松尾大生の独り言

松尾大生の独り言

2017.06.08
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高校の恩師の自分史むけに書いた文の下書きです。いやいやながら書いたから生気が出てない。

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「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれ不幸である」

『アンナ・カレーニナ』の冒頭のトルストイさんの有名な言葉。

「家庭」という言葉を、「学校」なり「教師」という言葉に置き換えて考えてみた。

「幸福な学校はすべてよく似たものであるが、不幸な学校は皆それぞれに不幸である」

「幸福な教師はすべてよく似たものであるが、不幸な教師は皆それぞれに不幸である」

うむ.......。

この道筋で考えていくと、北海高校も横山先生も、他にないという意味では、どうして後者の悪い例に帰結してしまう。実際、悪い評判も耳にしてきた。それらは全て誤解なのだが、耳にしてきたのは事実。

ある日のことだった。

北海高校に入学当初、先輩たちがただでさえ恐ろしいのに、廊下を四十がらみのホンモノのヤクザが周囲を恫喝しながら肩を揺すって歩いている姿を発見した。

私は図書館に避難して震えていた。

『北海高校は暴力団とまで提携していたのか』

と。

その後、横山先生が教師であることは分かった。しかし、最初のインパクトの消えぬまま、バンカラな中にあっても文の心を志していた私は、演劇部に入部を申し出て、さっそく顧問の先生に挨拶にいった。

ここは職員室、

「演劇部にはいりたいのですが、顧問の先生にあわせてください」

担任の野原先生にお願いすると、こころよく社会科の机の並ぶ区画に案内してくれた。

「演劇部の顧問は、横山先生じゃないか。ちゃんと挨拶するんだぞ」

と担任は言った。

突然の腹痛、動悸、目眩、......16年たらずの人生のトラウマまでもが胸のうちで点滅していた。危険きけん、キ、ケ、ン......。

横山先生はこちらに気づいて、

「演劇部にはいりたいのか。よし、合格」

私はおそるおそる、

「先生は弓道部の顧問ですよね。演劇部の顧問でもあったのですね」

「あったり前のど真ん中のサンタマリアだべや」

私の頭の中にはマイルスデイビスさんの死刑台のエレベーターが流れている。

その後の演劇部の活動の詳細についてはいろんな意味で割愛せざるをえないが、卒業する頃には、最初、ヤクザにしか見えなかった先生が、案外、文武両道の人であるとわかった。

あれから、35年。

「横山先生は元気なのだろうか」

と想いを馳せることは、......ない。なぜなら、今も毎週あっているからだ(!)

さて、冒頭のトルストイさんの言葉を再び考えている。

逆ではないのか、と思う。

トルストイさんの時代には確かに冒頭の言葉は真理であったのだろう。

しかし、今は多様性の時代であり、実は横山先生や北海道高校みたいな交換のきかない「価値」にこそ意義があるのではないか?

冒頭の言葉を再び独断で作り替えさせていただく。いわく、

「不幸な人々はすべてよく似たものであるが、幸福な人々は皆それぞれに幸福である」






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Last updated  2017.06.08 10:44:10


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