PR
本日も「人生に迷える子羊🐑たっく」のブログをご覧いただき、ありがとうございます🎈

桜がまだ美しく咲いている今日この頃。ふと目にした満開の桜に誘われるように、和歌の本を手に取りました。
そして開いた一番最初のページにあったのが、西行法師の 桜にまつわる有名な辞世の句。
なんという偶然。
願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ
この和歌の意味は――
「もしも願いが叶うならば、春の満開の桜の下で死にたい。釈迦が入滅したとされる如月(現在の3月)の満月の頃に」
というもの。
花の命の儚さと、人生の終わりを桜に重ねるその感性に、日本人の美意識が凝縮されています。
桜と死、そして再生――このテーマは、現代の私たちにも強く訴えかけてくるものがあります。
実は、私が好きな俳人・松尾芭蕉の名作『奥の細道』も、 西行法師の足跡を辿ることが旅の出発点でした。
花を愛し、自然と共に生きた西行の精神は、芭蕉にも大きな影響を与えたと言われています。
古から現代まで、日本の花見文化や旅情、詩心に脈々と流れる“西行の桜”のイメージ。
まさに、 日本の春の原風景ではないでしょうか。
この西行の句を読んでから、私の中で思い浮かぶ“理想の桜”のイメージを探しに、ネットで写真を検索してみました。写真はコピーライトの関係もあって、Youtubeの動画シェアでご紹介します。
そして、西行の終焉の地とも言われる 大阪の弘川寺(ひろかわでら) を紹介する動画も発見しました。現代の風景に西行の面影を重ねながら歩くその映像には、何とも言えぬ風流と郷愁が漂っていて……思わず見入ってしまいました。
桜はただ美しいだけでなく、私たちの心の奥にある「死生観」や「旅情」を静かに揺さぶります。西行が願ったように、春の桜の下で静かに人生を閉じる――そんな境地に至るには、まだまだ修行が必要かもしれません。
けれど、その想いを知るだけでも、 桜を見る目が少し変わる気がします。
時間を超えて過去に旅させられた一日でした。
私のマニアックな趣味に最後までお付き合いいただきありがとうございました^^