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やっと出産についての話を書きまする~。人それぞれ、お産もそれぞれ。私の場合、こんな感じでした。8月14日。予定日まであと5日って日の朝。7時半ごろに起きたのですが。その時に生理痛のような、重い鈍い痛みで目が覚めたって感じで。でも、実は前駆陣痛で一度病院へ駆け込んで、結局自宅に戻ったという空振りがあったこともあって、今回も前駆か、陣痛か、様子見る為にしばらく間隔を測ってみることに。なんか間隔がムラがあるものの、8分から20分おきって感じで。おしるしは何度もあったんだけど陣痛には至らなくて。なかなか10分以内にならなくて決め手もなく、どうしようかと思っているうちに、お昼頃に。お昼食べてから病院行ってみようかということになり、ダンナがマクドナルドのバーガーを買ってきました。(なので出産を思い出すたびにあの時食べたバーガーも思い出すんだわ。忘れもしない、チーズバーガーにオレンジジュース、ポテト。(笑))それを昼飯に食べて一息ついて、病院に電話。そしたら「すぐに来てください」と指示があり、そのまま出発。病院に着いてみれば、あれれ?陣痛が・・・落ち着いちゃった。その時、13時過ぎ頃。また空振りで帰宅かしらん、と思いつつ病棟へ。モニターを測っている途中でそのまま入院ということになり、陣痛室で待機。陣痛室で準備していたら、担当の助産師さんがやってきて(実は私は研修中の助産師さんの患者となったので)色々アドバイスやら説明やらしてもらい、シャワーを浴びてから陣痛室へ。その時は陣痛はまだ間隔が空いていて余裕あったんだけど・・・。で、戻ったらオヤツが用意されていて、そのオヤツ(確かクレープだった)を一口食べた途端。ズーン!と大きな陣痛の波が来たのですよ。それから急に3分間隔になってきて、波が過ぎた後一息つく間もなく次の波がドーンとやってくるくる。ダンナが付き添ってくれていたので、背中とか腰をさすってもらいながらどうにかしのいだものの、陣痛って話に聞いていたのは、腰が痛くなるという話が殆どだったんだけど、私の場合、太ももの付け根がとにかくだるぅ~!でしたね。もうどうにかしてくれーって位で。太ももがどうにかなりそうっていうか。そんなだるさと闘っている間に、夕方になり仕事を終えた母が到着。母が背中やら腰やらさすってくれたんだけど、これがもうポイント押さえてる。もう気持ちよかったなあ。ダンナはその時陣痛逃しの為の踏ん張る台になってもらっていました^^;四つんばいになって、でかいぬいぐるみ(=ダンナ)にしがみつく感じです。夕方の時点では、夜中から明け方のお産になるだろうという話だったんだけどあまりの急な進み具合に、「夜7時には産まれるかも」と。最初は3cmだった子宮口が、病院に到着してから5時間後辺りにはもう8.5cmになり、確か18時頃に「分娩台に移動して」と指示を受けてりきみのない間にダーっと駆けてさっと分娩台に乗りました。もう、りきみを我慢してりきみ逃しを必死にしていたのが一番大変でしたねー・・・。ホントりきみたいのにりきみたいのに~ともうこれがつらかった。私の場合、りきみのがしの呼吸法だけでなく頭ブンブン振り回してさらに逃したりとどうにか耐えたものでした。確か19時前だったかな?「りきんでもいいですよー」がもう神の声でした。もう光が差しましたとも!りきみました。出ません。りきみました。出ません。数回繰り返しても出ません。しかし、助産師さん二人と当直の先生は「りきみがとてもうまいですよー」と励ましてくれるんだけど、それでもなかなか。とうとう、最終手段となりました。あれです。アレ。(この辺詳しく書くとチョットなので、略させていただくとして。今もはっきり目に焼きついてる・・・)麻酔かけたといってもすぐ切るんだから効く前にチョキンされて・・・「いってー!!!」と初めて、大声で叫んだ瞬間。すっごい大きい泣き声が聞こえて、この間の記憶が全くないのだけれどもほんの数秒の出来事だったと思います。ハッと気付いたら、「男の子ですよー」と目の前に産まれたばかりの赤ちゃんが自分の胸の上におかれようとしているところでした。(カンガルーケアを取り入れている病院なので)このときの気持ち、本当に忘れられないなあ。本当に可愛くて可愛くてたまらなかった。顔とかじゃなくて、なんていうのかな。やっと会えたねって感じというか・・・。そんで、先生や助産師さんから言われました。「ホントに初産?と思うほど上手かったですよ」でした。最後まで理性が残っていたんだわ・・・。実に。幸い、出血量も少なくて済み、お産時間も6時間ほどの安産だったとのことで、赤ちゃんも元気に生まれたことだしホッとしたものでした。しかし・・・ダンナが、「すごいね、すごいね、16時間はかかると聞いていたけど6時間とはすごいね」と言うもんだから。「言っとくけど、6時間でも出産は簡単だと思わないでよ!」と、かなり強く言ってしまった。そして延々とどんなに大変だったか説明してついでに、「二人目、無理だから!」とも。そして2時間程赤ちゃんを抱っこしたり初乳ふくませたり。それから赤ちゃんを助産師さんに預けて、陣痛室に戻ってみたら。一口食べたっきりのオヤツがなくなってる・・・(泣)というのは冗談として、陣痛室に戻ったのが22時頃で、そこで一泊。なんだか切った痛みの方が勝っていてまんじりとしたまま次の日を迎えたものでした。今はなんか記憶が薄れてきたなあ。痛かったというより、大変だったという感じですかね。痛かったといえば、やはりお産後のトイレとか・・・便をするときとか・・・。退院後の最初の便が固すぎたらしく途中でつかえてしまってこれには悶絶するほど苦しかったよぉ。座薬を使ってどうにか無事済ませられてホッ。なので、出産前に、先生から座薬を念の為にもらっておいてよかったと思ったものでした。あとは思い出したら追加していく予定です。ちょっと生々しい話だったかな。お産の話、私の場合。でした。
2006年01月14日
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妊娠思い出バナシ。その2です。妊娠生活といえば、もう入院3回で大変だったとしか・・・。それでも、入院中で日課である赤ちゃんの心音のチェックをするたびに、「赤ちゃんはとても元気ですよ」という言葉が一番の心の支えでしたね。1回目の入院。1月3日。お正月が終わりという日。その日の夜に出血があったのでした。実は私はこの妊娠が3回目でして。最初の妊娠はこの日記に書いたとおりで、その後も2回目の妊娠→流産しているんです。で、今回が3回目で。さらに今回も流産したら諦めよう、と話し合って決めていたのでした。そういうことがあったので、出血を見たとき、またか・・・と不安になり。ダンナに報告したところ、「すぐ病院にいこう!」しかし私にはカンがあって、「流産のときの出血とは違うなあ」と思っていたので、「様子見てから・・・」と思ったのですがダンナの「とにかく病院行こうよ」に、やっぱり念の為に行くか、と病院に行ったのでした。違うなあと思ってもやっぱり不安が大きかったし。病院には丁度、私の担当医が当直でいたのでした。もうホッとしたなあ。そこで、ビックリする出来事が。「赤ちゃんは心音が聞こえるから元気だよ。でも・・・あれ?もう一人いる・・・?」え??なんですと!?卵がふたつあったとかで。二卵性双生児、だったらしいです。しかし、もう一つは、心音が聞こえないとのこと。だから、その出血は、育たなかったもう一つの卵のものだろうということで、万が一のことを考えて、安静入院しなさいと。いわゆる切迫流産で入院となりました。その後、約1週間入院して経由を見たのですが、残念ながらもう一人の赤ちゃんは結局成長ナシでそのまま子宮に吸収されていったようです。ちびロクは、もとは双子だったんだなあ。でも、きっと二人分の命だからその分生命力が強かったんだね。今でもフッと思うことがあって、ちびロクは、同じ男の子の双子だったのかなあ?ちびロクと女の子の双子だったのかなあ?って。寂しくなるときがあったりします。さて。次の2回目の入院は、無自覚の張りで即入院となりました。確か5ヶ月ごろだったか・・・。4月末ごろ。これからゴールデンウィークで、その間に赤ちゃん用品とかを準備しよう、と思っていた矢先でした。切迫早産で入院、約2週間。これが一番ストレスたまったなあ。自分は張りというものが分からなかったし、元気だっただけに。退院しても、ずーっと安静してなければならなくて。外出も家事も禁止というレベル。そして、3回目の入院。これは8ヶ月目の終わりごろに。これも張りがまた続いているということで、お腹の赤ちゃんが2500g越えるまでは、と。ちなみに、確か7ヶ月目のエコー検査のときでは「育ちすぎだけど大丈夫でしょう」といわれていたです。何故か食べても食べても、体重は少しずつしか増えず、どっちかというとお腹の赤ちゃんの方がどんどん体重が増えていってました。しかし、お腹の張りはあったものの、それに伴う痛みというものがあるらしいのですが、私は一度も痛いことは全然なかったのでした。ナースさんからは、「痛くなったら、すぐ知らせるのよ」と顔をあわせる度に何度も何度もいわれたものでした。しかし、全然痛くもないし、なんだか良く分からないまま入院したって感じでした。そうして丸1ヶ月入院。36週目(10ヶ月目初め)に入ったときに、「赤ちゃんは恐らく2500gあたりになっているだろうから退院してあとは産気づくまで出来る限り動いてね」といわれて、退院しました。先生も、ナースさんも、思っていたそうです。退院しても、すぐ産気づいて戻ってくるだろうと。それほど、陣痛のような張りだったんだそうです。だからいつでも対応できるようにと、常にスタンバイしていたそうで・・・。退院後すぐの検診(といっても1週間後)の時、「みんな待っていますからね(笑)」なんて入院中お世話になったナースさんが外来にいたときにいわれたりしたものでした。途中に空振り(破水?と思ったら違っていたりとか陣痛?と思ったら前駆陣痛で結局自宅に戻ったりとか)があったりして、39週目に産気づいて、無事出産となったのでした。予定日より5日前でした。出産の話は、その3にて。赤ちゃんと一緒に退院したこの日、ある一人のナースさんに挨拶したら、「とっても長い長い妊娠生活でしたね。無事産まれてホントよかった」と言われて、涙、涙でした・・・。そのナースさんとは、最初の入院からずっとお世話になっていた方だったので。言い尽くせない感謝の気持ちとか色々な思いでいっぱいでした。大変だったけど、最後の10ヶ月目で好きなように思う存分過ごせたのでそれはそれで楽しかったなあ。そんな、妊娠生活、私の場合。でした。はい。ちなみに余談。つわり・・・7ヶ月まで続いたなあ。味噌と白いご飯が駄目だった。でも食欲はあったので、食べて数時間後にリバース→食欲があるのでその食べるそれでもまたリバース、の繰り返しだったんで、体重はプラスマイナス0。増えも減りもせず・・・。やっとつわりが治まった後、8ヶ月末から9ヶ月全部の入院中は絶対安静だったのできっと食べて寝るだけの生活だから体重増えていくだろうと思ったら。+8kg(妊娠前の体重に)だけで、それっきり体重は増えず、その分赤ちゃんの体重がどんどん増えていっていたのでした。ビックリしたな。絶対+12kgとか+15kgは増えるだろうと思っていただけに。なので、先生からは「予定日だと大きくなりすぎるかもしれないからそうなると産むの大変になるから、まだ小さめなうちに、早目に産もうね。」と言われて。結局予定日5日前に出産となったわけだけど。ホントに出産は今までの中で大きな出来事でしたね。また後日。
2005年12月13日
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いきなりですが。今までの経由をダーっと書き連ねたいと思いますのでそれが済むまで、不義理という素通りとレス返しができないことをお許し下さい。大体3回位になりそうですが気が向いたら読んで下さると幸いです。ホントにいつもいつも読んで下さる方、コメント書いてくださる方有難うございます。では改めて、本題。妊娠中の思い出バナシ・名付け編 名付け。初めて、出生届に文字を入れたときが一番緊張したなあ。間違えちゃいけない、って。周囲に聞いてみれば、「名付けねー・・・。あれは大変だった・・・」と遠い目で語られたりした。特に気の強い友人夫婦の場合、すさまじかったそうだ・・・。色々なドラマがありますね。で、上の画像は、何かといいますと。中学生の頃から愛用していた漢和辞典。名前を考えるにあたって、ものすごくお世話になりました。実は。産まれるまで、男の子か女の子かは分からなかったのでした。いやね、生まれるまでのお楽しみにしておきたかったんで。8ヶ月9ヶ月と近づくにつれて、知りたい、いやまだでも・・・なんて葛藤はありましたが、やっぱり楽しみに取っておいてよかった。男の子の名前と女の子の名前を2つ考える楽しさが味わえたから。で、名前を考えるにあたって、二人の一致した意見は以下の通りでした。これはあくまでも二人の考え、価値観ですので。・当て字にしない。・普通に読める漢字を使う。・読みは3文字で漢字は2文字。・姓名判断とかは気にしない。キリないから。そして何より、「バランスよく」でした。で、私が一番こだわったのが濁音が入らなくて透き通った音を使うと。何しろ、苗字に濁音が入っているもんで、重くなっちゃうなと思って。3ヶ月目から既に思いついた名前をメモしては取っておいていたな。で、読みの方は、5ヶ月目のあたりで既に決めていたんだけど、漢字がなかなか決まらなかった。男の子、女の子両方とも。一応、漢字はしっかり意味を把握しなくては、と思っていたので漢和辞典に、よみに一致した漢字を探しては、意味をみっちり調べていくつか候補を抜き出してはじっくり考えたりしたものでした。男の子の名前の場合、読みの方はダンナがこれ、と決めていて(いつの間に・・・)私もそれはいい、と賛同したのでスムーズにいったのですが漢字がなかなか。その中に、これしかない!という漢字を見つけて。もう、この漢字を見たとき、なんか閃くというかこれしかない!という感覚が走ったんですね。でも落ち着け、意味を調べて・・・うん、これはいい意味の漢字だ、と。ダンナにこれを見せて、これはどう?と聞いたら。ダンナも目を輝かせ、これだね!と初めて一致したのでした。それまでもう一つの漢字の候補があったのだけれど、男の子に使う漢字としては少し字画が軽いんじゃないかと迷っていたのでした。こうして、男の子の名前は決まったわけですが。女の子の名前は、私が前からこれがいいなと決めていたよみがあり、ダンナが賛同してくれたのですんなり決まり、やはりこれも決めていた漢字があり、これはダンナも私も一致していたのですが、添え字(◎”子”とか◇”美”とか)の候補が2つあり、どれも捨てがたくて中々決まらなかったのでした。で、もうすぐ10ヶ月目(というか退院する前)にスパッと、こっちの○にしましょう!とギリギリ決めたのでした。今思うと、男の子の名前が早い段階で、しかもヒラメキで決まったところを見るとある意味なんか決まっていたんだなあと思っていたり。
2005年12月12日
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