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宮古島に移住して
講演会を受講
一昨日から大型の夜光貝磨きに取り組んでいます。
特大サイズなんですが、フジツボや石灰質の付着物がびっしり着いていて、かなり苦戦中です。
かっての職場の先輩から
「ガーデニングに使いたいので、大型の夜光貝があれば2つ送ってもらえませんか?」という依頼のハガキが一時帰省中に着いていたんです。
付着物はそのままでいいという事でしたが、せっかくだし、夜光貝の良さを磨き出して送りたいんですが、時間的に少々無理のようです。
ところで、
昨日の夕方5時半から、急遽講演会を聴きに行きました。
5時頃に自宅で寛いでいると、宮古島に来る事にしたきっかけを作っていただいた島の方から
「いい講演会がこれからあるので、聞きに来ませんか?」という電話があったんです。
郷土史講座(テーマ:近世宮古の社会2)を受講する予定だったんですが、せっかくのお声かけでしたので、出かけてきました。
演題は「秘められた島・宮古島」で、講師は上間信久氏(琉球朝日放送専務)でした。
『講演の要旨』は次の通りです。
今から3600年前、中国に殷(商)という国があり、貨幣として黄色宝貝が使われていましたが、中国では獲れない貝です。
サンゴ礁に生息し、宮古島を含めた琉球弧の島だけで獲れるという事実から、当時すでに中国と緊密な交流があった事が分かります。
殷に服属していた黄海近くの周(黄色宝貝を入手・殷へ献上)の太公の子に太伯という人がいました。
後に周を出て呉という国を作りますが、越に滅ぼされた時、
追われる心配がなくて、黄色宝貝入手で強い縁 のあった琉球弧に逃れたのではないでしょうか?
そして、宮古島で奴国(なこく)を作り、のちになってヤマト(本州・九州)へと進出していったという説が注目を浴びてきつつあります。
更に、マレー半島からフィリピンにまたがる海域は、10000年以上前まで陸地(スンダランド)だったといいます。海中に沈むにつれてポリネシアや琉球→日本・南朝鮮に大移動が始まった(4000年~)とする説も浮上しています。
倭国(卑弥呼)はヤマトと思われている方が多いと思いますが、倭=アマ(海女)であり、アマ→天→天照大神と類推もできます。
日本人の先祖は、朝鮮半島から北九州に移住してきたという説が主流ですが、
上記を含む様々な事からも、今後は「宮古島を中心とした海人が北上し、宮崎・福岡・大和へと進出した可能性」をもっと研究すべきでしょう。
神話時代を証明する資料は全くないわけで、上記内容などを参考にしつつ、
自由な発想と島の神話・伝承・遺跡を関連付けて、 新たな島の古代歴史構想を皆さん自身が考えて、
島おこし・行事などといった具体的な行動につなげていかれる事を期待します。
なお、参考として、 大宜見猛氏の「昔・昔・大むかし 日本人どこから」や柳田国男氏の「海上の道」などを読まれる事をお勧めします。
講演内容の全部ではないですが、以上の様な趣旨でした。
特に印象に残ったのは、以下の2点でした。
「歴史は時の権力によって作られる。本当の歴史は庶民の中に隠されている(民話・伝説・童話などの形で)」
「地元の歴史を地元の人たちが掘り起こす事で、歴史以前の時代を自由に想像してみよう」
純粋な学問とは別に、こうした視点も重要だと思いつつ帰りました。
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