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長らくご無沙汰しておりました。別用で猛烈に忙しくしております。もしかしたら、カウンセリングとその別用を融合させて、心の病のある人とともに歩むことがインターネット上ではなく対面して可能になるかもしれない機会が与えられそうなのです。そのために更に忙しくなりそうです。でも、細々とこちらも続けていきますので読者の皆様よろしくお願いします。で、今日のお話はやはり昔話なんですが、躁うつ病の友人がおりました。派手な衣装で街頭演説してしまう躁の方が強い方だったんですが、かれこれ10年にわたって20回ほど同じ病院にプチ入院と称して入院されていました。同室に入院されたときはうつ状態で、ふとんにこもりっぱなしで食事もとらず、大丈夫かしらんと思いました。その後、退院後も文通は続きました。その文通の過程で彼女は絵を描きはじめたの、個展開くから見にきてとある日言ってきました。そりゃすばらしいことだずと思って大きな花束を持っていきましたよ。そしたら見事なほんわかとした絵が並んでいました。とても街頭演説していた人とは思えず・・・。そしてもしかしたら、この人は躁うつ病で発散していた膨大なエネルギーを絵を描くことにそぐことで解消できるかもしれないと思いました。果たしてそうなりました。彼女はぞくぞくと個展を開き、いつの間にか躁うつ病は消失していました。医者にも薬にも治せなかったのに絵画がなおしてくれたんです。もう1つ。こちらは躁うつ病ではありませんが、軽度の統合失調症とアルコール依存症と拒食症の合併で苦しんでいた女性がいました。なんとか退院したものの、私にかけてくる電話はいつもアルコールをぷんぷんさせた声で、挙句のはてにはトイレ中に電話を落とされてしまい、不通になるという事態もありました。それが、やはり文通していたのですが、アロマテラピーをはじめたの、という言葉がでました。それから半年、彼女はアルコール依存症と拒食症から抜け出すことが出来ました。軽度の統合失調症はまだ残っていましたが、入院中は医師からはさじをなげられていただけにすごい変化です。アロマテラピーやっていたら治ってしまったの、そのかわり、主人が発病しちゃったからこんどは私がおんぶしなきゃいけないんだけどね、とはっきりとした、笑い声で電話で話してくれました。いったい何が心の病を解決するかなんて実はわからないものなんですよね。別に心の病だけに限りません。医師から治りませんと宣告された癌の末期の人が登山をしたことで治ってしまったという例もあります。決して奇跡なんかじゃないのです。人間はある強い、それも強烈な人生の目標を見出すと脳内から幸せになる物質が出るのです。だから、心に闇がある方にはあきらめないで、少し休んでいるだけ、いつか自分のこれだ~というもの、生きている意味がわかると楽になるから、と私は言いたいです。それまでは寄り添って伴走しますよ。それがカウンセリングってものですから。
Oct 29, 2008
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私が精神科の病院に入院していたことがあることは話したことがあると思います。そこでの話を語りたいと思います。ある日のこと、病室に身長170cm体重35kgの17才の女の子が入ってきました。 食べるときに使うおはしは使い捨ての割り箸、コップは使い捨ての紙コップ。 ドアノブに触るときは手袋をする。食べる量も一口サイズ。 あきらかに重症の拒食症患者でした。 痛々しい彼女との交流は花ではじまりました。 いつも病室にお母さんが花屋から買ってきた一輪の花を置いて行くのですが、彼女はその花の絵を丁寧に色鉛筆で描いていました。 食べることもせず、栄養点滴の管を腕につけたまま、ベッドのふとんの上でひたすら描きつづけていた。そんなに面白いのか、と思いました。 すべてを拒否しているのに花だけは拒否しません。これは不思議です。 そこで、私も、絵の才能はないけれども、絵を描く趣味があったので、ときよりその花の絵が完成すると、批評することにしました。 でも、いつもいうことは同じ。 「やっぱりXXちゃんの絵は上手だねえ」 人はそういわれるともっとやる気になるものです。 いつしか私が見に行かなくても、彼女の方から見せに来てくれました。 ある日、私は言いました。 「生のお花が触れるようにほかのものも触れるようになるといいね」 そしたら、翌日、ドアのノブに素手で触れました。 すかさず、「あれ~触れるんじゃないの~よかったね~」と言って笑った私。 内心びっくりしたけれど。 それからは速かったです。 紙コップが普通のコップにかわり、割り箸がふつうのお箸に変わりました。 しかし、変化は速や過ぎぎました。 突然、ある日、彼女は泣きながら病室に飛び込んできて、また食べなくなりました。 もちろん、コップもお箸ももとどおり。 なぜ泣いてしまったのかはわかりませんが、こころの病はゆっくりと回復しないと反動で逆行することがあります。 それでも、そんな中、彼女は絵は描きつづけていました。 それをみて、私は思いきってあることを彼女に申し出ました。 「庭を散策しませんか?」 「庭にはたくさんの花が咲いているよ。私、案内してあげようか。」 花、と聞いて彼女は頭をあげました。 「でも私、ドア触れない。花触れない。だから外、いけない。」 「じゃあ、手袋していけばいいじゃない。何も触れといってるわけじゃないわ。 花は匂いをかぐこともできるし見る事もできるでしょう。」 ふと黙ってうつむく彼女。 私はもう行く準備をして、たちあがりました。 彼女もそれにつられるような形でたちあがりました。 ドアノブは私が開けました。 それから庭に出ました。 初夏の庭は草がおいしげり、ひまわりやバラ、赤や黄色やピンクの名の知れぬ花がさきほこっていました。 病棟の屋根先の棚には南国のフルーツ、パッションやキウイの実がなっています。 そういった花や果樹を植えた人達は別病棟にいるアルコール症患者です。 庭仕事のような簡単な作業労働をすることもアルコールから抜け出す一つの方法なのです。 私はのんびりと歩きながら、まだ青いすすきの穂で足元をけちらしていました。 バラ園にたどりつくと、私は彼女に言いました。 「きれいだね、バラ好きでしょ。いつも絵に描いている。匂いかいでごらん。」 匂いをかぎながら、ふと花びらに触れた。手をひっこめました。 「怖い?」 うなずく彼女。 「バラは怖がっていないよ。触ってほしいと思っているよ。 一生懸命生きているから触ってほしいんだよ。触ってほしいからいい香りを放つんだよ。」 黙ったままの彼女だったが、何か考えていました。 ハーブ栽培が好きな私は草ぼうぼうのところで自然のハーブをみつけるのが好きです。 その日もみつけました。 薄紫色の房のような花を咲かせたペパーミントが生い茂っているところがあったのです。 そこでたちどまり、私は言いました。 「ほら、これミントよ。いい香りがするでしょう?かわいい花だね。葉っぱに触ってごらん。 いい香りがするから。ああなんていい空気なんだろう!」 黙ったままの彼女でしたが、手がのびました。でもあともう少しのところで手をひっこめてしまいました。 「これってね、食べられるのよ。消化促進剤なの。」 といってむしゃむしゃたべてみせました。 「さっきも言ったけど、自然ってさ、やさしいよね。目がみえなくても香りやそよ風にたなびく草の音がきこえる。 耳がきこえなくても香りをかぐことができるし触れる。手足が不自由でも香り、音、味を楽しむことができる。 こんなにやさしいのってほかにないよね。これからも一人で庭を歩き回ってみな。自然とお話できて楽しいよ。」 いささかかっこつけていったような気もしますが、思っていることは事実です。 そしてその日の散策は終わりました。 その後、彼女との散策はありませんでした。 それから1年後、病院に用事があってでかけると受付のおねえさんが、預かり物があります、と言った。 手渡されたのは1通の封筒。中には手紙と写真が添えられていた。 お久しぶりです・・・ではじまった手紙には、体重が増えたこと、高校にも復帰したこと、ある芸能人のファンになっていて、まだ通院中だけれども友達もたくさんできて毎日楽しいこと、そして、最後にこう書かれてありました。 「PS:そうそう、病院の庭で一緒に見つけたミント、家に持って帰って植えたらすごい大きくなっています!!」 彼女からの手紙が1週間前に病院に託されていたのでした。 私がいつまたこの病院に訪れるかもどうかもしれないのに、この偶然はなんでしょう。 写真にはふっくら笑顔の彼女が写っていました。 すごく大きくなったというミントはさぞかし彼女から沢山の愛情をそそがれているのちがいないでしょう。 1年も前のことを覚えていてくれた彼女に目頭があつくなりました。 きっとこれからも過食症になる危険もあるでしょう、大人になる過程でまたつまづくこともあるでしょう。 でもきっと、彼女は私と同じようにミントをみるたびに、彼女を必要としている人や物が あり、その人や物が彼女に触れてほしがっていることを思いだし、ハーブ(香る雑草のようなものです)のように力強く生きていくのではないかと思うのではないかと、ちょっぴり安堵した私です。 人は必要とされていると思うと生きられるのです。 以上がハーブとの出会いで変化がみられた拒食症の子の話です。その後も彼女とは交流があり、いろんな変化やつまづきに出会っています。その話はまた今後。ではまた。
Jul 29, 2008
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長らくご無沙汰してしまいました。4月からダイエットをはじめていまして、といってもただのダイエットではなく体質改善を徹底的にやるというものです。精神病に対して渡される薬は、眠らせてしまう、言動を緩慢にする、肉体を弛緩させるというような作用があるため、どうにも太ってしまいます。私も2度にわたる妊娠、1回の流産、主人の精神病発病などなどもあって薬が増える一方で体重がいつのまにか80kgの大台にのっていました。当然ながら、高脂血症になってしまい、他の生活習慣病もよってくるのも時間との勝負という感じでした。そこへ、わけのわからない発疹が身体全体に出て、高熱と頭痛に悩まされて一週間、入院生活を送ったところ、運動をしているわけでもないのに、単に痛みで食欲がなかっただけで、10kg減りました。これは減量のチャンスだと思ったのも言うまでもありません。それからは、YOSAというサウナとリンパマッサージを繰り返し、お腹にバンドを巻いて、便秘解消のためにニンジンりんごジュースなどを飲みつづけました。そうしたら、冷え性と便秘を解消したところから、身体を動かしたくなり、今は1日1万歩を目指して2時間ぐらい歩き続けるようになりました。汗もちゃんとでるようになりました。気持ちも前向きになってきました。やりたいことたくさん!おかげで薬の量もすこしずつ減ってきています。また、現在は、単に体重が5kg減っただけでなく、内臓脂肪、BMI、ウエスト周りなどの数値が軒並み下がりました。まだ、目標体重までは半年かりそうですが続けるつもりです。さて、そういうわけだったので、こちらのブログをおろそかにしていました。6月。雨ばかりの嫌な天気ですね。普通の人でも気圧の関係でうつうつとなるのに、精神病をわずらう人にとっては入院が多くなる時期ですね。私もかれこれ10年ほど前に心因性反応を発病し、クリニックにかかって即、海に面する国立療養病院に2ヶ月お世話になりました。いまでも忘れません。母親と親子離れできていないがゆえに恋愛を阻まれ、私も母親から離れられず、いわゆるアダルトチルドレンの考え方でいうところの共依存になっていました。それもあって、切り離す必要があるということで、自分から入院を申し出ました。クリニックの先生はその私の唐突な言動に驚かれましたが、すぐに手配してくださいました。国立療養病院にでかけたのは折りしも6月の台風のさなかでした。海に面していますので、波が大荒れで並木も押し倒されそうな気配でした。そんな中、会社にちゃんと休業宣言して引継ぎもして自分で荷物をまとめていったのですから猛烈な力が働いていたと思います。病院に入ると、30代の若い男性医師が出迎えてくれました。その先生はいろんなことを聞いてきましたが一番心に残っている言葉は、「(主治医は)私でよろしいでしょうか?」でした。なんとも変な先生だなあと思いましたが、疲れ果てていたので「他に選ぶことができるんですか?私、いましがた来たばかりですし、先生にお会いするのも今日がはじめてです。嫌とか好きとか言えませんよ。」と私は言いました。いったい何を探っていたのかいまだにわかりませんが、私の精神状態をみていたことは確かでしょう。そして、持ち物について話したところで、私は先生にお願いしました。「1mたけの大きなくまのぬいぐるみを持ってきてもよろしいですか?あとどうしても持ってきたい鉢植えが1つあるんです。ワイルドストロベリーといっていちごが獲れるのです。」先生は一瞬うなっていらっしゃいましたが、「いいですよ、それだけなら」といってくださいました。当時の私は極度の人間不信に陥っていたので、頼れるのはくまのぬいぐるみと植物だけだったのです。もし、許されていなかったら入院生活はかなり厳しいものだったかもしれません。入院中はくまを黒いゴミ袋に入れては自宅にもどる訓練をしたものです。最初は電車に乗ることからはじめたんですよ。今思うと変な人にみえたでしょうね。黒いゴミ袋をかかえて電車に乗る。でも、当時はとっても大事でしたし、周りがみえていませんでした。ワイルドストロベリーは入院中、仲良くなった重度のうつ病のケアに使っていただきました。毎日、鉢植えに水を遣るということだけですが、その子にとってはとても大変な作業だったのです。でも、赤い実が成ってそれを食べるとものすごく喜んでいました。やればできる。それを先生は教えたかったのでしょうか。今もくまのぬいぐるみはいますが、もう私の手を離れて押入れに入っているか子供たちのよき遊び相手になっています。ワイルドストロベリーも健在です。でも、もうあまり手を入れていません。それでも生きているのだから植物ってすばらしいと思います。こうして、私の入院生活は6月から2ヶ月間続きました。入院中の話はまたいずれ・・・・。ではまた。
Jun 10, 2008
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みなさん、20年前ぐらいからアダルトチルドレン(AC)という言葉を耳にされたことがあるでしょう。これは米国のソーシャルワーカーであるクラウデア・ブラックら臨床心理にたずわさっている人々が称した言葉で、アルコール依存症患者の子供として育ち、現在は成人に達した人々のことをさし、英語で Adult Children of Alcoholics と言います。その頭文字を取って、ACOAとかACとも書いたり、そのまま、アダルトチルドレン(1人ならアダルトチャイルド)と言ったりします。クラウディア・ブラックは、多くのACの少年期を調査して、それまでの一般常識であった、酒害家庭の子供たちは逸脱的な反社会的行動を起こしやすいという説を訂正して、著書 "It will never happen to me"(1981)(邦訳、「私は親のようにならない」、1989)で、これらの子供たちは目立つけれども、むしろ少数派であると指摘しました。そして、目立たない大多数の子供たちに対してもケアが必要であると注意を喚起しました。というのは、これらの子供たちは、混乱した家族システムに適応して少年時代を生きのびますが、思春期以後に、特徴的な感情と行動の障害を起こしやすいからです。ブラックは、ACの挫折や障害の起源を子供時代の機能不全家庭への適応様式にさかのぼって考察し、酒害家庭の子供たちは、暗黙のルールとして、「しゃべるな。信じるな。感じるな」という信念を持っていることが多いと述べています。また彼女は、子供たちの家庭での役割を「責任を背負いこむ者」、「順応者」、「なだめ役」、「行動化する子供」の4タイプに分けて分析しました。 ブラックが指摘し解説したAC問題は、精神医学の研究者や専門家よりも直接臨床にたずさわるソーシャル・ワーカーに受け入れられ、さらに臨床の場を離れて、マスコミでとりあげられました。1980年代前半には、AC関連の書籍がベストセラーになるなど、いわば「AC運動」が米国一般市民の中に浸透し、全米各地に多数のACの自助グループが生まれました。 そういうわけでACは、診断名ではありません。むしろ「自分の生きにくさの由来を理解し、成長の出発点とするための自己認識、自覚」と言ってよいでしょう。「AC症候群」という用語も使われてはいますが、その概念すら定着しているとは言えません。たとえばAC問題と同様の現象は、酒害家庭以外の機能不全家庭の子供たちにもおこりうるわけで、実際、AC概念は1980年代後半に米国では Adult Children of Dysfunctional Family(機能不全家庭出身の成人)に拡大され、現在では、ACは通常はこの意味で使われています。この場合には、「機能不全家庭」という漠然とした言葉のために、ACという用語の概念がますます拡大することになります。なお両者を区別するときには、ACOA(酒害家庭)、ACOD(機能不全家庭)という短縮形を用います。本来、Children of Alcoholics(酒害者の子供) というフレーズの Children は親子関係の子供を意味しており、若年者に限らないのですが、Children の語感から未成年をイメージしやすいために、その子供たちが大人になった人々を意味する Adult Children of Alcoholics が使われるようになりました。そして、その人々と同じような立場にあり、同じような問題を持つが、アルコール以外の問題を含めた機能不全家庭に育った人を意味する Adult Children of Dysfunctional Family という言葉ができました。そして、Adult Children of Dysfunctional Family という言葉の後半部分を省いた Adult Children という用語が同じ意味で使われるようになりました。ただし英語の Adult Children は、前述したように「成人した〇〇の子供たち」という意味で用いられる普通名詞の日常用語です。アダルトチルドレンという言葉を理解するためには、この英語の起源と一連の流れを知っておくことがとても重要です。以上は以下のURLから引用させていただきました。もう少し詳しくお知りになりたい方はそのURLをごらんください。赤城高原ホスピタルさて、問題はここからです。先にも書いたようにACは病名ではありません。ですから、自分がACであると名乗ることも名乗らないことも自由なのです。ただ、ACであると名乗り、12のステップというAAにも使われている自分の苦しみを解き放つステップを自助グループなどに参加して歩むことが自分にとって救いであるならば、ACと名乗ってかまわないと思います。私はちなみにACと名乗っていません。なぜならば、ACというものにいつまでもしがみついていては私はAC以上の人間に成長し得ないと思ったからです。もちろん、たまに12のステップを読み返して、今はどんな状態にあるのかと確認したりすることはありますが、あえて自分はACであると公言することはありません。かつては公言していました。公言することで守られていたからです。病名をつけられると何か安心感を得るのと同じようにACと名乗ると自助グループの仲間もできますし、苦しんでいるのは一人ではないという気持ちになれたためです。つまり一人でACと名乗らなくてもやっていけるという自信がもてた時点で私はACを名乗るのをやめました。よって、自分の苦しみの段階がどの段階にあるのか吟味してからACと名乗るか名乗らないかを決めていいと私は思っています。酒害の家庭については自分の苦しみの段階を知るにはまずは先に紹介した「私は親のようにならない」をお勧めします。私のちょっとした言葉があなたの救いとなりますように。
Apr 7, 2008
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何もしたくないなあと思っていると私の場合は本当にさぼってしまいます。あっという間に3月も半ばに突入しそう。外は梅や桃の花がきれいに咲いています。この陽気の勢いだと桜も間近かもしれません。今日はなんの話題にしようかと思いましたがリストカットの話にしましょう。キットカットではありませんよ。無性に自分のことを切り刻んでしまいたい症候群とでもいいましょうか。私の古き知人にそれこそ体中にリストカットの跡がある人がいました。首までも切ったことがあります。それでも生きています。子供も旦那さんもいます。いつぞや何でリストカットするの?とたずねたことがあります。そしたら「生きているっていう証」だからと言われました。人によっては自殺にもつながりかねないこの行為を生きているっていう証とは思えないでしょうが、実はそうなんです。そこまで行き着く理由は様々ですが、その人の場合は、誰からも見捨てられている自分がなぜ生きているんだろうかということを確認したいと思うと無意識のうちに自分のことを切ってあたたかい血が流れるのをみて安心していたということでした。生きたいから死にたいという(死にたいというのは本当ではなくて単に血を見たいだけなんですが)裏腹の感情がそこにあるのです。なるほど。確かに、私が入院中に出会った女性で、親の下手な愛情の発信ゆえに、愛情不足でリストカットをする人がいました。特にひどかったのはいつも母親との面会後の夜でした。ある日のこと、日中に無表情の顔で「今日、母にあったんだけど、愛してるっていってくれなかったの、そんなのわかっていたことなんだけどね」と言う彼女にいやな予感があった私でした。事実、その晩、眠ったまま、トイレ中のトイレットロールをまきちらして、どこに隠し持っていたのか、剃刀で手首を切って倒れていました(というかすやすや寝ていました)。もちろん、死ぬ気はありませんから、それどころか、「私はここにいるのよ!!!!」という強いアピールが舞い上がるトイレットロールの切れ端に感じましたので、滴り落ちていた血をみても私はそれほど怖いとは思いませんでした。(もっとも客観的に見て出血が大量でなくてよかったですが・・・)夢遊病というのをみたのはそれがはじめてでしたが、それぐらい彼女にとっては日中の母親の態度はつらい出来事だったのです。無意識が顔をみせやすい睡眠状態になったときにことをおこしたのは至極当たり前なことでした。現に彼女は目をさましたとき、なぜ自分の手首が包帯で巻かれていたのかわかっていませんでした。自分の感情を押し殺せば押し殺すほどリストカットはその感情を外に出す1つの手段として行われるということです。今、私がまたリストカットに悩む人に会ったらきっと言うでしょう。「生きたいんだね。ここにいるよって言いたかったんだね。さみしかったね。」身近にリストカットをする人がいたら「なんでこんなことするのよ!」と怒る前にそういう暖かい言葉をまずかけてほしいと願います。理解するのは難しいかもしれませんが。そう言ったら、もしかしたら、それまで隠していた感情をリストカットという形ではなく、みせるようになるかもしれませんから。ただそれが新たな自虐的な行為に転移することもありうるので、必ずしも一発で感情がごく普通に表に出ることは期待しないで下さい。それでも、一歩前進したと考えましょう。キットカット・・きっと勝つ。きっと克服できる。なんちゃってね。ちなみにリストカットをした前述の知人ですが、リストカットをしたことを後悔し、子供になんていえばいいのだと悩んでいた時期がありましたが、私はこう言いました。「あなたが言うとおり、時期をみはからって、生きたくて苦しんでいたからやった、と素直にいえばいいと思う。そのかわり、もう二度としないって自分に言い聞かせることは必要。子供を悲しませてはいけないから。」なんか書いていて、伝えるのって難しいなと思いました。それほどリストカットは一言で言い表せるようなものではないんですよね。私の書いたことはほんの一部にすぎず、もっと深い理由があるかもしれないしないかもしれないので、共感できる方だけに先にお願いしたことは実行してみてください。ではまた。
Mar 8, 2008
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私は心理学の勉強がてらAAの自助グループの傍で傾聴ボランティアとして一定の時間座ることを1年ばかりしました。自助グループの集いがお開きになったあと、所長と副所長と3人で、一人一人の悩み事を聞いていました。堂々巡りの人もいましたが、話してすっきりしたという人もいました。所長さんとはたびたび、そうした悩み事を話した人たちが帰った後、アルコール症の恐ろしさやAC(アダルトチャイルド:もとはアルコール依存症の家庭に育った子供たちに共通する性格や人格の総称)のことについて語り合いました。私自身がACでもあったのでよく泣いて助けていただきました。それから結婚してすぐ子供に恵まれ、所長さんや仲間達とのおつきあいも疎遠になりました。しかし、何かしら思い出して時間をみつけてはその会合の場所にでかけたのですが、都合があわず全く会えませんでした。そんなようなある日、でかけたところ、副所長さんに会いました。そこで衝撃的なことをお伺いしました。Aさん、なくなったよ。レインボーブリッジから身を投げてね。だいぶ断酒生活に慣れて家族とも復縁しようとした矢先だったんだ。きっとその復縁でのいろんなことでストレスを感じて酒に手を出してしまったんだろうね。その勢いで飛び込んだらしいよ。少なくとも、家族で葬式出してもらえただけよかったかもしれないね・・・。Aさんはいつも低姿勢で自分は家族に悪いことをしてきた、体もがたがたで自分がいかに酒で自分をむしばんできたかよくわかったよ。そのつぐないとして生きなきゃね、と自助グループの話で語っていました。片足をいつもひきずっていたAさんとは花見にもいっしょに行った仲でした。いつも会うたんびに「元気にやってる??」と声をかけていました。自宅に帰ってから空しさが心に広がって何ともいえない気持ちになりました。私の父もあと一滴飲んだら死にますよと医師に言われていたにもかかわらず、私に「俺になにかあったらあとのことよろしくな、頼れるのはお前だけだから」と子供の自分には酷な言葉をのこして単身赴任し、その赴任先で倒れて入院2週間目になくなりました。一種の自殺としか思えません。それから更に2年たちました。ある日突然、所長さんからお電話を頂戴しました。これまた衝撃的な話。腰痛がひどくなっていたことは知っていたが・・・・。俺、所長やめたんだよ。スリップしてしまってね。もう誰も俺のことを信じてくれはしないだろうな。あんなにえらそうなことを沢山言ってきたけれど、いざ自分のことだとこの有様だもんな。みんなに見放されているよな?少し、ショックで黙っていた私ですが、口を開いてほとばしるようにいいました。「そんなことはないよ。みんなBさんのこと心配してるよ。仲間でしょ。えらくもない仲間なんだから、仲間が苦しんでいたら見放すわけないでしょう。えらそうなことを言ったからと言ってそれはそのときにはその人には必要な言葉だったのだからべつに公開する必要はない。」そしたら、電話の向こうのBさんはすすりないていた。見放されていないか?本当か?一人ぼっちじゃないか?もしそうだったらうれしいねえ。信じていいのかな?「信じていい。私も含めてみんなどうしているかなと思っているよ。なんで私が毎年かかさず年始の挨拶をしていると思っているの?忘れていないよといいたいからよ。他の人たちはどうしたらいいのかわからないだけ。思っていることは私と変わらない。」うれしいこといってくれるじゃないかい。俺、今、腰痛がひどくって介護を受けながら生活しているんだよ。身動きできなくってさ。寂しいもんだね。でも俺が招いたことだからしかたないんだけどさ。すすり泣きながらずっと「見放されていないんだね」という言葉をくりかえしていました。電話を切った後、また少し空しさを感じましたが、その所長さんが元気な頃にしていただいたことに対する恩は変わりません。これからも支えになりたいと思いました。といってもできることは毎年かかさず年始の挨拶を写真つきですることぐらいですが。ただお願いだからもう死なないでと思います。アルコール依存症で死ぬ人の最期は本当に本当に悲しいものですから。話ちがいますが、人ってまちがえることあたりまえですよね。まちがえたらやりなおせばいい。何度でも何度でも何度でも。どん底に突き落とされるまでまちがえてもやりなおせばいい。もっともアルコール依存症の場合は家族に与える影響が多大なので離別という悲しさがつきまといますが、それもまた一人でやりなおすということです。馬場俊英の「スタートライン~新しい風」の詩にあるようにチャンスは何度でもくるから。それまでは死なないで、自分をあきらめないで。少し休んで遠くを見ようよ。きっと小さいかもしれないけれども幸せが毎日あなたの足元にくるから。人間にはだるまさんのような生き延びる力があると信じています。いや信じたい。。かな?
Feb 23, 2008
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私は実は精神病院への入院歴があります。といってもあとにもさきにも10年まえの2ヶ月だけでしたが。しかし、その2ヶ月間の間に壮絶な病との闘いをみせつけられました。同室の40代のおかあさんはキッチンドリンカーになって酔っ払ってご主人に切りつけようとしたところで、離婚され、2人のかわいい子供と別れる羽目になりました。何かと雑誌をみせてくれたりしたので仲良くなりました。すると、子供達の写真をみせて、なぜながら、もう会えないのかしら・・・・とつぶやきながらその子供達の誕生日に向けてカードを書いていました。私に言えることは「飲まなければきっと会えますよ」ということだけでした。その後、同室のやはりアルコール症の女の子が夜中に病室を飛び出して、それに追うようにそのおかあさんも出て行ってしまい、大騒ぎになりました。アルコール症の人はアルコールが入ると通常の人以上に性交をしたくなります。その晩帰ってこなかったところをみるとそうだったようです。翌日、その女の子は、治療する気がないと断定されて強制退院となりました。おかあさんの方は謝ってもう一度やりなおしますと宣言して居残りました。それからは淡々とした日々が続き、断酒していたため、無事、退院することができてリハビリ施設に通いながら一人暮らしをはじめました。しかし、やはり、さびしいものです。家族にも会えず、好きな人もできずと何度かスリップ(再飲酒)してしまいました。それでも私に年に数回電話をかけてきてはがんばってますと言っていました。そのうち、恋人ができたようで、飲酒の回数はみるみるうちに減りました。私は恋人に振られても飲んではダメよといい続けました。でもその恋人は本当に彼女のことを愛してくれていたようで、今いっしょに住んでいます。もちろんお酒にはもう手をつけていませんが、一生つきまとうことなのでまだ監視の目が必要です。なお、同室にはもう一人4重苦の女の子が入っていました。リストカット、軽度の精神病、アルコール症、過食症と拒食症の繰り返しです。その子にまず驚かされたのは、売店にいって甘い蜜(アステルパームだったかな)を買ってきてといわれ(自分は買ってはいけないと医師にいわれているため)、しぶしぶ行って買ってきたところ、その蜜を醤油をまぜて飲むのです。おいしいよといってコップを渡されたときは少々困りました。病院内でのやってはいけない行為はそれだけでしたが、退院してからが問題でした。よく過食で喉に手をつっこんで食べたものを吐き出している一方でワインをしこたま飲んでトイレの床で失禁しながら私に電話してきたことが何度かありました。彼女の場合は母親との確執が問題でしたが、その母親をなくしてからは徐々にそのめちゃくちゃな態度はなくなってきて新たな趣味もみつけたようです。しかし、この数年音沙汰がないので少々案じています。アルコールの話はまだ続きますがまたこんど。
Feb 19, 2008
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父が亡くなってもう数十年になります。亡くなったとき、ほっとしたと同時に強烈な寂しさを覚えたのを今でも忘れません。しかし、当時、私はその寂しさを凍てつかせて何もなかったような顔をしていまいました。そうせざるをえなかったのは今思えばそうすることを繰り返して育ったからでした。実は父はアルコール依存症でした。といってもそれがわかったのは死後、心理学の勉強をしてからです。私が幼いとき、やさしかった父は酒を飲むと酒乱になり、母に乱暴をふるうかと思うと、風邪で発熱して朦朧としている私にウイスキーを一気飲みさせました。しかし、母は乱暴されたことを誰にも話さず、私からウイスキーをとりあげることもしませんでした。今、思うとおかしなことですね。でも、そうしてしまうのも仕方がないかもしれません。本当にしらふのときはやさしかったんです。それがたった一滴のアルコールで人間が変わるのです。そのため、父は仕事を首になりました。当然、家庭は暗くなりました。思春期のとき、必死に父の背にまたがってなぐりつづけ、泣きながら「もう飲まないでよ!」と叫ぶこともありました。そのときの母と兄弟はぼんやりと座り込んでいるだけでした。それでもしらふの父はとてもやさしかったので大好きでした。この矛盾した心はその後の私の人生に大きな影響を与えました。ちなみに私は母に言われて兄弟と連れ立ってAA(アルコホリクスアノニマス)という自助グループの家族会にも出席しましたが、まだ中学生の私には何を話しているのか理解できませんでした。確か、そのとき隣に座っていた人も「まだ若くて何のことやらわからないでしょうね、困ったわね」と言っていたのを今でも思い出します。なんで母は出席しなかったのでしょうか?それも今思うとおかしなことですね。大好きなのに大嫌い。実際あったのに隠さなければならない。これがアルコール依存症が子供の心に与える影響です。自助グループの意義がわかるようになったのは私自身が数十年たって病を起こしてからのことでした。(ちなみに私はアルコール依存症ではなかったのですが。)話が長くなりそうです。アルコール依存症の恐ろしさは伝えきれないほどのものなので、数回に分けてこれからお話します。
Feb 17, 2008
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今日は朝から子供の保育園の進級式で忙しかった。それにしてもどうも今のクラスのお母さん方は好きになれない。上の子供のときはすごく仲がよくていまでもおつきあいしているというのにどういうわけだろう。1つ気付いたことがあった。それは大半が一人っ子であるということである。どうも話があわないのだ。下に、または上に、兄弟姉妹がいるお母さんとはまともに話せる。人はもとから社会的動物、つまり群れないと生きていけない動物なのは哲学者パスカルもいうことなので、なんとかして仲良くしたいのだが、マイペースで自分本位で協調性にかけるお母さん方にはついていけない。クラスをまとめる人がいないせいだろうか。一致団結して卒園にむけて残り2年を過ごすことはできるのだろうか。ちなみに、今日はそのお母さん方と夕飯というか、クラスの最後の集会ということで夕飯を食べることになっている。私の中のいやだいやだ反応が猛烈にでてきて、目下うつ状態。だったら行かなければいいじゃないかというかもしれないが、保育園の卒園式は父母たちでつくるようなものなので、誰がだれだれちゃんのお母さんでどういう感じの人なのか把握しておかないとまずいのである。わが子のためには自分を犠牲にしなきゃいけないというのもなんだか変だが、事実上そうなんだから仕方がない。腹をくくっていってこよう。そしてがんがん一人で飲んで食べてさいならしてこよう。今日の気分:最悪、薬飲まなきゃいられない。
Feb 16, 2008
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女性ってつくづく嫌になりますね。なんで神様は一ヵ月に一度月経というものを授けたのでしょう。他の動物は恋の季節にならないと月経はないというのに。たとえば、イヌは年に二回しか発情しません。うらやましいとしかいいようがありません。さて、話がずれました。昔は月経困難症とか月経前緊張症と呼ばれていたPMSですが、私もPMSで苦しんでいます。何がいちばんつらいかというと、腹痛よりも頭痛よりもいらいらして人を殺してしまいたいぐらいに発狂してしまうことです。当然ながら、家族中はそれまで穏やかだった母またはママがどうしたのかと大騒ぎ。包丁で自分を切ってみたり、オーバードーズ(精神安定剤など薬の過剰摂取)してみたり、外にでて車の前に飛び出したり、4階から飛び降りようとしたり・・・。はい、はっきり言って尋常じゃないです。なのに、月経がはじまるとぴたりとその症状がなくなるのだから困ります。死ななくて良かった~と思ったこと数知れずです。人に危害を与えないだけましなのでしょうが、そのときの本人は本当に苦しんでいるのです。さてはて、10数年来のおつきあいの精神科医にその話をしたら、婦人科にいって漢方薬を処方してもらいなさいといわれました。なんで早く言わなかったのでしょう。回答をぴんぽーんともらった気分で、婦人科に当然ながらはせ参じました。では、ということで頂戴したのが「当帰芍薬散」でした。本当に効くのかなと怪しみながらも2週間のんでみました。あれ?キチガイになりません。多少のいらつきは残りますが先に書いたような態度にはでなくなりました。これはみんなに効くわけではないようですが、私には効いたので非常に嬉しく思いました。まだ、漢方を試していない方、やってみたらいかがでしょう。
Feb 11, 2008
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皆さんはピアカウンセリングというのをご存知でしょうか?同じ病を持つけれど少し元気な人が他の同じ病を持つちょっと弱っている人の話を聞いて(傾聴といいます)最終的には自分の歩いていく道に気付けるようになることを願うことです。人間にはもとから自然治癒力があり、自分で自分の病を治す力があります。それをひきだすようすることのひとつの方法です。まあえらそうなことを書き連ねましたが、かく言う私も病のオンパレードです。心因性反応(不安発作が大きいですね)、高脂血症(動脈硬化が怖い)、慢性副鼻腔炎(鼻づまりのひどいものとお考え下さい)、PMS(ホルモンバランスがくずれてあちこちがいたみ、いらいらします)胆嚢ポリープ(これは切るまで放置していますがいつ切ることになるか)。私はこれまで心理学の勉強を大学でしてきて資格をとり、学会にも入会したというのにいままで何にもその資格を元に何かに役立てることをしてきませんでした。そこで、ここでのピアカウンセリングは少し元気に維持できている心因性反応(一応、統合失調症でない分類であればどれでも対応可能です)についてあなたのお話をお伺いし、迷っている森の中から自分の道を見つけて抜け出すお手伝いをしたいと思います。PMSおよび慢性副鼻腔炎もご縁が長いのでピアカウンセリングできるかもしれませんのでまずは一声かけてください。それから、時折、昔話や現在のことをおりまぜて自分の話をしますので、親近感を覚えられた方はコメント下さい。ではよろしくお願いします。
Feb 11, 2008
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