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ちょこどーなっつ @ Re:停電について(03/13) あんどーなっつです。 お元気ですかぁ…
ちょこどーなっつ @ Re:停電について(03/13) あんどーなっつです。 ご無事で安心し…
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いなあゆ @ Re:停電について(03/13) ご無事でよかったです。
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カテゴリ: グットな人





私財をなげうってつくった岡山県、倉敷市にある美術館。。。



 ”大原美術館 ”



大原のおかげで、


太平洋戦争末期、


岡山県は、アメリカによる原子爆弾の投下場所から除外された。




理由は二つ。



ひとつは、昭和7年、満州事変の調査のため日本に訪れた、


リットン調査団の団員の一人が、大原美術館を訪れた。







”どうして、こんなアジアの辺境地に。。。”


”しかも、こんな地方の。。。”



エル・グレコ、ルノワール、コロー、モネ、シャガール、マティス。。。。



名画の数々。。。



当時、


大原美術館は、


1日の来館者数が10名にも満たない人気のない美術館だった。

                  (現在、年間100万人の入場者)





。。。皮肉にも将来、戦争相手となるアメリカ人が、



大原美術館の価値を最初に認めたのだった。






世界的な美術品を焼いてはならぬ。と



キョウトとならび、クラシキもアメリカの爆撃目標から除外されたのだった。



そして、もう一つの理由。。。


明治40年、岡山に陸軍の師団が設置され、倉敷にも一個連隊が配備されることになった。



町では、お金が落ちることにもなり、軍隊受け入れ賛成派が大勢を占めた。








まだ30にもならない、若い女子工員を大勢、親から預かっている身として、



”町の風紀が乱れる”といって激しく軍隊受け入れに反対。



当時、軍に歯向かうということは。。。



大原は。。。”非国民””国賊”だと罵られた。



あるとき、軍隊誘致に反対している大原に、



過激な若者が、


”きさま 右の耳を切り落としてやろうか!”と言った。



大原は、


おだやかな顔で、


”耳の一つぐらい、平気じゃ。まだ左の耳がある。”と言って笑った。




大原の一歩もひかない態度に、



とうとう軍隊受け入れ派も折れ、


倉敷への軍隊配置計画は流れた。



結果、倉敷は軍事基地を持たない町となり、


さらにアメリカの爆撃目標から除外される理由の一つとなった。



倉敷に隣接する、岡山市や瀬戸内の町が次々と爆撃されるなか、



倉敷だけは、一度も爆撃を受けることはなかった。



その影には、大原孫三郎の見えない努力があった。



ここまでが、前回までのあらすじ ↑




大原孫三郎が、やがて息子の總一郎に事業を継承する際のエピソードをすこし。



大原は、息子を後継者にすることに少し不安を抱いていた。


頭はいいのだが。。。


なんとなく、ほそいイメージ。。。。


そこで、息子の總一郎(そういちろう)を、2、3年、海外へ修行に出そうと考えた。



大原は、取締役会にはかった。



ところが、役員全員反対だった。



”大原家にとって大切な一人息子であるだけでなく、


 孫三郎の事業のかけがえのない後継者なのに。。。”



”若すぎるし、危険だ。”




すると、



大原孫三郎は、声を張り上げて。


”きみらはしきりに總一郎は大事な後継者だというが、


 跡さえ継げればいいというもんじゃないだろう。”



”子孫と言うものは、いったい何のためにあると思う?”





。。。。。。。。




。。。。。。思わぬ質問に、役員達は答えることが出来ない。



孫三郎の言葉の意味がよく飲み込めないでいると。。。





孫三郎は続けていう。



”どうせ、お前達は



 子孫とは、先祖の財産や事業を保つことが使命だ。”とか言いたいのだろう。”



役員達、うなずく。



孫三郎


”その考え方が間違っているんじゃ! ”



”子孫と言うものは、先祖の誤りを正すためにあるんじゃ。”



”すくなくとも、わしは今までそう思って、やってきた。”



”先代の誤りを見抜く見識と、誤りを正す勇気や行動力が大切なんじゃ”


”そのためなら。。。



”そのためなら、總一郎の身にもしものことがあっても、私は構わぬ。”






こうして、總一郎は外国へ。。。



ちなみに、總一郎が外国へ渡り最初に出かけた先は。。。



じつは”動物園”だった。



現地の出迎え人は不思議に思い、總一郎に理由を尋ねた。



すると、總一郎は


”動物が人間に似ていたり、似ていなかったりするのを見るのが、好きなんですよ。”



と答えたそうだ。




大原孫三郎は、そんな普通とは違う一人息子の總一郎のことを、



”いちばんの傑作”とはなし、



”学校の先生に褒められるような奴に、ろくな奴はいない。”といって


 かばっていたそうだ。




總一郎は晩年、父、孫三郎からアドバイスを受ける。



”10人の人間のうち、5人が賛成するようなことは、たいてい手遅れじゃ。


 7~8人がいいと言ったら、もうやめた方がいい。


 2~3人ぐらいがいいという間に、仕事はやるべきものだ。”



”ただし”



”一人もいいと言わないときに、やると危ない。”





後に、


總一郎はこの言葉を守り、


当時、”クルシキ・レイヨン”と陰口を叩かれていた、


”倉敷レイヨン”を見事に立て直したのだった。




最後に孫三郎のことばをひとつ。


”あれ(總一郎)は理屈が多い奴だ。”


”だから商売人にはならんかと思ったけど、まぁ何とかやっとる。”


”あれは、わしの一番の傑作じゃ。”




總一郎の娘、麗子のはなしを一つ。



”夕食のときは、いつも低く音楽がなっておりました。”


”父は、モーツァルトのピアノ協奏曲”戴冠式”を、


 これが我が家のテーマ・ソングだ。”と言い、誰かが旅行から帰ってきたりすると


 きまってこの曲をかけるんですよ。”




そして、ある時、こんなことも話しておりました。


”シューベルトの曲を聴くと、


        かれの肩を叩いて慰めてやりたくなるんだ。”



                                         完








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Last updated  2009.02.25 21:42:11
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