Rock's cafe

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January 23, 2005
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「戦争はなぜ起こるのか」という命題考える際に、まず思い出されるのが、かの有名アインシュタインとフロイトの書簡による問答である。「ヒトはなぜ戦争をするのか?」と問うたアインシュタインに対して、フロイトは戦争は人間の本能であり、破壊の衝動を人間から取り除く事は難しいと答えたとされる。しかし本当にそう言い切れるだろうか?おそらく私たちの99%以上は一生人を殺さないだろう。この意味で破壊的衝動はコントロールされているのではないか?それならば国家としてのコントロールは考えられないのか?
この文章では国家による戦争と個人による殺人と対比したい。従って本文においての戦争とは素直に「集団的な殺人」での意味の戦争である(経済戦争といったものは、考えない)。また「戦争はなぜ起こるのか」は「国家はなぜ戦争を発動するのか」へと読み替えたい。後者の方がより「戦争実現の意思」が強調されている点で意味がある。もちろん戦争は突如自発的に発生するわけではない。そのような宿命論的な見方は、いったんここで否定する。戦争が国家の意思で発動されるとすれば、それは個人の意思で殺人が起きることどのような違いがあるのだろうか?

一つ考えられるのは、国家は多くの個人の集合体であることで、より行動に国民の多数を納得させうるような合理性が必要とされるのではないかということだ。民主主義国家なら当然の事だが、いわゆる独裁国家ですら、全く国民の意思を無視した政権というのはありえない。情報操作や教育による洗脳通じてではあるが、国民を説得する作業は不可欠となる。従って国家が、全く個人でいう責任無能力者のごとく無目的・無差別な戦争を発動することは考えにくい。この点において、ヒットラー時代のドイツや軍国主義日本のような、国家全体が狂っている状態で戦争に突入したとされている戦争も例外ではない。次に、個人の意思による殺人の場合を考えた際に、人を殺す事は、行動としてはたやすいと気づく。しかし私たちが日ごろ殺人を対人の手段として考慮しないのは、非難に直面するからである。一つは道徳的(主観的)な非難であり、もう一つは社会的・法的(客観的)非難としてのサンクションである。この二つの非難を考える際に、前者については克服しうるとも考えられる。すなわち道徳的非難に直面しない殺人がありえる、ということだ。例えば目の前で親類を次々と殺していき、今に自身にも襲ってこようとする殺人者に対して、道徳的非難にさいなまれる期待可能性は目覚しく下がるだろう。次に社会的非難としてのサンクションを考えた場合に、これ自身も乗り越えられ得ないものとはいえない。例えば刑罰を全く受けなくて済む特権的地位、あるいはサンクションを厭わない目的意識がある場合が考えうる。しかし生活していく上で個人が二つの非難をそろって乗り越えることはやはりむずかしく、かくして私たちは一般的に殺人そのもの=「悪」という認識を持ちえているのである。これに対して戦争はどうだろうか?例えば日本や欧州といった第二次世界大戦の戦禍を余すところ無く受けた国々は戦争そのものを悪と結びつきやすいが、それが全世界の常識というわけではない(日本ですら最近その認識は疑われつつある)。多くの国家で戦争は必要な外交手段として、また他の苦しんでいる社会を救うための解放手段としてすら認識されている(中国の人民解放軍は、まさに名称でその理念を現している。またアメリカのイラクへの侵攻もそのように解する見方も多い)。さきほどの個人が人を殺そうとする際に直面する非難と結び付けて考えれば分かりやすいが、道徳的な非難に関して言えば、無差別戦争論を否定する正戦論が普及し、それを我々が正面から否定する言葉を持たない今となっては(ヒットラーに対して宥和せよといえるのか)、道徳的非難に直面しない戦争は容易に想像しうる。私たちにできるのは、せいぜいその道徳性のうさんくささを検証することである。法的非難に関して言えば、問題はさらに単純となる。未だに国際社会において、法化は国内法に完成していないし、完成し得ないという見方も根強い。従って国家単位においては、この世界は道徳的な基準、法的基準ともにあいまいであり、その分問題解決に対して戦争という行為を発動することが誘惑的である。

もっとも、だからといっていつまでも戦争は必然的に起こり続けるものだという悲観的な結論は出したくない。歴史的に見れば、現代の方が昔に比べて、一般的に戦争は起こしにくくなったのはやはり間違いないであって、個人という角度で見ても、殺人そのものを悪として忌避するようになるのには、原始から長い年月を経て形成されてきたのである。人間そのものがヒト同士で争い、イエ同士で争い、ムラ同士で争い、クニ同士で争い、国家同士で争うようになってきた流れを見れば、今は世界的に法化の形成途中であるという認識は可能であろう。また戦争がいくら「誘惑的」であるといっても、その誘惑は賭博的なものであり、おいしいケーキやかわいい女の子といった一般的な誘惑性を備えているとは言いにくい。過ちを繰り返す危険性と、賭博に負けた痛みから教訓を得る学習性の双方を人間と、その集合体である国家も備えているのであり(その意味で、日本国憲法における9条は、合理的自己拘束としてみるべきである)、第二段落冒頭に記した合理性のもとで、「起こるべからざる」戦争を減少させていく可能性は十分に期待できるものと考える。





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Last updated  January 25, 2005 11:40:30 AM
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