りよえり介護ブログ

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September 18, 2012
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カテゴリ: ありがとう♪

母を我が家に迎えて13年の歳月が過ぎました。

その当時、まだ「認知症」という病気をはっきりと認識せずにいた私は

母をそのまま受け入れるだけの事しか頭になく、軽く考えていました。

「私はどうしたのかしら」

「考えても考えても判らない」

「頭がおかしくなったのかしら」

困った顔をして悲しい顔をして私に訴える母に

「お母さんはね、色んなことを忘れちゃう病気になってしまったの。

でも、大丈夫。私がいつもそばに居て守ってあげる。

私がちゃんと支えてあげるから安心していてね。 大丈夫だからね」

何分もしない内に母の不安な心は頭をもたげ

何度も何度も同じことを繰り返し訴える度に私は

母を抱きしめ、手を握り呪文の様に

「お母さん、大丈夫。お母さんをちゃんと守るから」と繰り返しました。

そんな日々を重ねながら母の認知症はどんどん進行し、

混乱期真っ只中と言った状態になり、

デイでトラブルを起し頭を下げる回数が増えました。

暴言を吐き、介護拒否による暴力、利用者さんとつかみ合い負けていない母。

「見当識障害」もうまったく人格が変わり今までの母は居ません。

とうとう、不本意な事に施設を変わらざるを得なくなりました。

これから先の事を考えるとまだ在職中であり

施設で受け入れてもらえなくなったらどうしようと言う不安が募り

「認知症」と言う病気を

しっかり把握し、介護のこと、施設の事などを

本やインターネットであさるように調べました。

母にはどういった施設があっているのかと施設見学もしました。

その中で、母が私と一緒に住む前に

姉と住んでいた吹田市に施設があるのを見つけ早速見学に行きました。

そこは残念なことに、

大阪市が管轄していて大阪市か吹田市に

住んでいる人しか入れない事を知りました。

しかし、職員の方が親切に

「同じ敷地内にもうひとつ認知症専門の施設があります。

そこはショートステイなら他市からでも受け入れしていますので

ご案内します」と案内された。

案内されたと同時に施設を利用するには

「認知症の診断」を受けて下さいと言われ、

同じ敷地内にある病院を紹介された。

ただ、軽い気持ちで施設見学に行ったのに

レールに乗った電車が

助走から走り始めるような感じで道が開かれていきました。

この事の成り行きは考えても不思議な糸で操られたように

ぐいぐいと引っ張って行かれるさまでした。

病院で検査を受けた診断の結果

母は

「アルツハイマー型認知症」でした。

認知症の検査である長谷川式のテストでは25点満点の5点でした。

進行度は認知症の中期の後半。

すでに母と同居して8年の歳月が経っていました。

母には

「アリセプト」と言う認知症の薬が投与されました。

「まれに薬が合わなくなって

ショック状態を起こすことがあるので注意して下さい」と

主治医から注意を受け母に投与しましたが

やはり、ショック状態を起こし

顔面蒼白となりお薬は諦めることとなりました。

色んな事が起こったり経験したりする中、

私は母の記録を綴ろうとインターネットで

ブログを始めることにしました。

ブログでは同じ立場の方や

介護を職業とされている方々から

助言を頂いたり励まされたりで随分支えられました。

そして、月1回の「認知症外来」の診察日は

母だけではなく介護者である私の

心身のケアまで主治医の先生はして下さり支えられました。

母の混乱はひどくなる一方。

一旦スイッチが入ると顔つきが変わり

暴言を吐き不平不満が爆発となって

それを吐き出すまで終止がつきません。

「お母さん、大丈夫。

胸の中に溜まっているものを全部吐き出して。スッキリしたらいい」

母は思いの丈を吐き出し、沈下すると嘘のように大人しくなりました。

病気が母を苦しめている。

私は母が哀れでそんな母を見るたびに

「どうか母を楽にしてあげてください」

「一日も早く何も判らなくなって苦しみから解放してあげて下さい」と

祈りました。

母には精神安定剤が投与され、

効果覿面で母は大人しくなりました。

それは母を大人しくさせると同時に無気力となり

うつろな目でボーっとしているか眠っているかとなりました。

「お薬にコントロールされている母」

「こんな形で生かされている母」

そんな母を見て私は自分を責めました。

母を観察し、お薬の服用時間、タイミングは

母にとっていつがベストなのか

負担が少ないのかを図りました。

色々試行錯誤しながらの在宅介護でしたが

デイやショートステイの施設に支えられ守られて、

母は漸くお薬からも解放され安定し穏やかに過ごす日々が多くなりました。

生活環境が在宅介護を断念しなければならなくなって

梅◎苑でお世話になる事になった今

母は元来の物静かな穏やかな母となり

お茶目なチャーミングな笑顔を見せてくれています。

「認知症」になった母から

私は沢山の事を学び教えられました。

その中の

「愛すること」「敬うこと」「受け入れること」が

今までより深く考えるようになりました。

母は今なお親として

しっかり私を支え守り導いてくれていますことは感謝です。

これからも母の愛をしっかり受け止め

母に寄り添って行きたいと心しています。

職員の皆さま、そして利用者の皆さまに囲まれて

お祝いの席に出席させて頂きありがとうございます。

これからも母共々よろしくお願いいたします。

「お母さん、ありがとう。そして元気に100歳のお誕生日を迎えられますように」

P1030043-400.jpg

 敬老の日に母がお世話になっている施設で お祝いがありました。

 白寿 1名、米寿 4名、喜寿 2名   合計 7名の方のお祝いです。

 母が白寿です。

 その日にお母さんの事を書いて読んで頂けますか?と施設から前もって

 お願いをされました。

 「書けないですし、みなさんの前で読むなんて出来ないので

     不参加にさせてください」とお願いした。

 「それでは、職員が代わって読ませて頂きますよ。 是非一言・・・」

 折角お祝いをしてくださるのに・・・頑張って書かないと。

 頭書の文面がそれです。

 当日、母の担当の職員の方が

 「私が読ませていただきます。   もう、涙が出て私読めません・・・」

 「一生懸命読ませていただきますが、涙で十分に読めなかったらごめんなさい」

 目をもう潤ませて私に話かけられた。

 「大丈夫ですよ。  下手くそな文章を書いたので 『涙で読めません』って

  途中で終わってください」

 そんな事書いたっけ???

 式典で職員の方が声を詰まらせながら読まれるのを聞いて

 母と過ごした日々が思い出されこちらまでもらい泣きをしてしまった。

 母は昼食後いつもお昼寝をするのでその日も始まる前から

 椅子に座ったまま眠った状態。

 ずっと眠っているのだろうか?と心配したが催し物があったりで

 目をしっかり開き見入っていました。

 職員の方に囲まれて母はとっても嬉しそうでした。

 どきどきの 「敬老の日」 が無事に終わりました。






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Last updated  September 18, 2012 06:28:34 PM コメント(2) | コメントを書く
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