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義母が亡くなりました。 私の仕事が終わりました。
葬儀は、彼岸の中日でした。
21日 午前 11時14分 眠るように息を引き取りました。
「老衰」と先生は診断してくれました。 89歳でした。
寝たきりになって一年半。認知症を意識してから、かれこれ 10年でしょうか。
介護経験者の近所の人たちに、「ご飯が食べられなくなって、三日だよ」
と言われていたので、18日ころから、日に日にご飯の量が減って、
19日は半分、20日は全くだめで、水分も、スプーン2杯くらい。
いよいよか と思い、座敷の片付けや、穴の開いた障子張りや表庭の片付けなど、
なんだか、自然と体が動いていました。日曜日でみんな居ました。
当日、義母の妹や上田の孫娘、ひ孫、もちろん主人、私 などで、
最期を看取ることができました。なんだか、あれよあれよと言う間でした。
往診の先生も、5日前に診ていただいていたので、
それなりの指示を出してくれ、時間を見て、自分たちで、死亡時刻を決めました。
家で看取るということは、案外自然なことかもしれません。
まあ、大変な病気があればできませんが、
本当に老衰ならば、静かに看取れます。 自分でも満足できました。
あわただしく葬儀の準備をしましたけれど、無事に終わりました。
その夜は、なんだかじわじわと、涙がにじんでなかなか眠れませんでした。
寂しいのか、悲しいのか、ほっとしたのか、いつまでも・・・。
義母は、私でよかったのかなあ? 幸せだったかなあ? などと思いながら・・・。
菩提寺の住職さんにお礼のあいさつに伺って話を聞いてきました。
この頃の葬儀は、「なるべく小さくこじんまりと」と言う傾向にあるようです。
が、「しっかり修行をした大勢の僧侶が、精いっぱいの読経で、パワーで、
送るということは、本当に安らかに成仏できること」だと話してくださいました。
義母の葬儀は、大勢(9人のお坊さん)の僧での、賑やかしく、おごそかで、
しかし、なんだか暖かくお経が聞こえました。
きっと、高く高く昇って行ってくれたと思います。
自己満足かもしれません。
去年の夏には、どこか施設を紹介してもらおうと、ケアマネに相談したところ、
「ここまで来たから、もう少しよ。しっかり応援するから家で看ましょうよ」
と言ってくださったことは、今になってみると、感謝の気持ちでいっぱいです。
自分が後悔しないように、 やっぱり 自分のための介護かなあ、と、
今更ながら思う次第です。
今日はもう、部屋の片付けをしています、いろいろ思い出しながら・・・。
なんだか よかったな 心の中がすっきりしています。
裏庭には 彼岸花が咲いていました。