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義経黄金伝説■第38回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル第5章 1187年 押し寄せる戦雲■5 1187年文治3年 京都 「磯禅尼殿、失礼いたす」西行がつづいて、京都五条に住む磯禅尼(いそのぜんに)を訪ねていた。「おお、これは西行様ではございませぬか。おひさしゅうございます」「禅尼、和子をどうなされた」「和子ですと、急になにをいわれます、どなたの和子でございますか」「お隠しあるな、静殿と義経殿の和子じゃ」「静ですと、そのような者、私の子供ではありません。何を申されますのです。それに義経様の和子様、男の子ゆえに、すでに稲村ヶ崎で海中に投げ入れられてございます」白々と泣く真似をしている。「禅尼殿、そなた、鎌倉の大江殿とは取引せなんだか」西行は眼光鋭く、厳しく追及する。禅尼は思わず袖で顔を覆い隠す。「何を恐れ多い、鎌倉の政庁長官と取引ですと」が、じんわりと冷汗滲んでいる。「禅尼殿、すべてわかっておるのじゃ。もうお隠しあるな。私も和子を悪いようにはせぬ。せめて、静殿のお手に返してくれぬか」 西行は急にやさしく言う。西行は昔の禅尼の晴れ姿を思い起こしふうと笑った。「といいましても、静の行方、ようとしてしれませぬ」「静殿は、私と一緒ら平泉に向う。今は義経様と一緒のはずじゃ」「義経さまのところ、が、すでに、何人かの暗殺者が、義経殿が屋敷に」「心配するな、東大寺の闇法師を、義経殿が元に遣わしてある。さて、禅尼殿、私と一緒に来ていただこうか」「いずこへ」「いわずとしれたこと、鎌倉の、大江広元殿の所じゃ。和子を取り戻しにのう」■ 1187年文治3年 京都「はてさてどうしたものか」この時期最大の歌人、藤原定家は悩んでいるのである。藤原定家は特大寺家の親戚であり、西行は若かかりし頃、この家特大寺家の家人であった。紀州田仲庄の荘園は特大時家の預かり所であえる。「そうやは、慈円さんとこに相談にまいりましょうか」藤原定家はひとりごちた。慈円(じえん)は関白藤原兼実の弟でもあり、いわゆる文学サロンの仲間であった。慈円は今、西行から頼まれている伊勢神宮あての歌集を清書している。歌集は奥州に出かける前に仕上げていたが、この清書書きを慈円にたのんでいた。西行の「しきしま道」は、一歩、完成に近づいていた。■ 1187年文治3年 鎌倉「これはこれは、西行殿。鎌倉に庵など持つお考えを改められたか。これからは鎌倉が日本の中心ぞ」 数日後、鎌倉の大江屋敷に西行はいる。 この時期、宿敵の文覚は鎌倉にいない。弟子の夢見も同じ行動をとっている。「いやいや、私ももう年でございます。ただ広元殿だからこそ、お願いしたい儀がございます」 西行のへりくだった様子に、広元は、かえって不信の念を抱いた。「はてさて、この私に一体何をせよと」「義経殿の和子、お渡しいただきたい」「何を仰せられる。血迷われたか。静が生んだ和子は、すでに稲村ヵ崎に打ち捨てられた」 その答えに西行は、にやりとして、「広元殿、このこと頼朝殿にもお隠しか。が、私の耳には入っており申す。よろしいか、広元殿。私の後には山伏が聞き耳、知識糸を、日本全国に張り巡らされてござる。広元殿のこの子細、頼朝殿の耳に入れば、今は鎌倉政庁の長官といえども、どうなるかわかりませんぞ。富士の裾野のこと、お忘れではござりますまい。頼朝殿の勘気に触れれば、その人物に用なくば、すぐ打ち捨てられましょう。このこと、唐の歴史に詳しい広元殿なら、おわかりのことでございましょう」西行の恐ろしさが広元の体の中に広がって行く。 (ここは西行におれて、味方に加えるは一策か)広元は、真っ青になり、おこりのようにぶるぶる震えた。広元は書状をしたためた。「ええい、西行殿、和子を早々に連れていけ。預け先は、この書状に記してある」「ありがとうございます」西行に笑みが浮かんでいる。「が、よいか西行殿。この和子、決して世の中に出すではないぞ。頼朝殿の元に、すでにこの日本は統一されたのじゃ」 投げ捨てるように言う、大江広元。西行に逆に凄んでいるのだが、いかんせん迫力が違った。■ 1187年文治3年 多賀城 多賀城国府にある吉次屋敷では、京都から到着した西行と吉次が言い争っていた。「吉次殿、恩をお忘れか」 顔を真っ赤にして、西行が喋っている。「恩ですと、何をおっしゃいます」「いや、お主が金商人として有名になれたのは、誰のお陰じゃと聞いておる」 畳み掛けるように、西行は喚いた。が、吉次の答えは冷たいのだ。「それは、私には備前のたたら師の息子として育ち、その関係から姫路へ、岡山へそして、回船鋳物師の船に乗り、この多賀城にたどり着き、商売を始めたからでございます」「吉次殿、再度申し上げる。お主が、藤原秀衡様にお目もじできたのは、誰のお陰じゃと聞いておる。また、平相国清盛に照会され、宋のあきうどと取引できたわ誰のおかげじゃ」 西行の目には、怒りが込み上げてきている。「それは西行様のお陰でございます」「そうじゃろう。私が、京でお主を助けたこと、忘れたのではあるまいな。ましてや、書状を持って、秀衡様に会いに行ったのを忘れたのではあるまい」「……」吉次は、具合の悪いことを思い出し、黙っている。「一時期、京都の平泉第(平泉の大使館)の頭目となれたのは、誰のお陰だと思っている。それが時代が変わりましただと。私は昔の金売り吉次ではございませんだと。お前は備前あたりの鋳物師で終わったとしても、詮無いことだったのだぞ。私がお前の出雲で覚えた、そのたたらの技術を知っていたからこそ、秀衡殿に推挙したのじゃ」 西行の怒りは頂点に達している。二人は、お互いを無言で見つめあっている。とうとう吉次がおれた。「わかりました、西行様。それで、この私に何を」「よいか、平泉の義経殿を助けるのじゃ」西行の息が荒い。「えっ、義経様を……」驚きの表情が、吉次の顔に広がって行く。(続く)(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル
2009.01.08
義経黄金伝説■第37回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル第5章 1187年 押し寄せる戦雲■4 1187年文治3年 京都 文治三年(一一八七) いまは、京都の嵯峨に住まう西行の草庵に、一人の商人姿の男が訪れていた。西行の草庵はあちこちにある。「十蔵、まかりこしてございます」「おお、これは、十蔵殿。ひさかたぶりだ」十蔵は、挨拶もそこそこに、用向きを聞いた。 いわば十蔵は、死に急いでいるのである。 西行からのこの度の連絡を受けたおり、いよいよ俺の死ぬときが来たかと、体が武者ぶるいしていた。無論、西行に呼ばれたことは、東大寺や重源には告げてはいない。奥州藤原秀衡がなくなった事は聞いていて,世の中が再び騒然となって来ていている。「で、西行様、何かご依頼が」「そうだな。……」 しばし、西行は、無言だった。やがて、 深深と、十蔵に頭をさげていた。「すまぬ、十蔵殿、死んでいただけぬか。東大寺のためではなくこの西行のため、いや日の本のためにな」平然とうけとめ、十蔵はふっと笑う。「いよいよ、お約束のときが、参りましたか」「早急に、摂津大物が浦(尼崎)より旅立ってほしい。そして多賀城で吉次に会い、それからは吉次の指示に従ってほしいのじゃ」「西行様はいかがなさります」「お前様の後を追う。他に片付けなければならぬことが多いのじゃ。先に立ってくれ」「わかり申した」 十蔵は、すばやく、西行の前から姿を消す。 「はてさて、重源殿が、どう動くかだが」 西行はひとりごちた。■ 1187年文治3年 平泉 平泉の高館に、泰衡の弟、忠衡が、内々で義経を訪れてきていた。「のう、忠衡殿、私はこの平泉王国の将軍の座を、泰衡殿にお譲りしてもよいのだぞ」 平泉王国の内紛の様子を知る義経は、自ら身を引こうとしている。が、この言葉を聞いて、忠衡は、激怒し、立ち上がっていた。「何をおっしゃいます、義経殿。そのことは我が父秀衡が、我々子供を死の床に呼び、遺言したもの。それをいまさら…、なさけのうございます」 最後には泣き出している。その忠衡の方に手を掛け、慰めるように義経は言う。「私はよいのじゃ。私の存在で、この平泉平和郷が潰れることになっては困りましょう」「それが鎌倉殿の、狙いではございませんか」「この勝負、最初に動いた方が負けという訳でございますな」「さようでございます。よろしゅうございますか。今、天下の大権を握れるのは、頼朝殿か義経殿か、どちらかでございます。断じて、我が兄泰衡ではありません」 思案顔の義経と、見まもる藤原忠衡だった。■ 1187年文治3年 京都「静殿、今から恐ろしき事を申し上げる。お気を確かにされよ」西行は静をたずねている。京都大原にある庵である。静はあの事件ののち平泉から帰り、尼になり京都郊外にある大原の寺に住まっている。長くは、平泉にいなかった。というのは義経が新しく妻をもとめている。新妻は、藤原氏の外戚である。それゆえ、静は身を引き、京都に傷心で戻っていた。「西行様、そんなに思い詰めた表情で、一体何をおっしゃるつもりでございますか」「義経様の和子様、生きておられる」しばらくは、静の体がふるえていた。顔もこわばっている。「西行様、おたわむれを、冗談はお止めください。私は、鎌倉にて我が子が殺められるところを目にしております。この目に焼き付いております」「が、その殺された和子は偽物じゃ」「まさか、そのようなことが」「よいか。静殿の母君、磯禅尼殿、しきりに下工作をなさっておった。その結果じゃ、後ろで糸を引くは大江広元殿。その企みじゃ」「それでは、今、和子は」「それは、おそらくは、鎌倉の、大江広元殿が知っているはずじゃ」■ 1187年 京都藤原兼実屋敷「お、重源殿。よう参られました。ちょうどよい機会ですな。拙宅に法然殿が参られておられますぞ」「おうおう、それはよき機会でございますわな」関白藤原兼実の自宅だった。重源は雑職(ぞうしき)に、表で待つように告げる。重源は猫車(1輪車)を自からの移動に利用している。重源には雑職がいつも2人ついている。この車で、日本全国を勧進して回っている。勧進集団50名を引きつれて日本全国を勧進して回っている。東大寺勧進職は、最初、法然に白羽の矢があたったのだが、法然は、重源に譲ったのだ。藤原兼実は、法然に帰依し、兼実から噂をきいた後白河法皇も法然に寄進している。「兼実様、もうしあげにくき事ながら、、」重源は、時の関白藤原兼実にふかぶかと頭をさげていた。兼実に不安がよぎる。「いかがなされた。重源殿、表をあげてくれませや。そんな他人定規な、な。麻呂と重源殿の間ではございませんか。大仏再建の事、麻呂も、法皇様もあなたさまにお礼を申しあげたきくらいです。よう、よう、あそこまで大仏を再建してくださりました。で、まさか、何か大仏再建の事で、、」重源は、しばし、頭を下げたままである。「さようです。できれば、関白殿、拙僧は勧進職を辞退したいのです」重源は、その精悍な顔をあげ、関白藤原兼実に言った。「何をいわはるのですか。今この折りに殺生ですわ。無責任とでもいいましょうか。重源様の力を、信じたればこそ、お願いしたのやありませんか。それに民も大仏再建に熱意をいもって協力しているのや、ございませんか」この大仏再建で庶民の仏教信仰が普及してきたのは事実である。その民衆の仏教に対する熱狂のうねりを、重源もひしひしと感じている。兼実は思い当たった。金がたりんという事か。「ははあ、金(きん)ですか。でも平泉なり、鎌倉なりから届いたの違いますか、、まさか、金がおもうている程届かなかったからとか。図星ですか。でも西行殿に奥州の秀衡殿に説得していただいたのではないですか」「いいにくき事ながら、充分ではありません」「ははあ、西行殿の話と、、秀衡殿、頼朝殿の届いた砂金と違うとでも、、」「西行どの何かたくらみを、、」「その話は聞かなかった事にいたしましょうか。で、今しばらく奥州の事態をお待ち下されや」「それは、平泉が滅びる、、というお考えか」重源がたづねた。「いや、はや、北の仏教王国平泉は、我々、京都の人間としては、滅んでほしくはありませんわあな。何しろ、仏都やさかい。しかし、頼朝殿は、義経殿の事があり、まあ、早くいえば、奥州が欲しいのでございましょうな」「源氏の血ですな」「我々、京都の人間としても、早く天下落居(世の中がおちつくこと)してほしいのですわな」「平泉の仏教王国が滅んでも、日本が平和になればいいと」「さようです。あの国は蝦夷の末裔。頼朝殿が征偉大将軍として、あの者ともを滅ぼしくれれば、日本の平和がおとづれましょう」「今までの世とは、異なる平和でございますな」「庶民が平和を求めている事は、勧進されながらおわかりでございましょう」重源は考えている。(やはり、京都は平泉をすて、鎌倉をとったか。平泉の黄金が、鎌倉の手に期すか。やはり、我々の鎌倉侵攻は早めればなるまい。栄西殿が宋からかえってくる前に体制がきまりそうじゃ。法然殿とも話あわずばなるまい。大仏再建の趨勢は、はや、鎌倉殿の手に握られたか)(続く)(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル
2009.01.07
義経黄金伝説■第36回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル第5章 1187年 押し寄せる戦雲■3 1187年文治3年 鎌倉 秀衡死亡の知らせは、早馬で鎌倉にも伝わっている。「どうやら、秀衡殿、お亡くなりになった様子でございます」大江広元が頼朝に告げた。「そうか、とうとう亡くなったか」 広元には、頼朝が何やら寂しげに見えた。好敵手を失った寂寥感かも知れなかった。大江広元にとっては、千載一遇のチャンスに思える。その時期を逃しては、平泉王国を滅ぼすことはできまい。気が抜けたようになっている頼朝を、勢いづけなければと思った。「いよいよ、奥州攻めも近うございますな」「いや、まだ先になさねばならぬことがある」「それは…」「わからぬか、広元。義経は平泉王国の大将軍となっておる。平泉が義経の元、一致団結をしておれば、我々も恐ろしいわ。あやつの戦ぶり記憶していよう。戦ぶりでは、残念ながら、この日本一の武者よ」「それに十七万騎の奥州の馬があれば、恐ろしゅうございますなあ」 よくよく考えれば、まだ平泉王国は、強固なのだ。「そこで、考えよ。どうすれば、よいかをな」「内部をもっと分裂させますか」広元のお得意の策諜を使わねばならない。「そうじゃ。義経さえ、差し出せば、奥州の地を安堵しようとな。そういう書状をしたためを使者に持たし奥州の泰衡のもとに出そう。のう広元、奥州藤原秀衡は平清盛よりも恐ろしかったわ。俺の誘いに全く乗らぬ」 広元の目には、頼朝の体がやや震えているように見えた。気のせいだろうか。それに…、広元は気に掛かることを告げた。「例の黄金の件は、いかがいたしましょう。まだ、わが鎌倉の手元に…」「そのこと、うちやっておけ。秀衡さえ亡くなれば、奥州すべての黄金は、我が鎌倉のものとなる。大事の前の小事じゃ」「東大寺が、文句をいいますまいか」 京都のことなどをもう気にせずばなるまいと、広元は考える。それに関しては、頼朝の方が一枚上手だった。「何の届かなかったことにすればよいであろう。そうじゃ、黄金を、この頼朝からの贈り物としよう。鎌倉幕府の将軍として、京都へ、また南都奈良に赴かねばならぬからのう」「それは、また京朝廷への大姫様のお披露目ともなりましょう」 そのことも広元にとっては、忘れてはならなぬことだった。頼朝がどうであれ、京都とのパイプは繋いでおかねばならぬ。強固にしておかねばならなかった。この鎌倉幕府を完全に支配し、京都に向かせればならん。「そういうことじゃ。きらびやかに飾り、坂東の田舎者と思われている我々が、美しく着飾った姿形を、京都の貴族どもや民に見せてやろうではないか」「さようでございますなあ」それには、広元も同じだ。うだつのあがらない京都の貧乏貴族の俺が、新しい治世者の一人として、都大路を従者を多数連れ、行列として練り歩けるのだ。今度は、私が、京都の皆を羨ませる番だ。広元は、自らもきづかずに、昔の傷あとをなでていた。その額の傷は、往時の義経の凱旋行列を思い起こさせていた。(続く)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル
2009.01.06
義経黄金伝説■第35回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル第5章 1187年 押し寄せる戦雲■2 1187年文治3年一〇月 平泉 文治三年(一一八七年)一〇月二九日。秀衡は死の床にあり、枕元に泰衡、忠衡、国衡他の兄弟たちを呼んでいた。「よいか、心して聞いてほしい」秀衡の苦しい息のの下から話し、息子たちは首肯した。「跡目は泰衡に譲る。よいか泰衡、平泉王国を守れ」 思いがけない言葉であった。泰衡は答えようがない。「……」 しかし、次の言葉が泰衡の心の中に、裏切りの心を植えた。「源義経殿を頼りにせよ」泰衡はすぐ反応している。「それはどういう意味でございますか、父上」 病床にいる父親に対して、怒りをあらわにしている。秀衡の言葉は、余計に泰衡を煽るのだった。そのいたらなさが、今度は秀衡の心を憂鬱にさせる。この泰衡が、平泉黄金王国を滅ぼすのか。なぜにこの父の想いがわからぬのか。秀衡は言葉を続けた。「義経殿を大将軍とし、その下知に従がうのじゃ」「……」泰衡は、さらに急に不機嫌になった。「よいか、泰衡は不満であろうが、この俺が亡くなったという情報が入れば、鎌倉殿は必ず動く。鎌倉殿は、義経殿の誅殺が目的ではない。この平泉の黄金が目的なのじゃ。鎌倉、そして源氏、板東の武士どもはこの地の黄金をねらっている。絶好の機会なのじゃ。よく聞け。泰衡。それゆえ、義経殿を差し出しても、頼朝殿はこの平泉を攻めてこよう。心せよ、泰衡、忠衡、国衡、みな兄弟心合わせ、義経殿をもり立て、頼朝に対して戦うのだ。藤原の百年が平和、後の世まで続けるのだ。平泉黄金王国のこれからはお主らがになう。この仏教平和郷を決して板東の者ども、さらには京都の王朝に渡してはならん。この奥州の地を守りぬくのじゃ。決して、頼朝殿の甘言、受け入れるではない。義経殿を差し出すのではない。よいな…。これが俺の遺言だ」劇抗した秀衡の声が急に途絶える。最後の気力でしゃべったのだ。「父上……」 息絶えている秀衡に、息子たちはをかきいだいている。 しばらくして「どうする兄じゃ」次男の忠衡が、たずねた。「父上の遺言のことか」「いや、そうではござらぬ。義経殿のことじゃ」「お前はどちらの味方じゃ、忠衡」 意に反して、答えはしばらく返って来なかった。「無論、兄者じゃ」 こやつは本当に私の味方なのか。安衡は考える。「それならば俺が下知に従え」「が、義経殿は、、」「よいか忠衡、我らが秀衡が子ぞ。由緒正しい子ぞ。それが義経ごときに従えると思うのか」怒りながら、出て行く泰衡である。 かわって、急の知らせを聞いた、青い顔の義経が走りこんで来た。 末期には義経はわざと呼ばれていない。が、泰衡は走り過ぎる義経を無視していた。「葬儀の準備だ」秀衡の体は、中尊寺中見壇下に置かれ、この平泉の守り神となる運命である。 義経は、秀衡の遺体をかきいだき、泣いている。「秀衡様、十六の時より、親以上の恩を受けさせていただきました。この恩生きておられるうちにお返ししたかった」 義経は本当に涙を流し、嘆き悲しんでいる。片腕をもぎ取られた思いがしているのだった。 義経は父なるものに憧れていた。物心付いた時には、父は亡くなっていた。平清盛、そして藤原秀衡、源頼朝、後白河法皇、西行。すべて父なる人をイメージして対してきた。そして、最大のピンチのおり、最大の父なるものに死なれたのである。 義経は、惚けたようになっていた。源平合戦で、あれほどの戦術家だった武将の姿は、どこにもなかった。心が砕け散ったようだった。いまや、日の本には義経にとって、どこも安住の地はないのだ。 「なぜじゃ、親父殿」泰衡は思った。 なぜ、実の子の俺を可愛がってはくれぬのじゃ。奥州は我らが血の元で支配しているのじゃ。四代にわたって、京都の人間と戦こうたではないか。義経はいくら優れた武将とはいえど、実の子ではない。他人ぞ。おまけに京都の人間じゃ。源氏の人間じゃ。いかに奥州を源氏が攻めたか。頼朝と仲が悪いように見せて、何を企むのか分からぬではないか。奴らが欲しいのは、この奥州ぞ。それを西の人間の義経を信じるとは、どういうことじゃ。おまけに弟どもも俺に従おうとはせぬ。国衡など、義経を兄のように尊敬しておる。 なぜ俺を、京都へ連れて行ってくださらぬのか。親父殿、祖父殿、大祖父殿、皆、京都へ行ったではないか。なぜ俺だけのけ者にするのじゃ。 京都に対する恨みと、義経に対する怒りがすこしずつ泰衡の心を、人格を変えつつあった。それは、とりもなおさず、奥州の危機であった。戦雲はすぐそこまで押し寄せている。(続く)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル
2009.01.05
義経黄金伝説■第34回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・ Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル第5章 1187年 押し寄せる戦雲■8-3 1187年文治3年 京都 それから一年、文治三年、七月、京都。後白河法皇と関白、藤原兼実が話していた。鎌倉と、平泉に対する政略である。「兼実、どうすべきか。鎌倉の頼朝、しきりに義経捕縛の院宣を寄越せと申してきておる。頼朝はこの院宣を平泉に送り、王国の内部崩壊を起こすつもりじゃ。そしてその責任は朕、後白河におっかぶせるつもりじゃ。平泉の義経と秀衡は恨みを俺に向けよう。が、どうじゃここは頼朝がこと聞くべきか」「さようでございますなあ、法皇様。ここは頼朝殿を立て、義経殿捕縛の『院宣』を出していただきましょう。そして、同時に、東大寺用途沙金を早く献納せよとの教条書を出しましょうぞ」「先に西行殿に、法皇様が申し付けたことも、確認いたしましょうほどに。こちら側も、秀衡と、義経に一押し必要でしょう」「それは名案かもしれぬな」■8-5 1187年文治三年 平泉 すでに、西行法師は、伊勢にもどり、しばらく時間がたった。 平泉にある義経高館(たかだて)を夜、郎党が訪ねていた。「義経様、お館様(秀衡)がお呼びでございます」「こんなに遅くにか」「はい、何かお二人でお話ししたいご様子でございます」 秀衡屋敷内で義経が秀衡に話しかける。秀衡は病床にある。「秀衡様、お元気であられますか」義経が挨拶をする。「おお、義経殿か、よう来てくだされた。この秀衡があの世に召される前に、義経殿にお渡ししておきたいものがあってのう。近うよってくだされ」 秀衡は、自分の死期を感じている。「これはこれは、何をお気の弱い事をおっしゃいます。秀衡様あっての義経でございます。さてはて、一体この私に、何をくださると言われますのでしょうか」「さて、これをごろうじろ」 一片の絵図が、病床の秀衡から義経の手に渡される。「こ、これは、御館(秀衡)様」「見ておわかりのとおり、蝦夷の絵図じゃ。この絵図、祖父の代より伝わっておる。いわば藤原家の秘宝じゃ」蝦夷の一部はすでに平泉王国の勢力圏にふくまれている。「これをいかにせよと」少しばかり、は眼をつぶり、息をつぐ。「よいか、義経殿。はずかしながら、、、よいか。我が息子たちが、義経殿を襲うやもしれん。そのときは、この絵図を手にして逃げ延びてくだされ」「が、しかし…。それは奥州藤原氏、平泉に対する裏切りではありますまいか」「この老人の言うことは、聞くものじゃ。老人といえば、西行殿を知っておろう。あの西行殿が、きっと義経殿を助けてくれるはずじゃ」「西行様が…」「西行殿とは、北面の武士、佐藤義清の頃より、我々平泉、奥州藤原とはすくなからぬ縁であろう。それにのう、義経殿。残念ながら、後白河法皇様が、とうとう貴公追捕の、院宣を出された」「何でございますと。あの法皇様が、私を追捕する院宣を、、、」 義経の顔色が変わっている。裏切られたか、この想いが義経をおそう。「義経殿、安心せられい。この平泉に、秀衡あるかぎり、そのような命令聞きはせぬ。兼実様も非公式に、法皇様の意向を伝えに参ったのじゃ。あくまで、その院宣は、頼朝を怒られないためのもの。それに義経殿、いよいよ我が軍勢、整えまする」「秀衡殿、本当に、我が兄者と、いよいよ、ことを構えるおつもりか」「安心せられよ。我が軍団は鎌倉に引けはとりません。義経殿を中心に、奥州平泉十七万騎、轡を並べれば」「いよいよ、奥州と鎌倉が戦いか……」おのが運命を呪う。義経に安住の地はあるのか。その想いが体をおもくする。この秀衡様にいままでの恩をいかに返せばいいのか。義経は病床の秀衡をじっと見守っていた。(続く)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル
2009.01.04
義経黄金伝説■第33回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■9 1186年文治2年 鎌倉 鎌倉には、西行襲撃失敗の報告が早馬で届いている。「西行を追った我が手の者、かえって参りませぬ。どうやら、返り討ちにあったようでございます」大江広元は、策の失敗を頼朝に告げた。次郎左達は大江の支配下に動いていた。「むむう、役に立たぬやつらじゃ。して、西行は。そして沙金は」 頼朝は、顔を朱に染めて尋ねる。「どうやら、西行は、いまだ平泉から動かぬ模様です。沙金については、行方しれずとのうわさ」「待てよ広元、我が手配の者ども失敗したといいうたな」「左様です」「では、砂金の行方は、おかしいではないか」「あるいは、他の賊がが奪いにきたか、あるいは秀衡に対して西行が嘘をつおいているか」その時は、雑色が入って来る。「藤原秀衡様の沙金が、鎌倉に届きました」「して、その荷駄隊に、西行なる法師おったか」 広元は尋ねた。「いえ、多賀城の商人吉次の荷駄隊と聞き及びます」「吉次の……」「西行の沙金いかがいたしたか」「いずこかに。今日の荷駄は、恐らく平泉の別動隊。秀衡もやるものです。一杯食いました」「ならば、西行の荷駄隊は目くらましか」 「いつくかの荷駄隊を送り出した可能性もございます」 二人は策につまり急に黙る。「のう広元、一体、後白河法皇はどのような話を、西行に伝えたのか」頼朝が別の考えをしめいしゃ。「あるいは秀衡殿と、義経殿が手を結び、この鎌倉を攻めよとか」「が、秀衡殿、動くかどうか」「今、あの平泉は義経殿が戻ったことにより、秀衡の和子たちが命令にしたがいますまい。秀衡の子供のうち、特に泰衡は、腑抜け。とても秀衡の後を継げる器ではないと聞いております。泰衡を一押しするのです。義経を渡さねば、鎌倉の軍勢が平泉を攻めると」 広元は一番恐るべき、そして考えられる策を述べる。「その一押しも、この鎌倉ではなく、京の法皇から出させた方が面白いかもしれぬ」「まこと、さようでございます。平泉王国、内部から崩壊させるのが得策」 広元は、頼朝の案に賛意を示した。「広元。わざわざ義経を見逃し、平泉に入れたのも正解かも知れぬのう」 意外な言葉であった。頼朝は、わざと、義経を逃がし、どうしても奥州へ逃げて行かざるを得ないようにしたというのだ。「まこと、これは頼朝様にとって、義経殿、秀衡殿、大天狗殿(後白河法皇)の三者を一度に追い詰めて行くのに好都合でございましたな」 この時期に、三者を纏めて滅ぼそうという案だった。「では、もう一手打つか」「はて、その手は、平泉の内紛を起こすための……」「そうだ。泰衡の舅殿、藤原基成殿を動かすのよ」「おお、それはよい手でございます」広元、手を打った。「秀衡殿亡き後、基成殿は泰衡殿の政治顧問、義経殿のことよく思っておりますまい」■ 1186年文治2年 京都 京都では、後白河法王と関白の九条兼実が策を練っている。「さあ、どうじゃ、兼実。お前なら、どちらを取るかじゃ。秀衡か、頼朝か」 かすれ声で、後白河は言った。「法皇様、そのお声いかがなされました」「いや、また、ちと今様うたいすぎてのう。声が嗄れたわ」今様好きのの法王は、こんな折りでも今様はかかさぬ。生活の一部である。「秀衡、頼朝の事、法皇様のことでございますから。両天秤をかけた上、各々方策を取っておいででしょう。どちらにころんでも安全なように」 疑い深く兼実は答える。貴族の長らしい安全策をのべる。 後白河は、ふうと溜め息をついたようだった。「よう、わかったのう」「それはそれは、麿はいつもお側にお仕えしている身でございます。そのくらいのこと読めずにいかがいたしましょう」「ともかく、兼実、朕は、あの武士どもが嫌いじゃ。なにか策を考えよ」 心の底から、後白河法皇は武士を嫌っているのである。(続く)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル
2009.01.03
義経黄金伝説■第32回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■8 一一八六年文治2年 平泉 西行たち一行は、平泉に戻り、秀衡を訪ねている。 西行の姿は乱れている。「これは、どうなされた西行殿,まるで乞食(こつじき)かと間違う程の有様」「申し訳ござりません。やはり、国境の足利の庄にて盗賊がおりました。砂金は荷駄とも奪い去られております。その野党もどうやら頼朝が手の者らしい」秀衡は、疑い深く西行の顔を覗いている。「西行ともある方が、おまけに弁慶殿もお供してその様か。して、その盗賊どもはいかかがいたしたか」「荷駄ともに逃げおりました」 秀衡は静かに西行の顔を見ている。やがてポツリと言った。 「いやはや沙金よりも、西行様の命の方が大切じゃ。平泉の沙金はまだつきることはございますゆえ。しかし、西行殿、ご自慢の藤原秀郷流剣の腕はどうなされた」「いやいや、俺も年じゃ、自分の身を守るので精一杯でござった」「そのものたちの風体は」「はっきりとは覚えておりません」「まあ、良い。探索方をだしましょう」「が、あのあたりはすでに鎌倉殿の勢力範囲でございましょう」「秀衡殿。身を割ってのお願いじゃ」西行は秀衡に頭をさげている。「無体なお願いとが存じ上げる」「はてさて何を、私と西行殿の間で」「うむ、では申し上げる、再度、東大寺への砂金、今一度お願いを申し上げる…」秀衡はすこし考えている。「ふむ、西行殿の願いであらば、よろしかろう」 しばらくして、すべて理解しているように秀衡は言った。 奥州藤原秀衡も、当然ながら、西行一行の荷駄隊の跡を、密かに物見の者につけさせている。 黒田悪党は、、この平泉に入った瞬間から、不穏なる者供として後をつけていた。 秀衡も、西行が言葉とうりに動くとは考えていない。西行の真意を推し量っているのだ。 百年の平和郷をつづかせなばならない、それが北国の帝王秀衡の宿命でありつねに、中尊寺金色堂壇にあるにある初代、二代目の眼を感じている「この日本成立以来の奥州のいくさ人の考え方」の規範は、「京都人を信じるな」であった。 たとえ、同族、であろうと、西行は京都人であり、東北人ではない。 完全に信ずる事は永久にないのだ。■一一八六年文治2年 奈良東大寺 1ヶ月後、西行と十蔵は、何事もなかったように、奈良東大寺にある総勧進職、重源(ちょうげん)の前に立っていた。海上の道を進み、荷駄隊が黄金を届けていた。吉次の配下が行った。秀衡は安全な海上の道をすすめたのだ。大物浦(兵庫県尼崎)についた黄金は淀川、山崎、奈良山の川道を通じて東大寺に届けられている。 重源は西行を労い、感謝をあらわしている。 重源は、西行が伊勢草庵に返った後、十蔵を別室に呼んでいる。「何か変わったことはなかったか、十蔵どの」「はい、先ほどの西行様のご報告の通りです」 「ふう」 重源は、じっと十蔵の顔をのぞき込む。「十蔵殿、お主、ひとあたりしたな」重源は、西行という人間に影響されたと言っているのだ。「ひとあたりですと、何を言われます、重源上人様」「私は、のう、結縁衆の方々の報せも、聞いておりますぞ」重源は言葉を止めて、目の前にある茶碗をゆるゆるなぜている。「よいか、十蔵殿、お主の体は、すでにお主のものではないのじゃ。よいか、お主の体と心は、闇法師になった瞬間から、東大寺がものですぞ。それを忘れていだいては困りますのう」「は…」重蔵は青ざめている。小刻みに体にふるえがきた。「ふふ」重源は、ねずみをいたぶる猫のつもりか、十蔵の顔を覗き込んだ。「まあ、よろしかろう。お疲れでございましょうな。さぞかし。ふふ、ではお下がりなさい。西行殿の動きは、これからも逐一報告くだされよ。よろしいですかな。十蔵殿よ、ふふ」「わ、わかりもうした」 ほうほうの体で、十蔵はあわてて重源の前から消えた。 内心の動揺は、重源に見透かされている。「あれでよろしいのですかな、はたして、、」 勧進を手助けする若き僧、栄西が障子のうしろから茶碗を手に、重源の前にあらわれている。重源はゆっくりと、それに答えず茶を飲む。「ふふう、相変わらずうまい茶じゃな。のう、栄西殿、良薬、良薬、いあや、人が人にあてられるという事は、ご存じかな」「重源様、はて、面妖な。人にあてられる事ですと。一体、それは」「十蔵がことですよ。あやつ、西行殿という劇薬にあてられたかもしれませんな」「西行殿が劇薬。ははっ、重源様は、面白いことを言われる。西行殿を、我々が結社に取り入れておいた方が、よかったですか」 重源は少し考えていた。「ふむ、いや、少し、それは遅すぎたかもしれませんのう、西行殿は、みづからの結社をおもちじゃわ。ふふ」重源はにこりと微笑んでいる。「いずれ、私が鎌倉にて、我らが結社の分派を、作り上げましょう」栄西が上機嫌で、決意を新たにした。「ほほ、それはよき考え。私も、宋の陳和景を鎌倉へいかしましょうぞ。それに運慶殿、快慶殿らも、この東大寺が仕事が終われば、鎌倉まで取りよこします」「ふふう、板東の要塞都市、鎌倉を我らが支配する。面白く楽しい、身震いいたしますな」「いずれ、西行殿は、奥州平泉をそのようにしようとしていたらしいが、西行殿は少しあの平泉王国、いあや、奥州藤原家に入れ込み過ぎましたな。やはり、西行殿はのう、桜の花が、、好きじゃからのう。ふふ、、」「西行殿は、やはり、散り際の見事さをお考えでございますな」「さようよのう、西行殿は、所詮は、残念ながら、北面の武士あがりですのう。我々のように、武士上がりでも、比叡の山や宋に留学にいき、選ばれた学僧になった者ではありませんからのう」「それも道理でございますな。それでは、重源様、私はまた宋へ行って参りますぞ」「おお、今度お帰りになる時は、大仏殿は完成していましょう」「それに、」栄西は少し考えて、「重源様。頼朝殿からも、金を出させねば仕方ありますまい」「そうですな。頼朝殿も、我々の前で、砂金を差し出すという大見えを、切ってもらわくてはなりませんからのう」重源、元の名は紀重定(きしげさげ)紀家は、古代貴族大伴家の血をひく技術の家。家の歴史が違うのである。東大寺の二人の勧進僧は、お茶釜を前にゆっくりとほほえみを絶やさず、前にある湯気のたち込めるお茶を飲み干している。(続く)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル
2009.01.02
義経黄金伝説■第31回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■7 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山 階段丘ちかくの草陰から、戦いの様子を見る武士たちがいる。頼朝の探索第である。広元から,後に残り西行たちの行方を見張り報告するように指令を受けていた。『よいか。西行の遺骸より、必ず銀の猫をとりだせと。それが西行を殺した証明となる』と。一人がつぶやく。「いかがいたそう」「あやつらは、どうやら、京都あたりから西行をつけてきた悪党の群らしいのう。我らより先に手を出したか。あるいは大江広元さまの手ずるか」「加えて、武蔵坊弁慶もおる」「かえって好都合ではないか。西行らも、先の賊をやっつけて気も緩んでいよう」「それはそうじゃ、好機ぞ」武者たちは、西行たちを倒そうと、飛びだそうとした。 その時、武者の背後に人影があらわれる。「おぬしら、飛び出すのはぬ、わしを倒してからにせい」 僧服をまとった西行と同じ年くらいの老人である。驚く武者たち。「主らのもくろみとうり、そう、うまくいかぬのが面白いところでのう」「な、何奴、貴様は西行が手のものか」「ほほう、坂東には俺の名、まだ通ってはおらぬか」「貴様は何者じゃ」「覚えておけ。といっても、お主らはすでに冥府への道を走っておるのでな」「何を抜かす。この乞食坊主め」「乞食坊主とはよく抜かしたわ。冥府への土産によく覚えておけ。俺は義経殿が武道の師匠、鬼一法眼(おにいちほうがん)よ」鬼一方眼は、杓丈をゆるりと探題たちに向けている。京都の陰陽師、鬼一方眼は、結縁衆、道々の輩も引きいている、先日の競技場へ結縁衆、道々の輩の大いなる示威行動を仕切っていたのは、当然、鬼一である。「げっ…」武士たちはたじろぐ。「ふふつ、板東でも少しは名が通っておるか。うれしいのう」鬼一にこりと笑う、それが武士たちにはかえって恐ろしげに見える。「何、義経の師匠だと。それでは、師匠相手に鎌倉武士の力を見せる。相手せねばならないな」切りつける馬上の武者。が、鬼一法眼は攻撃をスルリと交わし、見る間に彼らを倒した。まるで舞台の上で舞いの練習をするようにである。ただ、舞台と違うのは血しぶきが、あたりに舞い降りている。 彼らの馬は逃げ去っていた。「ふっ、たわいもない奴らじゃ。いずれも鎌倉殿が手のものか」 鬼一法眼は、倒れている武者たちの衣装を調べた。 そこへ西行たちが、この騒ぎを聞き付け、何事かと賭散じてきた。競技場祭事中央の悪党の太郎佐たちの死体は、十蔵が、背後にいる結縁衆を呼び寄せ片付けている。「おおう、これは鬼一法眼殿か。後詰めありがとうござる。この者たちは、何者か」「どうやら、鎌倉殿が手の者らしい。どうも、まだ、奥州藤原の沙金を狙っておったらしいのう」「頼朝殿も、まだまだ、やるものじゃ。あきらめきれぬか」「で、これから、どうなさる」「ちょうどよい、潮時かもしれぬ。のう、鬼一殿、俺は盗賊に襲われ、命からがら逃げ出したのだ」「それでは、秀衡どのよりの沙金は……」「盗まれて行方しれずじゃ」「それでは、この沙金は行方しらずにせねばなりませんな」鬼一は西行の言葉を受けた。「鬼一殿、十蔵殿、お願いできるか。弁慶殿は、静殿を平泉の高殿までおつれくだされい」「さあ早く、この板東を一時離れ、再び奥州に逃げ帰るましょうぞ」「ふふつ、逃げ帰るといたしましょうか」皆が、この西行の言葉に和していた。下野の国足利の荘・御矢山の突風は吹き止みそうにない。(続く)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル
2009.01.01
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