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★☆ オオキツネノカミソリ咲く『 井原山 』を登頂す! ★☆ Mt.Iharayama(Altitude:983.0m)~ 福岡県糸山市『 井原山(いはらやま) 』 ~ REALISTは、2015年7月30日(木)、例年7月下旬から8月上旬にだけ咲くと言われる『 オオキツネノカミソリ(大狐の剃刀) 』という希少種が花咲く福岡県糸島市内の佐賀県との県境にある『 井原山(標高963m) 』に「水無(みずなし)登山口」から登頂した。当日は、天候も良く、花見を兼ねた多くのハイカーで溢れていた。 この山は、4月上旬から花開く『 コバノミツバツツジ 』という花の大群落の地としても有名であり、是非、『 雷山 』までの縦走や次の春登山にも訪れたい山だ。登頂時刻午後1時25分。大きな立派な山頂の標示板!沢沿いの登山路が涼しい反面、山頂は、・・・暑かった!日除けなしだ。水無登山口に設置されていた「井原山・雷山登山歩道」の案内看板の一部。往路は、水無登山口からアンノ滝分岐、オオキツネノカミソリ群生地経由で井原山山頂へ、復路は、雷山縦走路から井原山自然歩道でアンノ滝、水無林間歩道、アンノ滝分岐経由で水無登山口へ戻った。写真撮影に時間をかけ過ぎ6時間余りを過ごした。左は、水無登山口の駐車場、午前10時20分に到着時は満車状態であったが、たまたま、早朝登山を終えたハイカーの車が出たので、どうにか駐車できた。右は、駐車場にある山情報を提供する「山ナビBOX」と歩道案内看板だ。最初の木橋を渡る!川幅は約2m。心ウキウキ!登山道は、沢沿いの道なので、こうした木橋が多い。早くも、ボチボチとオオキツネノカミソリが沢沿いに現れた。これは、山道のぬかるみ部分に設置されている木道だ。歩きやすいが滑りやすい。 沢の苔むした橋を渡る、清流が音を立てて流れている。 雰囲気変わって、こんな樹林帯をしばらく歩く。 そして、再び沢沿いの道を歩くと、夏でも涼しい。オレンジ色のオオキツネノカミソリが、次第に増えてきた。初めて見た美しい花だ。 「オオキツネノカミソリについて」とある解説掲示板。そうなのか・・・と勉強になった。これは「アンノ滝分岐」にあった。オオキツネノカミソリの群生地に入った。ルンルン~!山道の沢沿いに続くオレンジ色の波の密度は次第に高まる。やがて、道の両側もオレンジ色に染まる道となる。花の道は気持ち良い。しかも、天然自然に生まれたもの。それから、急斜面の登の道が続いた。一部、こうしたロープを握りしめて登る。井原山山頂手前の分岐に差し掛かり、高度が高まり、ヤマササの藪(やぶ)に突入!山頂は近い!山頂に到着!(午後1時25分)、2時間半以上もかかった。私の知り合いの山ガールは、単独で同じコースを早朝の暗闇のヘッドライトでわずか1時間で登ったそうだが・・・それは早い!気温は29度、1000m近い山頂なのにここは暑かった。先客が3人休憩していたので、互いに見知らぬ同士の交流タイムと遅い昼食。赤の他人と仲良く互いに撮影し合って、撮影してもらった1枚。福岡県内の人であった。30分休憩。ここの暑さでヘトヘトだった。 縦走路のある『 雷山(かみなりやま) 』方面を観る。PM2.5の影響なのか?眺望はクリアでない。 それでも、方向を変えて観れば、青空だ。 下山は、雷山縦走路からアンノ滝方面に向かう分岐に入る。目的は、ただ『 アンノ滝 』を見たいから! ヤマササのヤブコギに突入!前が見えない。 これが、有名な『 アンノ滝 』。名前の由来はわからないが、女性的なネーミングだ。付近は冷たいミストの様な涼しさ!『 「アンノ滝 (Anno waterfall)」福岡県糸島市井原山) 』REALIST撮影『 アンノ滝 』の水の流れの動画を撮影した。音付きなのでどうぞ!下山中に出会ったロープ付きの急斜面の登山路。そして、最初の「アンノ滝分岐」に戻った。これで、「水無登山口」に帰れる。ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2015/09/14
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★ 敵であった元アメリカ兵が書き上げた迫真の実録フィクションを映画化 ☆ 『 Oba, the Last Samurai: Saipan 1944-45 』by Don Jones~ 主人公の大場 栄陸軍大尉を竹之内 豊がリアルに演技 ~ この映画は、昨年(2011年)2月11日に一般公開されたもので、REALISTは、公開とほぼ同時に鑑賞しましたが、ブログでご紹介できずそのままにしていたものです。これは、敵であった元アメリカ軍海兵隊兵士が執筆した実話をリアルに映画化した見事な作品で、ここ最近の邦画の中でも抜群に感動ものだったのでご紹介します。 ストーリィは、1944~45年の太平洋戦争の末期、壮絶を極めたサイパンのタッポーチョ山で、命がけで200人余りの民間人を守り抜き、自らの義も貫いた 日本陸軍の大場 栄(おおば さかえ)大尉ら47人の512日にわたる戦いの実録を映画化したものです。 俳優の竹野内 豊は、太平洋戦争の激戦地サイパン島で、終戦を知ることなく、残されたわずか47人の兵力で4万5000人もの米軍を神出鬼没な戦略で翻ろうし、“フォックス”と畏敬の念を込めて呼ばれた実在の人物・「大場 栄(おおば さかえ)陸軍大尉」をその人物像に迫る名演技で人柄を見事に演じています。無精ひげに浅黒く痩せこけたマスクで一層のリアルな描写が印象的でした。 ★☆ この作品の原作について ★☆ 原作者:ドン・ジョーンズ(Don Jones, 1924年生)元アメリカ海兵隊隊員で米国の作家著作名:『 Oba, the Last Samurai: Saipan 1944-45 』(邦題『タッポーチョ「 敵ながら天晴(あっぱれ)」大場隊の勇戦512日 』)この本は、昭和44年に戦時に敵であった元アメリカ兵が取材した大場元大尉自らの監修のもとに完成した迫真の実録フィクション 『 太平洋の奇跡 』 全国300スクリーンで公開され、2011年2月12、13日土日2日間で興収は2億5,510万700円、動員は21万6,495人(初日からの3日間では興収は3億9,044万8,500円、動員は33万1,967人)になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第1位となった。イギリス、アイルランド、ドイツ、オーストリア、スイスの5カ国での配給が決定、他の国でも配給交渉が進行中なのだそうだ。また、初日満足度ランキング(ぴあ映画生活調べ)では第1位と高評価されている。 写真は「大場陸軍大尉」役の竹野内 豊と「青野千恵子」役の井上 真央、監督は平山秀幸、脚本は西岡琢也/Gregory Marquette・Cellin Gluck、他のキャストには、山田孝之 中嶋朋子 岡田義徳 板尾創路 光石 研 柄本時生 近藤芳正 酒井敏也 ベンガル Treat Williams Daniel Baldwin 阿部サダヲ 唐沢寿明など・・『 太平洋の奇跡 歩兵の本領 』感動の頂点となる最後の1945年12月1日の降伏シーン 大場大尉が指揮した歩兵第18連隊が派遣されたサイパン島は、1944年6月に日米両軍が激突、日本陸軍第43師団を主力とする2万5千名が戦死、5千名が自決により、同年7月には米軍が制圧したが、翌年8月のポツダム宣言受諾時もその事実を知る術がなかったため、生き残った日本兵によるゲリラ的な戦いが続いた。そして、「自決するより生きて戦うことを選べ!」という信念を貫き、終戦後の12月1日、戦没者を弔うべく軍歌『 歩兵の本領 』を歌いながら投降したという史実を基にこのシーンが忠実に描かれた。 これは、大場大尉(左)がアメリカ軍海兵隊カーギス中佐に軍刀を手渡した実際の降伏シーンの当時の写真。終戦から3カ月余り経過した1945年12月1日、大場隊47人は戦死者に対し3発の弔銃を捧げ慰霊を実施、各自軍装を整え日章旗を掲げ隊列を組み、軍歌「歩兵の本領」を歌いながら行進・下山しアメリカ軍に投降した。写真の様に投降式典において大場は降伏の証として、自身の軍刀をアメリカ軍将校に手渡した。『《軍歌》歩兵の本領("Hohei no Honryou"- Specialty of Infantry)』 大場陸軍大尉一行の降伏の際に歌った軍歌『 歩兵の本領 』が知りたくてYOUTUBEで検索したところありましたので、参考までに。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/09/25
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★☆ Drei Lilien 『 三輪の百合(ユリ)』 ★☆ ~ 第2次世界大戦中のドイツ軍・軍歌/行進曲シリーズ ~ 前回に引き続き、今から60数年前のドイツ軍やドイツ国内の世相を知る上での歴史考証の事実を考察するため、当時のドイツ軍兵士たちの間で唄われた軍歌に焦点を当てました。 ドイツ軍の軍歌について調べたところ、大半の軍歌は古くからの民謡が伝承的に発展して軍歌として唄われるようになったことがわかりました。また、その歌詞内容の特徴は、日本や他の国の軍歌とは大きく異なり、勇ましい戦闘的な表現はきわめて少なく、美しい森や自然に対する憧(あこが)れや望郷の念、恋人を思う素朴な気持ちを表現したものが特に多いことでしょうか。WWII ドイツ軍の象徴「M35スチールヘルメット」REALIST所蔵品 今回の軍歌も前回同様に、曲調やリズムはかなり勇ましいにもかかわらず、歌詞の内容を読むと・・「なんと悲しい歌なんだろう!」と思うのですが、それに反するかのように沈んだ雰囲気がまるでないのが、この『 Drei Lilien(三輪の百合)』です。Drei Lilien (three lilies)『 三輪の百合(ユリ)』 三輪の百合(ユリ)とはズバリ植物の花のことですが、ドイツではお墓に「百合(ユリ)の花」をお供えするのでしょう。日本では特に菊の花が多いわけですが、この点もお国の違いがわかり面白いですね。この歌も、もともとはドイツ民謡であり、特に学生たちの間で愛唱されていたそうですが、その学生たちがそのまま兵士となり、いつのまにか自然と兵士たちの間でも唄われるようになったために軍歌になったという経緯があるようです。 戦闘中のドイツ軍兵員装甲車(Sdkfz251/1)と歩兵 前回と同じく、YouTubeに当時のドイツ軍兵士たちによる合唱とその歌の背景には、これまた当時の従軍カメラマンの手による戦場の記録フィルムをカラーで再現、編集された歴史考証上にも貴重な動画を発見しましたので、ご紹介します。 この画像や軍歌に対して皆さんがどのように感じるかは、人様々だと思いますが、これが歴史的にも紛れもなく60数年前の過去に存在した事実というものを直視する必要があるでしょう。このような実際の画像を観ることで、どんな多くの言葉よりもはるかに多くの事実や情報を知ることができると思います。 今回の動画では、鉄血宰相ビスマルクの姿が見えることから、第一次大戦前のドイツ軍の模様が中心に展開されているようです。 LANG(ドイツ軍・IV号駆逐戦車ラング)上での戦車長と砲手 歌声は、当時のドイツ軍兵士たちの合唱 ↓ ↓ ↓ 歌声と動画の世界へ旅立ち!!★☆『 Drei Lilien『 三輪の百合(ユリ)』 』★☆ ★☆ Drei Lilien『 三輪の百合(ユリ)』 ★☆ の歌詞1.三輪の百合、三輪の百合を私は自らの墓に植えた。そこに一人の立派な騎兵が来てそれを持っていってしまった。ラララ ラララ ララそこに一人の立派な騎兵が来てそれを持っていってしまった。 Drei Lilien, drei Lilien,Die pflanzt' ich auf mein Grab,Da kam ein stolzer ReiterUnd brach sie ab.|: Juvi valle ralle ralle ralle ra :|Da kam ein stolzer ReiterUnd brach sie ab. 2.ああ騎兵さん騎兵さん、どうか百合をそのままに。恋人に今一度その花を見せたいのです。ラララ ラララ ララ恋人に今一度その花を見せたいのです。Ach Reitersmann, ach Reitersmann,Laß doch die Lilien stehn,Die soll ja mein FeinsliebchenNoch einmal sehn.|: Juvi valle ralle ralle ralle ra :|Die soll ja mein FeinsliebchenNoch einmal sehn. 3.君の恋人が私にとって何だろう、君の墓が私にとって何だろう!私は立派な騎兵、百合をもっていった騎兵だ。ラララ ラララ ララ私は立派な騎兵、百合をもっていった騎兵だ。 Was schert mich denn dein Liebchen,Was schert mich denn dein Grab!Ich bin ein stolzer ReiterUnd brech' sie ab.|: Juvi valle ralle ralle ralle ra :|Ich bin ein stolzer ReiterUnd brech' sie ab. 4.今にもう私は斃れて朝には死んでいるだろう。そして人々は私を葬る、朝焼けの紅に。ラララ ラララ ララそして人々は私を葬る、朝焼けの紅に。Und sterbe ich noch heute,So bin ich morgen tot,Dann begraben mich die LeuteUms Morgenrot.|: Juvi valle ralle ralle ralle ra :|Dann begraben mich die LeuteUms Morgenrot.5.朝焼けの紅に、朝焼けの紅に私は葬られるだろう。そして私の恋人は生涯孤独の身となってしまう!ラララ ラララ ララそして私の恋人は生涯孤独の身となってしまう!Ums Morgenrot, ums MorgenrotWill ich begraben sein;Dann ist ja mein FeinsliebchenSo ganz allein!|: Juvi valle ralle ralle ralle ra :|Dann ist ja mein FeinsliebchenSo ganz allein! この歌詞の中では、「騎兵」という言葉が登場するわけですが、おそらく馬を多く戦争で使用した時代背景があるのでしょう。騎兵が活躍する時代と言えば・・・特に中世ヨーロッパ時代から19世紀のナポレオン戦争時代のヨーロッパがイメージされます。そんな古くから伝わる物語(ストーリィ)の中の一節が、この『 Drei Lilien(三輪の百合)』なのだろうと思います。したがって、この歌詞の前提となるその物語の全体像を熟知している当時のドイツ人だからこそ、この歌詞を読んだだけで大いに共鳴しすぐに理解できるのでしょう。しかし、残念ながらREALISTにはその知識がまったないために、この歌詞の意味する深い意味がイマイチ、ピンとこないわけです。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2009/10/16
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★☆ ゼロ戦52型丙とコラボにぴったりのモデルセット ★☆ 1/48scale JNAF aircrew "Rabaul Zero fighters"~ MODELKASTEN(モデルカステン)製 ~ REALISTは、以前作成したことのあるタミヤ模型製の『1/48スケール・三菱ゼロ戦52型丙(A6M5c)』にコラボできる日本人パイロットのフィギュアセットのプラモデルが欲しくて探していたのだが、・・・遂に、MODELKASTEN(モデルカステン)製の表情豊かな7体で構成されたプラモデルセットを発見、購入した。自作零戦の周囲にコラボさせれば、かなり賑(にぎ)やかになりそうで楽しみだ。 F-5 ラバウル零戦パイロット7体セット ★(株)アートボックス/7013 これは、『1/48 ラバウル零戦パイロット7体セット 』の箱に表示された作成例であり、私の作品ではない。箱の中身は、勿論、接着も塗装もない単なるプラスチックの部品だ。製作者が優秀なのであろうが、顔立ちや表情がとてもリアルな仕上がりなので購入した。REALISTは、MODELKASTEN(モデルカステン)の製品を今回初めて購入した。『 日本本土防空戦ー悲しいときはいつもー 』 これは、先の大戦で、昭和20年の終戦も近い日本本土を攻撃するアメリカ空軍部隊とこれを迎え撃つ日本軍の大空のサムライたちの日本本土防空戦の模様を見事に再現したCG作品だ。日米両軍の戦闘機などは史実に基づいて精巧に再現されている。空中戦の模様も実際の記録フィルム画像の状況を観ているようでリアルだ。バックに流れる松田博幸の「悲しいときはいつも」の曲も良い。当時の防空戦に当たるパイロットたちは、特別攻撃隊(特攻)とは、異なり、ラバウルなどから引き揚げたベテランでいわゆるエース級の撃墜数を誇る様なパイロットの生き残りで構成され、主に防空戦の戦闘攻撃任務に専念した。 自作プラモデル・ブレイク このゼロ戦にコラボすべきだろう。三菱 ゼロ戦52型丙(A6M5c/ZAKE)1/48 スケール この戦闘機が出現した当時は、アメリカ・イギリス軍相手に向かうところ敵なしで岩本徹三、坂井三郎、西沢広義、杉田庄一など多数の大空のエースが活躍した。ラバウルでは、ゼロ戦21型や52型が使用された。やがて、・・・アメリカ軍が無人島に不時着した無傷に近い零戦の入手と研究の1~2年後、零戦に対抗できる新鋭戦闘機ムスタングの出現とともに次第に形勢が悪くなった。戦闘に向かう零戦に手を振り、帽子を振って見送る整備兵などの情景。これは、当時の記録映画などでもお馴染みのシーンだ。明日は生きていないかも・・・と思いつつ飛び立つパイロットの横顔。まだ、ほんの20歳前後の少年の様な若者たちの多くは、戦闘の合間も、「おかあさん」・と故郷の母に思いをはせることが多かったようだ。『 泣ける【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~ 』 特攻隊員の実話だ。それにしても、戦争は残酷だ。国や故郷、家族や恋人を守るために自分の身を犠牲にして戦った人々のことを現在ばかりか将来の日本人も決して忘れてはならないことだ。それにも加え、現在の平和な日本があるのは彼らの犠牲の上に築かれたものであり、感謝しなければならない。 ラバウルなどのはるか遠方の地でセロ戦が活躍できたのも、その裏方でコツコツと作業した多数の整備士、エンジニアや作業員のおかげだろう。彼らのことも忘れてはならない存在だ。 日の丸を腕に巻いて敵戦闘機に向かう姿。 F-5 1/48 ラバウル零戦パイロット7体セット プラモデル[モデルカステン]《取り寄せ※暫定》楽天で購入(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/10/28
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☆★ ドイツアフリカ軍団の勇将ロンメルが前線指揮に愛用した車両 ☆★ This is the off-road battle car which used a tire and a caterpillar.~ タイヤとキャタピラを併用したオフロード戦闘車 ~この作品は、北アフリカ戦線でドイツ・アフリカ軍団ロンメル将軍の愛用車両として使用された軍用車両の「Sd.kfz.250/3無線指揮車(グライフ)」(TAMIYA、1/35)をモデル化したものです。Box Art (By Tamiya) ☆ 解説 ★ 第2次世界大戦のドイツ軍では、迅速な侵攻と展開を可能とする地上部隊の機械化を進めており、その過程で開発された装甲兵員輸送車には、ハーフトラック型の「Sd.kfz.251」及びそれよりも一回り小型の「Sd.kfz.250」があった。両車両とも車体の装甲厚は前面が14.5mm、側面が8mmで、標準型のSd.kfz.250/1では、重量が5.38トン、エンジンはマイバッハHL42・100馬力を搭載、最大速度60km/h、燃料タンク容量140リットルで175~300kmの航続距離があった。Sd.kfz.250は無線指揮車、弾薬運搬車、対空砲装備車など様々な改造型を含めて終戦までに約5900台が生産された。これらの車両の中で最も有名な車両が、北アフリカ戦線でドイツ・アフリカ軍団ロンメル将軍の愛用車両の「Sd.kfz.250/3無線指揮車グライフ」である。ギリシャ神話に登場する有翼の怪獣GREIFの5文字を車体に大きく描き、ロンメルと共に北アフリカの砂漠を縦横に疾駆して活躍した車両であった。 ★☆『 Sd Kfz 250 ハーフトラック』★☆ 第二次大戦当時の貴重なSd.Kfz.250の映像です。 英米連合軍側からも「砂漠の狐(きつね)」と呼ばれ、その見事な作戦指揮能力や伝わる人柄の良さなどから尊敬の念をもたれていたと言われるエルヴィン・ロンメル(Erwin Johannes Eugen Rommel)元帥。 ★ 作品について ☆ 塗装は北アフリカ軍団向け基本色のダークイエローとした。北アフリカの砂漠を走行した雰囲気を持たせるためにタイヤやキャタピラ、車輪部分に砂や泥の汚れを演出した。ドイツアフリカ軍団を示すをマークを車体前部右側、後部左側に貼付した。 ☆ 感想 ☆ 劣勢な部隊で優勢な敵を見事に撃ち破る「砂漠の狐」としての戦術家、ヒトラーの残虐な指示に従わず国際法を遵守して英米軍の捕虜を丁重に扱った聖者、騎士道精神のある軍人として、捕虜を含めた敵や味方からも尊敬されたドイツ陸軍元帥エルヴィン・ロンメルの雰囲気を持つフィギュアが見事に再現されている。他に3名のアフリカ軍団兵士が付属しているが、ロンメルが前線部隊の指揮を執るシーンを演出できた。【中古】プラモデル 1/48 グライフ 「ミリタリーミニチュア」楽天で購入(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2006/08/10
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★☆ 久々の感動を呼ぶ若き偉人たちのドラマ『 坂の上の雲 』 ★☆ ~ アジアの一小国に過ぎなかった日本の夜明け ~ 先日・・・11月29日(日曜)夜8時からスタートとなった、NHKのスペシャルドラマ『 坂の上の雲 』の第1回を観ましたが、このドラマを観ての感想は、一言でいえば・・これまでにない久々の衝撃と感動・・でした。この作品は、この題名を見ればすぐわかるように、あの有名な歴史小説家「司馬遼太郎」氏の著作と同一名であり、これをドラマ化した作品に仕上げたものです。また、このドラマは、3年にわたり放送される大長編シリーズだそうです。 初回では、主演が、先のアカデミー(外国部門)賞を受賞した映画『 おくりびと 』で一躍有名になった男優「本木雅弘」で、日露開戦で活躍した海軍軍人「 秋山真之 」の幼少から学生時代を演じたものですが、本人になりきったその演技や気迫には、わざとらしさがなく最初から感動を呼ぶものでした。最もインパクトがあったシーンは、地方から上京し、たまたま出くわしたイギリス人の無法者を後の総理大臣となった英語教師の高橋是清から習ったばかりの憶え立ての英語で堂々と説教する場面でした。 写真中央が海軍軍人「 秋山真之(役・本木雅弘」、左がその兄に当たる陸軍軍人「 秋山好古(役・阿部 寛) 」、右が友人の歌人「 正岡子規(役・香川照之) 」 ★☆『 坂の上の雲 ナレーション 』★☆ここをクリック、ドラマ『坂の上の雲』の世界へ旅立ち!!↓ ↓ ↓→ ★☆ NHK松山放送局スペシャルドラマ『 坂の上の雲 』のホームページへ ★☆★☆ このドラマの見どころ ★☆ このドラマを観て、感心したのは、軍艦「三笠」や登場する人物の衣装や軍人の服装、背景の明治時代の風景、街並み、登場する建物などの時代考証の忠実さです。これを観ることで、明治時代の古いモノクロの写真が突然、カラー動画になった様なリアルなインパクトを受けるはずです。実際、明治時代に建造されたヨーロッパ式の堅固な建物は全国に数多く散在しており、全国にあるその実在する建物を使用してロケが行われています。また、当時の軍服や庶民の風俗なども博物館などに実在するものを参考に再現されています。したがって、このドラマを観ることで、明治の空気に触れた様な明治時代にいるような雰囲気を感じることができると思います。 次に、このドラマでは、実在した明治時代の偉人たちが数多く登場します。最初の第1回でも既に、日露戦争の海軍軍人となる「秋山真之」、陸軍軍人となる兄の「秋山好古」、友人であった歌人の「正岡子規」、将来は第20代の総理大臣ともなる東京神田の共立学校英語教師の「高橋是清」・・・なんて、明治の蒼々(そうそう)たる歴史的偉人が登場するなど、・・・学校では満足に詳しい勉強ができなかった方にも、これを見るだけで、アジアの一小国だった日本の夜明となる日本近代史を勉強できる機会を与えてくれるのではないかと思います。 ★☆ NHKスペシャルドラマ『 坂の上の雲 』関連動画&テーマ曲 ★☆★☆『坂の上の雲 日本海海戦 Turning Point Full HD 』★☆貴重な100年前の『日露戦争』 ↓ ↓ ↓ の記録実写動画から ★☆『 明治37-38年(1904-05)日露戦争 海戦編 』★☆ ★☆ このドラマの時代背景 ★☆ 日本の明治時代は、まさに日本の夜明けとなる時代でした。また、日本が一番元気で冒険好きで恐れを知らない若々しく生き生きした少年の様な近代日本が生まれた時代・・と表現してもいいかも知れません。なぜなら、19~20世紀初頭の日本の周囲にある、中国、インド、ベトナム、ビルマ、フィリピン、マレーシア、インドネシアなどのアジアの大半の国々は、既にイギリス、アメリカ、フランス、ロシア、オランダ、ポルトガル、ドイツなどの欧米列強諸国が進出し、占拠と同時に植民地化されており、欧米列強の近代化に必要な鉱物・農産物などの重要資源などの占有・開発・強奪が勝手に互いに競うように進められていました。これに対し、アジアの一小国に過ぎない日本では、自国も他の周囲のアジア諸国同様に植民地化されるのを恐れ、明治維新以降からは、既に急速に近代的制度を導入し、日本は国をあげて国民と一体となり、アジア諸国に一層覇権を強めつつある欧米列強に追いつけ追い越せと、科学工業技術、軍事力の急速な近代化を推進し、そのための国の原動力となる子供たちに対する強力な教育水準の向上を進めており、若者に希望を与え、明治時代以前には考えられなかった「士族以外の貧乏人や農民、平民でも一生懸命奮励努力すれば、一国の宰相や軍人の大将にもなれるのも夢ではない!」という大きな夢を抱いた地方出身の若者の多くが首都東京に集い、勉学に励み様々な形で多くの偉人たちが輩出します。 このころの日本や日本人のバイタリティーは凄まじく、現代の停滞した政治状況とは対照的で、当時の富国強兵を進める政府の革新はスピーディで力強く、その上、エネルギーあふれる若者たちの向上心も欧米列強にも負けないという自信を持つようになります。その頂点が、まさに、日清戦争(1894年)の勝利から、満州方面からいよいよ韓国にも進出し、日本にも迫る勢いで南下政策を進め、さらに領土拡張を目指すロシアを脅威として対立、小国でありながら果敢にも大ロシア帝国に挑戦した結果の日露戦争、対旅順要塞戦等での勝利(1905年)、ロシアの強大なバルチック艦隊を見事な海戦技術で壊滅させた日本海海戦(1905年)での勝利(←この文字列をクリック!YOUTUBE)に至るわけです。 当時の白人諸国から見たアジア人やアフリカ人などの有色人種の存在は、野蛮な猿や人間以下の存在(当時の大半の白人はアジア・東洋人を「 "YELLOW MONKEY !"="イエローモンキー(黄色い猿の意味)!"」と呼び蔑視した)、奴隷や物に過ぎないという感覚で扱われており、過去のアメリカや中国のマカオに植民地の本拠地を置いていたポルトガルでは、黒人ばかりか中国人も奴隷商人の奴隷として商品扱いし、アメリカのゴールドラッシュや大陸横断鉄道網の工事の使役等に多くの奴隷が使用され、中国清時代の辮髪(べんぱつ)姿の中国人が多く奴隷として利用されたことは、当時の記録や写真で確認できる様に歴史の事実が示すとおりです。 このことは、急速な近代化で、イギリスやフランスをも恐れる・・まさかのアジアの巨人である中国の”清”国軍や強大なロシア帝国軍を打ち破ったアジアの小国に過ぎない有色人種の国の日本や日本人に対する白人の欧米人に強い衝撃(インパクト)を与えることになります。・・・そして、このあたりから、日ごとに躍進するアジア人の猿に過ぎないとしか認識のなかった日本(人)(白人が日本人を呼ぶ蔑称=「ジャップス<JAPS>」=黄色いサル野郎)に対する見方の変化や戸惑いが白人諸国の間で次第に強まることになります。なぜなら、ほんの30数年前の明治以前の江戸時代の日本の武力は、ちょん髷(まげ)姿の侍(サムライ)でしかなかったのにもかかわらず、めざましい飛躍的な進歩を実現し、教育水準や芸術文化・文明、工業技術水準までも西洋諸国と肩を並べるほどの国力を持つまでに至ったのですから、白人たちは、日本(人)の驚異的な進歩に驚くわけです。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2009/12/05
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★☆ 山岳遭難救助をリアルに描いたヒューマンドラマ ★☆ 長野県の日本アルプスがドラマの舞台~ 人気コミック「岳 みんなの山」原作の実写化 ~ みなさん、あけましておめでとうございます! 最近の剣岳の遭難事故などの報道でもあるように、冬山登山は危険がいっぱいだが、それでもそれに果敢に挑戦する人がいる。REALISTは、冬山登山に挑戦する暇も資金も勇気も乏しいため、せめて冬山登山気分だけでもと、2011年5月公開された山岳映画 『 岳(がく) 』(監督 片山修)のDVDをレンタルして鑑賞した。 標高3000m級の山が立ち並ぶ日本アルプスを背景の主人公の山岳救助ボランティア「島崎三歩」役の「小栗 旬」、REALISTは、この俳優の名は記憶はあれど、それほどの興味もなかった。それが、偶然にも、昨年の秋に山口県周南市湯野にある「城山」を登山終了後、汗を流そうと下山した先にあった湯野温泉の「紫水園(しすいえん)」に立ち寄り、温泉に入り、施設のフロント付近の壁に掲示してある写真を眺めたところ、ここに立ち寄った芸能関係者の記念写真があり、その中に、独身時代と思われる若かりし頃のまさに「小栗 旬」が複数回にわたり、「紫水園(しすいえん)」を訪れていることを知った。なぜなら、撮影年月日の異なる記念写真が複数枚あるのを確認したからだ。おそらく、映画などのロケで立ち寄ったものだろう。それが、・・・この映画の主演男優も知らずに鑑賞したところ、再び「小栗 旬」が映画に登場したので、偶然とはいえ、ますますこの俳優を知るきっかけとなった。 この映画の感想は、・・・主演の「小栗 旬(しゅん)」やヒロイン役の「長澤まさみ」の演技は、実に素晴らしいものであった。笑いあり、涙ありの感動的作品に仕上がっている。この映画を観るだけでも、自然の山の厳しさや山岳遭難救助のリアルな実態を知ることができると感じた。『 映画『岳-ガク-』オフィシャルサイト 』 山を知り尽くした山岳救助ボランティアの「島崎三歩」が暮らす山に、長野県警山岳遭難救助隊の新人救助隊員「椎名久美」がやってくる。久美は三歩の指導の下、着実に成長していくが、自身の未熟さや厳しい自然の猛威により遭難者の命を救うことができない日々が続く。そんな折、猛吹雪の雪山で多重遭難事故が発生し……。“山岳愛好家のバイブル”とも言われる「ビッグコミックオリジナル」に連載され、2008年に第1回「マンガ大賞」、2009年には第54回「小学館漫画賞」を受賞し、発行部数は累計400万部を記録している「石塚真一」の同名ベストセラー漫画を、「小栗 旬」主演で実写映画化したものだ。命は、命でしか救えない。人を愛し、山を愛する男 島崎三歩が日本アルプスを舞台に繰り広げる感動の人間賛歌!! 主人公の山岳救助ボランティア「島崎三歩」役の「小栗 旬」と新人山岳救助隊員「椎名久美」役の「長澤まさみ」のツーショット。過酷な雪山での撮影は、日本を代表する標高3000メートル級の山々(八方尾根、奥穂高岳、立山連峰ほか)で敢行した厳しいもので、高所恐怖症であった「小栗 旬」は、このために7ヶ月間にわたり10の名峰を登頂制覇、筋トレによる体力づくり、カラビナ、ザイル、ピッケル、アイゼンなどを駆使した登頂訓練、150mの垂直の岩の絶壁を7時間余りかけ登頂までしている。映画にかける彼のすさまじい役者魂を感じた。岳 -ガクー [ 小栗旬 ]楽天で購入(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/01/07
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★☆ ジェット機史上の第1ページを飾った「Me262」の栄光 ★☆~ 現代の実用ジェット機は「Me262」から始まった ~The Messerschmitt Me 262 Schwalbe (German for Swallow) was the world's first operational turbojet fighter aircraft. 自作の写真は、前回と同じく夜間戦闘型『メッサーシュミットMe262B-1a/U1』で、右側面部をクローズアップしたものです。前部座席にパイロット兼攻撃手、後部座席にレーダー探知・誘導手の2名が搭乗する複座席部分がよくわかります。後部座席の後部に丸い輪のような小さなアンテナ部がイギリス軍爆撃機の発するレーダー波を捕捉する”FuG350「ナクソス」電波探知機の感知アンテナです。 『 LUFTWAFFE Me262 』(YOUTUBE) 写真左は、アメリカで実機を忠実に再現した「Me262」のコクピット部分です。写真右は、Me262の前で整備兵とたたずむフランツ・シャル少尉で、彼は、東部戦線の第54戦闘航空団でソ連機117機を撃墜した栄誉で騎士鉄十字章を授与されたエースパイロットでした。「Me262」のパイロット養成・教育のための「実験隊」から本格的な「Me262」の実戦部隊創設のために、戦闘機隊総監アドルフ・ガランドからMe262ジェット戦闘機部隊のパイロットに推挙され東部戦線から引き抜かれたわけです。1944年9月末、実戦部隊にようやく23機の「Me262」が配備され、隊長であるヴァルター・ノヴォトニー少佐の名を冠して「コマンド・ノヴォトニー」と呼ばれました。1945年4月まで「コマンド・ノヴォトニー」および「JG7」に所属、西部戦線での撃墜17機をすべて「Me262」で記録しました。撃墜した機種の内訳は、P-51×10機・P-47×1機・B-17×2機・B-24×1機・ランカスター×3機というもので、実に17機の内11機が戦闘機であり、「Me262」が対戦闘機の戦いでも強力な存在であったことを窺わせます。10機のP-51の撃墜は数多のドイツ空軍エースの中にあって第3位に当り、シャル少尉の非凡さを示すものですが、「Me262」の高性能がその戦果達成に寄与していたことは間違いないでしょう。P-51ムスタングは、アメリカ軍が日本の「ゼロ戦(零式戦闘機)」を入手して徹底的に研究した結果、その性能をすべて上回るレシプロ(プロペラ)戦闘機として開発されたもので、最高速度700km/h以上を誇り、以後、「ゼロ戦」キラーとして空中戦では負けず知らずであった高性能機でした。 自作の複座『Me262B-1a/U1』の左エンジン部分をクローズアップしました。ユンカース社製のJumo(ユモ)004ターボジェットエンジンは2900馬力の大出力を得ることができました。その基本構造は、65年以上経過した現在のジェットエンジンとほとんど変わりがありません。 ★☆ 世界のジェット機時代到来に貢献した「Me262」★☆ 終戦後のドイツにおいて、ターボジェットエンジンに関わる技術陣は占領軍のソ連軍やアメリカ軍に強制連行され、「Me262」も本国に戦利品として持ち帰り、その技術やノウハウをコピー・徹底研究し尽くしてそれぞれ自国のターボジェットエンジン開発の基本としました。やがて、米ソ冷戦構造時代に突入すると、両国の間でジェット機開発競争が起こりました。いずれにしても、戦闘機ばかりか民生用の旅客機までをも世界中にジェット機が現在のように普及発展したのは、「Me262」のおかげだったわけです。 写真左は、数百機のP51戦闘機が援護随伴するB17爆撃機の大編隊に戦いを挑むため、まさに飛び立とうする戦闘機型の『Me262A-1a』の雄姿です。たとえ、単体としていくら優れていても数十倍の敵との戦いには限界がありました。ベテランパイロットの消耗と新規隊員の訓練不足からパイロット不足となりました。写真右は、戦闘機総監アドルフ・ガランドから最初の「Me262」実戦部隊の隊長に指名されたヴァルター・ノヴォトニー少佐です。彼は、主に東部戦線で総撃墜数258機という天才的エースパイロットで、指揮官としての技量や人格にも秀でており、その功績から宝剣柏葉付き騎士鉄十字章を授与され、わずか23歳で少佐の地位にありました。 自作の複座『Me262B-1a/U1』の左上方から撮影した状況です。ドイツ空軍の国籍マークやハーケンクロイツは、写真のように白地や黒字の十字型で数種類のバリエーションがありました。 写真左は、飛行場をケッテンクラートでけん引移動する「Me262」です。写真右は、アメリカ軍の爆撃機編隊をその防御火器の射程外から攻撃するという発想で5cm対戦車砲を機首先端部に装備した「Me262」の改造型です。 ★☆ 革新的な「Me262」が能力を発揮できなかった理由は何か ★☆ 「Me262」がその能力を発揮できなかった理由は、まず、当初、ヒトラーが「Me262」を戦闘機としてではなく、戦闘爆撃機としての生産しか許さず、実戦部隊としては爆撃機としての使用しか認めなかったことです。重い爆弾を抱えた爆撃機型「Me262」では、その高速性能は生かされず簡単に敵のレシプロ型P-51戦闘機にも追いつかれ撃墜され易く、逆に爆撃降下速度はすぐに900km/h以上の極端な高速となるために爆撃照準が困難で、Ju87スツーカのような精密爆撃ができませんでした。1944年6月6日の英米連合軍のノルマンディー上陸作戦以降、ドイツ本国への昼夜区別なく英米連合軍の猛烈な高高度からの大編隊による爆撃が敢行されるようになると、ようやくヒトラーも戦闘機型の生産を認めたわけですが、爆撃による生産工場の喪失などから生産数は伸びず、燃料や訓練用の複座のMe262が少なく、ジェットパイロットのまともな養成訓練ができす、いきなり単座のMe262に搭乗させて、約8時間の基本訓練だけの新米パイロットで実戦に投入せざる負えない状況にあったことです。それでも、エース級のパイロットたちは「Me262」の特性をすぐに理解し、操縦のコツを早く呑み込み、わずか数機単位で敵の大編隊を相手に大戦果をあげることができました。 自作の複座『Me262B-1a/U1』の右前方から撮影したもので、こうしてみると左前方から見た雰囲気とどこか違う雰囲気があります。 「Me262」のエンジンの整備に余念のない整備兵たちです。若くて優秀な技術陣がいたからこそ、「Me262」の安定した飛行ができました。しかし、東部戦線の崩壊とともに、こうした国内の技術者たちも東部戦線へ引き抜かれ次第に人的不足が生じてきます。 自作の複座『Me262B-1a/U1』の右後方からクローズアップしてみました。これも、下右の実機の写真を意識して撮影したものです。なんとなくリアルさが増します。 写真左は、豹柄に迷彩塗装された1944年末当時の単座の戦闘機型の『Me262A-1a』の実機、写真右は右後方から見た単色塗装風の実機です。 1/72 メッサーシュミット Me262A-1a プラモデル[ドイツレベル]《取り寄せ※暫定》 ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2009/05/13
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★☆ 70年以上前の工学テクノロジーと思えないその先進性 ★☆ GERMAN 8-WHEELED HEAVY ARMORED CAR(1/35) 前回に続き、今回も70年以上前の1937年から生産実用化されていたドイツ軍の8輪駆動重装甲偵察車「Sdkfz232」のご紹介です。ただし、今回は、その車両の先進的な工学テクノロジーがわかるディティールデザインに焦点を当てることにしました。 この車体の装甲板は、厚いところでせいぜい15mmでした。それは、この車両の主目的が『 戦闘 』ではなく、敵の勢力、装備などの情報を隠密裏(おんみつり)に収集するという『 偵察 』であったためです。それにより、道路上では85km/hの高速走行が可能となり、道路のない不整地でも素早く迅速に行動できたわけです。そのため、敵の発砲する弾丸に対する装甲板の被弾経避(ひだんけいひ)が十分に考慮されたものに仕上がっています。それは、随所に工夫が見られる角度を持たせた装甲板の状況を一目見れば納得できます。 ★☆『 SdKfz 232 (8-rad) 』★☆ 写真左は、1944年のイタリア戦線でフレームアンテナのない「Sdkfz231」3台による前線偵察中のシーンで、どの車両も前部フェンダーにスモークディスチャージャー(発煙弾)を装着しています。右の写真も同じくイタリア戦線で上陸したアメリカ・イギリス軍部隊の敵情視察に向かう際に撮影されたもので、シュテルン・アンテナを装備した「Sdkfz232」」の砲塔部分で車長と射撃手が見えます。砲口に砂などの異物混入を防ぐためにカバーを装着しています。 武装の携行弾数は、通常は、20mm機関砲が180発、7.92mm機関銃が1125発でした。それに加え、車内にはMP38サブマシンガン1丁・携行弾数は192発がありました。この20mm機関砲(2cm・Kwk38)は、毎分450発の射撃能力があり、100m先で20mm厚、500m先の14mm厚の垂直装甲板を貫通することができました。 8輪重装甲無線車「Sdkfz232」の主たる任務は、交戦を避けつつ敵の情報収集をすることでした。写真は、敵情を偵察中の「Sdkfz232」が、偶然、優勢な敵部隊と遭遇したことを想定して、発煙弾で煙幕を張り、装甲の厚い車体前面を敵に向けたまま、後部操縦席で急速に後退しつつ追撃してくるあらゆる敵に対応できるように砲塔を旋回させながらその場から離脱するという訓練をしている状況です。 この車両の当時の実写で多く見るれるのが、上の写真の様に砲塔下の装甲板のフックに乗務員の戦闘用ヘルメットを装着している例が多いということです。これは、正確な理由はわかりませんが、「Sdkfz232」の場合、大型無線機類を装備していたため、車内スペースに余裕がないのかもしれません。 当時のドイツ軍車両を見て感心することは、他国に絶対に負けないその車載装備品の充実ぶりです。ツルハシ、斧、スコップ、消火器、ジャッキ類などの車両整備品等々いたせり尽くせりという感じです。追加装備された前部のスペードアーマー(装甲板)についても、単なる垂直な鋼鉄板でなく、くの字型に角度をもたせることによって装甲板の被弾経避(ひだんけいひ)で損傷を最小限にする工夫が施(ほどこ)されています。 砲塔部の乗員搭乗口の状況がよくわかります。戦車に比べ砲塔部が小さく、内部に車長と射撃手の2人が入るには狭いと感じられます。 右の写真は、1943年秋ごろ前線から帰還したところをドイツ国内で撮影されたもので、市民たちが帰還部隊を見守っているところです。この車両はフレームアンテナではなく、シュテルン・アンテナを装備した「Sdkfz232」ですが、スペアタイヤの装着状況やバケツの取り付け状態が、左の自作モデルと偶然に一致していました。 この複雑な形状を見ると、他の国の装甲車や戦闘車両の形状がずいぶんと単純なものに見えてしまいます。これを1台製造するのには、かなりの複雑な製造工程が必要だったことでしょう。しかし、それを他の国なら・・まずまず不可能だとあきらめるであろうことを・・見事やり遂げるのが、まさにドイツの技術水準の高さでしょう。戦車に比べゴムタイヤの装甲車は走行時の騒音が少なく、まさに機動的な偵察任務に最適なものでした。当初の東部戦線における連戦連勝は、優秀な偵察部隊の存在抜きには考えられませんでした。 車体右側面部の状況です。中央部の搭乗口が開口された状況です。搭乗員は、戦闘時や緊急時には素早くここから搭乗するとともに、非常時には脱出口になりました。 上の写真と対比した車体左側面部です。ここにも中央部に乗員の搭乗口がありますが、これは閉じた状態にしています。搭乗口の左側には、金属的な光沢のあるジャッキ、右側に円筒形の消火器、さらにスコップの柄が見えます。 タイヤ2輪づつを大型フェンダーで保護していますが、これを見ると何とも未来的な車両のイメージがします。 30%OFF!!タミヤ 1/35 MM 35297 ドイツ 8輪重装甲車 Sd.Kfz.232 “アフリカ軍団”価格:2,499円(税込、送料別)ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2009/09/07
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