脳」を育み大切な人の笑顔が前向きに生きる勇気とふくよかな希望を与えてくれるのだから。そうした人との絆には感謝の気持ちが欠かせない。気持ちを表わす感謝の言葉は心を込めて直接言葉で相手に伝えることが最も肝要であるように思われる。何事もバーチャル内に留まっているだけは確かなものにはならず(確かに伝わらず)実感を伴わない(齎さない)。実感を通じて様々なものを学び自ら気づき目覚めることによって学習を深めてゆきたいものである。心豊かに大らかに健やかに明るく過ごしてゆきたいものだと思う。
2013.01.07
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1


